ミスター首固め ~ 天龍源一郎の本当の覚醒時期を考える (前編)

こんにちは、みやけです。

今回は昭和プロレスの話です。”ミスタープロレス”天龍源一郎さんですが、鳴り物入りで角界からデビューしたもののその後は中々プロレスになじむことが出来ず試合も低調。本人は海外定着も考えたようですが、1981年サマーアクションシリーズ最終戦の後楽園ホール大会。当初ビル・ロビンソン&ディック・スレーター組がインタータッグ選手権に挑戦予定のところをスレーターの首の怪我が悪化し急遽帰国急遽挑戦者に抜擢された天龍選手が開き直って、全日本でマットでは禁断とも思えた延髄切りを初披露。それまでのうっ憤を吹き飛ばすような素晴らしい動きを見せ善戦。以降スター街道を駆け上がったのはプロレスファンでもよく知られた話です。

天龍のデビューは1977年ですから、ものになるまで4年の歳月がかかった訳です。しかしずっと天龍を見てきたファンからすれば、彼がその後必ずしも一流レスラーとしてふさわしい試合を行ってきたかは疑問。というより最終的にフィニッシュホールドとしてのパワーボムが天龍の代名詞となるまで更に長い時間がかかり、それまではかなりフラストレーションがたまる試合内容が多かった、という私の印象について、試合結果を逐一改めて検証しようというのが今回の企画です。

後年は厳しい攻撃で対戦相手を震え上がらせた天龍ですが、この時期(1980年代中盤)の試合は(特にシングルマッチ)、とにかく相手の攻撃をひたすら耐えて耐えて耐えまくり、 10分後くらいにようやく相手のスキをついて延髄切りやチョップで反撃、しかしすぐに反撃され「またか!」という印象になったところで、一瞬のスキを突いた返し技で逆転勝ち!というのがパターンでした。

パワーボムが必殺技として固定されるまでもまた、如何に時間を要したか?インタータッグ戦抜擢に至る前並みに苦労した、それを検証するのがこの回です。とにかく返し技、固め技であっさり試合を終わらせてしまう、、、見ていた当時はそう思ったわけではないですが、今思い返してみると「ミスター首固め」!そう呼ばずにはいられないのです!

その時代の天龍をたとえるなら往年の名レスラー吉村道明さんのイメージなんですよ!ただし私は吉村選手の試合を見たことはないのですが、、、ただ吉村の場合、そのようなキャラをウリにしていたので、そのような試合内容でも観客は納得していたと思うのです。「日本人が勝てばそれでよし」という時代ですからね。

しかし天龍はイメージ的には角界出身を活かした「力強さ」でファイトするタイプ、「スカッとする勝ち方」を求められる範疇の選手であったと思います。いわゆる”一瞬のスキをついたクイック”で試合を終えてしまうのはフラストレーションがたまるものでありました。まあ、とりあえず凱旋帰国の結果を見てみます。

凱旋帰国第1戦(1回目)1977年6月11日 NWAチャンピオンシリーズ 東京・世田谷体育館  馬場・〇天龍(12分9秒 揺り椅子固め)ミラノ・●グランデ

ローリング・クレイドルという難解な技で凱旋帰国第1戦を飾りましたが、その出来栄えはお世辞にも、、、、その後もこの技が天龍の得意技としてクローズアップされることはありませんでした。当時の天龍のイメージとしても合わない技ですし、「相撲上がり」のイメージを払しょくするため、妙に力んでこの技をチョイスしてしまった、そんな印象です。最後は馬場もミラノも「これ大丈夫なのか~?」と横目で見ているような危なっかしいフィニッシュでした。

凱旋帰国第1戦(2回目)1979年10月5日 ジャイアントシリーズ 横浜文化体育館 馬場・〇天龍(15分32秒 首固め)ブラックウエル・●オー

曲者巨漢ブラックウエル塩外人のビッグ・バット・オー、天龍がコントロールするには荷が重い相手でしたが、15分以上てこずった挙句早くも?首固め決着。この試合はほとんどインパクトを残すことはできませんでした。繰り返しますが凱旋帰国試合で首固めでフィニッシュというのは先が思いやられると思いますよね。

凱旋帰国第1戦(3回目)1981年5月22日 スーパーパワーシリーズ 川崎市体育館 馬場・〇天龍(17分7秒 片エビ固め)デストロイヤー・●スタイガー  ※トップロープからのフライングエルボードロップから

