こんにちは、みやけです。
先週の土曜は私の実母が賃貸マンションに引っ越す予定でした。昨年秋の実家の建屋の内部の腐食が発見され、家族会議の結果取り壊しを決断。そこに1人住んでいた母は80の高齢なので私と弟は高齢者施設入りを強く勧めたのですが頑強に拒否。「それがうまくいかなければ施設行き」という条件で賃貸暮しをすることに落ち着きました。
ただしかし、母のメンタルは以降ボロボロにになってしまっていたようです。元々2階建ての1軒屋に30年近く暮しており、賃貸マンションの暮らしはその建て替えの際に数か月過ごしたときのみ。その後はずっと一軒家暮らしです。高齢者は環境の変化に弱いですから母のプレッシャーは相当なものではなかったかと思います。更に自身の体調の違和感を感じることが次々に起こっていたようです。
現時点母は認知症とは診断されていないのですが、料理の仕方がだんだんわからなくなったり、今自分がどこにいるか急に分からなくなったり、当然知っている人の顔を認識できなかったり、、、でも私も妻も「なんかおかしいな?」とおもいつつも、一緒に暮らしている訳ではないので、それに気づくことが出来ませんでした。母はプライドが高く、打ち明けたり弱点を息子にさらすようなことはないのです。
母からすれば私は不肖の長男。高校までは野球に頑張っていたものの、それが終わると急になまけだし、1浪したうえ希望とは遥かに下の私立大学になんとか入学できたかと思ったら毎日パチンコにうつつを抜かし留年。ようやく就職できたと思ったらブクブク太りだし糖尿病を発症。祖父の葬儀の際はその入院の最中だったので、お別れの30分程度しか同席できないという体たらく。そんなダメ息子に対しいくら自分が年老いたからと言って弱い部分をさらけ出すのは相当な抵抗があったでしょう。

後から分かった事ですが、母は昨年から不定期におむつをするようになっていたようです。こういうのって逆に異性の家族にとっては絶対に言いたくないようですね。でもこれもまた逆にストレスを抱え込む結果になった気もします。
更に引っ越しに関する手続きは基本的に私と妻が行っていたのですが、最終的な本人の意思確認は必ず行う訳です。特に契約、行先の取り決め事項の話はなんとかその事をなるべく分かりやすく母に話そうとするのですが、どうしてもうまく説明できない部分もあるし、なおかつ母は耳が遠い!そうするとどうしてもこちらは大声になるし。結果、構図的に私が母を怒鳴りつけているような光景になってしまう訳です。
その結果、母は生活している最中急にめまいがして倒れる、という事が繰り返されるようになりました。いわゆる「高齢者の失神」というヤツです。この1か月私や妻が見ている前でも4回、家ではもっとそのことがあったのかも知れません。そして「家に泥棒が入った」と言い出してみたり、後から調べると会っていない人に「会った」と言ってみたり。。。いわゆる自身の状態に関する「非常ベル」は実はガンガン鳴らしていたと思うのですが、私にはその音は非常ベルには聞こえなかったのです。
年が明け、1人暮らし用の家電・収納用品・台所用品・清掃用品をそろえいよいよ引っ越しの日を迎えることなりました。母のあまりにも不審な行動は高まるばかりですが、もう後戻りはできません。この時点では「引っ越しが完了したとしてもすぐ施設に行くことになるかも。。。」という事は感じていました。この4か月間、なるべく母の意向に沿うよう物件を探し、家電・家具を揃えてきましたが、すぐにそれが無用になるかもしれないが、それはしかたないな。そう思っていました。
引っ越しの前々日の朝、母から電話が入りました。「転倒して頭を打ってこぶが出来たので病院に連れて行ってほしい」というものです。かなりかなり嫌な予感がしたので妻だけに任せられないと思い、私は急遽会社を休み愛車で実家に向かいました。家に入ると母は「めまいがして」とは言っているのですが、身体は動かせていました。大きな影響はなさそうでした。
