こんにちは、みやけです。
今回は昭和プロレスの話なのですが、視点を変え、少し肩の力を抜いてマニア向けのクイズを行ってみたいと思います。中~上級編と言ったところでしょうか(笑)まあ、このところ仕事で久しぶりに2泊の出張があったりして疲労困憊であり、長い文章を書く気力がなかったというのも理由としてあるのですが。。。それなら無理して週1回新作を上げなければいい話なんですがね(笑)。なお、いくら正解されようが景品等はございません!資料を検索せずにお答え下さい!!

それでは開始します。4問プラスおまけが1問です!
第一問 昭和期の全日本プロレスにおいて「1試合のみの特別参戦」を2回経験した外国人レスラーはただ一人!それは誰か?
新日本プロレスは異種格闘技戦の絡みもあり「1試合のみの特別参戦」というのは割とありがちなのですが、全日本では意外と少ないのです。例えばNWA及びAWAチャンプが特別参加するにしても必ず複数試合こなしています。1試合のみと思われがちなトム・マギーも数戦こなしており、経験者はニック・ボックウインクル、ボボ・ブラジル、ザ・トルネード(ディック・マードック)あたりがいます。
これは外国人は週単位の契約を基本とするため、「せっかく契約したのだから目いっぱい働いてもらわないと。。。」と発想しがちなモ、、、、いや全日本プロレスの方針なのでしょうか?そんな中2回この経験がある外国人選手が1名だけいるのです。それは誰でしょう?
第二問 20世紀中、新日本⇔全日本間で2度の出戻りを経験した外国人選手は、スタン・ハンセン、スティーブ・ウイリアムス、カート・ヘニング。もう一人は?
本当は「昭和期」でくくりたかったのですが、1990年のいわゆる「プロレス版ベルリンの壁崩壊」でハンセンとウイリアムスが両団体を行き来するようになりました。「これはちょっと出戻りとは意味が違うなあ」と思ったので最初から外しました。ヘニングは既に昭和期に1回半の出戻りは経験していたのですが、2度目の新日本登場は1998年であるため、ちょっとこれも違う感じがするのです。そしてあともう1人いるのですが、それは誰でしょうか?「昭和期」でくくれなかったのがヒントになります。

ちなみに「2度の出戻り」とは、新日本→全日本→新日本→全日本(もしくはその逆)のパターンです。
第三問 マジック・ドラゴン(薗田一治)の凱旋帰国第一戦の対戦相手は誰か?
帰国第一戦は当然修行の成果を見せるため、ある程度名の通った選手に派手な勝ち方を期待するのが常ですよね?それも外国人選手相手に。全日本プロレスレスラーの海外遠征からの凱旋帰国第一戦を列記してみます。
ジャンボ鶴田→ムース・モロウスキー、天龍→馬場と組んでマリオ・ミラノ&メヒコ・グランデ組、プリンス・トンガ→リック・デビッドソン、桜田一男→馬場と組んでブッチャー&カマタ組、ミスター林→タンク・パットン、渕正信→チャボ・ゲレロ、大仁田厚→ロン・ミラー、ロッキー羽田→鶴田と組んでラシク・ミラノ組、輪島博士→タイガー・ジェット・シン、高千穂明久&佐藤昭雄→双方がタッグを組みラリー・シャープ&ブルーノ・ベッカーと対戦。

といったところです。一生前座で終わった百田義浩でさえもカール・フォン・スタイガーと当たっています。(結果は両者リングアウト)。ところがマジック・ドラゴンについては誰と当たったのかかなり印象が薄いのではないでしょうか?前年最強タッグ蔵前最終戦でスーツ姿で帰国挨拶をしたのは記憶にある方もいらっしゃるかと思いますが。。。ドラゴンの対戦相手は誰でしょう?
第四問 日本・国際・新日本・全日本プロレスの4団体すべてに登場して試合をしたレスラーを全部あげよ!
この話は昭和プロレスの回顧話で頻繁に上がる鉄板ネタといってもいいテーマですね。頑張ってすべてのレスラーを「頭の中で」あげてください。ヒントですが「エキジビションマッチ」も含むものとします。
おまけ 日テレ・全日本プロレス中継で倉持アナウンサーが、鶴田&天龍対長州&谷津組での試合での選手紹介の際天龍のところで言った「天龍!●●●●●!」とはどんな言葉?
これは某匿名掲示板のプロレス版での鉄板ネタ!誤った情報が独り歩きし、定期的に論争が巻き起こります。簡単に説明すると1985年新春オールスターウオーズ、札幌大会、ノンタイトル戦60分1本勝負。鶴田天龍対長州谷津戦にて、倉持アナウンサーは放送での選手紹介の際「日本大学出身!谷津義章!」「専修大学出身!長州力!」そして天龍の後「中央大学出身!ジャンボ鶴田!」と絶叫します。(ホントはもう少しセリフもある)

ある意味中卒の天龍を誹謗しかねない流れなのですが、実際のセリフは何だったのか?お答えください!
回答
第一問 正解はカール・フォン・スタイガーです!

