さらば!ジャイアント馬場 !落日は福岡にて(前編)

こんにちは、CMBOです。今回は久々に昭和プロレスの話を書いてみたいと思います。なんだか久しぶりのプロレス投稿ですが、結構書きたいネタはあるのです。どうぞお付き合い下さい(笑)

テーマは“ジャイアント馬場事実上の引退試合

ピンと来たファンの方も多いかと思いますが、昭和60年7月30日に行われた福岡スポーツセンター(福岡国際センターではない!)で王者ジャイアント馬場に前王者スタン・ハンセンが挑戦したPWFヘビー級選手権試合です。熱烈な全日ファンであった私はこの試合をリングサイド2列目で観戦しました。今回は約35年ぶりにその観戦記を書いてみようと思いました。

私はその時生観戦4回目。以降全日本の興行を中心に2000年頃まで年2,3回の観戦を続けました。その中にはいわゆる四天王対決を中心とした昭和では考えられなかったハイレベルな攻防がありましたが、その手の試合はやはり昭和プロレスマニアとしてなにかこう1点だけ物足りないものがあるのです。

この試合は、結果的に馬場がシングルのタイトルマッチでメインを張った最後の試合なのです。その後世界タッグや最強タッグ、夢の対決でメインを張ったことはありますがシングルはこれが最後。更に言えばこれらの試合はあくまで“上皇”が戯れで下界に降りてきて顕在を示す、程度のものだったと思います。馬場も懸命には動いていましたが、どこか余裕がある動きで自分としてはあまり現役感が感じられませんでした。

いわゆる後年の“馬場さん”の一時的な奮闘であり、“馬場〜っ!”と呼ばれた試合はこれが最後ではなかったかと思います。ラジャ.ライオンとの異種格闘技戦は既に“馬場さん”であったと思います。

この試合は、馬場独特の“死に物狂い”の表情を最後に見せた試合であり、メインイベンターとして最後の試合といっても過言ではないと思います。年齢は既に47才。この年頭には長州力率いるジャパン軍が全日に参戦しておりましたが馬場はそれに対しては一歩引いたスタンスを取っており、もう全日の顔は鶴田そして天龍に譲り始めていたのです。

更にいえば、鶴田は2年前には日本の至宝インターヘビー級王座をブルーザー・ブロディより奪取。1年前には馬場も成し得なかったAWA世界ヘビー級王座をニック・ボックウィンクルから奪取。天龍も1年前にUNヘビー級王座をリッキー・スティムボートとの王座決定戦を制して念願の王座戴冠。それは馬場の“隠居”へ向けて次々と布石を打っているようにも見えました。

また、今思えば、この1年の馬場は、シングルマッチにおいては次々と思い出作りをしていたように思えてならないのです。前年7月この日の対戦相手のハンセンに1年近くPWF王座を奪われていた馬場ですが、蔵前国技館にて3回目のチャレンジで見事王座奪還。ハンセンが全日に移籍して2年半、はじめてピンフォールを奪われたのが馬場だったのです。

更にはこの大会は老朽化のため取り壊しが決まっていた蔵前国技館での全日最終興行。思い出深い蔵前のメインのリングで最後の勇姿を見せ付けたのです。更には翌年2月、未だお互い完全決着をつけていない”インドの凶虎“タイガー・ジェット・シンを向かえてこれも思い出深い東京体育館のリングのメインでPWF王座の防衛戦。このシリーズから参戦してきたジャパン勢を迎えての頂上決戦、鶴田・天龍対長州・マサ斎藤を抑えてメインに登場し、シンの意表をつくねじり上げるようなコブラツイストで見事ギブアップを奪い引導を渡しました。

更には6月、前年末から全日本マットに参戦していた“金網の鬼”ラッシャー木村とこれまた思い出深い日本武道館のメインでPWF王座防衛戦を行い、見事ピンフォール勝ちを奪いました。セミは天龍対長州の一騎打ち、当時はカード的に旬であるこの試合をなぜメインにしなかたのかやや違和感があったのですが、今では十分納得できるのです。

馬場は蔵前・東体・武道館のメインで、ジョーさんの失神も第三者の乱入もなく、文句なしの勝利を挙げ、「やることはぜんぶやって」身奇麗になりこのハンセン戦に望んだ気がしがしてならないのです。

しかし、それではこの最後となるPWF戦も新装なった両国、もしくは武道館で行わなかったのか?と思うところです。なぜ全日の熱狂度がそれほど高い訳ではない福岡での試合だったのでしょうか?馬場の真意は謎ですが、なんとなくですが「敗戦をあまり騒がれなくなかったから」という気がしなくもないのです。馬場は自分なりにけじめをつけたかっただけで、負けたことにより今後についてあーだこうだ言われたくなかったからのような気もします。

