パワハラに勝ったのか?負けたのか?(前編)

こんにちは、みやけです。

今回は私の現在の状況についてグダグダ書いてみたいと思います。天敵が去った微妙な心境について述べたいと思います。

私はメンタルケア心理士と名乗ってはおりますが、普通のサラリーマンとして民間企業で働いております。地方の某小売店の本部勤務です。中途入社ですので社歴は約10年です。

実は4年前、同じ部内の再雇用社員から勤務時間中呼び出され、期日を指定しての退職勧告を受けると言うパワハラを受けました。その社員をKとします。Kは一旦60で定年を終えての再雇用社員。社内の位置としては主任以下です。逆に私は部長と課長の間くらいの役職であり、普通に考えればこの関係で私の方がパワハラを食らうと言うのはおかしな話です。

但しこの退職勧告の席に私の上司、今でもそうなのですが、D部長が同席していたのが後々まであとを引くややこしい話となりました。その間の流れについてはこのブログで複数回に渡って長々と書いております。ご興味を持たれた方は是非こちらもご覧下さいw

かいつまんで状況を話しますと、当時の私は対人関係において“あたりがキツく、些細なことで相手を罵倒してしまう”事が良くあったのです。その事を常々苦々しく思っていたKは私に退職勧告を突きつけるという行動に出たのです、Kは現役時代は会社のそれなりの地位まで登り詰めた男であるのですが、後々私と似たタイプの人間であり、コンプレックスと自己愛にまみれた男なのでした。

但しKは自分の行動を正当化させる為に部長のDを同席させたのです。勿論Kの私への指摘はそれなりに的を得たものではあったのですが。。。そして話し合いの間、Dは何か発言する訳では無いのですが、何度も頷いていました。Kは「会社の為」と信じて私を追求し、人に全く興味がないD部長はパワハラ行為を黙認、いや同調し、負い目がある私は反論できずに場は進みました。

会の結果は、私が部長に反省文を提出し、それから判断ということになりました。私はその場では黙って聞いていましたが、帰宅し妻にこの件を報告し冷静に今日の話を振り返ると猛烈に腹が立ってきました。部下への全体的な態度や作成書類の不備等で辞表を書くことを強要されたのです。

その日は金曜でした。反省文は上司の命令なのでこれは書いた方がいいだろうと思い土曜1日かけて作成しました。そして翌日曜に労働基準監督署宛の告発書類を作成しました。社名は伏せましたが、いざとなれば会社と戦うつもりでした。

月曜日に出社して反省文を部長に提出、昼からは心療内科に行く為会社を早退しました。そしてDには翌火曜に有休を取る旨申請し、今回の件について労働基準監督署に相談し人事部に掛け合うと宣言しました。この件については前々から揉めており私は数ヶ月から既に心療内科にかかっていたのです。診断書を貰うつもりでした。

翌日、監督署に相談すると「それは職場の優位性を盾にしたパワハラの可能性が高い」と言われました。側から聞くとあまりピンとこない話かも知れませんが、古株社員が役職付きで中途入社した社員をあの手この手で嫌がらせをすると言うのは結構ある話のようなのです。

翌日、人事部に相談メールを送りました。その日のうちに人事部長を交えての面談が行われました。私は部署の異動を訴えました。心情的にはD部長とKの進退問題まで追求したかったのですがあまりやりすぎるとはねっかえりもあるなと思って抑えめの要求にしました。

そして1週間後に再度人事部との面談が行われました。先に人事部長が「これはパワハラに値する行為だった。辛い思いをさせて申し訳なかった。」と明言してもらえました。私は救われた気持ちになりました。

しかし今後の内容についての説明は私を暗い気持ちにさせました。まず私の異動願いは却下されました。私の役職は課長クラスだったのですが、中途入社であった為店舗の勤務経験がありません。その為今の役職をキープしたまま店舗に配属するのは現実的でない、と言うのが会社の見解でした。

私としては本部の別の部署への配属変えでもよかったし、店舗へ行くつもりもあったのですが、それは叶いませんでした。そしてそれから休職期間中を挟んで3年連続私の役職は下がり続けました。

そして加害者側はどうなったのか?D部長については特に何の処分的なものはありませんでした。これまで通り私の上司という事です。Kについてですが「業務において今後一切私とは直接関わらない事を約束する」という話になりました。特に減給とかの処分はなく部署もこれまで通り私と同じ部署。ただし勤務先が私の会社の物流倉庫内勤務となりました。その場所は会社から30キロほど先の場所にあります。会社と業務委託した物流会社が運営しているのです。

結局私とKを遠ざけただけの対応でした。そしてその後私の仕事がどんどん減らされていきました。「会社から目をつけられたのだなあ」としか思えませんでした。しかし私自身、この最中に骨髄異形成症候群(血液のがん)が判明し、血液検査の数値が急速に悪化していましたので、もう病気の事で精一杯になりつつありました。

そして約4ヶ月後の2017年3月、私の会社は定期の人事異動があるのですが、私の部署に私の公認の社員の移動が発令されました。そして私はKが勤務してる倉庫に行く事になったのです。明らかに約束が反故にされたとしか思えないのですが、D部長は「勿論Kと接触しなくていいように段取りは組んでいる」といいました。

倉庫は業務委託している物流会社が運営しており合計80人くらいが勤務しております。その中に同じ会社の同じ部署の社員2人が本部から来て毎日全く接触を持たずに勤務していおるのですから物流会社の側は相当奇異な印象を持ったと思います。

Kと私の仕事内容は全く別でしたが、Kは前からいるのでエアコン付きの個室が用意されていましたが、私の机は使用していないそ小さな倉庫の小スペースにパーテーションで囲っているだけの状態、エアコンは一応ありますが旧式であるのと部屋が広すぎる為ほとんど効き目がありません。どう見てもKの方がいい環境であるのです。

結局私はその状況下で1年近く勤務しました。倉庫には部の人間でなく事情を知らない他の部署の社員もたまには訪れてK宛の荷物を托されたりしますからやりにくくてしょうがないのです。ただし私の病気がどんどん悪化し骨髄移植のドナーさんもようやく確保できたので私は2年前の夏から約1年間休職する事になりました。

復職後、私の勤務先は休職前と同じ場所になりました。Kも相変わらずいるのです。しかしKは1年後の秋に再雇用社員での定年になるので最長でもそこまで我慢すればいいといえばいいのですが。。。

私は騒動が発生して以降、病気を治療しながら心理学の勉強にも勤しみましたので、DとKの人間がどういうものか分かってきてその存在に怯えることは無くなってきました。しかしどこかで心の負担になっていたのは事実です。そりゃあそうでしょう、会社がパワハラと認めた被害者と加害者がの2人だけが別会社の社員に混じって同じ建物内で働いているのですから。。。。

そして昨年7月ちょっとした異変が起こりました。私の会社の本部が移転することになったのですが、私の部署は業務の利便性を考え、私が勤務する倉庫内にくる事になったのです。D部長は勿論。パートさんを含めた社員4人も一緒です。。。。

長くなったので続きは次回に。

それでは、また。

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