昭和プロレス検証企画・新日本プロレス編 〜ブレイク後も跳べなかった長州力とカーンの準優勝の深読み、更には猪木失神へ 〜

こんにちは、みやけです。

今回は昭和プロレスの検証企画です。題名を見ても内容がイマイチわからないというかた方がおられるかも知れません。要は以下のような事なのです。

プロレスラーがファンに”トップスター選手”として認知される場合、そのブレイクするにあたる象徴的な出来事という試合・シーンが必ずあるものです。アントニオ猪木選手であれば東京プロレス旗揚げ初戦のジョニー・バレンタイン戦、長州力でいえば例の”かませ犬発言”からの藤波辰巳からのWWFインターベルト奪取。

このような印象的な出来事をきっかけにトップスターの仲間入りを果たし、マッチメイク上の扱いがよくなり、実績を積み上げるにしたがって名実共の格上げにつながるというものです。

しかしプロレスというジャンルにおいては、その実績を積み上げる期間において必ずしも今まで勝てなかった相手に連戦連勝になるというかというとそうではなく、「負けなくなった」というだけで、連戦連勝どころか地方大会の勝敗をしらみつぶしにチェックしてもブレイク前と極端に変わるものではない、という事を発見したのです。特に同格の相手には。

全日本で例えると2代目タイガーマスクがマスクを脱いで三沢光晴となり、ジャンボ鶴田にピンフォール勝ちした瞬間に鶴田と対立する準エースとなった訳ですが、その直後は勝敗上において極端な変化があった訳ではありません。贔屓目に見てもタイガーマスク時代に勝てる相手からの勝ちを積み重ねただけで、確実に“金星”的な勝利は1年後のスーパーパワーシリーズ札幌大会のタッグマッチでスティーブ・ウイリアムスからピンフォールを奪うまで時間がかかる訳です。その間地方での6人タッグを含め、“今まで勝てなかった相手”からの勝利はありません。

そしてその傾向は調べていくうちに全日本より新日本の方が顕著な傾向があると分かってきました。藤波辰巳・前田日明・藤原喜明、そして武藤敬司あたりもその傾向は見られるのですが、今回は焦点を絞り長州力とキラー・カーンのブレイク後の勝敗の傾向について書いて見たいと思います。

① 長州力

プロレスファンならご存知の通り、長州は時期エース候補として1974年に新日本プロレスに入団、猪木・坂口・藤波に続き、ストロング小林よりはちょっとだけ上のポジションとして活躍しますが、プロレスそのものに馴染めず、それ以上はなかなかランクアップできす、対外国人相手でも3番手あたりにようやく勝てる、という状況が続きました。

しかし、1982年のメキシコ遠征にてエル・カネックからUWA政界ヘビー級王座を奪取し凱旋帰国。開幕戦でタッグを組んだ藤波に対して「俺はお前のかませ犬じゃない!」と喧嘩を売り一躍ブレイク。翌83年春に藤波からピンフォール勝ちで同王座を奪い、84年9月に新日本を離脱するまで猪木に対抗する藤波のライバルとして同格のNo2扱いまでのし上がった、、、というのが彼のプロフィールだと言っていいと思います。

しかし、彼が「かませ犬発言」以降、それまで勝てなかった相手に次々勝てるようになったかというとそうではないのです。まず「かませ犬発言」からベルト奪取までの半年間、彼がシングル。タッグを問わす、あらゆる試合で勝敗に関わった相手と回数を抽出して見ました。(リングアウト・反則の勝敗は除く)

負け→木村健

勝ち→木戸修、剛龍馬、T・パリシー各3回、タルバー・シン、永源遙各2回、藤波辰巳、木村健、藤原喜明、B・ローズ、E・レスリー各1回

となります。転機となった藤波戦を除けばこれまでの長州でも勝てた相手だと思います。木村健は微妙なところですが、たまに不完全決着はあったとしても基本的には勝てたでしょう。面白いのは革命軍を結成したこの頃は基本マサ斎藤やカーンがフィニッシュを取ることが多く、長州が取るにしても回転エビ固めを高い頻度で使用していた事です。サソリ固めはデビューからの得意技ですが、ラリアットは彼が成長するにつれて使う頻度を高めたイメージがありますね。