長年全日本の脇役として活躍し、参加しても大半を来日外人中どん尻の存在でありながら計10回来日。 馬場とも非常に仲が良く、晩年はハワイ在住で御大の別荘の管理人をしていたとかいないとか。。。また日本プロレスは崩壊により手放したインタータッグ王座について、日本で獲得したキラー・カール・フラップに指名されファンクスに明け渡すまで王座についていました。しかしスタイガーのような弱小外人にインタータッグを任せるとは。。。
問題の1試合参戦ですが、いずれも唐突なものであり従来の概念とは異なる参戦なのです。1回目は1979年新春ジャイアントシリーズの第2戦(1月3日)に突然参戦。ザ・デストロイヤーと対戦し破れ、そのまま帰国しています。このシリーズはブロディの初来日のシリーズなのですが、同時に参戦したフリッツ・フォン・エリックの来日が身内の不幸により数日間遅れたのです。
しかしスタイガーの突然の参戦はフリッツの代役かというかというとよく分かりません。当日フリッツはバロン・フォン・ラシクと組んでインタータッグに挑戦予定でしたが、結局同じく来日していたキング・イヤウケアがラシクのパートナーを務めたのです。数日後にはフリッツはツアー参戦したのですから、態々1試合でデストと対戦して1試合だけで帰るというのは全く意味不明です。このシリーズは「やられ役」があまりいませんでしたからそのまま残留でもよかったと思うのですが。。。

2回目は1981年のインターチャンピオンシリーズ最終戦松戸大会。ブロディの怪我による欠場でドリー対テリーの兄弟対決が行われた大会ですね。スタイガーは元々同シリーズに参加予定は無かったはずなのですが、何故か最終戦にいきなり登場し、ウエイン・ファリスに快勝しています。それにしても必然性の無いカード。。。。。ブロディ欠場の穴埋めということでしょうか?でも何でスタイガーを松戸だけのためにわざわざ呼ぶのか謎です。
しかもブロディは3日前には試合に出ていたのに、突然来日できたのも謎。。。まあ、シークの代打と称して指名されると翌々日に秋田のリングに立っていたトーア・カマタには叶いませんが。。。しかもスタイガーは3週後の次のシリーズには全戦参加しているのです。いよいよもって良く分らない1試合のみ出場です。残留して1か月近く日本で過ごしていたとでもいうのでしょうか?
昭和期の日本のプロレス団体の興行ではどうも「最低でも7試合は組む」という暗黙の了解があるようです。参加選手が奇数になればバトルロイヤルで帳尻を合わせます。しかし調べてみたもののスタイガーの場合そのケースにも当てはまらずなんとも理由が良く分らないのですね。なにかこうすぐに日本に来ることができる特権のようなものが彼にはあったのでしょうか。。。本当になぞだらけの1試合のみ参戦なのです。航空運賃もかかるのに!
第二問 ラリー・ズビスコです!

最後の来日は1990年、新日本プロレスの東京ドーム大会。「事実上最後のAWA王者」としてマサ斎藤の挑戦を受け王座を明け渡しました。しかしこのズビスコ、日本ではとにかく評価が低い!アメリカでは「サンマルチノを裏切った男」としてそれなりに大物の扱いを受けていますが、日本ではほとんど話題に上がることがありません。パワーファイターでもテクニシャンでもない中途半端なキャラクターが原因でしょうか。。。
ただし「出戻り」の場合、誘う団体がその選手を引き抜く。という意味合いが多いと思うのですが、ズビスコの場合は逆で、団体側は毎回押し付けられた感があるのですよ。初来日は1975年の全日本、このときはブルーノ・サンマルチノの斡旋によるもの。同時期にはスタン・ハンセン、ボビー・ジャガースも初来日しましたが、一番インパクトを残せなかったのにブルーノの紹介の為ギャラが高くハンセンらから恨まれてしまいます。
その後新日本に2度来日。この時もブルーノがWWF王座にカムバックしており、舎弟的存在であったズビスコは新日本が望んだわけでもないのに来日の機会を与えられたのでしょう。そして1981年ブルーノがWWFと喧嘩しIWFという独立団体を旗揚げするとズビスコもそこに参加するのです。

