全日本プロレスとバーン・ガニアの年間契約の妄想

こんにちは、みやけです。

今回はプロレスの話、「この事実にはこのような裏話があったのではないか?」という妄想をまたまた書いてみたいと思います。今回は1984年全日本プロレスでのジャンボ鶴田がニック・ボックウインクルよりAWA席亜ヘビー級王座を奪取した件についての妄想です。

鶴田は自身のインターヘビー級王座を賭け、リングアウトでも王座移動という特別ルールで臨んだ一戦で見事AWA世界王座を奪取し、シリーズ内での防衛戦もクリアし、米本土でチャンピオンとしてサーキットを行うという偉業をなし遂げました。

しかしこの話は当初はジャイアント馬場本人に提案された話であったことが関係者の証言で分かってきました。今年発売された 小佐野景浩さん著「永遠の最強王者 ジャンボ鶴田」ワニブックス の中でもその辺りが述べられています。抜粋しますと。

当初AWAの帝王であるバーン・ガニアは全日本でのAWA世界線開催に対して馬場を挑戦者にどうか?と打診してきた。しかし(日本テレビから出向していた)松根社長も原PDも鶴田を挑戦者に選んだ』『ブッカーの佐藤昭雄は松根から「馬場ちゃんを説得してほしいという要請を受けて馬場に進言した。当初は「その話は俺にきているんだけどなあ」と言っていた馬場も、葉巻の煙を吹き上げながら「そうかあ、それもそうだよなあ」と了承した』とあります。

AWA側としてはニックにマンネリ化が見えてきてたために、異色のヒールチャンプとして馬場を投入し新局面を打ち出そうとしたのでしょうか?馬場も一時の経営不振から社長の座を松根氏に奪われ車内で微妙な位置だっただけに起死回生を測ろうとしていたのかもしれません。

しかし当時の馬場のコンディションからすると例え当初の予定通りに事が進んだとしてもうまく事が運ばなかったと考えるのが普通ですが、当時の AWAは超ロートルのブルーザー・クラッシャーやバション、ラシクあたりが平気な顔で看板選手として起用されていたのですから以外にハマった可能性もあります。

それはそうと、馬場は佐藤昭雄が説得したものの、ガニアはどう説得したのか?が気になるところです。ビジネスとして相手が希望したものとは別のものを提案する場合、それになんらかの付加価値、もしくは別の利点を追加するのが基本ではないかと思います。鶴田に変わる事はガニアには特にメリットはないと思います。

そう考えて、ちょっと思いつくことがあり、この年および前年の全日本プロレスのシリーズに招聘されたAWA系の外国人選手を抽出してみました。

1983年

・新春ジャイアントシリーズ〜該当者なし

・エキサイトシリーズ〜該当者なし

・グランドチャンピオンカーニバル1 〜該当者なし

・グランドチャンピオンカーニバル2〜該当者なし

グランドチャンピオンカーニバル3〜ニック

スーパーパワーシリーズ〜ブラッド・レイガンス(タイトル挑戦なし)

・ジャイアントシリーズ〜該当者なし

・世界最強タッグ決定リーグ戦〜該当者なし

1984年

新春ジャイアントシリーズ〜ステイーブ・オルソノスキー(インター挑戦)

エキサイトシリーズ〜ニック(AWA王座防錆戦、インター挑戦)

グランドチャンピオンカーニバル1〜ニック(AWA挑戦)、グレッグ・ガニア、ジム・ブランゼル(両者ともAWA挑戦、PWFタッグリーグ戦出場)

グランドチャンピオンカーニバル2〜ビル・ロビンソン(インター2回挑戦)、ボビー・ヒーナン

グランドチャンピオンカーニバル〜リック・マーテル(AWA王座防衛戦・インター挑戦)、ロジャー・カービー

スーパーパワーシリーズ〜クラッシャー・ブラックウエル(インタータッグ王座決定戦出場)

ジャイアントシリーズ〜リックマーテル(AWA王座防衛)

