検証・石川敬士は何故世界最強タッグに出場出来なかったのか?

こんにちは、みやけです。

今回はプロレスの話。大相撲からプロレス入りし、全日本プロレス、SWS等の団体で活躍した石川敬士選手が全日本プロレス時代、何故世界最強タッグ決定リーグ戦にエントリー出来なかったか?という非常にマイナーなテーマです。。。。おそらく日本で5人くらいしか興味を持ってくれんかも知れません。。。。

石川選手といえば、元横綱・輪島博士選手のベストパートナーとしての印象が強いですが、全日本プロレス史上屈指のテクニシャンであり、中堅選手の勲章ともいえるアジアタッグ王座にも5度就いています。

しかし、今ひとつ身体が大きくなかった事と、見た目が少し、、、いやかなりモッサリしていたのが理由の為か、メジャー団体在籍期間中はトップレスラーとしての扱いを受けることはありませんでした。

しかし彼は全日本プロレスの看板企画である『世界最強タッグ決定リーグ戦』には一度も出場できませんでした。全日本プロレス内のランクとしてはほぼ同格であったマイティ井上選手は外様でありながら計4回出場、明らかにひとつ下の格であった鶴見五郎選手は計4回出場。この差はなんなのでしょうか?

今回のブログではこの件について考えて行きたいと思います。ただですね、私の結論を先に書いてしまいたいと思います。それは『馬場とて石川選手をガイにする気はなかったが、その時その時の状況が彼に有利なものでなく、何とは無しげにエントリーを外された』というしまらないものなのです。

以降、年ごとにその理由を考察してみたいと思いますが、逆に言えば80年代前半の全日本プロレスの状況が改めて浮き彫りにされるというもの!どうか画面を切り替えずに読んでみて下さいwww

それではまず、1981年世界最強タッグ決定リーグ戦から。

参加メンバーはジャイアント馬場・ジャンボ鶴田組、ザ・ファンクス、天龍源一郎・阿修羅原組、ブルーザーブロディ・ジミースヌーカ組、タイガージェットシン上田馬之助組、ザシーク・マークルーイン組、ハーリーレイス・ラリーヘニング組、バロンフォンラシク・キラーカールクラップ組、大熊元司・グレート小鹿組。となります。

この年の夏に佐藤昭雄とのコンビでアジアタッグ王座に初戴冠した石川としては出場を目論んだ事でしょうが、そもそも過去アジアタッグ王者の参加実績はないのです。しかし奇妙なのはこの夏長年巻いたアジアのベルトを手放した大熊小鹿の極道コンビが念願の初出場を果たしているのです。ちょっと意味がわからないですね。

このポイントは天龍・原組の参加です。彼等もまたブレイクしたばかりで実績に乏しかったので、このメンツの中に入ると全敗になってしまう恐れがある。(結果的にはラシク組に最終戦で勝ちましたが)

私が思うに天龍組の全敗=最下位を避ける為、その下の格のチームを設定するため極道コンビの参加を追加したのではないでしょうか?想い出作り的に。。。。この頃から日テレ松根氏の介入が始まっていた頃ですから、構想外になっていた極道コンビは初参加と白星配給チームのアメとムチを与えられての辛い役回りだったのかも知れません。

「そのポジションは石川組でもいいのでは?」という意見もあるかもしれませんが、このコンビだって多少は売ろうとしてるコンビなので。。という妄想です。

続いて1982年です。

参加メンバーは、馬場鶴田組、ファンクス、天龍原組、スタンハンセン・ブルーザーブロディ組、ハーリーレイス・ディックスレーター組、リッキースティムボート・ジェイヤングブラッド組、上田馬之助・スーパーデストロイヤー組です。いつもより少し少ない7組のエントリーです。

話は脱線しますが、この大会にはカール・ゴッチがビル・ロビンソンと組んで出場する話があったという噂があります。もしそうであったらどのような戦いをしたのでしょうか?開幕戦で馬場鶴田組の足を引っ張る役目は上田組では無くゴッチ組だったような気がします。更には大阪ではリッキー組に代わって?ファンクスと対決。大健闘で時間切れ引き分けにまで持ち込むもゴッチの膝の故障が再発!