しかしなによりびっくりしたのは、左手が大きな水ぶくれになっておりかなりの火傷をしていたのです。手のひらを握ったり開いたりすることは出来ない状況です。不思議なことに母はめまいは訴えても火傷の熱さは全く言わないのです。あれだけの熱さだったら激痛だったろうに。。。。なぜこんなことになったのか原因を聞いても「分からない」というばかりです。今思えばこの時点で母の神経は変調をきたしていたと思います。
その後母を皮膚科に連れていき手当をしてもらい、その後外科で頭を見てもらいましたが異常はなしでした。そして当日母が行く予定であった耳鼻科はキャンセルしようと直接母をつれてそこによりました。そこでは母はめまいを治すために「耳石を動かす治療」を行っていたようです。その治療は身体への負担が大きく受けた後は1週間程度は安静していなければいけないのですが、母は1年以上前からその病院に通っているにも関わらず、そのことは全く理解していないのです。
心療内科でも睡眠導入剤を多量に貰おうとしたり、行く病院で行く病院で、自分の他の病院の治療を知らせず薬を処方してもらったり、身体への負荷の高い治療を行っていたのです。母は病院が大好きなんです。チヤホヤされるからなんですよ。しかも「病気は医者が治すもの」と思い込んでいるから自分は努力はせんのです。ひたすら薬をもらって特殊な治療を受ければ受けるほど病気は治ると思っているのです。

なんとか自宅に帰ってきましたが、引っ越しは明後日。作業・指示は業者と私と妻で行うだけなので母は寝ていてもいいのですが、「果たして引っ越しは実現するのか?」非常に不安な状態のまま、私達夫婦は自分の家に帰りました。
そして引っ越し前日。母はちゃんと起きているか?と思い携帯に電話をかけてみても全く反応がありません。私は治療中の血液のがんの定期健診に向かっていましたので、とりあえず妻に母の元にタクシーで行くよう伝えました。妻が家に着くと家の鍵もチェーンもかかっています。鍵を開けチェーン越しに室内を除いてみると寝室のふすまは閉じているのですが、母がなにか大声を出しているのですが、妻の声掛けには反応がありません。
妻も緊急事態と判断し、救急車を呼びました。救急車到着とほぼ同時に私も実家に到着しました。チェーンはかかっていましたがなんとかこじ開けられたので家に突入すると母は座り込んでおり意識はあるのですが、「出て行ってくれん!」と泣くように叫んでいました。部屋の内部、そして廊下にも包帯の破片が散らばっていました。少しずつちぎったのかも知れません。スリッパも裏返っており何やら異様な光景です。母はなんだか家の中を逃げ回っていたように思います。
母の言い分を聞くと、「おじいさんとかおばあさんとかが次々に家の中に入って来た。その段ボールを持って帰ってもらうよう頼んだが帰ってくれない」という事でした。母の言う「その段ボール」とは我々、そして母が転居先用に荷造りしたもので前日から置いていたものです。ここまで来ると「泥棒が本当に入ったのでは?」と思いたくもなるのですが、とりあえず母を担架に乗せ3人で救急車に乗り込みました。
コロナ過でもあったため、救急車の受け入れ先が中々決まらず、乗り込んでから15分くらいいろいろ当たった結果、家から車で15分くらいのところにある某外科が受け入れてくれるとの事でそこに直行する事になりました。そこで精密検査・MRIも受けましたが決定的な原因は無かったようです。この時点では。しかし診断の結果「脳梗塞の兆候があるかもしれない」「大動脈の流れに気になる点がある」更に「脱水症状」「床ずれ」との指摘がありました。これには驚きました。母はずっと普通に一人暮らしをしており、最近は特に妻には下手すると毎日会っていたのです。「床ずれ」なんて信じられない思いでした。
「床ずれ」って長期間寝たきりの人にのみ発生してしまう状況だと認識していました。ただし、色々な人によくよく聞くと高齢者の場合、10時間程度横になっていただけでも1日でそうなってしあう事があるようです。栄養状態が悪い場合。母は入れ歯の状態を気にしてロールパン・ヨーグルト・コロッケ等柔らかい炭水化物系のものばかり食べていました。タンパク質が圧倒的に足りません。高齢者にとって認知症を回避するのにはタンパク質の摂取は必須なのに。。。