最強タッグ決定リーグ戦〜ニック・ボックウインクル

まあ、84年になった瞬間見事なほどのAWAとの癒着!しかし1982年はスティーブ・リーガルとかラリー・ズビスコとかAWA系の選手はそこそこきていて83年が極端すぎるかなと思います。

見れば84年は1シリーズに1人必ずAWA系選手が招聘されていると同時に、必ず看板タイトルに挑戦させているのがわかります。ロビンソンなんかはこの前の2年間は急に全く声がかからなくなり来日が途絶えていたのですが、いきなり後半戦エースとして来日し鶴田のインターヘビー級王座に連続挑戦です。

“たまたま”なのでしょうか?WWFと正式に業務提携契約を結んでいた新日本と比較してみます。WWF系選手を抽出してみました。選択がちょっと難しいですけどね。それでは1983年でみてみます。

新春黄金シリーズ〜カルロス・エストラーダ

ビッグファイトシリーズ1〜トニー・パリシー

ビッグファイトシリーズ2〜バディ・ローズ

IWGP〜アンドレ、アイアン・シーク、ビッグ・ジョン・スタッド

・サマーファイトシリーズ〜該当者なし

・ブラディファイトシリーズ〜該当者なし

闘魂シリーズ〜スタッド

MSGタッグリーグ戦〜アンドレ、スエード・ハンセン、カート・ヘニング

こうしてみると、マードック・アドニス・スーパースター・ホーガンがWWF入りする前なので「意外に来ていないな」という印象が一層残ります。B〜C級外人も多いし。。。

この辺りを総合的に考えてみると、ガニアは挑戦者について鶴田への変更を認める代わりに以下のような”条件”を希望したのではないでしょうか?

今後1年間シリーズに最低1人AWAでファイトしている選手を参加させる事。

参加した選手には基本的に最低一回タイトル戦をマッチメイクする事。

②の選手のタイトル戦開催について、AWAのブランドを考慮して契約のファイトマネー+●●ドルを支払う事。

③は中々エグい内容です。流石にヒーナンやカービーをあてはめることはできなかったようですが。。。。しかし、私は蔵前・大阪でのダブルタイトル戦はともかくとしてマーテルがAWA王座の防衛戦を控えながら福岡でインターのタイトルに挑戦した事について当時から違和感を持っていました。

そしてハイフライヤーズがPWFタッグのリーグ戦に参加しながらも鶴田のAWA王座のタイトルに挑戦したのも然りです。これがあった為リーグ戦のオンエアの回数が減りましたし、せっかく兄への葬いとして来日していたケリー・フォン・エリックの雄姿も見ることが出来ませんでした。

しかしこのような契約が盛り込まれていたとするとしっくりくるのです。ただ単にタイトル挑戦したとしても本国での活動には特に影響はないかもしれませんがガニアが潤えばそれでよかったのかも。。。

勿論私の妄想にすぎません。しかしこのAWA偏重路線は年が開けるとピタッと止んだのです。ジャパン軍が参戦して開国人参加選手を絞ったというのもありますが、そこに割って参加する選手はレイスの関係が強いカンサス地区の選手が多くみられるようになりました。アート・クルーズ、ボブ・ブラウン、ジブシー・ジョー、TGストーン。。。

そしてその結果どうなったか?鶴田はこの年プロレス大賞MVPを受賞し、プロレス史においては大きな足跡を残す1年となりましたが、その逆ハンセン・ブロディというライバルとの対戦意義が希薄になり、特に秋から冬にかけてはジャパン軍の参戦を特に待ち望むわけでもなく、AWA王座再奪取に入れ込んでいるわけでもなくなんとなく中途半端な時期を過ごしたように見えます。

新婚生活が始まったためか?リングの話題はファンクス・馬場・天龍に譲ってしまった感があるのです。最後の蔵前でマーテルから王座を奪回できなかった時点でAWAとはもう絡まねばよかったような気がするのです。

そして年明けは本人も全然入れ込んでいるように見えなかったジャパン軍との抗争。なんだかガニアと絡んでしまった為結果的に低迷期の扉を開いてしまった、そんな気がしてならんのです。

今日はこんなところです。それでは、また。

#全日本プロレス

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