彼のブレイクはある程度仕掛けられたものであったようですが、やはりそれが大きなムーブになるかは確信が持てなかったので、この時点では勝敗を伴う格上げ、坂口やマードック、スーパースタークラスからピンフォールを奪うまでには至らなかったようです。

しかしベルト奪取後は勝てる相手も出てきたのか?さらに抽出して見ます。今度は長州新日離脱までの1年半まで範囲を広げます。

負け→猪木3回、木村健悟、ホーガン、アンドレ、バックランド各1回

勝ち→星野15回、木村健9回、木戸6回、藤原・Bブレアー各5回、カネック・Rオリバー・Sフェリス各3回、剛・Mデービス・Jモロー・パテラ各2回、Eレスリー・前田・ブリッジ・SWハンセン・高田・Cヘニング・Bフェース・Jナイドハート・Bダンカン・Dムラコ・Hアヤラ・BJスタッド・Oワンツ・BJクイン・Dマイヤース各1回

まず気になるのはベルト奪取直後に木村健悟にピンフォール負けしている事。4月14日の愛知・西尾大会でマサ斎藤と組んで猪木・木村健悟組と対戦しているのですが、健吾にピンフォール負けを許しているのです。雑誌の転記ミスかもしれませんが実に不可解な負けです。

まあ、それは置いておくとしても、勝ったメンツについてはスタッドとパテラを除けばブレイク前でも勝利は固かった選手ばかり。カネックは微妙ですが、この時期は扱いが極端に悪くなっている時期ですから。。。。スタッドとパテラは第2回IWGP決勝リーグ戦中の結果ですが、ベルト戴冠から1年後。ここでようやく以前勝てなかった大物から勝利できるようになった訳です。

この2年近い間、長州はひょっとすると猪木以上にリング内外の話題を振りまき新日本を引っ張ってきたのに、この程度の戦績しか納められないのか?そのあたり猪木や坂口がどう考えていたのか?「初めから藤波を脅かすだけのいわゆる剛竜馬的存在で留めておくはずが予想以上に人気が出て徐々にランクを上げざるを得なかった」という考えも浮かびました。

それも無くは無いかもしれませんが、トップレスラーに上り詰めるには以下のような手順を踏むべき、というマット界ならではの考えがあるのかもしれません。それというのは、

特定の試合でブレイクする→売り出すことを決める→タッグにおいて負け役にならないようなマッチメイクを行う→観客の興味を充実させ、試合内容をより面白いものにする。このパターンを踏み、ようやく勝敗が付いてくるような気がするのです。

当然ながら?プロ野球や大相撲とは全く逆のプロセスを辿る訳です。たとえばプロ野球であるなら少ないチャンスで確実に結果を連続して残すことでレギュラーやローテーション投手の道が開けます。その後継続して出続けることでパフォーマンスが安定し、ファンへの認知度が強固なものとなる、、、、完全にパターンが逆なのですよ。

長州の例だけ引っ張り出してこの理論を振り回すのはちょっと説得力に欠けるかもしれませんが、他の選手も同様なのですよ!藤波辰巳(ヘビー級転向後)、前田日明、藤原喜明、みなそうですし日プロ時代の坂口もそう、鶴田・天龍もしかりです。少なくとも80年代前半は熱戦符を抽出した結果その結論に達しました。

それを羅列するととんでもない長さになるので今回は割愛しますが。。。。(ただし藤波に関しては、ヘビー級転向直後、単発的にマードックやスーパースターからフォールを奪うのですが、“次”がかなり先になります。

ただし新日本プロレス7~80年代の歴史の中で、唯一と言って良いほどこのパターンに当てはまらなかった選手がいるのです。”蒙古怪人“キラー・カーンです。

② キラー・カーン

カーンは凱旋シリーズで大金星を上げますが、何故か再登場は抑えられ、1年後MSGリーグ戦に参加すると「今まで勝てなかった」どころか猪木でも両リンで終わるような相手でも、大会場・地方を問わずガンガンピンフォールを取り、そのまま猪木のすぐ下の位置をキープするかと思いきや、何の失態を犯した訳でもないのに2度と大物からピン勝ちを奪う事なく新日を後にしたのです。

