さらば!アントニオ猪木! ~全日ファンからのレクイエム~

こんばんは、みやけです。

2022年10月1日、”燃える闘魂”アントニオ猪木さんが79歳で亡くなられました。近年は全身性トランスサイレチンアミロイドーシスという難病と闘っていましたが、ついに天に召されました。

このブログでは何度も書いている事なのですが、私は昭和プロレスそしてジャイアント馬場・全日本プロレスのファンです。プロレスというジャンルを知って以来一貫して。ただし猪木さんの事を「憎い」とか「嫌いだ」とか感じた事は無く、単に「好み」として馬場さんを応援していたのです。猪木さんについては「あの行動力こそ馬場にかけている部分だなあ」としっかり認識はしていました。

私は「ガチなら馬場が強い」とか「猪木は馬場を道場のシュートマッチで圧倒した」なとという強弱論争は全く興味がなく、「どうやって楽しませてくれるか?」を最重要ポイントとしているやや斜に構えたプロレスファンなのです。そもそも2人の全盛期にはズレがあり、1960年代は馬場の方が魅力的なレスラーだったでしょうが、70年代以降は猪木の方が明らかに魅力的だったと思います。2人を比較するのはあまり意味がないよ言うなうな気がします。

猪木さんの死は私もショックを受けました。しかし猪木さんのファンの方々の悲しみの声は私が想像する以上のものでしたね。その人たちの辛さを思い測れば「馬場派」の私がどうのこうの書くのはいかがなものかな?と思っていたのですが、「信者」にまではならなかったとは言え、猪木さんがいたからこそ、馬場さん及び全日レスラーのいい点・悪い点を改めて考えることが出来たのは事実。それ以上に、おそらくリアルタイムで試合を見たのは実は猪木さんの方が多いわけで(中学時代は全日中継はあまりテレビで見れなかった)、たくさん楽しませていただいたお礼の意味を兼ねて、私なりに思い出を語ってみたいと思います。

まず、猪木さんの持ち技で一番魅力的な技は何か?卍固め延髄切りジャーマンスープレックスホールド、、、色々あるかとは思いますが、私はインディアンデスロックこそ最も似合う、猪木さんの色気・人間性がよく表れた技だと思います。この章の先頭で使用させてもらったカットなんて最高ですね!

この技は正面から見た場合、掛けている側の表情は鮮明に分かるものの、掛けられている側の表情は一切見えず背中しか映らないという、自己顕示欲の強い人間にとってはもってこいの技なのです。卍やコブラツイスト、四の字固めやスリーパーホールド、これらの技はかけられた相手の苦悶の表情も必ず視界に入ります。相手があってのプロレスならそれを楽しむのもいいものだと思いますが、猪木さんはこの技の使用ポイントを心得ている!

この技がフィニッシュになった事はあまりないと思います。どちらかと言えば試合前半の膠着状態の後、猪木さんが何らかのきっかけをつかみ、一気に攻めの展開に切り替える際によく使用していたと思います。この瞬間フラストレーションが溜まっていた観客の視線を視線を一気に集めることで試合の熱気をあおるコントロールをしていたのだと思います。頃合いを見て自身が後ろに倒れこみ、相手へのダメージを蓄積させる動作も実に色気がありました。

そして私がいつも感心するのは、猪木さんの指先へ集中度ですね。一流のエンターテイナーは常に指先を全集中させています!指先に力が入っておらず人前でダランとした指を平気で見せているのは二流です。我らがジュリーも常に妖しい指先でファンを魅了してきましたし、年を重ねた今でも、流石に腰を振るようなパフォーマンスはなくなりましたが、今現在のライブでも常に指先のアクションは欠かさずファンとのコミュニケーションを取っています。

猪木さんが相手を制したり、挑発したり、怒りを表現するときの指先は第二の顔と言ってもいいほど集中しています。何かのインタビューで馬場さんが藤波選手の事を「流石に藤波は猪木が育てただけあって、指先の隅々まで神経が行きわたっている。一流選手は人前でダランとした姿は見せないものだ。」と語っていたのを記憶しています。いちいちマイクで怒鳴ったりしなくても超一流の男は指先だけで見ている人をコントロールできるものなのですよ。

