こんにちは、みやけです。
今回は沢田研二さんのヒット曲紹介シリーズの10回目!こういう言い方をすると嫌がるファンの方もいらっしゃるかもしれませんが、ジュリーが「普通に」テレビに出演していた最後の時期ですので私としても思い出深い時なのです。早速進めていきたいと思います。

〇 Stranger -Only Tonight-
1988年10月26日発売 作詞・阿久悠、作曲・大野克夫 オリコン最高位38位 売上1.8万枚 オリコン登場数5週
前曲の「TRUE BLUE」でバンドのCO-CO-LOを解散。再出発となった最初の曲です。イメージもガラリと変えた感を出したかったのか、この曲についてはバラエティ番組で歌う姿を何度も見ましたし、動画もたくさん残っています。確か志村けんさんの「だいじょうぶだぁ」にも出ていたっけ。。。確か何かのドラマの挿入曲だったと記憶しています。
作詞阿久悠・作曲大野克夫という全盛時の黄金コンビを復活させたのも話題になりました。しかし結果的にこのコンビのシングル曲は最後となります。アダルトな雰囲気のいい曲だと思うのですが、この頃は小室サウンドが誕生しだしたころであり、特に阿久悠さんの歌詞はちょっとこの時代には難解で受け入れにくかった気がします。しかし売上げ的にはそれまでと比較すればまずますの結果を残しており、ファンとしても「ジュリー復活」の雰囲気を感じさせる第一歩だったと思います。
余談になりますが、このStarengerという単語、映画とかでは「旅人」と訳されることが多く、何やら神秘的な印象を持つワードと捉えてる人が多いかもしれませんが、実際に使用する場合は「よそ者」「他人」「関係ない人」という意味で使用されることが多いようです。そのことを踏まえてこの曲を聴くと味わい深いです。

かの「馬場と猪木に勝った男」として有名なレスラー、天龍源一郎がアメリカ修業時代現地の女の子と仲良くなり、片言の英語で告白したところ「you are starenger」と言われてしまったのです。当人は「夜のストレンジャーという映画もあったし、神秘的で素敵と思われたのかな」と当初思ったらしいのですが、周囲のレスラーから本当の意味を聞かされがっかりした」というエピソードを聞いたことがあります(笑)それ以来私にはstarengerの意味が深く心に刻み込まれているのです(笑)
〇 Muda
1989年5月24日発売 作詞・神沢礼江、作曲・井上ヨシマサ オリコン最高位51位 売上1.1万枚 オリコン登場数4週
実を申しますと、このMudaというシングルはリリース当時存在自体を知りませんでした。ネットがなかったとはいえお恥ずかしい話です。ファンクラブに入っていたわけでもなかったですし、当時は野球やプロレスや他の趣味に心が行っていましたし。。。しかし後々聞いてみると「こんなかっこいい曲を出していたのだ!と驚いたものでした(苦しい言訳。。。

歌詞にしても、当時の楽曲でトレンドワードと言ってよかった「ダンス」「baby」「キス」というワードが頻繁にちりばめられており、衣装や決まったパターンの振り付けにしても一般大衆を十分に意識した感がありました。ジーンズがコスチュームとなった曲は「カサブランカダンディ」「ストリッパー」等あまり多くはないのですが、とても似合っていますよね!仕掛ける側の「やる気」が十分に感じられる1曲だったと思います。
〇 ポラロイドGIRL
1989年9月20日 作詞・サエキけんぞう、作曲・奥居香 オリコン最高位64位 売上0.8万枚 オリコン登場数4週
私はこのブログで何度も書いていますが、万全を期してリリースしたこの「ポラロイドGIRL」のリリースが奮わなかったのは本当に悔しかった!まずアルバム「彼は眠れない」は奥居香・徳永英明・忌野清志郎・松任谷由実・大沢誉志幸という何人もの超大物が参加する意欲作。コーラスには渡辺美里さんも参加しております。ファンからも非常に評価が高い1作であり、私自身も「キタルベキ素敵」「BUD TURNING」に並んでジュリーのベスト3部作のひとつだと思っています。
そしてその中でも一番シングル向きだった「ポラロイドGIRL」は衣装も基本固定とし、サビの部分のアクションも「ポロラロイドガール~」と歌いながら両手を後ろで半円形に振る、というヒット曲の仕掛けも十分でした。(後年ライブでのアクションは片手をあげて手のひらをヒラヒラさせるバージョンに変更)。テレビにもバラエティでなく音楽番組に新バンドメンバーの「ジャズ・マスター」を引き連れ再三登場していた思いがあります。