老雄デストと末端外人スタイガーでは修行の成果を見せるのはこれもまたなかなか難しかったかもしれません。しかしこのシリーズの天龍の試合を見返すとそれほど悪い動きではないのですが。。。最後のエルボーはその後も天龍の得意技のひとつとして頻繁に見られた技でしたが、一流相手のフィニッシュホールドまでには引き上げられませんでした。以降、天龍の節目の試合(主にシングル)を上げていきます。

1981年サマーアクションシリー後楽園ホールル 7月30日 インタータッグ選手権 馬場組(2-1)ロビンソン組 ※馬場組9度目の王座防衛

1本目 ロビンソン(14分57秒)馬場 ※ワンハンドバックブリーカー 2本目 馬場(5分11秒)ロビンソン ※ダブルキック 3本目 鶴田(6分5秒 リングアウト)天龍

天龍の「出世試合」として彼のプロレス人生を語る際は絶対に話題に出る試合です。この試合、開始直後から天龍はいい動きを見せています。動画のシーンは2本目ですが、初回の延髄はやや唐突で「今のは延髄切りか?」という雰囲気が館内に流れます。そして十分にためを取っての2度目に関しては「やっぱり延髄切りだ~」という事で館内が湧くシーンが伝わってきます。いいシーンですね。

この試合前、天龍は「3度目の凱旋帰国もパッとしなかったし、この試合が終わったらもう定着を見据えたうえでまた海外に行ってしまおう」と考えていたようです。その証拠にこの年の秋までずっとホテル暮らしだったようですね。ただしその申し出をしたとしても馬場が了承したかどうか、、、戸口離脱あと全日本第3の男は天龍以外には石川かトンガくらいしか残っていなかったですからね。

ちなみにこの試合、「天龍は卍固めをも繰り出した」という記事もたまににかけるのですが、その技は出していません。ただしかし、2度目の延髄の直後、鶴田を卍に捉え、馬場の方に顎を突き出し、右手でこぶしを作って突き出して見せたらそれは伝説のシーンになったでしょうね。

そしてこの試合で天龍がガンガントップどころに勝利を挙げるようになったかというとそういう訳ではないのです。そもそもこの試合でもピンフォールは取っていませんですしね。その後タッグを含めて明らかに「金星」一流どころから勝利を勝ち取った試合というとこの試合でしょうか?

1981年12月13日 世界最強タッグ決定リーグ戦 最終戦蔵前国技館  〇天龍・原(14分28秒 卍固め)●クラップ・ラシク

日本→新日本→国際と各団体をさまよった挙句、これが日本で最後の試合になったクラップを一流の範疇に入れていいかどうかは議論が分かれるところでしょうけど、まあかつてはインタータッグ王者となり、猪木と国技館でシングルメインを張った男です。入れていいでしょう!この試合の天龍の勝ちっぷりは堂々たるもので、全体的に試合は押されながらも最後は文句なしの卍葬でした。スカッとする勝ち方です。しかしこの卍に関しても何故かこの後多用する事はなくなるのです。。。とにかくこの時代の天龍はいい勝ち方をしてもそのフィニッシュホールドを以降使用しない、というパターンが多いのです。

翌1982年天龍は初めてチャンピオンカーニバルに参加します。序盤戦天龍はトップに立ちますが、それはすべて格下レスラーを破ってのもの。追い抜いたはずの中堅レスラーに足しても中々スカッとした勝ち方が出来ませんでした。

3月19日 後楽園ホール 〇 天龍(12分3秒 リングアウト )● 石川

3月22日 渋川市総合公園体育館 〇 天龍(12分19秒 首固め)● P・トンガ

3月23日 池の川体育館  〇 天龍(13分16秒 片エビ固め) ● 佐藤昭雄  ※バックドロップから

4月3日 中新田町民総合体育館 〇 天龍(8分31秒 首固め)● グレート小鹿

4月9日 鳥取産業体育館 〇 天龍(10分8秒 片エビ固め)● マイティ井上 ※延髄切りから

井上・佐藤には完勝していますが、小鹿・トンガに首固め勝ちはややイメージが悪いですね。確実に格が一段下のレスラーですから、、、。やはりまだ中堅勢とは圧倒的な差があった訳ではないですから完勝は難しかったのでしょう。まだ身体も細く、井上戦を見るとマイティの方が体の厚みがあるんですよね。

ジャイアントシリーズ 10月9日 高知県民体育館 〇 天龍(14分52秒 首固め)● ドリーム・マシーン

おそらくこの試合は天龍がトップどころ相手に初めてシングルで勝利を挙げた試合ではないか?と私は思っているのですが、これもまた首固めなのですね。。。しかしまあ、中身は桜田選手な訳ですからこの時点では無碍な勝ち方は出来なかったとは思いますが。。。。そして翌年、同じシリーズ内でUN王座にも挑戦したニコリ・ボルコフからもシングルで勝利を得ますが。。。。