順を追って説明しますと、カーンは82年ビッグファイトシリーズに5年ぶりに凱旋帰国。猪木とタッグを組みホーガン・ムラコ組とメインで戦うと言う高待遇で迎えられます。シリーズ中は藤原・平田・荒川といった中堅選手と前座で対戦することもありましたが、最終戦に猪木とタッグを組み、シン・上田組と対戦。なんと試合時間48秒で上田から背骨折りでギブアップを奪い大金星をあげるのです。

こうなると異色のエース候補として以降の活躍が期待されたと思うのですが、次の登場は半年後のMSGタッグシリーズでした。これはカーンがアンドレとの足折り抗争によってアメリカでさらに人気者になったからと言うのが大きいと思います。

このシリーズではアンドレにピン負け、ハンセンに両リンとリングアウト負けで無難な結果。パット・パターソンとアレンにはピン勝ちし上記の流れを踏襲する感があります。しかし次の帰国でカーンは怒涛の強さを見せるのです!

その次というのは1982年のMSGシリーズ。蔵前国技館での決勝は猪木とアンドレとなるはずでしたが、猪木が前日にテキサス・アウトローズからの右脚への集中攻撃のダメージが癒えず、無念の欠場。3位のカーンが繰り上がりの決勝進出し、度迫力の攻防を見せたものの玉砕しアンドレが優勝となったシリーズです。カーンのプロレス人生最大での晴れ舞台でしょう。

このシリーズでのカーンの快進撃はすざましいものがあります。3位につかせるにしても反則・リングアウトを絡めても良いと思うのですが、詳しく書きますと。。。。

ピンフォール勝ち→ラッシャー木村、マスクド・スーパースター、タイガー戸口、トニー・アトラス、アイアン・シーク、ドン・ムラコ

ピンフォール負け→猪木、アンドレ

タッグでピン勝ち→谷津嘉章、アニマル浜口

特に木村とスーパーからの勝ちはあり得ません。木村は猪木との構想の真っ最中であまり商品価値を落としたくない選手、スーパーも一時の勢いはないとは言え、シリーズエース外国人の一角を担う選手です。さらに言えば戸口からのピン勝ちも気前が良すぎます。単にカーンの3位進出させるためだったら、反則・リングアウト絡みでいいはずなのですが、、、、

そしてリーグ戦終了後プッシュされるかと思いきや、次の登場は年末のMSGリーグ戦。翌83年はほぼフルシリーズ参加し、IWGP決勝リーグにも参加しますが、特筆すべきピン勝ちはほぼ無いのです。あえて言えば闘魂シリーズでポール・オーンドルフにピン勝ちしていますが、彼の商品価値はもう暴落していましたからねえ。。。。

そして翌年、カーンは新日本のシリーズに一才参戦することなく年末にはジャパン・プロレスに移籍するのです。こんなに1シリーズのみ快進撃を重ねた日本人選手は珍しいと思います。彼がモンゴリアンキャラの無国籍タイプのレスラーであり、アメリカでも間違いなく売れっ子だったからという理由もあるでしょうが。。。

そしてここからが妄想ゾーンです!

何故ここまでカーンがMSGシリーズで高待遇だったか?色々考えたのですが、「最終戦で猪木欠場」というサプライズを組むにあたり、当日券の売れ行きの減少がどれだけになるか読めなかった為、カーンは強いので決勝に上がる資格がある、という理由づけを強固なものにしたかったからではないかと思うのです。

猪木は後日糖尿病が悪化し、長期の欠場に入るのですが、今回の件はアクシデント的に欠場したのではなく、想定通りに事が運んだリーグ戦だったと思います。昭和の新日本プロレス史に於いて屈指の豪華メンバーが参加したリーグ戦ですが、カーン以外は著名選手が相手を微妙に変えて潰し合い、決定的なイメージダウンを見せずに終わりました。ムラコとシークは悲惨でしたが、。。。

そして最終戦直前の名古屋で実力者のアウトローズからの攻撃で無念の負傷というのも実に説得力のある流れです。でもやはり当日いきなり猪木欠場!となった場合の来場客減、周囲の批判がどうなるかは読めなかった!その為「カーンは実力者」という証拠固めをリーグ戦中にやっておく必要があったと思うのです。

ただし、それによってカーンの格をそのまま猪木と近いラインまでキープしようという気は無かったと思います。それがその後の放置プレイ?なのだと思います。日本に定着するのが難しいカーン故、決勝進出は藤波でも坂口でもなくカーンに大役が回って来たのだと思います。鶴田のチャンカン優勝が大穴のスレーターを破った事と同様フロック的な印象を与え、猪木の牙城を揺るがないものにする為に。。。

では何故猪木はいきなり決勝戦当日に欠場しなければならなかったのか?これからは更にスーパー妄想ゾーンです。証拠・証言は何もありません!

