こんにちは、みやけです。今回は昭和プロレスのお話です。私にはSNS上で懇意にさせていただいている昭和プロレス関連の研究者が数人おられるのですが、その中でも「テーマ曲」という相当に特化したテーマについて、あらゆる真実を掘り出そうと日々研究に勤しんでおられるコブラさんという方がいらっしゃるのですが、今回はそのコブラさんが正にその研究の現時点での集計結果を網羅した処女出版本が発売されたのです。
それは表紙にもあります。「昭和プロレステーマ曲大事典」タツミムック社(66191-37)です!

※ 画像とコブラさん本人にはなんの関係もありません!
このコブラさんの本、簡単に言うと「このレスラーにはこのテーマソングが使用されていた」という情報を集約する、というような簡単なものではなく、過去テレビ中継された大会(ノーテレビ大会にもにも手を伸ばされているようですが)で流されたテーマ曲について、どれがカバーバージョンで、どれがオリジナルなのか?テーマ曲が変わった際は、それがいつの会場なのか?それを全て調べあげようとしている方なのです。とにかく会場で流されたテーマソングを全てファイリングしようとされている、昭和プロレス研究家の鏡というべき方なのです!
プロレステーマ曲というものは流した団体側から特に何か情報のリリースがあるわけでなく(今はどうか知りませんが)、、おそらくですが、昔になればなるほど興業関係者の気まぐれでかけられていたようであり、30〜50年前のそんなちっぽけな事実を調べあげようとする、気の遠くなうような作業に取り組まれておられる方なのです。今回はこの研究の集大成とも言える本の祝福と、コブラさんとの思い出、人となりの印象を自分なりに紹介したと思っています。

しかしですね、こんな偉そうな書き方をしていると私とコブラさんがすごい昵懇の仲だと思われるかも知れませんが、実際のところをまだ3回しかお会いしたことはありません。それもそこまでじっくりお話しさせていただいたわけではなく(いつかそんな時間が来ればいいなと思っていますが)、このブログを読まれる方であればコブラさんの事をより深く知っておられる方は山のようにいらっしゃると思います。
その人となりについて語る資格なんぞ無いのかも知れませんが、私なりにお会いさせていただいた後、その人間性に更にリスペクトの度合いを含めていますので、今回ブログでもお祝いのメッセージを書こうと思った次第です。
当然ですが、ネタバレになりますので本の中身を紹介はしません。感想もまだ早いかと思います。内容については以前昭和プロレスマガジン等で書かれていたものが多いのですね。当時読んだ際は「よく調べているなあ。。」と感心しながら読んだのですが、こう改めて全てをリスト化されると「この人はこれが流れる動画を全て自分の力で引っ張り出してきて音声を確認したんだよなあ。。」と感動を超えて驚愕に近い気持ちになりました。
いち民間人が行う検証作業というものがどれほど大変なことか!比較の対象にもならないと思うのですが、私自身ブログでプロレスのことを書き出してからは、プロレスのデータ検証というのは非常に手間がかかり、そして中々正解に行き着かず徒労に終わることが多いというのを実感しました。表現が難しいのですが、プロレスという特殊なジャンルゆえ、「事実」と「噂」・「伝聞」と団体側・マスコミ側から流したフェイクニュースが後年にごっちゃになって伝えられており、過去を紐解くにはそれを精査することから始めにゃならんのです。
例えば、1987年秋頃からタレントのビートたけしさんが「たけしプロレス軍団」というプロレス団体を自身で作り、その団体が新日本プロレスのアントニオ猪木選手に挑戦し、刺客として参戦した”ビッグ・バン・ベイダー”が12月の両国国技館の試合で猪木から3カウントを奪い勝利した。これは事実なのです。ただしこの一連の流れは新日プロ、たけしサイド、テレビ朝日の関係者の口から、3者承認済みのアングルであったことは疑いの余地もないほど色々な方が証言しており、極めて事実に近いだろうとは思うのですが、公式にリリースされたものは何もなくやはり事実とは言えないのです。