都内の大会場で完敗してしまうと、どうしても鶴龍、そして長州・藤波らの世代と比較され引退説が再燃されかねません。馬場は引退までする気はサラサラなく、なんとなく“名目上トップ”のような存在になっていた自身について、さりげなくちょっとだけ身を引きたかったような気がするのです。

王座転落は珍しいことでもなんでもないのですが、3連続完全防衛(1回は王座奪取ですが)というのは当時まだまだ両リン・反則決着全盛の全日マットにおいては異質な事なのです。

私の邪推はこんなところにして観戦記に移りたいと思います。

「馬場対ハンセンのPWF防衛戦」「ジャパン軍福岡市内初登場」という2つの目玉がある大会ゆえ、私は思い切ってリングサイド最前列を購入しました。手口はチケット発売初日にプレイガイドに並ぶという昭和チックな手法です。当時福岡スポーツセンター正面にプレイガイドはありましたので、私はオープンの10時前から窓口に並び首尾よく1列目をGETしました。しかし、私の後ろに並んでいる物好きなプロレスファンは一切いませんでしたが。。。。。

しかし会場入りして唖然。。。。私の席の前には1列分席の設定があったのです。今ではどうか知らないのですが、当時の全日の興行の最前列席は関係者・招待されたタニマチ等の這わば来賓者席となっていて一般の平民?は購入することは出来なかったのです。4面共。そういえば後楽園ホールでのテレビ中継はいつも同じ人が映ってますもんね。

お客さんの入りですが、満員マークがつかない5,700人の発表。私の目で見ても6~7分の入りでした。アリーナは8~9割埋まっていたのですが、スポーツセンター独特の急角度の2階席が半分くらいの入りでしたね。全日は福岡では弱いんですよ。。。。でも私が見に行った全日のスポーツセンターの興行では一番の入りでした。

興業自体はジャパン軍参戦の影響で前座試合もそこそこ盛り上がっていました。記憶に残っている試合について少し書いてみたいと思います。

(第5試合)

小林邦明&寺西勇組対 ザ・デストロイヤー&ジプシー・ジョー組

コバクニのキック攻撃にデストおじさんがどう対応していくか?そのあたりが注目ポイントなのですが、さずが魔王、コバクニが突っ込んでくるとすぐに間合いを外して観客にアピール。連続攻撃を巧みにいなします。逆に切なさを感じさせたのがジョー。正月の来日で哀しいほどやせ衰えた姿を見せてしまったジョーですが、再度の来日でもコンディションは回復しておらず、2人の攻撃を受けまくった上、最後はコバクニのフィッシャーマンズスープレックスであっさり3カウントを取られてしまいました。

元々この技はジュニアならではの技、というイメージが強いのですが、これでラッシャー木村やマイティ井上と血みどろの戦いを繰り広げたジョーがあっさり投げられてしまうのは何か物寂しいものがありました。

(第7試合)

マイティ井上&佐藤昭雄組 対 ラッシャー木村&鶴見五郎組

地味目なカードですが、以外に、というか当然スイングしたカードになりました。

かつては国際プロレスでエースを争った同門同士のラッシャーとマイティの火の出るような攻防!マイティは突き上げるような強烈な張り手を木村の顔面にガンガン叩き込みます。しかし木村は一歩も後ずさりすることなく鬼の形相で10発を超す井上の張り手を受けきり、お返しの重々しい逆水平チョップ2発で井上をダウンさせました。

正直この頃から既にラッシャー木村は“笑われ気味”の選手になりかかっていたと思うのですが、さすがにこのシーンでは観客からどよめきが起こり、ラッシングパワー健在を知らしめるシーンとなりました。

また佐藤昭雄のソバットの切れも抜群。アジアタッグ王者戴冠時代はちょっと体型がぽちゃぽちゃした印象でしたがこの頃はおなか周りがすっきりし肌は小麦色に焼け一番いいコンディション時代だったと思います。鶴見もよく木村をフォローし、プロレスの達人が良い味を出した見ごたえ十分の試合でした。

この第7試合終了直後、トイレのため席を離れたのですが、裏のとあるスペースに人だかりが出来ていたので除いてみたら、物置みたいな10畳位のスペースがあって、そこでジャンボ鶴田と小川良成が汗だくになりながらスクワットをしていたのです。小川はデビュー直前ですが、ジャンボは第9試合に出場ですから出番直前です。

暑い夏でしたから汗だくなのは当然なのですが、そこにいたのがジャンボだったのが結構意外でした。ジャンボの試合前の練習シーンを見たのはこれが最初で最後です(笑)しかも小川は何故かヘロヘロ状態。ジャンボは小川に叱咤激励の声をかけながらスクワットを引っ張っていました。お客に見せるため練習のための練習?いやいやそんな感じではなかったのです。ジャンボはそんなことはしないでしょう。いずれにしても貴重なシーンでした。

以降は次回にて。今日はこんなところです。

それでは、また。

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