たけしプロレス軍団(TPG)新日マット登場の深読み (後編)

こんにちは、みやけです。今回は前回書きました、たけしプロレス軍団(TPG)検証のの後編。総括しつつ、誰がどう損得があったかについてまとめたいと思います。

1987年10月 続き

たけし→9月にオールナイトニッポンでプロレス団体旗揚げを宣言したたけしさんですが、一番テンションが高かったのはこの時で、以降の同番組で専用のコーナーを作ったものの、明らかに回を重ねることにテンションが下がって行きました。もっぱらこの企画に関わっているのはタカさんやダンカンさんで、動向を彼らが説明するのですが、たけしさんは「で、あの話はどうだったんだ?」と話を振って聞いているだけで、実際のところビジネスとして関わっているだけだろうなというのはファンである私にとっても容易に感じられました。

そして徐々に「つき合いでやっているだけなんだから」とポロリとこぼすようになります。しかし団体旗揚げについては急速に進展し東スポが逐一それを報道していました。そして新団体入団のための入門テストがオールナイトニッポンの放送中に別スタジオで行われたのですが、その立会人になんとマサ斎藤が同席したのです。

当時の斎藤選手はアントに猪木と「巌流島決戦」を戦った直後であり、レスラーとしての価値はピークの頃。つい4〜5年前はジュニアの藤波にもあっさり負けまくっていた彼が急に格上げが図られ猪木と東京の大会場でビッグマッチを行うようになっていたのは昔から見ている私にすればかなり違和感があったのですが、「猪木と敵対する存在」の選手としたらその時点では最も適した人物だったでしょう。

そしてこの時点で、たけしサイドとは全く接点がなかったマサ斎藤がいきなりこの企画に関わってきたのですから、近々にこのTPGが新日本プロレスに絡むのだというのはすぐにピンときました。しかし流石にTPGの選手が年内に猪木とビッグマッチを行うとは夢にも思いませんでしたが。。。。

1987年11月

新日本プロレス→TPGとは直接関係の無い話ですが、11月19日の後楽園ホール大会の長州&マサ斎藤&ヒロ斎藤対前田&木戸&高田組戦にていわゆる「前田の長州顔面迎撃」事件が発生します。木戸にサソリ固めをかけた長州に対し、前田が後ろから長州の顔面付近を蹴り上げ右目眼底打撲で全治2週間の怪我を追わせた事件です。この件がどれほど“ガチ”のものであったかは諸説あるのですが、反省が見られなかった前田について猪木が「プロレス道に悖る行為」として解雇処分となってしまいます。

この事件により長州は1ヶ月近く欠場。年末の両国での猪木戦にはコンディションが良く無いまま迎える結果となってしまいます。長州がベストコンディションであれば両国の結末までも違っていたのかもしれません。TPGについては10月9日に新日本プロレスの事務所に出向き猪木への挑戦城を渡した後はそれほど大きな動きはなかったのですが、この事件をきっかけに動きが大きくなった感があります。

1987年12月

12月4日の新日本プロレス両国国技館大会にTPGのタカ・ダンカンが来場。リングに上がり刺客(ビッグ・バン・ベイダー)の存在を明かし猪木への対戦アピールを行います。個人的な感想を言えば、この「ビッグ・バン」というリングネームのみがたけしさんがプロレス界に唯一残した証のような気もするのです。なぜかと言えば当時たけしさんがよく語っていたワードであるのですから。

たけしさんが謹慎中、色々と勉学に勤しんでいたのはよく知られた話ですが、その中でも天文学にも興味を持ったようで、宇宙の創世と言われる「ビッグバン」という言葉については復帰後のオールナイトでよく語っていた言葉であったからです。オールナイトでは急に思いついたように謹慎期間中に取り組んだ勉学について語り出すことが多々ありました。ですのでこの「ビッグバン」というリングネームについてはたけしさん本人の発案なんだろうなと思ったものです。