GCC2 5月31日北海道余市町総合体育館  〇 天龍(6分56秒 首固め)● ボルコフ

またまた首固めです。なんだかおもしろそうな天龍対ボルコフのシングルはこれ1回限り。この時点ではボルコフ最後の日本マット登場とは思いませんでしたが、日本のタイトルに何度も挑戦している彼にはしっかりと勝ちたかったのではないでしょうか?しかし波に乗る天龍はこのシリーズの最終戦。文句なしの大金星を挙げます。

GCC2 6月8日 蔵前国技館 〇 天龍(13分49秒 逆さ押さえ込み)● D・スレーター

天龍に金星をつけさせてあげるのには、凋落傾向のスレーターはうってつけだったんでしょうね。かつては全日本の公式カレンダーの1ページを単独で飾るほどの看板外人だったのですが。。。シリーズ中盤のタッグ戦ではスレーターのバックドロップに完敗した天龍ですが、流石にシングルで完勝という訳にはいかなかったでしょう。スレーターはこれからも来日する選手ですし、この返し技決着はやむを得ないのかもしれません。

しかしこうして書いていると、「首固め決着ばかりピックアップして書いているのではないか?」と思われるかも知れませんが、そんなことはありません!「ある程度のトップ選手相手で完全決着がついたシングルマッチ」をピックアップするとこうなってしまうのです。続けます。

そして、負け試合ではあるのですが、その後の天龍のプロレス人生において外すことのできないシーンが訪れます。

スーパーパワーシリーズ 8月26日 後楽園ホール 鶴田・●天龍(11分6秒 体固め)ハンセン・〇ゴデイ

天龍は初来日のテリー・ゴデイの日本初公開(おそらく)のパワーボムをくらい、ピンフォールで負けてしまう訳です。この技のインパクトは彼にとってかなり大きいものだったようで、その結果のちのち天龍はこの技を自身の得意技に昇華するようになる訳です。しかしそれまでにはまた長い年月がかかるのですが。。。そして最強タッグに入りまたも首固め。。。

世界最強タッグ決定リーグ戦 12月4日 佐伯市民体育館 〇 天龍(9分16秒 首固め)● モンゴリアン

世界最強タッグ決定リーグ戦 12月5日 福岡国際センター 〇 天龍(8分38秒 首固め)● バリー・ウインダム

最終戦でマイティ井上にシングルで負けてしまうモンゴリアンにはきっちり勝ってほしいところですが、またもや。。。ウインダムに関してはこの時点ではまだまだグリーンボーイの範疇の選手。全日サイドとしては「将来の金の卵」として無様な扱いをするわけにもいかず、天龍もまたまたこのような結果を受け入れざるを得なかったのでしょう。でもウインダムは愛知県体ではカブキに完敗しているのですが。。。

1984年エキサイトシリーズ 2月23日 蔵前国技館 UNヘビー級口座決定戦 〇 天龍(21分13秒 エビ固め)●R・スティムボート ※天龍が王座獲得

そして翌年、天龍はUNヘビー級王座決定戦に臨み、”南海の黒豹”リッキー・スティムボートピンフォールで破り見事シングル初王座を獲得します。しかしフィニッシュホールドは何とも形容しがたい技。「グランドコブラ」と表現された時もありましたが、どちらかと言えばリッキーがロープから返ってくるところを腰投げで返そうとしたのをころを、無理やり押し倒して抑え込んだ感じです。「返し技」とも「一瞬のスキを突く」とも言い難い今見ても妙なフィニッシュですね。

この試合に登場したリッキーは、デビッド・フォン・エリックの急死により、急遽指名された選手。1年半ぶりの来日でしたが、直近でプロレス活動はセーブしていた模様で、体は相当にしぼんでいました。体重はおそらく100キロを切っていたのではないでしょうか?ジュニア時代の藤波みたいな体格です。

当時のテレビを見ていても「セミリタイヤ感」満載のリッキーが勝ちそうな雰囲気は皆無だったのですが、それでも天龍は相手を気付つけないような勝ち方しかさせてもらえないとは。。。この頃から「勝ち名乗りを受けてもそっぽを向いている」憂鬱なる男・天龍の雰囲気が顕著になってきます。しかしその翌シリーズ、前年王座決定戦で苦杯したテッド・デビアスとのリベンジマッチはスカッとした勝ち方をしたいところでしたが。。。