この後頃体調が悪化していた猪木は遅かれ早かれ1〜2シリーズの欠場を考えていたのではないかと思います。ただし、その後猪木を常にたぶらかせる事となる「どうせ休むのなら、周囲をアッと驚かせる事をして代わりのドラマを見せよう」という悪魔の囁き第一弾が聞こえたのでないかと思います。

当時の私は中学生だったのですが、実のところ部活動に忙しく、新日本・全日本ともプロレスは見ておらず、まだ家にビデオもなかったので当時の反応は知らないのです。でも後からその時のゴングやプロレス誌を何度も読みましたが、この欠場はそれなりに好意的に書かれており、ファンも納得しているのです。

ファンも「猪木の欠場はショックだったがカーンの玉砕には感動した」「今回の欠場は仕方がない。体調が悪いのであればしっかり静養して治してからまた闘魂ファイトを見せてほしい」という感じの感想を述べていたと思うのです。

この結果、アントニオ猪木は『欠場してもサプライズが有ればお客さんは満足する。ファンは実はサプライズが起こる事を望んでいるのかも知れない』と思ってしまうようになったのではないでしょうか?この欠場が興行主側としては“成功体験”として、、、、

思えば、それまでの新日本の歴史においては、試合前日まではさまざまなゴタゴタがあるのは日常茶飯事でしたが、試合当日に見に来た客に対して事前告知とは全く別のサプライズを強引に見せつける、というのは無かったと思うのです。相手があまりにもしょっぱすぎたグレート・アントニオ戦やミスターx戦を除けば。。。

しかしこの大会で“成功”してしまった事により同様のサプライズ、更にいうと来場して客をアッと言わせる仕掛けの頻度の方が多くなる、そう思うのです。この年末の大阪での「ラッシャー木村髪切り逃亡」「猪木アックスボンバーで失神」「札幌での藤原テロ行為」「IWGP長州乱入」「マシン軍」「たけし来場暴動」「海賊男手錠事件」等々。。。。

猪木さんは一か八かの博打的な思いで組んだマッチメイクの成功体験が忘れられず、「当日の客をアッと思わせるサプライズ」に取り憑かれてしまった、自身の体調不良も相まって、、、、そう思ってしまう訳であります。

新日本の歴史をひもとくと、このカーン対アンドレ戦が節目というか、変化の境目であるような気もします。タイガーマスク登場も同時期ですし。その事が良かったのか?悪かったのか?そんな結論は簡単に出せるものではありません。かつて超ド級のトラブルに何度見舞われたか分かりませんが、未だ業界の唯一無二のメジャー団体として生き残っている訳ですから。。。。

最初に書いている内容から随分ずれてしまいましたが、私の妄想をまとめますと以下の見解となります。

レスラーのブレイクにおいて勝敗は後からついてくるもの、但しカーンのMSGリーグ戦準優勝は異質。それの成功によって新日本の一連のスキャンダルを誘発する事になった。というものです

今日はこんなところです。

そういえば、猪木さん、最近は体調が思わしくないようですね。何度も書いていますが、私は全日派でした。ただし、信じてもらえるかどうかわかりませんが、猪木さんにも「憎みきれないろくでなし」的な屈折した愛情を持っていました。今の状況は本当に気がかりです。

あれだけアグレッシブな方が「老い」とい事実を受け入れるのは精神的にもかなりきつい事だと思います。リハビリに取り組んでいるというだけでも、本当に辛い事だと思います。

穏やかな気持ちで、社会のことはもう考えず、静かに余生を過ごしていただきたいな、そんなふうに思います。それでは、また。

#アントニオ猪木

#長州力

#キラーカーン

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