しかし、大きくは売れなかった!なぜこの曲が世間に評価されないのか!本当に悔しかった思い出があります。というか今でもその気持ちは大きくは変わらないのです。もうジュリーが時代を先取り過ぎているとしか思うしかありませんでした。しかし後で調べてみると前曲Mudaより売り上げを落としているとは。。。。オリコンで61位で初登場した時も「そんな順位?」と愕然としたものですが、以降は順位はさらに下がっていき、中々それを受け止めることが出来ませんでした。雰囲気的にも十分に世間にアピールする曲だったのにとてもとても残念でした。
しかしこの曲は間違いなくジュリーのお気に入りの曲の一つですよね。ライブで見られる確率が非常に高いですし、ノリノリで歌った後は最後は霧吹きパフォーマンスで締めてくれます。ライブでのエンディング曲に非常にはまる曲ですよね。
〇 DOWN
1990年2月7日発売 作 詞・尾上文、作曲・NOBODY オリコン最高位81位 売上0.4万枚 オリコン登場数2週
この曲はアルバムで聞くとそんなにインパクトがなかったのですが、実際テレビや動画で聞くと大変に迫力のあるパワフルな歌なんですね。エンディングでスタンドマイクを振り回すジュリーもかっこいいですし、村上ポンタ秀一さん、柴山和彦さん、吉田健さんらのバックバンドも演奏も実にバイオレンスでダイナミック!周囲を圧倒するスケールの大きい1曲なのです。

ご承知の方も多いかと思いますが、この曲は発売前に1989年の紅白歌合戦で披露されています。その時期はまだまだポラロイドGIRLの販促真っ最中だったのですが、題名の「ポラロイド」が標章のためこの歌が歌えなかったのでやむを得ない措置となったのです。もちろんDOWNが聞けたのはそれはそれでよかったのですが、ポラロイドGIRLをぜひ紅白で聞きたかった!というのが当時の私の偽らざる心境でした。
〇 世界はUp & Fall
1990年5月23日発売 作詞・サエキけんぞう、作曲・DUEL DREAM
3曲連続でアップテンポの曲が続いたため、そろそろバラードっぽい歌をリリースするのでは?と思っていたのですが、更にロックテイストのハードな曲をリリースしてきました。個人的には結構好きな曲です。
この曲がテレビで歌われているのを見る機会はついぞなかったのですが、あるときジュリーがゴールデンの3時間くらいのゲーム中心のバラエティ番組に出演し、その番組のエンディングでこの曲が3番まですべて流されそれが終わった瞬間に番組が終わった気がします。ジュリーはMC的な立場だった気がするのですが、あの番組は何だったのだろうか。。。
〇 SPLEEN ~六月の風にゆれて~
1991年5月17日発売 作詞・コシミハル、作曲・小林孝至
実に3年ぶりのシングルバラード曲となりました。バイオリンの美しい音色とジュリーの澄み切った高音の歌声が非常にマッチした曲だと思います。またこの時期のジュリーは短めのパーマをあてており、この曲を歌う際は動画にあるようなピンクのスーツを定番としていました。そしてこのように全盛期からずっと続けてきた「テレビに出る際は曲のたびにそのイメージに合った衣装を新曲になるまで着続ける(1回のマイナーチェンジはあり)というルーチンが最後になった曲ではないかと思います。
もうこの時期はライブ活動が中心になってきていましたから、その点にあまり力を注ぐ必要はなくなったのだと思います。しかしこの後も「そのキスが欲しい」「愛まで待てない」「hello」といった名曲をリリースしていきますから、これ以降はジュリー劇場の新たな幕が開いたのだなと後々思うようになりました。

このブログでもまだまだこの企画は続けていきます!ただしテレビ画像があまりないので、コンサート動画を編集したものが中心になると思います。ただまあ、ここがひとつの境目のような気もします。次回のブログではひとつのブログ内に過去のヒット曲紹介のブログを全部取りまとめて時系列で並べたいと思います。「君をのせて」から「spleen」までの動画がすべてひとつのブログに詰まっているわけです。どうぞお楽しみに!
最近パソコンを買い変えたので動画編集がスムーズになり、かなり差し替えておりますので!
それでは、また。
#沢田研二