ブルーノと昵懇の仲の馬場はIWFに参加してWWFから睨まれたレスラーを優先的に来日させるようになります。ロッキー・ジョーンズ、スティーブ・ボラス、フランク・デューセック等81~83年に全日本に来日した外国人選手にはIWF参加選手が沢山いました。ズビスコもその1人だったわけです。馬場の評価は低かったようですが。
そして新日本にAWA王者として再度復帰するわけですが、新日側としては正直来るのはズビスコでなくても良かったと思うのです。新鮮味を考えればカート・ヘニングやジェリー・ローラーのほうがまだ良かったかも?ただただ「ドーム興業に華を持たせる為」AWA王者が来れば良かったのだと思うのです。
ただしかし、一番先に2度の出戻りを経験したズビスコがことごとくいかにも日本的な「押し付けられた来日」であったのはなんだか面白いですね。試合内容で語られることは皆無な選手ですが、経歴・プロフィールは日本から見ても興味深い経歴を山ほど持っている選手でしたね。
第三問 越中詩郎です!

正直な話、この対戦相手はあまりに酷い!薗田選手が不憫でなりません。越中には悪いですが勝って当たり前の選手を当てているのですよ!
越中選手はこの時海外遠征直前、前年ルーテーズ杯で優勝はしたものの、結局外国人選手からの白星はGETしておらず、まだ中堅とは呼べない範疇の選手。おそらく遠征前の薗田選手でも勝てたかも知れません。上で書いたように他の選手は、以降干されたとしても初戦だけはそれなり相手を宛がわれているのに。。。
新日本では栗栖昌伸のように帰国前も後も全く変わらなかった例もありますが、ドラゴンの場合蔵前でリングに立ってて挨拶の後この仕打ちですからねえ。。。このシリーズは相手にふさわしい外国人選手が乏しかったというのもあります。シプシー・ジョー、ケリー・キニスキー、リスマルク。。。渕との同期対決やセブンとキャラかぶり対決でも良かったと思います。

マジック・ドラゴンはその後マスクを脱ぎハル・薗田としてファイトします。そして天龍革命が始まった直後、不運な飛行機事故で消息を絶ってしまいます。その気風のいいファイトは天龍同盟との戦いはマッチしたはずです。返す返すも残念な結果でした。
第四問 11人です!
ルー・テーズ、ラリー・ヘニング、ニック・ボックウインクル、イワン・コロフ、バロン・シクルナ、ディック・マードック、エディ・サリバン、リップ・タイラー、バグジー・マグロー、キラー・ブルックス、キラー・カール・クラップとなります。

この中でいくと全日本プロレスでエキジビションマッチを数試合しかこなしていないテーズを入れて良いのか?と思う方もいらっしゃるかも知れませんが、まあ、最強タッグのレフリーも努めましたし良しとしましょう!(笑)
この中で「他団体男ナンバー1」を選ぶとすれば、、、、間違いなくディック・マードックでしょう!4団体全てでエースクラスとして招聘されていますし、更にはFMW、WING、WAR、藤原組にも参戦しています。正に「極楽トンボ」といわれる性格のなせる業なのか。。(笑)

しかし11人それぞれ個性を持った強豪ぞろいですから、半分ずつで2シリーズくらいはツアーが組めそうですね。個人的にはタイラー&サリバンの職人コンビが入っているのは泣かせるところだと感じます。
おまけ 「狙いは長州1人です!」が正解です!
某巨大掲示板では谷津・長州・鶴田の紹介の後「天龍!今日も元気です!」と倉持アナが小馬鹿にするように語った、、、という噂が蔓延しておりますが、実際は上の言葉が真実です。まあ、どちらも天龍が浮いてしまう感になるのは大差ないような気がしますが。。。。
この元ネタは「ビートたけしのオールナイトニッポン」にてはがき職人が作ったネタなのです。某巨大掲示板ではこのネタが「真実」として拡散され、それをまた打ち消すという連鎖が延々と続いています。普通に考えれば天龍が最後にコールされるというのはおかしいのですが。。。。
そして、これと並行してよく語られるのが、ジャイアント馬場が長州らジャパンプロレスのファイトスタイルを見て「まるでシャムネコの喧嘩だ。。。」と語ったという話です。正解は「軍鶏(シャモ)の喧嘩」であり、防御せず攻撃一方の闘鶏を例えた表現だと思うのですが、無学なライターがこれを「シャムネコ」と文字起こししてしまいそのまま出版され、無学な?読者がその言葉を信じ込んでしまい2つの説が交錯する状況となったようです。

ただしかし、「シャムネコの喧嘩」というのもそれはそれで的を得た表現のような気もしますが。。。
こんなところですが、如何でしたでしょうか?「疲れている」言いましたが相変わらず結構長い文章になってしまった。。。(笑)評判がよければまたやります。
それから昨年末書いた「たけしプロレス軍団(TPG)新日マット登場の深読み」ですが、誤字脱字があまりに酷かったので改めて校正しました。まだ読まれていなければ是非お読みください!それではまた。
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