②築35年の実家売却 昔は皆が憧れる高台の新興住宅地、、、今では。。

こんにちは、みやけです。今回の話も実家売却シリーズの追加です。

前回は実家の一軒家の内部の鉄骨が腐食し修理不能、いつ建物の崩壊が起こるかもしれない、という話までしました。「痛みの具合は取り壊してみないと判断できない」と業者から言われたらお手上げです。母が就寝中にいきなり天井ごと2階が落ちてくる可能性もある訳です。

私も周囲の人や親戚関係にも色々意見を聞きましたが、やはり「一刻も早く退去の準備を始めたほうがいい」との見解が大半でした。特に私が住む福岡は近年洒落にならない豪雨が毎年のように襲っていますし、そして台風は基本的に毎年2〜3回直撃を食らいます。

今回の鉄骨一部陥落も大型台風の通過直後だったので、今私が想定している「まず早期に母に引っ越ししてもらい、建物は取り壊し。買い手があれば売却。少なくとも取り壊しは5月までに完了。その間何事も起きないよう運を天に任せるしかない」という考えはそれなりに妥当なものだと思います。

命がかかっているかもしれないのに「運任せ」というのは無責任に聞こえるかもしれませんが、着の身着のままで飛び出してきたところでこれからの生活はどうするのか?という問題があります。

私の家での同居案にしてもまずすむ部屋がないし、それ以上にこれまでこのブログに再三書いてきたように、あまりに母の利己的な性格を考えると妻のみならず私もメンタルをやられる可能性があります。「同居はあり得ない」というのは当初からの考えです。

ただしかし、当の本人の実母はそれ程危機を認識していないのが頭の痛い所です。そもそも「鉄が腐食」という状況がどのような事か理解出来ていないし、しようとする気もない。最初は訳が分からず怖がっていたようですが、暫く何事も起こらないと「いい物件が有れば引っ越す」と考えを変えて来たのです。室内で耳を澄ませると「ミシミシ」という何かが軋む音が何処からか聞こえてくると言うのに。。。

母は極端に共感力が低く、全く人の心がわからない、自分にしか興味が無い人間なのです。その手の人間の特徴としてよくある「趣味・興味があるものがない」「好きな人・尊敬する人がいない」「自分にしか興味がなく、家族等周囲の人間は“自分の所属物”としての興味でしかない」人なのです。

そういう人の最大の価値観は「お金」である事が多いのです。お金はその人の人格に関わらず、普遍に価値観でと言えるものだから。そして「持ち家」もまたそうである場合が多い。私の母もまた持ち家に妙に優越感を持っており、賃貸、いや分譲マンションの住人を見下している困った人なのです。

私は結婚する40近くまでこの実家で生活をして、それから賃貸マンションに移りましたが、どっちがいいかと比較すれば圧倒的にマンションがいい!まずセキュリティ!オートロックなら1階で無い限り基本的には不審者の侵入をブロック出来る。でも一軒家ならマンションと比較するとほぼ無防備。ややこしい勧誘が来ても居留守を装わねばならないし、その人たちが立ち去ったか判明しずらい。

母は月1万近くを支払って某警備会社と契約していますが、ああいうところは何かあったから至急駆けつけるというだけで、多少の牽制にはなっても予防するものではない。そもそも一軒家暮らしが長い母にはオートロックという概念がイマイチピンとこないようで、ここ暫くはそのメリットの説明に時間を費やす毎日なのです。

もう一つ一軒家の大きなデメリットは管理が大変だと言うこと。外壁、雑草、小動物の侵入、そして家本体の管理。。。でもそのあたりはまだ20代、30代なら「自分の努力の証」として自分のプライベートな時間を注ぎ込めるでしょうが、60代、70代、そして80代になってくると衰えゆく自分自身の事に精一杯で家の管理など明らかに気が回らなくなってくるのですよ。

私も父の死以降親戚をはじめ多くの高齢者と接して来ましたが、自身の老化と家屋の経年劣化が同時に訪れる場合が多く、リアルタイムの文化についていけない事も相まって「何から手をつけていいかわからない」状態になっているケースが非常に多いんですよね。一軒家の場合、対処法がそれぞれ違うし、自治体のルールも把握せねばならずホントしんどいだろうな、と思います。

話が大きく逸れましたが、とにかく上記のような理由で、危機が間近に迫っているにも関わらず、母は家退去に乗り気で無い訳です。本来は母が判断する事なので、こちらは強制的なことは出来ないのですが、状況を考えれば勝手にやっちゃいたくもなるのですよ!ほんとにもう。。。

更に大きな問題として、この土地が売却出来るのか?否か?ということ。

実家は1960代に「都心(博多駅・天神)にアクセスの良いベッドタウン」として、造成・分譲されたエリア。当時はそのような郊外に団地や新興住宅に住む、というのが大変流行った時代です。住人が多くなるにつれ、商店街が作られ、学校も増え、街全体が栄えていったものでした。当時は「都心を見下ろす高台に住む」というのはひとつのステータスでしたからね。

しかし高台のデメリットは下との徒歩での行き来が大変という事。実家のエリアは悪い事に何らかの規則で商店・病院・公共施設が建設できないため、高齢者の住人は毎日ヒーコラ言いながら生活の為坂を上り下りしています。「街へのアクセス」というのは都心まで直行のバスがあるという事。しかしJR・西鉄の駅までは途方もなく遠く、バスも福岡は大渋滞が常な為コスパは良くありません。

冷静に見れば高齢者に取っては明らかに住みにくい場所になってしまったのです。尚且つこのエリアの開発当時はまだ本格的車社会が訪れる前だった為か、全体的に道路が狭く大型タイプのマイカーは実に通りにくいし来訪者への駐車スペースは有料でさえ見当たらない!もう明らかに時代に取り残されたエリアなのです。そういうエリアって日本に沢山存在すると思うんですよね。

私も実家については、半分自画自賛気味とはいえ、親からは「高台の一等地」だといい含められて?来てそう信じてきたのですが、ここ10年くらいはそれは過去の話だと実感するようになりました。冷静に辺りを見渡すと住んでいるのは昔から顔馴染みの親世代の高齢者ばかりで、若い世代が全く見当たらない。子供の声もしない!

休日は子供達が行き来する歓声であれだけ騒々しかった家の前の道路も今ではいつ行っても閑散としています。客観的に見て「魅力の低いエリア」になった事は明白な感じです。不動産会社へのアクション・見積もりはこれからなのですが、「そもそも売却できるのだろうか?買い手があるのだろうか?」という懸念は募るばかりです。

不動産会社との交渉は80を越えた母ができるはずはなく、必然的に私が担うことになったのですが、問題なのは母が自宅への認識について昔と同じままである事。流石に崩壊寸前の建屋は価値がゼロである事は分かっているようですが、土地については引く手数多で高額で売れるはずだ、信じて疑わない。。。

ただでさえ、私は不動産については知識がなく、色々と勉強せねばならんのに、母の認識のズレを説明せねばならんのは負担増もいいところなのです。どうなることやら。。。。

今日はこんなところです。それでは、また。

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