1984年 GCCⅠ 3月24日 蔵前国技館 UNヘビー級戦 〇 天龍(17分7秒 エビ固め)● T・デビアス  ※ 天龍が1度目の王座防衛

トップロープにブレーンバスターを掛けられたところを切り返して着地。後ろに回ってニークラッシャーを仕掛けると思いきや、そのままバックドロップ!これが正真正銘の初公開の技だったらいいのですが、鶴田のAWA奪取とレイスのUN奪取のフィニッシュを合体させたような決まり手であり、なんとも新鮮味がなかった思い出があります。2か月連続のゴールデンで微妙な勝ち方に終わってしまう天龍。館内は盛り上がっていますし、流れは悪くないのですが私にはちょっと不満でしたね。「チャンピオンならもっと力強い試合を見せてほしい!」という気持ちで。

1984年 GCCⅠ 4月16日 後楽園ホール UNヘビー級戦 〇 天龍(23分46秒 首固め)● 阿修羅・原 ※ 天龍が王座防衛

UNの初防衛を終えた天龍は盟友・阿修羅原のアピールを受け挑戦を受けます。この時期の序列は全日本本体3番手が天龍、4番手が原という状態。原の熱い気持ちを全日本が汲み取ったということなのでしょうか。試合は残念ながらノーテレビでしたが、原自身が後年「プロレス人生で唯一頭が真っ白になるまで燃え尽きた試合」と言っていますので相当な名勝負だったのでsしょう。返す返すもノーテレビが残念です。

1984年 GCCⅠ 4月19日 郡山市総合体育館 〇 天龍(11分28秒 首固め)● ジョー・ルダック

このシリーズ後半戦、元国際のエース外人であった”鮮血の荒熊”ジョー・ルダックが参加しましたが、試合はテレビにオンエアされず、ビッグマッチもありませんした。若手時代彼にフロリダでもまれたであろう天龍はルダックに敬意を表し?、これもまた首固めで試合を終わらせます。

話は変わりますが、このシリーズでルダックの試合がオンエアされなかったのが不満でしたね。最終戦の大宮ではセミ前に天龍・石川対ブロディ・鶴見というマッチメイクがされテレビでも放映されましたが、これはなぜ鶴見ではなくルダックを入れなかったのか今でも不思議です。ブロディ・ルダック組、なかなか面白そうなコンビだと思うのですが。。。

GCCⅢ 7月25日 福岡スポーツセンター UNヘビー級戦 〇 天龍(25分18秒 片エビ固め)● D・スレーター ※天龍が5王座防衛

前年蔵前で赤っ恥をかかされたスレーターが、仕切り直しで1年後に天龍のベルトに挑戦します。足四の字固めを駆使して押しまくりますが、最後自らロープに飛んでのフライングボディアタックを仕掛けますが、これを天龍に”切り返され”逆転のピンフォール負けを喫してしまいます。ただこの「フライングボディアタックを切り返す」というのは全日本でこの時期頻繁に使われたフィニッシュの形。表記によっては「空中でキャッチしパワースラム気味に投げ返した!」みたいな記述もあったのですが、そんなことはあるはずもありません。

いったんボディアタックを完全に受けながらも、すぐに固められた状態のまま起き上がりながらそのまま抑え込む、という無理が多いムーブなのです。これがジュニアの選手なら割とスムーズに技を流すのですが、ヘビー級の選手がこれをやると、なんだかお互いもぞもぞ手探りで動いて見るに堪えません。なんだか親戚のお姉さんの着替えシーンを直視させられているような気まずい心境になりますw最も最悪なのがこの試合ですね。

GCCⅢ 7月31日 蔵前国技館 〇 天龍(7分25秒 片エビ固め)● アレックス・スミルノフ

なんだかひたすら天龍を貶めるような内容になってかもしれませんが、そろそろ「いい試合」が出てきますのでもう少しの我慢を。。。私が初めて天龍の試合で「うん!いい試合だ!」と感心したのが、このアレックス・スミルノフ戦なのです。”名勝負”の範疇にまでは至らないですが、ヘビー級の選手が正面からぶつかり合うごつごつした迫力満点の試合なのですよ。スミルノフがまたすばらしくなぜこのシリーズで全日本を切られてしまうのか。。。

序盤から激しい肉体のぶつかり合い、お互い真っ向から勝負を挑みます。圧巻は天龍がスミルノフをロープに振ってのカウンターのエルボー。これがスミルノフの喉元にかなりまともに入りあわや流血怪人失神KO?そんな強烈な一撃を受けます。なんとかフォールをカウント2で返すスミルノフ、闘争心に火が付いたのか、天龍の突進をリープフロッグ!で返すや実に鮮やかなカウンターハイキックを天龍に決め館内をどよめかせます。放送席も興奮!

