昭和全日本プロレス妄想企画! ドリーム・マシーン正規軍入り!あのシリーズのプラスワン後楽園大会①

こんにちは、みやけです。今回は久しぶりに昭和プロレスの話を書いてみたいと思います。それも妄想企画!ここのところ私生活が忙しく妄想に浸る暇もなかったのですが待望の新作です!w

今年、「全日本プロレス・シリーズの歴史」という企画を立て、私が再び本格的にプロレスを見始めた1983年新春ジャイアントシリーズから私なりの観点でシリーズごとのドラマをふりかえる、という企画です。それなりに楽しく書いていたのですが、若干ネタに詰まってしまい、続けて書く気力もなくなりつつあったのでいったん休止とし、新たな企画を立てあげてみました!

内容ですが、やはり1983年を出発点とし、そのシリーズ内後半戦に勝手に後楽園ホールでの大会を追加でぶっこみ、そのシリーズの流れに沿い、以降の流れにもつながってくるようなリアリティのある妄想大会を考えてみる、というものです。もう、今回のタイトルで凡そ内容が推測できるかもしれませんが、、、。

プロレスにおいて、「このシリーズ、これだけのメンバーを揃えたのだからなんでこんなマッチメイクが出来なかったのかな?」とか「あのアングルは中途半端だった!もうひとつ大会を追加してこんなカードを組めばもっと印象的なものになるはずだった!」みたいなマッチメイクへの不満があるはずなのですよ!それを当時から40年近く経った今こそうだうだ語ってみようというものです!まあ、とりあえず読んでみてください!

① ドリーム・マシーン 衝撃の正規軍加入!

1983年 新春ジャイアントシリーズ 1月20日北茨城大会の後 21日真岡市付属体育館大会を後楽園大会に差し替え! 22日は最終戦 同じく後楽園ホール大会。

(以降妄想)20日の北茨城大会のアジアタッグ戦、ジプシー・ジョーと組んでチャンピオン石川隆司&佐藤昭雄に挑戦したマシン(桜田一男)ですが、なんと石川のジャーマンスープレックスホールドを喰らい、ピンフォールで敗れてしまいます。控室に戻るや否や、ジョーから「石川にジャーマンで投げられるなんて情けない!お前はシン軍団の面汚しだ!」と罵られ、マシンも反論、大喧嘩が始まってしまいます。しかし軍団の総帥タイガー・ジェット・シン、および上田馬之助、トーア・カマタ、鶴見五郎はマシンに味方せず、それどころか全員でマシンで袋叩きにする、という暴挙に出るのです。

騒ぎを聞きつけた日本人勢がマシンを控室から救出、日本側控室に避難させます。それを端から見ていた馬場は「実は彼は日本人なんだよ。契約したのは俺だからな。理由があってマスクをかぶっているんだ。」と記者に向かって衝撃の発言!そして「おい!マシン!あんなにひどい目にあったのだから明日は鶴田・天龍と組んでシンやジョーとやってみるか!」と続けるのです。コクリと頷くマシン。そしてほどなく翌日の後楽園大会で鶴田・天龍・マシン組対シン・上田・ジョー組が発表されました。

1月21日後楽園ホール

セミファイナル 45分1本 〇 馬場 (6分2秒 体固め )● トーア・カマタ

 かつては馬場からPWF王座を奪取したカマタですがこの時期は凋落の真っ最中。このシリーズも元々翌日にシンと組んでインタータッグ挑戦が予定されていましたが、上田にパートナーの座を奪われていました。中盤の大阪府立大会では天龍とシングルマッチを行いかろうじて反則負け。しかしシリーズ中地方大会のタッグで鶴田と天龍にピンフォール負けを奪われ凋落傾向が一層顕著になります。

ここは汚名返上を図りたいカマタでしたが、馬場の16文に6分であっさりピンフォール負け。動きも覇気がなく、以降、カマタがタイトル戦線に絡む事は無くなるのです。この試合も完全にメインの露払い役でした。