プロレスってまさにそのような状況こそが「そこが丸見えの底なし沼」であり、文を書くにしても導入の部分でどう書くか試行錯誤するのです。その人のプロレス感のセンスも問われます。twitterなら楽ですよ。#長州力 かませ犬発言 と打って食いついていた人にいきなり「俺、実は長州だってエリートだと思うんだよね〜」と話し始めても成立するのですから。。。ちょっと話がずれて私の苦労話になり申し訳ありません。
それゆえ、前提を提示してから自論をあーだこーだ書く時はほんと楽ですね。それが認められようが認められまいが、これは「個人の意見」であり事実を捻じ曲げる訳ではないのですから。
話を戻すと、コブラさんのような研究はどうな感じの作業なのか?私なりに想像すると、好きなプロレスの試合を見るのとは別視点で、テレビでの各レスラーの入場シーンについて「この音はどの音源なのか?」と自分の耳で注意深く聞く事を繰り返したのだと思います。そして過去資料にない音源が確認された場合、それは「後追い調査が必要」として保留案件として留保し、これまでの経験から「これはこのような流れでカバーが作られたのでは無いか?」と仮説を立て、それに向けて調査を重ねる。その繰り返しではなかったかと思います。
仮説は当然空振りに終わることもあるわけで、「真実」にたどり着くまでは並大抵の道のりでは無いかと思います。しかも「真実」は中々確定させずらい。実際に直接関わった関係者が証言するばそれはほぼ真実だと思うのですが、プロレスの関係者は話を盛りますからねえ。。。。それを読むものから「真実」と認めてもらえる説得力を持つには書く当人の研究姿勢によってもたらされるものだと思うのです。
私はすでに発行されている「Gスピリッツ61号」のコブラさんが書かれた章の「昭和プロレステーマ曲集5選+1」の書き出しの章についていたく感動を憶えました。特に50ページ目の文には感銘を受けました。研究者の姿勢として「持論にとって都合の悪い検証結果も提示する」「仮説は仮説としてしっかり主張する」「仮説を事実のように書かない」「自分がなぜこのような仮説を立てたか時系列で明記する」という態度が鮮明に読み取れます。
これは「ミック博士の昭和プロレスマガジン」もそうだと思うのですが、大学の教授が行うレベルの知的研究だと思うのですよ!他者からの情報提供も積極的に受けられ散るようですし、単に私のような独りよがりの妄想では無い!コブラさんが名乗っている「プロレステーマ曲研究家」という肩書きは一見、自虐ネタのようにも思えたのですが、「自分は誰からも後ろ指を指されることのない、高尚な研究に取り組んでいるのだ!」という力強いメッセージなのだ!と最近思うようになっています。

ここで、私とコブラさんの思い出について(勝手にですが)書かせていただきます。twitterのDLでは何度かやり取りさせていただいていたのですが、お会いさせて頂いたのは2019年の2月です。佐賀県の鳥栖市というところで、地域プロレス団体の佐賀プロレスの興行が行われたのですが、そこに藤波辰巳・谷津嘉章・ヒロ斎藤らも参戦。さらにイベント後半では藤波と前田日明のトークショーがあの流智美先生のMCで行われたのですが、そこにコブラさんも同行するということでした。
私はコブラさんに「お忙しいでしょうけど、ご挨拶させてもらっていいか?」と事前に問い合わせると「どうぞ!どうぞ!」と優しい回答が帰ってきました。私は当時持病の治療中で会社も休職中でしたが、調子はやや上向いてきていたので「こんな機会は無い」と思い参戦を決意しました。会場に行くとコブラさんはロビーにおいて何かと忙しく動き回られていましたが、私が声を掛けさせていただくと実に朗らかに相対してくれました。感動の初対面です!
そしてご多忙にも関わらず、お会いするまでの間の経緯について楽しく語ってくれました。その人となりはプロレスファンにおけるある種の”ヤバさ”を全く感じることがない、いい意味でごく普通の常識人だなあ、という印象を持ちました。それはいまでも変わっていません。しかし調子に乗った私は外道な暴挙に出ます。それも計画的犯行!
コブラさんとそれほど長時間話した訳ではないのに、同行されていた流先生への記念写真掲載と、しっかり持参してきた流氏の著書「やっぱりプロレスが最強である!」へのサインをお願いできないか?と頼んだのです。いきなり初対面の人から、自分より立場が上?の人への取次をヌケヌケと頼まれたのですから、普通の人なら「なんて非常識なやつだ!」と立腹したに違いありません。しかし、コブラさんは快く流さんにその事を伝えていただき、2つの思いは実現する運びとなりました。