そして札幌決戦のメインで超獣コンビの猛攻に膝を破壊され無念のリタイヤ。。。。そんなシーンが予想されます。いや、妄想ですね。話を戻して石川選手です。何故エントリーされなかったのか?この年は1年ベルトを守ったのに。

私が思うに、ここに石川佐藤組が入ると参加チームのバランスが悪くなってしまうので外されたのではないかと思います、誰がどうとはあえて言いませんが、4強3弱のチームバランスなので、ここに石川佐藤組が入ってしまうと、半分が白星配給チームになってしまう。。。だから外したのでは無いでしょうか?

続いて1983年です。

参加メンバーは、馬場・ドリー組、鶴田・天龍組、原・マイティ井上組、ハンセン・ブロディ組、シン・上田組、マスカラスブラザース、バリーウインダム・ロンフラー組、鶴見五郎・モンゴリアン組です。

この年は遂にアジアタッグ王者の原・井上組が出場する事になりました。石川はさぞ複雑な心境であったに違いありません。阿修羅・原が元子夫人のお気に入りだったのが大きな理由か?と思いたくもなります。原の救済策と言うか。。。

この年の石川はマイク・デービスやジェリー・モローと言った格下選手にもしばしばシングルで敗れやや不調。相棒の佐藤昭雄の怪我でアジアタッグ王座も返上する等不遇な1年であったと思います。

しかし、収穫もあったはずです。彼の必殺技となる『スモーピオンデスロック』を開発したのがこの年(異論はあるでしょうが)。来年こそは最強タッグ出場!と燃えていた事でしょう。

そして1984年。

歴代の最強タッグ史の中でも空前のメンバーが揃ったと名高いシリーズです。

参加メンバーは鶴田天龍組、馬場・ラッシャー木村組、ハンセン・ブロディ組、ファンクス、レイス・ニック組、ダイナマイトキッド・デイビーボーイスミス組、シン・マイクショー組、ワンマンギャング・鶴見(バス・ソイヤーから変更)組です。

この中に割って入るのは中々厳しそうですが、白星配給チームがいない故石川の出場も目があったと思うのです。ギャング組も当初の予定通りパートナーがソイヤーでしたら台風の目だったのでしょう。

更にはこの年は阿修羅原との新コンビでアジアタッグチャンピオンに復活!そのまま行けば参加は十分あり得たと思うのですが、全シリーズアジアタッグの防衛戦直前にパートナーの阿修羅原が蒸発!パートナー不在になってしまっていたのです。

しかもプロレス村の掟によってか、原の失踪については全日本プロレスもマスコミもはっきりとは報道しませんでした。その当時は「怪我で欠場」みたいな記事をちらっと見た記憶があるのですが。。。当時は長州力率いるジャパン軍参戦直前だったので、誰も原の状況について詮索する人はいなかったのです。

なので石川の存在については「パートナー不在」という事実でさえうやむやにされていた感があります。見て見ないふりをされてしまったという訳です。馬場夫妻お気に入りの原を傷つけたくはなかったのでしょうか?

いないならいないでマイティ井上や佐藤昭雄を新パートナーで参加の芽もあったと思うのですが、この年は「パートナーの失踪」という石川にはなんの非もない出来事で棚上げにされてしまった感がありました。アジアタッグが返上状態にある、という事実は年明けの決定戦で初めて公にされたと記憶しています。

。。。。とここまで書いて見ました。石川の全日本退団は1988年最強タッグ終了直後ですので後4年分書く内容がある訳です。私個人としてはこの4年なぜエントリーされなかったのか?そしてなぜ全日本退団に至ったのか?妄想するところはあるのですが。。。。

なんだか長くなったので、この章の反響を見ながら後日続きを書いて見たいと思います。今日はこんなところで。

それでは、また。

#石川敬士

#全日本プロレス

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