メインイベント 60分1本 鶴田・天龍・〇マシン(13分36秒 体固め)シン・上田・●ジョー

翌日のインタータッグ前哨戦の意味合いも兼ねたこの試合は大荒れ。マシンはマスクを半分引き裂かれシンの5寸釘攻撃で大流血!それでも鶴竜との連携は良く、館内からは思わず「サクラダ」コールが響き渡ります。最後はシンの凶器攻撃がジョーに誤爆!援軍に入った鶴田のジャンピングニーパットでダウンしたジョーにマシンはトップロープからのフライングニードロップ!見事に3カウントを奪うのです!

辛勝した全日本正規軍、鶴竜は肩を落として息をするマシンに握手をしようと近寄ります。しかしマシンは体を起こすやトラースキックを鶴竜に次々にぶち込むのです!騒然とする館内!マシンはリングを降りマイクをつかむや「おい!天龍!俺はお前の髪結い役なんかしたくねえんだよ!おい!鶴田!お前に俺の気持ちがわかってたまるか!」と吠えまくりそのままリングを後にするのです。

このマシンの行動に対して馬場は翌日の後楽園大会で既に発表済みの馬場・鶴田対シン・上田のインタータッグ戦、阿修羅・原対鶴見五郎に加え天龍対マシンの試合も発表するのです。しかしマシンは後楽園に来場せず、ボイコット!天龍はカマタとのタッグ戦でお茶を濁すのです。この行為に激怒した馬場は「マシンは桜田なんだよ」と正体を明かし「試合を放棄した行為は許しがたい」と桜田一男に対して契約解除を行う、と発表するのです。以降2度と桜田が全日本マットに上がることはありませんでした。。。

・・・・いかがでしょうか?この妄想!この後の全日本の流れと照らし合わせてもつじつまの合う妄想だと思うのですが。。。w

② ロッキー羽田 盟友極道コンビに反逆!

それでは次のネタ、いや妄想です!翌エキサイトシーズ、ザ・グレート・カブキが凱旋帰国したいわゆる”ババ抜きシリーズ”ですが、3月2日山形大会の翌日に後楽園大会を追加差し込み、3~4日の後楽園2連戦としてみます。事件は山形大会から遡り2月23日大阪・高石市臨海スポーツセンター終了後の控室で勃発します。この日は石川・佐藤組が返上したアジアタッグ王座決定戦が阿修羅・原&マイティ井上組とグレート小鹿・大熊元司組の間で行われました。

この試合の終盤、小鹿がレフリーのブラインドをついて井上に塩?を投げつけ3カウントを奪います。しかし石川他セコンドの抗議で判定が覆り、元国際コンビが反則勝ちで王座を奪取するのです。これに不服な極道コンビはベルトを本部席からもぎ取り、そのまま控室に帰ろうとするのですが、セコンドのロッキー羽田にベルトを奪い取られてしまうのです。

(以降妄想)極道コンビは控室で羽田と遭遇するや、いきなり罵声を投げかけます(大熊)「羽田!お前はなんでよそもんの味方をするんや!」羽田「あんたたち負けたでしょうよ!ベルトは勝った方へ渡さんと!」この羽田の返しに小鹿がキレるのです!「なんや!羽田!先輩に向かってその口の利き方は!この老いぼれ!」(羽田)「老いぼれはあんたでしょうが!」(小鹿)「何~!この鳥ガラ虚弱体質が!でくの坊の赤パン野郎!」流石にこの言葉には羽田も激怒し3人でのつかみ合いのけんかとなったのです。

この騒動を馬場は遠征先のハワイにて電話で聞くのですが、何故か小鹿が羽田に飛ばした何~!この鳥ガラ虚弱体質が!でくの坊の赤パン野郎!という罵声の内容に異様に反応し「いくら極道でもその言葉はないだろう、羽田が可哀そうだ。プロレスは町のけんかじゃないんだ!山形への極道のアジアタッグ挑戦は中止!翌日の後楽園で羽田は石川と組んで極道と『アジアタッグ挑戦者決定戦』をやらせよう!その日なら俺も会場に来れるし、その試合を生で見たいしな。勝った方が次のグランドチャンピオンカーニバルで王座に挑戦すればいい。極道はこれに負けたらしばらく大舞台に出さんよ。」と側近に伝えるのです。

