「お前!あいつだろ!」昭和の正体不明?プロレスラーの検証企画

こんにちは、みやけです。

今回は昭和プロレスの検証企画。いわゆる未だに正体不明とされている外国人レスラーが一体誰であるのか?という疑問を解明していくというものです。ただしマスクマンを含めた来日外国人については後年大半が専門誌やマニアによって正体暴き?が行われ、昭和までに限ればもう不明な選手はごく僅かのように思えます。(1987年春に全日本プロレスに来日したエル・オリンピコとか。。。)

しかし、新日本および全日本プロレスの選手が海外遠征した際に戦った無名選手については未だ未解明な選手が結構残っているんですよ。

まずずっと気になっていた選手が、1983年全日本プロレスのアメリカ遠征時、ジョージア州サバンナで合流した引退前のテリー・ファンクとシングルで対戦した”ブレッド・ハート”なる選手。もちろん後のWWF王者のヒットマンであるはずがなく、放送時でも「フロリダの若手」と紹介されただけで、今日に至るまで正体不明なままのようです。

このハート選手。年齢は当時30前くらいでしょうか?動きはややぎこちないですが、プロレスラーの動きの基本はまずまず出来ている感じでベテランのテリーともそれなりに渡り合っています。後年この試合を見た際、このやや濃い顔つきはどこかで見たことがあるな〜、となんとなく思っていました。

そしてつい最近、twitterで再度この試合の話題が出た後、改めて試合を見直したのですが、ある選手の名前が思い浮かんだのです。「この人、バリー・フォロウィッツじゃないの?

1992年に全日本プロレスに初来日し、その後2年近くアル・ペレスとのコンビで頻繁に来日し、準レギュラー的存在であった彼です。ペレスとの似た者コンビはプロレスニュ〜スでも取り上げられましたし、その後WWFでは“連敗男”として異色の存在となりましたね。

割と最近の選手ではありますが、彼のファイト映像はほとんど確認することが出来ませんでした。しかし顎のラインあたりをよく見ると同一人物と言っていいのでは無いでしょうか?

そして彼の経歴を調べたところ、1979年にボリス・マレンコのコーチを受けフロリダでデビュー。そして某プロレスサイトの記載によれば一時“ジャック・ハート”のリングネームでファイトしていたそうです。それで合点がいきました。

あくまで妄想ですが、有望株としてテリーに対戦させるにしても名前がジャック・ハートでは面白くもなんとも無いので、当時新日本にも来日済みで急成長中、将来の大物と目されていたヒットマンの名前を拝借したのでは無いかと思うのです。嫌がらせというか、ブラックジョークというか。。。。後で記録だけ見れば ⚪︎ テリーファンク–⚫︎ブレッドハートという事実だけは残りますから。。。

ハート=フォロウィッツとすると再登場まで実に9年の歳月を要したわけですが、その間フォロウィッツはそれなりに米マットで需要のある選手だった様ですから、日本人選手抗争が激化した85年以降はなかなか来日のタイミングが掴めなかったのかも知れません。

ただまあ、普通に考えてレスラーを初来日させる際、一度海外マットで接触があり招聘者が実物を見たことがある、というのはよくあるパターンかも知れませんし、その逆もまたあるのかな?と思います。次の話題は後者に属するのですが、私が長年疑問に思っていたのが、輪島博士が馬場と組んでまずはアメリカでデビューした際、その相手を務めたJ・R・ホッグなる選手とアースクエイク・フェリスなる選手の2人です。下の映像では18分頃登場します。

両者ともネットで検索しても中々情報が出てこないのですが、それにしても体はデカイ!解説では彼らの事はほとんど触れられていないのですが、白のロングタイツで輪島にフォールを許したのがホッグで、紫のダブルショルダーのタイツがフェリスです。映像はカットされている場面が多いのですが、写っているのは大半がホッグであり、ホッグの方が動きはよかったのでは無いかと思います。

ホッグの身長ですが、馬場がややかがんだ程度で水平チョップを打つ感じですし、輪島より10cm以上高そうな事を考えると身長は195〜200cm、体重は160〜170キロ程度では無いかと思います。サイズ的にちょうどぴったりなのがレイ・キャンディでしょうか。。。

もちろんホッグは白人なのでキャンディが正体である筈はないのですが、サイズ的に同等の選手を過去の外国人レスラーの来日リストから1980年前後を中心にリストアップして見ました。こういうの楽しいんですよね。。。w

中々合致する条件のレスラーが見つからなかったのですが、ある男の所で私はちょっと思考が止まってしまいました。。。1977年末国際プロレスが開催したダイナマイトシリーズに初来日した。。。。そう!

ブルドーザー”ビッグ・ベンです!