たけし&新日本プロレス → そして、運命の12月27日。メインは猪木対長州のシングルマッチ、セミは藤波辰巳対ビッグ・バン・ベイダー。そしてたけしさん本人がこの両国に登場する事も事前に告知されていました。ただしかしオールナイトでは「やっぱり行かなきゃなんないの?ダメ?」と冗談混じりですが、乗り気で無いことを露骨に表現していましたが。。。(笑)

結果はプロレスファンならご存知の通り、当日たけしさんが軍団とともにリングインし猪木対ベイダーの実現をアピール。結果、藤波&木村組対長州&マサ斎藤→長州のアピールにより猪木対長州も急に実現。短時間で猪木の反則勝ち。猪木対ベイダーもその後すぐ行われましたがベイダーが猪木を秒殺。あまりの内容の薄さに館内のファンが暴動を起こし升席等の設備が破壊されるという不祥事に発展してしまいました。

たけしさんはコートに手を突っ込んだまま一切言葉は発しませんでした。このお客さんの前でコートに手を突っ込んだ姿も「失礼だ」とプロレスファンから叩かれました。その表情には明らかに不快な心境が表れていました。オールナイトでは初回の告知を除き一貫して「やる気の無さ」を醸し出してきた流れからすれば、ある意味たけしさんの態度には「ブレがなかった」とも言えるのです。

一部プロレス関係者の解説として、TPGについては「東スポを通じて懇意になった猪木とたけしが双方winwinとなりうるような企画だったが、ファンの反発を買いうまく行かなかった」論じていますが、私はそんな如何にもプロレス的な裏側ではなかったと思います。当時から私はたけしさんについて「東スポ主導の企画にかかわらざるを得ない事情があり、渋々最低限関わった」と感じていました。正直たけしさんはプロレスというより閉鎖的なプロレスファンを嫌悪していた感があるのです。関われば関わるほど「なんだかなあ。。。」と思ったにい違いなのです。

そしてTPGは一気に撤収に入ります。なんとこの4日後の大晦日、テレビ朝日で放映された「ビートたけしの元祖マラソン野球中継」において新日本プロレス軍団が乱入し、両軍にこやかに野球で対戦。ピッチャーのたけしがバッターの猪木と木村健悟に連続でビーンボールを投げ、怒った?木村がたけしを追いかけ回すという、”いかにも”という場面が放映されました。当時はお約束であった井手らっきょさんの「全員から囲まれ気がついたら全裸」パフォーマンスも飛び出しました。

私は両国での生中継は非常に嫌な気分で見ていましたが、この光景はもっと不快に感じました。普通の人ならこの光景を見て「なあんだプロレスってやっぱり茶番なんだ」と思うのに違いないのです。マシン軍団の席巻で世間的な「全日はショー、新日は真剣勝負」な印象が相当揺らいでしまったと思うのですが、これでとどめを刺したのでは無いかと思いました。その時の私の周囲の状況を見ても「ファンというわけでは無いがそれなりにプロレス中継を見ている」という友人は周囲にいたものですがこのあたりですっかりいなくなった印象があるのです。

そして、この中継以降たけしさんがTPGの名前を口にすることは無くなりました。その後も黒歴史化されているとしか思えませんね。それではそろそろ総括して見たいと思います。TPGがなぜ発生したか?

たけしサイドによる①東スポとの手打ち、②テレ朝への贖罪

これが大きな理由だと思います。①についてですが、フライデー事件において、世間は全体的にたけしさんに同情的でありフライデーに対しては批判的だったので復帰への支障はなかったと思うのですが、前編で書いた東スポとのトラブルは解決が厄介だと思い、東スポとの「和解案」にやむなく乗ったのだと推測しています。あくまで妄想ですが。その後の東スポとの蜜月関係を思えばそう思わざるを得ません。

後年、新間寿氏やミスター高橋氏の証言では「たけしサイドからこの提案が打診された」とあるのですが、それはちょっと穿ち過ぎです。自分たちが関わったプロレスはビートたけしが頭を下げるものだったと言いたのでしょうが、この時期はもうたけしさんの方がパワーバランスが上。むしろ東スポが「たけしさんからの依頼で」ということにして話を持ってきたのだと思います。その方が辻褄が合います。