3月3日後楽園ホール

セミファイナル 天龍・〇カブキ(8分35秒 リングアウト)シン・●上田

このシリーズ猛威を振るうシン・上田組、セコンドには性懲りもなく鶴見が付きます。秋田大会での天龍対上田戦のランバージャックデスマッチに乱入したことによりPWF本部からはその処遇について審議中であることは本人に伝えられていたのですが何食わぬ顔をでセコンドを務めます。鶴見は試合中チェーンを手に隠し乱入を繰り返し、天龍組は防戦一方、いよいよピンフォール負けかと思われたその時、ホール東側から巨体の男が悠然と姿を現します!帰国したジャイアント馬場でした。

馬場はまず鶴見を捉えチェーンを奪い取り一撃!一発で鶴見の額が割れます!それを目にしたリング上の上田はリングを降り馬場に掴みかかります。馬場は待ってましたとばかりに椅子で上田を殴りつけ、上田も椅子で応戦します。しかし試合の権利があったのは上田!気が付けば不覚のリングアウト負けを喫していました。

馬場は控室に戻ると「話は聞いていたが鶴見の無法ぶりはひどいな!処分は半年間出場停止にするよう後でロード・ブレアースに電話するよ。上田?まあ、あいつは明日痛めつけてやるよ、存分にね。」不敵に話すのでした。

メインイベント アジアタッグ王座挑戦者決定戦 石川・〇羽田(26分16秒 首固め)●小鹿・大熊

なんとこの試合はメインイベントで行われました。怪我で王座を止む無く返上したマッチメーカーの佐藤昭雄が強く進言し実現したものです。先にリングインした羽田の見た目に場内はざわつきます。自慢のアフロヘアの前頭部がバッサリ切り落とされていたからです!実は羽田、入場直前に薬箱からハサミを取り出し「いらないですよ!こんなもの!」と髪の毛をジョキジョキ切り始めたのです!即座に石川に制止され前の部分だけのカットで終わりましたが、羽田は心中期するものがあったのでしょう。

そしてゴング!久しぶりの大舞台の羽田は大ハッスル!アトミックドロップ、ドロップキック、ブレーンバスターと全盛時によく使用した大技を次々繰り出します!しかし極道も曲者、小鹿のゲリラ殺法と大熊のパワーファイトで試合の流れを直ぐに引き戻します。石川も元気いっぱいで試合は一進一退の攻防が続きます。そして25分経過直後、大熊が羽田を羽交い絞めし、小鹿の塩攻撃!と思いきや寸前羽田が交わし大熊が被害に!うろたえる小鹿の後ろから石川がドロップキックで急襲!崩れ落ちる小鹿を羽田が首固めに捉え見事3カウント!次期挑戦権の切符を手に入れるのです。

控室に戻ってきた石川・羽田を馬場は満面の笑みで出迎えます。そしてこう語るのです。

「いい試合だった、2人は次のシリーズの松戸でアジアタッグに挑戦させるよ。極道コンビ?試合内容は良かったが、大阪での小鹿の発言はちょっと引っかかるな。暴言にもほどがある。品がなさすぎる。2人は今後1年はタイトルに挑戦させないし、テレビにも映さないよう日テレにお願いするよ。」そしてこの言葉どおり、石川・羽田組はアジアタッグ王座に挑戦し、極道コンビは次の年の夏までタイトル挑戦はおろか、テレビマッチに出ることは無かったのです。(実際は1回だけテレビマッチに登場)馬場の怨念?の恐ろしさ、、、、会長に棚上げされうっぷん晴らしの行為でしょうか。。。

まあ、こんなところでございますw。時系列的にも矛盾はないと思いますが。。。。まだまだご健在なグレート小鹿さんがこのブログを読まないことを祈りつつ、、、w

③ ネイチャーボーイ&喧嘩番長&狂乱のスコッチ 夢のトリオ結成!

