子を愛せない母親(2)

こんにちは、CMBOです。

早速私の幼少時代の話の続きです。
私が一緒に暮らした家族は、祖母・父・母・次男、そして3歳の頃に
亡くなった曽祖母と、10歳の頃に亡くなった祖母でした。
父は長男の為親と同居していましたが、些細なことで定期的に怒鳴り合いの
喧嘩を行い、数ヶ月口をきかない、と言うパターンを繰り返していました。
その為家全体が若干ですが、常にピリピリした雰囲気でありました。

例えば、通常の家庭であるならば日曜の夕食時は家族みんな揃って
ワイワイガヤガヤおしゃべりしながら食べると思うのですが、うちは黙々と
食事し終わったものから順々に席を立って自室に戻って行きました。
また、祖父が上座に座っているのですが、席についてもまず新聞やテレビ
に目を通してから自分のタイミングで食べ始めるので、食事前全員揃って
「いただきます!」と言う習慣がありませんでした。

この癖があったんで私は学校とかで声を合わせて「いただきます」
と言うのはまだ大丈夫なのですが、会社の同僚とか恋人とかと2人で食事をする時
「いただきます」と言うのはなんだかとても恥ずかしい思いをしながら
小さな声で喋るのが癖になっていました。

母からすれば旦那と祖父がしょっちゅう喧嘩し、月一くらいで訪れてくる
親戚の方から色々言われるのがかなりの負担だったようで(実際には親戚は
そんな強いことは言っていなく、酒の席で言いたいこと言っているだけ
なのですが)何かあるとしょっちゅう私の部屋に来て泣いていました。

父は母があまりに私を自分の側につけ、色々と言い聞かせるものですから、
私とはちょっと距離を置いていたように思えます。父とは生涯お互いに
ついてじっくり語り合ったことは結局ほとんどありませんでした。

今考えても私に両親は、仲が悪かった、と言うでもなく、さりとて仲がよかった、
とも思えません。「お互い冷めていた」と言うのが一番適切な表現かも知れません。
ただし後年大きく関係性は変わるのですが。

心理学の勉強で学んだのですが、子供の教育においての両親の存在について「ダブルバインド」と言う言葉があります。夫婦の状態として大きく3つの携帯があり

(最良)夫婦が揃っておりお互い仲がいい

(やや良)離婚・死別等で片親

(最悪)離婚せず同居しているが仲が悪くお互いの悪口を子供にぶつけている。

と言うことらしいです。
(最悪)の関係で育てられた子供は、誰を本当に頼ればいいのか理解できず、
嫌われたくない為誰にでもいい顔をするような性格になり、自分自身が
何者かわからなくなり、酷い場合統合失調症のような状態になりかねないのです。
まだ、幼い子供の心に矛盾したメッセージが強く交互に繰り返されるわけですから。
ラジオテレホン人生相談でもこのような状況の場合は大方離婚するよう勧められます。

私の場合、父の悪口というのはそこまで聞かされなかったのですが、
「お母さんはこんなに辛い」という言葉は繰り返し聞かされました。
逆に自分の辛い状況、悩んでいる状況を相談すると、明確な回答は絶対に出ず、
最終的には自分がこの間いかに辛い目にあったかの話になるのです(笑)

とは言っても同じ家にいるのですから、家の中でやっていいことと悪い事に
ついて相反する指示が2方悪い時には3方から出て私はいつも困惑していました。
ですので、少年時代の私はまさにダブルバインドの状況に陥っており、
友人と話すとどうもコミュニケーションがうまくいかない状況に陥って行きました。
交渉ということができず、我慢を重ねた挙句、突然強い言葉で自己主張して
しまうのです。

ちなみに母のこの性格、今でも存分に発揮されておりまして、私が
骨髄異形成症候群の診断を受け、症状が悪化し、移植手術を必要とし、
それが成功したとしても5年以内の生存率は50%前後であるということを
紙に書いて説明したのですが、母は具体的なことはよく聞こうとせず、
話を遮って「だったら家のお墓は永代供養にしたほうがいいのか?」
などと言い出すのです(笑)。

毎回これです。母は良かれと思っての言動なのですが、私自分の死期について
最低限伝えておかねばならないと思って資料を作った気持ちについて
理解できないのです。でも側から見れば「いつ死んでも安心なようにしておくから」
と言ってるようにしか聞こえません。

この時、流石私は激怒し、「俺の病気が悪化していよいよとなるか、
治療費が足らなくなったら不動産の遺産分割協議を始める。裁判になってもやる!」
と言葉を投げつけて家を後にしました。うちの家は3年前に父が亡くなり、
不動産(2階建一軒家)と多少の預貯金を遺産として残してくれました。

相続人は母、私、弟です。預貯金は司法書士を入れて相続協議を行いましたが、
不動産はまだ母が家にすみ続けたいというので、協議は保留とし、
名義は父の名前のままで母1人が住んでいるのです。

話が逸れましたが、私は子供の頃は「いじめられっ子」ではありませんでしたが
「いじられ役」でした。3〜4人で集まるとなんかおとぼけのコミカルキャラ、
1人だけちょっと変わった行動をとってしまうキャラでした。
大人からはいつも「おとなしい」と言われていました。

しかし、成長していくうちに何と無く「これではいけない」と思い始めました。
ですので、授業中小学高校学年となってくると、先生の質問があっても
なかなか手を挙げたがらないものですが、私は積極的に手を挙げ自論を述べ、
クラスの役員とかにも積極的に「自分がやりたい」と声をあげ
参加するようになりました。

しかしどうも、母はこの私の行動についてはよく思っていなかったようです。
何か私が思い切ったことをやろうとすると「のぼせあがるな!」「あなたにはできない」「しゃしゃりでるな」という言葉を飽きるほど聞かされました。母は自己主張するという事に異様な恐怖感があるようなのです。自己主張して完璧に反撃された何らかのトラウマがあるのでしょうか。。。

こんな事が続いていましたので、私は高校時代2年の時に生徒会の体育会局長に
立候補して選挙で当選、1年間それを勤めたのですが、親には内緒で
それをやっていました。この件でもお分かりかと思いますが、
私は人前に出て自己表現するのが大好きなんです。大勢の人の前で話を
することは全く苦ではなくむしろ快感です。

人が集まるようであれば歌ってみたいとも思います。(笑)
これも母とは形を変えた承認欲求なんだな〜と苦笑いするしかないです。

長くなりましたので、今日はこんなところです。

それから今後、時々ですが一番下に絵の画像をUPしていきます。
亡くなった父は定年退職後脳血栓で倒れ再就職がままならなくなったので
絵画に没頭していました。お陰様で何度かは市レベルの作品展に入選
したこともあります。父の為にもちょくちょく上げていこうかな?と思っています。

それでは、また。

コメントを残す

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。