野球少年の夢〜〜左打ちのケジメ(3)

こんにちは。CMBOです。今回も私の中学時代の野球部生活の話の続きです。

久々のシートバッティングで目の覚めるような私ですが、残り11スイングでも後3回同様の打球をかっ飛ばしました。まだ球を捉える技術は拙いんでその中に4回空振りがあったのですが、全くそれは気になりませんでした。それよりも鋭い打球を連発した事と普段私見下していた大半のチームメイトが驚嘆の声を上げた快感に酔いしれていました。私はそれまでスポーツの結果で人から褒められるという事がなかったですから。。。。。

小学校時代の私はむしろスポーツが苦手でクラス内でも完全に運動神経鈍いグループでした。特に長距離走がにがてでした。今でもよく思い出すのですが、小学校3年のマラソン大会。学年単位で走るのですが、100数人走って私は下から3番目。しかも後ろの2人は喘息持ちを押して出場してゼイゼイいいながらも見事に完走したので先生達の励ましを一身に受けており、ただ単に太って足の遅い私にはゴールしても誰から声をかけられるわけでも無く、クラスメイトの冷めた視線だけが突き刺さりました。事実上のドベです。

その時の屈辱は私にとってかなり衝撃の出来事であり、それまではスポーツについて見ることは好きでもやる事に興味を持てなかったのですが、このドベから3位事件をきっかけに「何かスポーツに取り組んで周りをあっと言わせてやろう」と思うようになりました。ただ人見知りゆえ地域の野球チームに入るとかクラブに入るとかの行動を起こせず、小学校時代は特に運動神経のレベルアップが出来ぬまま卒業することになりました。

そして中学校に入学した際、私は野球部に入るかどうかかなり悩みました。当時の野球部は部活動の超花形で2、3年生だけでも部員は計60人くらいいました。そしてその時の入部する1年生もおそらく50人くらいだろうと言われていたのです。その予想される50人も小学校時代何らかのスポーツクラブに所属しておりその中でも優秀な能力を持った猛者達ばかりでした。私が入部したとしても同じレベルの同僚がおらずついていけなくなるのは目に見えていたのです。

私は小学生時代は人見知りが激しく、虐められた事はなかったのですが、常に馬鹿にされるというか、いじられ役でした。ただ自分自信ではその性格をどうにかしなければと思っており、ここで野球部に入って”半分以上”のグループ内に無理やりにでも入っておかなければ人生の落伍者になるような気がしたのです。勉強についてクラス40人中トップ10にギリギリ入っていたのでトータルで見れば落ちこぼれでも何でもないのですが、どうしてもマラソン大会の一件が忘れられませんでした。

そして私は野球部に入部しました。親からは反対されました。仲のよかった友人は別の部に入りましたし、同じく入部したチームメイトは普段から私を馬鹿にしていたエリート選手か他の小学校から来た知らない人、でもこの人達もきっとエリートなのです。小学校からの知人からは『●●(私)!しきるとや!?』とニヤニヤ笑いながら何回も言われました。そして心の中では『基礎体力作りでついていけなくなって夏には辞めるだろう』と皆が思っていたと思うのです。

多くの方がご存知だとは思いますが、部員が多い部には基本「ぶるい落とし」が行われます。全員に均等に練習させるわけには行きませんので、例えば野球部だと入部してしばらくは練習中ボールは触らせず、時間中ひたすら走らせて基礎体力の向上に重点を置かせませす。単純に「野球、面白そう」という軽い気持ちで入って来た人はここでふるい落とされます。自主的に退部するのです。

私の時に野球部は入部者は48人。それが1年の夏休みが終わる頃には24人に減っていました。そして最終的に3年最後の大会で残ったのは16人でした。転校とかもありますが、3人に2人は辞めたのです。私はこの野球部でもマラソン大会と同じように常に何をやるにしてもどん尻でついていくのが精一杯でしたが、死ぬ気で食らいついて練習に取り組みました。今でもよく生き残れたなと不思議に思うこともあります。

ただし、途中から『このままでは例えついていけたとしても野球部内にどん尻で終わるだけだ』と考え直して左打ちに取り組んだのです。そして前章までに書いて来た結果になるわけですが、もちろんこれはただ単に練習でいい当たりをした、というわけの話であり、その続きもあります。

ただし、この「自身で成功への道筋を立て、それを信じて努力し、その通りに実現を呼び込む」という手法は私の人生の中でも大きな心の支えになりました。私は何の根拠もなく「自分ならできるはず」と思うことができるのです。そしてそう思う事が結果を呼込む事に繋がる、と何の根拠もなく信じているのです(笑)

今回の私の抗がん治療、骨髄移植もそうでした。治療にあたっては、ドナーさんの確保、20キロダイエット、移植前の治療の克服、移植とGVHDの回避、体力回復、復職、と色々なハードルがあったのですが、私は全て「この期間までにこれを実現させる!」と目標を立て、結果的に全てその通りとなりました。

私は〝言霊信仰〟を全面的に支持しているわけではないのですが、それでも成功をイメージして強く念じて行動する事は結果的に運を引き寄せるのだと信じています。逆に常に不平不満を述べ、何かあると「どうせ私なんか」を連発している人は、「それがあなたが幸せになれない原因です。」と言いたくなるのです。一流のアスリートも大抵そうじゃないですか!成功の妄想は栄光への最短ルートなのです!

話がとんでもなく逸れましたね(笑)シートバッティングに戻ります。最初の2本の結果では周囲はあっけにとられていましたが、私の〝正体〟が分かりだすと周囲は急に盛り上がって来ました。とにかく野球少年は大きい打球にはテンションが上がるのです。残り3本の弾丸ライナーでは「ナイスバッティ〜〜ングッ!」と部員の声が響き渡ります。チームメイトの中にも私の素振りが尋常な振りでは無くなっていたのを気づいていた者もいたようで、「やはりか」と思った者もいたようです。

とりあえず「あたった時の飛距離はチーム1」の立場はいきなりかっさらったのですが、守備・走塁に関しては相変わらずチームどん尻。レギュラーは程遠い道にあります。そんな中で私は3年に進級。そして野球部にも変化が訪れました。監督を務めていた顧問の先生が転勤する事になったのです。後任監督は中々決まりませんでした。弱小野球部の悲しさです。

長くなりました。今日はこんなところです。私の夢の話から大いにズレましたが、ちゃんと戻って来ますので(笑)

それでは、また。

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