なおもアトミックドロップで攻勢をかけるスミルノフ。しかし天龍はスミルノフのスキを見てバックに回るや延髄切り3連発!完全ピンフォールをうばうのです。そして貴重なシーンはこの後!天龍は3カウント奪った瞬間「よっしゃ!」と手をパーンとたたき満足そうな表情を見せるのです、ややうつむき加減ではあるもののしっかり和田恭平レフリーの勝名乗りを受けます。

この時期の天龍、こんなにも表現をあらわにし、勝利に満足そうな表情を見せるのは本当に珍しいのです。「返し技でなく、得意技のコンボで相手に完勝する」という快感に初めて味わった瞬間かもしれません。

8月23日 スーパーパワーシリーズ 馬場・〇 天龍(9分9秒 片エビ固め)ブラックウエル・●エドモレッティ ※ショルダー

そして翌シリーズの開幕戦。ちょっと貴重なシーンが見られます。この時期天龍はまだまだフニッシュホールドを模索していた時期なのですが、前のシリーズからショルダーバスターをテスト的に使用していました。今回エド・モレッティにそれで完勝する訳ですが、技の入り方が後からの天龍のパワーボムの入り方と酷似していますね。ゴディのパワーボムと天龍のパワーボムは入り方がかなり違いますが、この時点の試行錯誤が後々のパワーボム完成に影響を与えたのかもしれません。

そしてこのシリーズ、プレシャスという女性マネージャーを連れたジム・ガービンからUNヘビー級王座の挑戦を受けます。下の動画は田園コロシアムのガービン&プレシャスの入場シーン。調子に乗ったプレシャスが香水を吹きまくり、野外会場のため香水のミストは風に乗って予想以上に遠くまで飛来。売店の残った焼きそばの食材にドバドバかかってしまいおばちゃんが激怒したとかしないとか。。。w

それはともかく、この大阪でのガービンとのタイトル戦、評価する人は少ないですが私は面白い試合だったと思うのです。後年絶賛された東京ドームでのランディ・サベージ戦と環境がよく似ているのですよ。戦前は「水と油」の戦いとしていい試合にならないのではないかという読みがありましたが。天龍はこのガービンをうまくさばいたことによりサベージにも柔軟に対応できたような気がするのです。

9月6日 大阪府立体育館 UNヘビー級戦 〇 天龍(17分49秒 テキサスクローバーホールド)● ジム・ガービン

ちょっとバタバタはしましたが、この試合のもまた王者らしい強い勝ち方をしたと思います。ニードロップを失敗しひざを痛めたガービンに対し、キウイロールで更に膝を痛めつけ、とどめとばかりに四つ葉固めでフィニッシュ!四つ葉固めがテリー専売特許の技であることが気になりますが、王者らしいスカッとした勝ち方です。しかし倉持アナったら。。。。

ちなみにこのキウイロールという激渋の技、これっきり出していないと思うのですが、天龍は誰から伝授されたのでしょうか?この技の使い手とすればアベ・ヤコブ(レッド・ピンパネール)かタイガー戸口しか思い浮かびません。ヤコブと天龍の接点があるとは思えませんので、やはり戸口から2回目の凱旋時に教えてもらったんでしょうかね。戸口のあの顔が迫ってきて「聞きたい?教えてやろうか?」というあの喋りでw

王者として勢いづく天龍、翌シリーズはフリーバーズのリーダー、マイケル・ヘイズの挑戦を受けます。会場は例のプロモーターが疾走し宣伝が全くされていなかったという伝説の長崎大会。閑散とした会場にノリノリで入場してくるヘイズには何かもの悲しい雰囲気がありました。

ジャイアントシリーズ 10月22日長崎国際体育館 UNヘビー級戦 〇 天龍(15分20秒 首固め)マイケル・ヘイズ

「このシリーズ限り」感満載だったガービンに対し、やや見限られかけながらも(結局ヘイズはこのシリーズが最後の来日)、ゴディとの関係があるためヘイズは無碍には出来なったのか。。。安定の首固め決着です。。。

しかし1984年の後半になってようやくパワーボム着手への道筋が見えてきた感じです。翌年から実際に使用しだしますしね。それでもこの時期までインタータッグ挑戦から3年以上かかっているわけです。次回は後編、如何にパワーボムを確立させていったかについて書きたいと思います。それでは、また。

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