キラー・トーア・カマタPWF王座奪取の深ヨミ

こんにちは、みやけです。
今回も昭和プロレスのお話。前回予告しました全日本プロレスで一時代を築いた悪役レスラー、キラー・トーア・カマタについての深ヨミです。
この選手がなぜジャイアント馬場が保持していた看板タイトル、PWFヘビー級王座を奪取できたのか?についての考察です。

誰もが凍りつくようなこのカマタの表情!まさに悪役レスラーの鏡ともいうべき理想的な表情の作り方をしたカットです。この表情を正面から見て笑、、、いや、固まらない一般人がいるでしょうか?
しかし、この写真でも表現されたいるように、強い事は強いがそれ以上に何となく胡散臭い、なぜその男が馬場から初めてタイトルを奪取出来たのか?というのがここでの論点です。全日本プロレス史を語る上で必ず話題に上がるテーマです。

カマタの経歴ですが、1959年にプロレス入。元々はポリネシアンなのですが、日系悪役レスラーと称して、カナダ・シカゴ・WWF地区でトップを取り、エース外人として1975年に国際プロレスに初来日しました。国際でもトップ外人としての扱いは受けましたが、タイトル奪取までには至らず、大暴れするけど最後には倒されてしまうという、「超一流と呼ぶには何かが足りない」イメージの選手でした。

そのカマタ、1978年5月に全日本プロレスに引き抜かれ、いきなりジャイアント馬場の持つPWFヘビー級王座への挑戦権を得て、6月1日に秋田大会で反則勝ちとはいえ王座奪取に成功したのです。カマタはその直後の6月12日、同じシリーズに来日しており、やはりベルト挑戦の意思表示をしていたビル・ロビンソンの挑戦を受けますが、あっさり完敗。超短命王者で終わってしまいました。

ただし、この時点までジャイアント馬場はこのPWF王座を団体設立以来38回連続防衛を重ねており、この記録にストップをかけたカマタの知名度は大幅アップ!マイナー団体(国際プロレスファンの皆様すいません‼️)の一エース外人という認識から「馬場を倒した男」としての印象が強烈に植えつけられました。

ただし、、、、プロレス的深ヨミをすれば、ベルトを渡す相手が何故カマタであったのか?という点については過去幾度も議論されてきました。全日本プロレスの大エース馬場からすれば、王者転落するに相応しい相手はいくらでもいたはずなのです。次のチャンピオンとなったロビンソン、更にブッチャー、テリー、ドリー、ブリスコ。。。。。

まず、なぜ馬場がタイトルを手放したか?ですが、自身の体調不良が大きな要因と思われます。馬場自身もこの時期糖尿病が悪化し、その影響から来る坐骨神経痛に悩まされていたと後日語っています。

馬場といえば晩年の動きは「ノロい」「スローモー」と散々揶揄されていましたが、この時期は攻勢に回る時の動きはそれ程悪くないのです。
私が「馬場の調子の度合いのバロメーター」と勝手に命名しているジャンピング脳天幹竹割りなんかはまだまだダイナミック!しかし攻撃を受け、リングに横たわると起き上がるのにすごく時間がかかってしまい、試合に流れにストップがかかりがちでした。

方やライバル、アントニオ猪木はエース外人のシンやパワーズらと毎シリーズ最終戦の蔵前でベルトを掛け決着戦を行うというのが定番化していました。本来の日本のプロレス団体のあるべき姿です。であるのに馬場は前年PWF王座の防衛戦は5回しか行っていません。この年に至ってはカマタ戦が初防衛戦でした。おそらく外人に王座を託し、複数名の選手の抗争で全日本プロレスを盛り上げて貰おうと考えたのではないでしょうか?

この『外人偏重路線』は前年のオープンタッグ選手権の大成功。さらに言えばこの大会の主役となったテリー・ファンクが一旦は参加をキャンセルしようとしていたところから種まきは既に始まっていた、と考えているのですが、それはまた別の機会に書いてみたいと思います。

話は戻って、馬場が何故、一瞬とは言え何故カマタにベルトを渡したのか?この時期既に囁かれていた馬場の「限界説」「引退説」を上手くかわす為ではなかったかと考えます。この1年近く試合で決定的な惨敗を喫するというには至らなかったので説が大きなうねりとなるまでは至らなかったのですが、王座転落となればどうしてもそこがクローズアップされかねません。

これが同じ時期ライバルとして競い合っていたブッチャーやロビンソンに負けたのであれば、実力低下が顕著だと見られ兼ねませんし、1ランク下のマードック、ルーイン、コックスあたりでもやはり「そんな格下の選手に負けてしまったのか?」となりかねないと思います。「何か得体の知れない選手につい負けてしまった」という程にしたかったのではないでしょうか?その程で行くならカマタは正にはまり役です。

私はかつて野球少年でした。そして巨人ファンでした。今でもその言葉があるかどうか分からないのですが、

『巨人は初物には弱い』

という表現があったのをご記憶でしょうか?当時最強チームだったジャイアンツですが、ドラフト1位指名の期待選手でも何でもない若手投手が急に先発してくるとどいういう訳だか6〜7回あたりまで、あれよあれよと抑え込まれる事がたまにあったのです。

おそらくそれは当時は2軍選手のデータが不十分だった等が大きな理由だと思います。しかしそれは暗に「きっちりその投手のデータを分析して事前準備ができていればそんなへなちょこ投手には2度と抑えさせない。=我が大巨人は実力負けしたわけでは無い」という主張も感じられたように思うのです。

カマタこそ正に初物で得体の知れない新人選手。この男に負けたところで今の実力が格付けされる事はない、馬場はそう考えたのでは無いでしょうか?ご存知のようの元ジャイアンツOBの一人として。私にはそう思えて仕方ないのです。

カマタはその後も重宝され、昭和62年の最後の来日まで年2回程度のペースで頻繁に来日しました。カマタの素顔は人格者・温厚・ナイスガイという声ばかり上がります。
レスラー特有のジェラシーもあまり無い男のように感じられます。

実力が低下しだした昭和57年頃からはカマタは『両面テープ』という陰口を叩かれていました。ブッチャー、レイス、シン、ハンセン、ブロディというクセの強い悪役ともあっさり仲良く?タッグを組んでしまうからです。組ませたのは全日のフロントでしょうが、カマタはそのような選手に甲斐甲斐しく尽くしてしまうんですね。自分も元王者なのに。。。

長くなりました。結論としては
カマタ=巨人の初物説です。
全く取材もしておりませんし、私の妄想でございます。

それではまた次回。

#昭和プロレス
#全日本プロレス
#ジャイアント馬場
#キラートーアカマタh

コメントを残す

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。