このシリーズは国際プロレスの歴史の中でも飛び抜けて妙な外人が勢ぞろいした伝説のシリーズとして有名ですが、その中でも「アンドレより重く、ヘイスタック・カルホーンよりデカい」という訳の分からないキャッチフレーズでやってきたあの男です。

ベンのプロフィールは身長210cm、体重215キロ。上記の推測サイズには足りませんが、プロレス界恒例の水増しを考えれば丁度いいサイズになるかも知れません。ベンの動画は残されているので検証して見ました。

画像が粗いので確定的な事は言えないのですが、身長185cmの木村と比較して2回り以上大きいという訳でもなく、丁度10数センチの差くらいではないでしょうか?だとすると体格的には合致していると言っていいかもしれません。

ではビッグ・ベンのレスラーとしての詳細を確認しようと、昭和プロレス史研究の大御所、ミック博士が主催する「昭和プロレス研究室」のHPに記載されている「来日全レスラー名鑑」のベンの項を確認したのですが、なんと!ベンは初来日から6年後J・R・ホッグと名乗ってWWAという団体のリングに登場した、と書かれているではないですか!

何度も見ているこのHPにあっさりとベン=ホッグと書かれていたのは正に灯台下暗しというか大正デモクラシーというか、とにかく驚きだったのですがw、ホッグについてもっと情報を持たれていないか、失礼を承知でマガジンHPの画像掲載許可の依頼を兼ねてミック博士本人にtwitterのDLで質問してみました。

掲載の許可については快諾を頂きまずは一安心。ホッグ情報の入手経路についてお聞きした所、今はなき日本スポーツ出版社が発売した月刊ゴング1983年10月号にその旨掲載されているというではないですか!

©︎日本スポーツ出版社

さすがミック博士!この写真のホッグは風貌もベンと酷似しておりベンとゴング写真のホッグは同一人物である事は間違いないでしょう!見た目も丁度6年分歳をとった感じですし。。。。

しかしですね、83年度版ホッグと86年度版ホッグが同一人物なのか?それには疑問が残るのです。というのは国際に登場したベンの動き、これがあまりにお粗末!キ●ガイキャラを演じている事を差し引いてもほとんどプロレスの攻防を成立させることが出来ていません。ロープワークもグランドでの展開もまるで作れないのです。

おまけに太り過ぎでか下半身の動きが病的に不安定で、見ている側が勝敗とは別の意味で不安に感じてしまうのです。一方86年度版ホッグはお世辞にも強いとは言いかねるのですが、一応ロープワークはスムーズにこなしていますし、馬場の16文や輪島のぶちかましもきっちり受けています。それなりのレスラーです。正直全日本に1回くらい呼んでもよかったのでは無いかと思いました。

輪島のプロレス初試合という重要な場面で、ベンのような何も出来ないレスラーをチョイスするのか?と思うのです。当時は馬場サイドに国際時代1度だけベンに苦杯を嘗めさせられそのダメっぷりを十分知っているマイティ井上がいた訳ですから、その情報を聞きつければ「社長!あいつはあきまへんで!」と止めたのではないかと思うのです。

では、結局どうだったのか?以下の2つの可能性を考えました。

別人説

ベン=83年度版ホッグは同一人物であるが、83年版と86年度版は別人であったという説です。そもそもこの「J・R」という名前が「ビッグ・ジョン」的な通称ではないかと思うのです。これは色々と検索しても結局分からなかったのですが、ジョン・テンタが日本でデビューして一度カナダに帰国した際、現地でJ・R・バンディという選手を破って地元のタイトルを奪取したことがありました。

J・Rというのは「やたらデカい山男」の通称だと仮定します。ベンは一度はプロレス界から離れましたが、83年に復帰。キャラを強化する為J・R・ホッグというリングネームで再デビューし一瞬だけ話題を得るも程なく肉体が悲鳴をあげ再びリングを離れます。入れ替わるようにデビューしたばかりの大型レスラーにプロモーターが手っ取り早くキャラ付けする為に”2代目ホッグ”に仕立てたという説です。

同一人物説

ベンは食い詰めて83年にプロレス復帰。「もう自分にはプロレスしかない」と一念発起し、リングネームを変えるだけでなく、誰かに弟子入りし?プロレスの基礎を一から学び直し輪島と戦うレベルまで持って行ったという説です。WWAとも全日本ともゆかりがある大物というとブルーザーかレイスあたりでしょうか。。。

86年度版ホッグは見た目も垢抜けており身体も若干絞られています。ベンというよりは肥大化したハックソー・ヒギンズという感じです。もしこの説が正解ならば相当な努力があったと見るべきでしょうが、以降のホッグの活躍の情報が得られないんですよね。。。

ではどちらなのか?別人説のような気もするのですが、プロレス的ロマンを期待して同一人物説であって欲しい!と思う訳であります。どちらにせよホッグを推薦したのは誰であったのか非常に気になる所です。パット・オコーナーか?佐藤昭雄なのか?