更には耳が遠くなりすぎて知人・友人とのコミュニケーションが極端に減っており、外出する事もめっきり減っていたようです。当然運動不足になりますし、正に悪循環です。母はまだ認知症と診断されてはいないのですが、そのような状態になる環境があまりにそろいすぎていました。
入院した時点の母は左手は前日の火傷が全く回復しておらず、右でもマヒしてなにも持てず食事は補助が必要です。体の衰弱が激しく自力では立つこともできない状況で常時車いすです。そして母しかけても会話が成立せず独語、誰もいない壁に向かって誰かと喋っている、そんな状況なのです。本来ならこの日は新たに一人暮しを始める初日であったのですが、まさかこんな週末を迎えてしまうとは。。。。
翌日私と妻は強引に引っ越しを済ませました。一人暮らしの転移なので、移動の段ボール・家電は15ケース程度。収納・家電の大半は既にセッティング済み。不用品は売却する不動産業者が後日処分してくれるので実質3時間もかからず住みました。「主」が不在なので、梱包物開封もしずらいですし。。。しかし母がこんな状態では結局のところここに引っ越せぬまま、施設に入ることになってしまうのでは?その時はそんな気持ちでした。まだ要支援1ですからショートステイで転々としながら、介護度更新、入居先が見つかるのを待つ、という。。。。
後から調べてみたのですが母の症状はレビー小体型認知症に酷似しています。まあ、未だ持って認知症の診断は下っていませんが。
何度も考えてみたのですが、母はメンタル的に色々な不安要素を抱え誰にも相談できず、引っ越しという逃れることが出来ない現実を目の前にしてすべてが爆発してしまったのではないかと思います。母は「認知症」になることにすごく敏感に反応しており、「絶対になりたくない」と思っていたようです。それはなぜか?「認知症になると施設に入れられる」という恐怖からのようでした。それは何度も口にしています。しかし母は今の施設のグレードアップ加減を全く理解していない、いや、しようとしない。相変わらず「入ったら二度と出れない姥捨て山」そんな感覚です。むしろ今の若い人の方が柔軟に受け入れていると思うし。現実もそんなことは無い。私も義母の調査の際ずいぶんと施設を見学しそれを実感動しましたよ。。。。
母には酷な言い方かもしれませんが、「無意識のうちに逃亡した」そんな印象を受けます。別の言い方をすれば私のご先祖様が見かねて解決を図った、そんな風にも思います。このブログでも何度も書きましたが私は母の事が嫌いです。しかしさすがに今回の結果は「可哀そうだな」と感じました。でもそれは「自分を生んでくれた人への気持ち」ではなく1人の人間、高齢者してです。「こんな結果をもたらしてしまったのだ」という虚無的な感覚です。
社会で生きる上においては他者と協力しあい、周囲と共存していくのは当然のことです。でも我を張り通し自分の好きなように生きることはやろうと思えばやれるのです。でも老いてその力が無くなり、その時の文化についていけない、そうなった場合初めて自身は色々な人に助けられてきたと気づくのだと思いますが、高齢になればなるほど頭の下げ方がわからない、いや質問しようと思っても何を聞いていいのか分からない、そんな結果になるのだな、とつくづく思いました。
今回、色々と書いてきましたが母の状態についてはこれで静かに余生を暮らす、そうはなりませんでした。この後題名にあるように人工呼吸器をつけるような事に見舞われるのです。これだけでは終わりませんでした。悲しいことに。
この回は母の個人情報を色々と書いてしまっております。良くないことかもしれません。でもこれをどこかで訴えないと私のメンタルが持ちません。色々と悩みましたが公開する事にしました。誰かに訴えないと私自身も母のようになってしまいそうです。母も許してくれるでしょう。なので、色々とぼやかして書いていますし、事実と異なることも書いています。しかし高齢の親がいる同年代の方は共感できる部分もあると思います。
今母は体力の低下と闘っています。私も頑張ります。
それではは、また。
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