②については懇意だった皇氏が関わる「スポーツ大将」がフライデー事件の余波を受け番組終了してしまい、そしてその時期皇氏が「ギブアップまで待てない」に関わっていたため、協力を要請されたのでは無いでしょうか?ご存知のように「ギブアップまで待てない」は大いに迷走。数々の番組作成での栄光を持つ皇氏からすればどうにか一発逆転を図りたく、東スポ発のたけしの提案に乗ったのでは無いかと思うのです。

もちろん全て妄想です。まとめますと、東スポはたけしの名前を利用しTPG企画を発案、それをテレ朝に投げかけ、汚名返上を図りたいテレ朝の制作側が乗った、そう私は確信しているのです。たけしサイドからしたら②については新日本サイドの不手際があまりに多くこれ以上関わるべきで無い、と判断したのでしょう。①が解決したので早々に手を引いたと思うのです。

更にもうすこし突っ込んでたけしさんの心情を分析するならですね、、、、本来エンターテイメントというものは観客の前に出す前にじっくり練習や協議技を重ね、万全の体制を重ねて準備をして本番を迎える、たけしさんはあらゆる現場の総監督としてその全責任を背負って番組に望んできた訳です。しかしながら最大規模のビッグイベントの本番の最中、関係者が”流れ”に納得できず客の目の前で変更、変更を平気で繰り返すこの業界にあきれ返ってしまったのではないでしょうか?プロレスファンは怒るかもしれませんが、私はそう思うのです。

それでは最後に各関係者がその後このTPGに関わることによってどうなったか総括して見たいと思います。

①ビートたけしさんサイド

当時は不快な思いをしたとは思いますが、的に回すと厄介な東スポと30年にわたって蜜月関係を築けたのですから、結果的には得たものの方が多かったと思います。新日本ファンからは相当顰蹙を買いましたが、その後のたけしさんの躍進に足を引っ張る影響はありませんでした。むしろプロレス業界サイドの方から離れていった感がありますし。

②テレビ朝日サイド

この企画に乗ったのは失敗だったと思います。しかしこれによりたけしさんと皇氏の持ちつ持たれつの関係はさらに深まったような気もします。この1年後やはり皇氏が製作するテレに朝日の「テレビタックル」が開始され今でも続くテレ朝の看板番組になったのはこの2者の執念によるもののような気がします。後年、「文化人・たけし」という存在からすればテレ朝とTBSの番組との結びつきが強かったからですね。

③ 新日本プロレスサイド

ベイダーが意外な超逸材であり、その後看板外国人になり得たこと以外は失うものが多かったと思います。両国が1年間使用禁止になる等物的被害も多かったと思いますが、それ以上に信用を失ったことが大きい!本来ならたけしさんと良好な関係を保っていればWWEのような大規模なビジネスになり得たかも知れないのですが。。。。結局色々なところに気を使わねばならず引っ張り回された気がします。

④ 東京スポーツ

まあ、この件で最も得をした黒幕は東スポでしょう(笑)。ビートたけしを自分サイドに引き入れ、連日TPG報道で紙面を作成、しかもそのネタは自社独占。しかもこの件で新日本プロレスとの関係がおかしくなったとも思えませんし、一人勝ちとしか言いようがありません。これだけ暗躍しながらたけしさん両国登場&ファン暴動翌日の東スポの紙面は「猪木が悪い!」というのはたちの悪い冗談にしか聞こえませんよ(笑)批判は全部新日本プロレスに押し付けてしまったのですからね。

近年、プロレスに関する検証が改めて盛んになり、OBレスラーから「あの時の真実語る」企画も数多く開催されています。UWF、SWSやWJは鉄板ネタです。でもこのTPGについては中々突っ込んで検証されることは無いんですよね〜。この件についてはプロレスというジャンルの持つ「後ろめたさ」というものがすごく詰まっているから心情的に振り返りたく無い気持ちになる、そんな気がするのです。

私としては当時から感じていたことを一回文章にまとめて見たかった、その気持ちで2回にわたってブログにしたためて見ました。感想はいかがでしたでしょうか?それではまた。

#新日本プロレス

#アントニオ猪木

#ビートたけし

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