ジュリーライブチケット落選、、、、まだまだ頑張んべえよ

こんにちは、みやけです。

一昨日はちょっとした運命の日でした。チケットの抽選日、、、ツアー中の沢田研二さんのライブ「まだまだ一生懸命」の来年3月31日の福岡サンパレス公演のチケットを申し込んでおったのです。参戦するとするならば5年ぶり!なぜか私は何の根拠もなく「あたるはず」と思い込み、このブログも「当選前提」でほぼ書きかけておりましたw。しかしそんな不遜な姿に天の怒りを買ったのか結果は。。。

正直まさかと思っていました。性格的に何の根拠もなく「私は運がいいほう」と思っているものですから、、、なもんで場所も福岡サンパレスしか申し込んでいなかった、、、熊本・長崎あたりも申し込んでおくべきだった。。。東京で一人暮らしの25歳の姪っ子はKiss-My-Foot-2のファンで給料とボーナスの大半を注ぎ込んでいるようですが、やはりツアーの際は複数個所申し込み、住まいの関東エリアは全滅、東北中部もすべて漏れたが福岡のみGETできたため今夏我が家にやってきたわけです。それくらいせねばならんほどジュリー人気が再燃しているという訳なのか。。。

でもまあ、一昨年ライブがほぼ開催されなかった為、まだ昨年のツアーにも参戦できず「コロナ後ジュリーに会えていない」ファンはまだまだたくさんいらっしゃると思いますので、集中するのはやむを得ないかと思います。私は特に横のつながりもないので9月の一般販売にかけるしかないです。それでもだめだったらさいたまスーパーアリーナ参戦、、、、いや「さいたまなら取れるはず」と考えている時点でそもそも考えが甘いのかもw

前回の私のツアー参戦は2017年のデビュー50周年記念ライブです。リリースしたシングル曲を1番だけ歌って50曲!という素晴らしい企画でした。実を言うと(隠してはいないのですが)私のツアー参戦回数はまだひとけた。「もう生歌は聞くことが出来ないのでは?」と思っていた「CHANCE」や「灰とダイヤモンド」を聞けたのはとてもうれしかったです。特に灰とダイアモンドはイントロが当時とは全然違ったので斬新でした。

そのセトリに感動しつつも、「でも歌わなかったシングル曲はまだまだあるよな?」と考えてみて、「50周年ツアーで歌われなかったシングル」をリストアップして「第2弾・妄想編」を当時自分なりに作ったもので、今回加筆して再作成してみました。タイガース時代の曲を加えれば50曲行けるでしょうし、そもそもこのセトリでもヒット曲満載で十分ボリュームのある内容なのが凄いですよね?私が勝手に考えた内容ですが。。。

※曲順はライブを想定して私の独断、本チャンで歌った曲もあるかもしれませんし、漏れた曲もあるかもしれません。「PLEASURE PLEASURE」以降はシングルとすべきなのかアルバムとすべきなのか私のは良く分らないので入れていません。

それはさておき、これからが一番書きたいことです。この「50周年ツアー」参戦時は私の体調が思わしくなく、チケットは購入したものの行くのは迷っていました。前年に血液のがんである「骨髄異形成症候群」という病気の診断を受けており、その時は軽度だったので経過観察だったのですが、それから1年間であれよあれよという間に悪化し、翌年8月中旬から化学療法の為1か月ほど入院することになったのです。

福岡サンパレスでの公演は9月中旬、入院は化学療法の効果があるかどうかが大きな目的であり、治療が効かなかったり、副作用で体へのダメージが大きかったりすると入院期間はさらに伸びる可能性がります。チケットは既に6月に購入していたので、行けるかどうかはギリギリの状況でした。むしろ当時の体調を考えれば「行かない」という選択が懸命だったと思います。しかしもし行くことが出来なくてもチケットは記念に持っていようと思い他人に渡したりすることはしませんでした。

しかし治療は順調に推移し、9月5日には退院することが出来ました。その後も定期的に治療は継続しますが、一応自由な身です。私は担当医の許可を折りツアーに参戦しました。今後の事を考えれば「ジュリーのツアーを見るのはこれが最後かも」という悲痛な気持ちは間違いなくありました。

公演の内容は感動的なものでした。私の心境を考えても「ヒット曲を次々歌唱」というのは素晴らしいプレゼントだった思います。そしてエンディング。。。ジュリーのコンサートでのエンディングといえば「ありがとうございました」「どーもありがとう」「またねー」と、たまにはおどけてみたり、感極まったようなポーズをして見せたりして四方に頭を下げるのがパターンだと思います。「来年までできるだけ生きておくように」というのも約束ネタですw

でもその時のジュリーの言葉はちょっと違ったのです

「長生きしてください、いつまでも元気でいてさい」

というセリフを胸に染み入るような優しい言い方で連呼したのです。この公演を観に行かれた方は覚えておられるでしょうか?この言葉は他の公演でもそうだったのかは分かりませんが、、、でも当時の私の状況にあまりにマッチしたジュリーの言葉に私は思わず席で涙を流していました。希望と不安を胸に参戦した公演でしたがジュリーが私のために声をかけてくれた気がして本当に感動的な一夜でした。

その後私の病気はさらに悪化し、骨髄移植という大きな手術を行いました。治療後の経過は順調でしたが免疫力が低いため人が密集するイベントには参加することはできませんでした。コンサートはもちろん、定期的に来阪して参加しようとしていたミック博士の昭和プロレスイベントも、そういえばプロ野球観戦もpaypayドーム、いやいやヤフオクドームに球場名が変わってからもまだ訪問していません。

そしてコロナ過、それで今に至る訳です。そろそろと考えていた矢先の今回の落選は残念というしかないのですが、正直一度は「もうライブにはいけないかもしれない」と腹をくくった私ですので、そううろたえることはないのです。チケットをGETできればLICKYだし、できなくても一生懸命取り組んだ上なら仕方ない、そう思うようにしています。

でもまあ、一般発販売が待ち遠しいのもまた事実!

いろいろあってもいろいろあるのがLIVE!

ということですよ!

今日はこんなところです。それではまた。

#沢田研二

#いつでも一生懸命

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