私が猪木さんの大きな魅力として、なぜこの2点を挙げたか?ふたつに共通するのは「いかにして観客の興味を自分に引き付けるか?」という点ですね。ここにシンパシーを感じるのですよ。承認欲求・自己顕示欲の強い人間にとっては、プロレスといるジャンルは実に魅力的なものであるとつくづく思います。歌手・俳優は観客の前に立っても、せいぜい3方面から観客の視線であることが多い。プロスポーツ選手は全四方から見られてはいても観客との距離が遠い場合が多い。

しかしプロレスは自分の身体を全四方から見られてる上に観客席との距離も近く、会話のキャッチボールをする事も可能、ここに大きなポイントがあると思います。すっかり鶏ガラのようになったレスラーが中々現役を退かなかったり、引退を繰り返すのも、生活苦も多いかもしれませんが、このリングの魅力は他のどの職業に行っても味わえないからだと確信しております。

この場合、その心の根源にあるものは「寂しさ」とか「不安」もしくは「根拠のない自信過剰」であることが多いのですが、猪木さんの場合「怒り」「憎しみ」を強烈に感じるのです。「てめーら!全員こっちを向け!コノヤロー!」といった感じでしょうか?猪木さんの生い立ちや力道山門下時代の不遇な扱いを考えれば、相当に屈折した人間になってもおかしくないのですが、猪木さんはその防衛機制の置き換えを「人の足を引っ張る」という対処ではなく「どんな手を使ってでも相手を倒す」という対処に徹したことが多くの人を魅了した原因だと思います。その「どんな手を使ってでも」という点があまりにも常軌を逸したものであることが多く、それがまたより多くの人を感動させたり、逆の大バッシングを受けたりすることにもなったのだと思いますが、、、、

そして猪木さんは自分の事を客観視できていたと思います。ブレーンに恵まれていたというのもありますが、「何をしでかすか分からないアントニオ猪木」という商品について、更にその上を行くのはどんな行動か?日夜考え続けていたと思います。猪木さんが人目に見せる自身の姿には「猪木寛治」を微塵も感じさせなかった。晩年の闘病生活もそうだったと思います。これほど優れたエンタテイナーは日本の歴史の中でも稀有な存在だったのではないでしょうか?

あまり理屈ばかりこねまわすのもなんなので「プロレスラー・アントニオ猪木」について書いてみたいと思います。私がプロレスを見始めたのは昭和50年くらいからなので、日プロ時代の猪木さん、小林戦・大木戦・ロビンソン戦も記憶にはありません。鮮明に覚えているのはタイガー・ジェット・シンとの血みどろの抗争です。アブドーラ・ザ・ブッチャーもしかりですが、あの当時の2人は本当に怖かった!本当に人を殺めてしまうのではないかという恐ろしさがビンビンに伝わってきました。特に後年のブッチャーは全く別人と言ってもいいくらいです。

当時小学生の私からすれば、シンはもっと上のステージに上ろうとしている猪木さんの足を引っ張るストーカーのようにしか見えず、「なぜあんな奴を呼ぶんだ!試合を組まなければいいじゃないか!」と憤慨したものです。ブッチャーとは不完全決着の繰り替えしだった馬場さんとは異なり、猪木さんはシンから何度も勝利を奪い、完全決着をつけます。しかしシンはあの手この手のアナーキーな場外戦を挑み何度も何度も強引に猪木に試合を組ませるのです。

改めて考えると猪木さんはシンに自分を投影させていたのかな?とも思うのです。2人が手が合ったのは、猪木さん自身がシンとの試合は自分の分身との戦いに思えたからではないでしょうか?当時の私に取っては、薄暗い照明の中で2人は目をらんらんと輝かせながら憎しみをぶつけあっている、というイメージでした。少し前に行われていた学生運動の陰惨なイメージも感じられたのですが、それでも子供に毎週金曜夜8時になるとチャンネルを合わせる魅力があったのだと思います。