あの時のシーンを思い出すと「コブラさんになんて失礼な申し出をしてしまったのだ」といつも申し訳ない気持ちが浮かぶのです。でもあの時は大病にかかった直後で、自暴自棄な心境だったのですよ!20代半ばの頃から愛読してきた流大先生に直接お会いできる機会なんてあるはずがないと思っていましたから。。。ご無礼は今でも申し訳なく思っています。イベントの間もコブラさんは何かと私に気を配ってくれ本当に優しい方だと感じました。

と、いろいろコブラさんへのリスペクトの心情を書いてきましたが、一転!この本に便乗してテーマ曲調査をブチ打ち込みたいと思います。恩知らずのCMBO!
それは何か?グレート小鹿&大熊元司の極道コンビのテーマ曲はあるのかないのか?

実は私、極道コンビのテーマ曲を聞いた。。。気がするのです!
実はこの話、コブラさんには10回くらいしているのですが、事の流れはこうです。
小鹿・大熊のコンビのテーマ曲は現時点確認されていないと思います。今回の本を楽しみながらひと通り読んだ後、この件についての記載があるかそれこそ隅から隅まで熟読しましたが記載はありませんでした。(一瞬ヒヤリとする部分もありましたが)コブラさんが独自の調査網で解明してしまったのではないかとひやひやしていたのですw
ことの経緯はこうです。私の全日初観戦は1983年グランドチャンピオンカーニバル3の福岡スポーツセンター大会、次は最強タッグでの福岡国際センター大会です。その時はコンビでの出場はなかったのですが、特にテーマは流されませんでした。当時の全日本の中堅選手の場合、テーマ曲を持っていたとしてもそれが流されるとは限らなかったのです。阿修羅・原やマイテイ 井上等。コブラさんの本にもその記載があります。
しかし、その次の1984年グランドチャンピオンカーニバル3福岡スポーツセンター大会での大仁田・渕対大熊・ターザン後藤戦。(グレート小鹿はヒューゴ・サビノビッチ とのシングル戦)大熊組の入場の際、急に雷音から始まる重々しいテーマがなり始めたのです。ちょうど「サンダーストーム」のイントロみたいな感じで。しかしそのあとは「 ストーン・ウォーリア」のような地味なドラム音が同じパターンの音でありはっきり聞き取れませんでした。インパクトの低い曲でした。
この時期後藤は前年ヒゲ面にワンショルダータイツという悪役キャラに転身、極道の舎弟的存在となっており、大熊・小鹿とはよくコンビを組んでいました。大熊がこの時期病気がちで欠場が多かったので、後藤のキャラ変は小鹿のパートナーを作るための苦肉の策のように思えました。ですので、この曲を聞いた際、私は「へ〜、極道にもテーマ曲があったのだ。。。」と軽く考えていました。

しかしその年の最強タッグ、小鹿・大熊組対ハンセン・ブロディの特別試合が組まれました。極道にとっては久々の大舞台です。この試合は今でもyoutubeに残っていますね。この大会に観戦に行った私は当然極道のテーマが鳴るものだと思っていましが2人はノーテーマで入場してきました。「あのテーマ曲はならないのか?」と不思議に思いました。テレビ中継でも2人がリングに上がったシーンから始まるのです。そしてその後の全日本観戦において、大熊もしくは小鹿の試合において何らかのテーマを聞くことはありませんでした。
あの夏、私が聞いた雷音から始まる重々しいテーマはなんだったのか!単なる記憶違いか!フリーライドサーファーがかかったのを聞き間違えたのか!(⇦そんなアホな!)手違いでサンダーストームがかかったのか?!謎は深まるばかりです。でも絶対なんらかの曲を聞いたのですよ!
実は私テーマ曲の知識はそれほど深い訳ではないのです。特に洋楽の知識がない。もしこれを見て「極道コンビのテーマを知っている!」という奇特な昭和プロレスファンの方がいらっしゃいましたら、私でも構わないのですが、是非是非コブラさん宛にご連絡ください!新たな貴重な情報となる訳です。
今日はこんなところです。コブラさんの処女出版を祝い、私の非礼を懺悔する内容のつもりが結果的には自身が便乗ネタを投下する内容となってしまいました。重ねてお許しいただければと思います。でも最後にひとつだけ言わせてください。
コブラさん、素晴らしい本をありがとうございます!
血道な努力の結晶ですね!
それでは、また。
#昭和プロレステーマ曲大事典