最後は「夢」の部分に重点を置いた妄想です。翌々シリーズとなるグランドチャンピオンカーニバル。ここでリック・フレアー、ディック・スレーター、ロディ・パイパーが参加するのですが、この3人のトリオ結成が見たかったなあ、とつくづく思うのです。特にパイパーはインタータッグにも挑戦しまたし、テレビ中継にも連続して登場していましたが、もっと使いようがあったはず!改めて見返しても非常にプロレスがうまい選手であることが分かります。

緩急のつけ方が非常に巧みで「キェ~~」という叫び声をあげて攻撃するファイトスタイルは彼なりに日本スタイルにアレンジしたのではないかと思うのです。新日本色が強くやや小兵でしたので、全日本スタイルの「かませ犬」になる可能性もあったのですが、自分の個性を良く出していました。途中参加にも関わらず馬場、鶴田とシングルマッチをこなしていますから、馬場もパイパーを認めていたと思います。この時期馬場のシングルマッチの頻度はかなり少なくなっていましたし。。。

何かの出典かは忘れてしまったのですが、フレアーは「日本マットで最も楽しかったシリーズは?」と聞かれて「スレーターとパイパーと回ったツアーだ!」と答えた記事があったのを記憶しています。フレアーがあのブロディや神経質そうなチャボとじゃれ合っていたとは考えにくいですから、旧知の中である2人と移動バスの中ではビールを交わしながら盛り上がっていたのでしょう。皆年が近く話も合うでしょうしね。

このシリーズ、フレアー・パイパーのタッグは実現していますし、フレアー・スレーター組は何度も実現しています。ここはやはりフレアー・スレーター・パイパーの豪華トリオが見たかった!これが実現するとしたらやはり後楽園ホールだと思うのですよ!このシリーズ、フレアーが参戦してからは蔵前の最終戦までオフの日は無かったのですが、参戦前日の6月3日はオフとなっていました。フレアーには1日前倒しで参加してもらって、ここに後楽園大会をぶち込みましょう!

6月3日 後楽園ホール

セミ前 30分1本 マイティ井上・●菅原伸義(10分7秒 ジャーマンスープレックスホールド)〇チャボゲレロ・ビルアーウィン

セミ 45分1本 ジャイアント馬場・●阿修羅原(5分15秒 体固め )〇 ブルーザーブロディ・ニコリボルコフ

セミはいいとして、その前のタッグマッチ、マイティ対チャボの前哨戦ですがここは菅原を抜擢しました。人材的にはセブンを入れるところでしょうけど、1週間目にチャボに完敗したばかりだけにここでまた負け役は可哀そう!菅原は前シリーズルーテーズ杯で優勝した越中に勝利、準優勝の三沢とは引き分けていますから十分抜擢しうる存在だったと思います。試合では得意のパワー殺法で追い込みますが、流石にチャボの壁は厚くヒップアタックからのジャーマンで敗れてしまいます。

メイン 60分1本 鶴田・天龍・●石川(19分43秒 足四の字固め)〇フレアー・スレーター・パイパー

これは豪華ですね!中型の石川が入ることで全体のバランスが取れていると思います。試合は豪華トリオが終始押しまくり、最後はパイパーが天龍にスリーパーホールド、スレーターが鶴田にスピニングトーホールドを決めて堰き止めしている最中フレアーのフィギアフォーレッグロックが石川に決まり見事ギブアップ勝利!アメリカンプロレスを堪能できる試合となるのでした!

いかがだったでしょうか?すべて一応妄想ながらも以降のプロレス史?と乖離が出来ぬよう、辻褄を合わせた流れになっているのではないかと思いますが、、、、思いつけばまた書きたいと思います。それでは、また。

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