最後に私の私が選ぶ猪木さんのベストマッチ!これは何といっても

1983年9月21日大阪府立体育館 〇 アントニオ猪木 (5分9秒 ノックアウト) ● ラッシャー木村

です、これしかないっスね!生粋の猪木ファンからしたら猪木さんのテクニックが凝縮された試合をチョイスするのでしょうが、私みたいな新日本のフレームの枠の外にいる人間にしたら、こんな物凄い試合はないと思うのです。前代未聞のムチャクチャな試合なんですよ!

昭和プロレスファンにはおなじみの試合ですが、猪木さんがこの2年間の間に泥沼の抗争を行っていたラッシャー木村を血だるまにして5分少々でほとんど相手の見せ場も作らずノックアウトした試合です。血だるまになり大の字になってKOされ、そそくさとリングを後にする猪木に対し、唯一の盟友寺西勇の方を借りて悲しげな表情で何かを猪木に向かって叫ぶ木村の姿は今でも鮮明に覚えています。

多分猪木さんはですね、、、この年のIWGP開催の時点ではこの企画に飽きちゃってたのだと思います。個人タイトルは返上させられ、権威の頂点に向かって毎シリーズ毎シリーズ粛々と国内リーグ戦をこなす、、、、多分「もうしゃらくせいや!」と思ったに違いないんです!なもんでこの2年間ビッグマッチは木村がらみの試合ばかりだったと思うんですよ。

しかもこの時期は社内でクーデターを起こされ、フラストレーションが溜まりまくっているのは間違いないはず。その状況下では、所属団体が倒産し新日に雇ってもらっている外様の木村は「裏切らないだろう」数少ない選手だと思うのですが(実際移籍予定のメンツには入っていなかった)、実際は木村に更なる好待遇を与えるどころか、もううっぷん晴らしの八つ当たりしか見えないようにあんな一方的な試合をしてしまうんだから。。。。

クーデターの相手ではなく、全く関わっていない弱い立場の木村の商品価値をズタズタにするなんてもうムチャクチャです。馬場さんはこの試合を表して「あいつはレスラーを使い物にならなくする」と嘆いたそうですが、それそうですわな!しかも木村との辛みは事実上これが最後になるという悲惨さ。。。ただし私が言いたいのはこの試合をもって「猪木はひどい奴だ!」という事を言いたいわけではないのです。「こんなことをできるプロレスラーはアントニオ猪木だけだ!」と言いたいのです。

人はみな社会の中で、相手とのしがらみに苦しむことが多いものです。何か文句を言いたいこと、不満を述べたいことがあっても中々世間体をおもんばかって不本意な行動しかできないもんのです。ただこの試合のように「そこまでやるか!?あとさきの事を考えていないのか?」という行動を実際に目の当たりにさせられると、ある意味他人の行動であっても大変にスッとする部分があったのではないでしょか?人はどこかで社会の常識を破り捨てるシーンを見たいと思っているのです。

私はラッシャー木村選手も大好きですが、この試合を見て木村選手を「可哀そうだ」とは当時も今でも思う気になりません。「逆に試合を成立させて凄いな」と思うのです。そしてこんな試合をやってのける猪木さんには「凄い!こんなことをできるのは猪木さんだけです」と拝みたくもなるのです。プロレスは「非日常」を極めたジャンル。日常生活では決して味合う事をできないようなシーンを見せることに意義がある、と私は思うのです。

その私の価値観においては猪木さんは他の追従を許していない、これは明らかにジャイアント馬場には欠けていた部分だと思うのです。

猪木さんについてはプロレスファンそれぞれが、色々と思うところがあるかと思いますが、私の想いとしてはこんな内容ですね。

アントニオ猪木さん、今まで私たちを楽しませていただき本当にありがとうございました。ここ数年は苦しかったと思いますが、やっと解放されましたね。安らかにお眠りください

#アントニオ猪木

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