ちなみにアースクエイク・フェリスについても探しはしたのですが、全く情報が得られませんでした。映像が少なすぎますからねえ。。。。

いかかでしょうか?ホッグについてはこれからも調査を続けますが、今回はこんな所です。もう少し「あいつだろ?」ネタを続けますと。。。

ドン・コロフ

1983年夏の新日本プロレスのカナダ・カルガリー遠征にて藤波辰巳と一騎討ちを行った選手です。名前からしてダニー・クロファットではないかと思ったのですが、画像を見ると似ても似つかないですね?ブルガリア出身ということですが、全く見当がつきません。。。

グリム・リーパー

1986年秋に全日本プロレスの馬場・鶴田・天龍・輪島がアメリカ・クロケットランドに遠征した際、戦った選手の一人。全日本の選手と戦ったのはゲーリー・ロイヤル、マスクマンのアメリカン・イーグル、アート・プレッツ、そしてグリム・リーパーです。馬場・輪島組と戦ったロイヤル及びイーグルですが、ロイヤルは検索すると若干情報が引っかかります。ミック博士のHPの未来日外人選手名鑑にも掲載されております。ジュニアでそこそこ名を馳せた選手のようです。

イーグルは全く正体不明なのですが、そこそこ身体が分厚いし、貫禄も十分。この体型を見ているとディック・マードックが浮かんでしょうがないのですが。。。

鶴龍と戦った2人で、まずプレッツですが、ブロディばりのワイルドな風貌であるにも関わらず動きは相当に稚拙。ロープワークも危なっかしく正直鶴龍と戦うレベルの選手ではありません。フレアーのキャンセルといい、こんな無名の4人を全日トップ4選手に当てるなんて、、、クロケットJRの当時の日本軽視感情が伺えます。

そして全身黒タイツに黒手袋というおどろおどろしいコスチュームのグリム・リーパー。見るからに如何わしい選手ですが、解説の佐藤昭雄がやたらとプッシュします。「見かけによらず中々のテクニシャンで手強い」だと。。。普段は冷静なコメントがウリの佐藤にしては珍しく感情を出した解説です。

しかしこのリーパー、まず体型がそれほど大きくなく鶴龍と比べても明らかに見劣りします。185cm、110キロくらいのサイズでしょうか。。。攻撃は確かにキビキビとしており、ベテランらしい手慣れた動きはしているのですが、一撃必殺のフィニッシュホールドは持ち合わせていないようで、それほどたいした選手でもなさそうに見えます。

このあたりの情報を元に妄想してみますと。。。全日本だけなく日本の各団体は、海外で対戦した選手でそれなりに手応えのあった選手は直ぐに招聘をかける傾向が強いと思います。まあそうでしょうね。83年のダラスへの遠征ではジョニー・マンテル、モンゴリアン、フィッシュマン、ジム・ガービンといったところがその後1年の間に次々招聘されました。

そのパターンでいくとリーパーは佐藤昭雄が斡旋を目論んでいた選手かも。。。その直後に初来日してサイズ・ファイトスタイルが合致する選手といえば、、、、フランク・ランカスター!「史上最弱のUN挑戦者」と名高い1987年新春ジャイアントシリーズに初来日したあの男です。明らかにたいしたことない選手なのに来日前からUN挑戦が決まっており、馬場も最初はえらく褒めていました。

根拠はあまりない大胆な予想なのですが、リーパーとランカスターの動きはそこそこ似ているような気がするのです。カンフーのように腕と足の出入りの動きは妙に瞬発力があるという。。。まあ、それ以外は証拠はないのですが、あれだけ好待遇だったランカスターは何か事前に推されるべき事項があったはずなのです!(リーパーの動画は見つける事が出来ませんでした。G +での画像は以前見たのですが。。。)

そろそろ終わりにしましょうか。

まとめますと

ブレッド・ハート(サバンナ版)=バリー・フォロウィッツ → ほぼ確定

J・R・ホッグ(86年度版)= ブルドーザー・ビッグ・ベン → 微妙

グリム・リーパー = フランク・ランカスター → 妄想

といったところでしょうか!

ミック博士のご協力を頂きましたが、ほとんど一人で考えた推測です。私はプロレスマニアとしては横のつながりはあまりなく、あまり他の人のブログも読まないので、ひょっとすると知識の深いマニアの間では全く違う事実が常識として語られているのかも知れません。でもまあ、いいじゃないですか!面白ければ!w

ネタが集まればまたやりたいと思います。それでは、また!

#お前平田だろ!

#全日本プロレス

#輪島博士

#ブルトーザービッグベン

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