こんにちは、みやけです。今回は沢田研二さんのディスコグラフィー、往年のヒット曲紹介企画の9回目です。「灰とダイヤモンド」以降となりますね。ジュリーをテレビで見ることが少なくなりファンにとっては辛い時期だったのではありますが、今見返すと私にとっては最も色気があり素敵な雰囲気の時期だったな~と思います。

● アリフライラ・ウィ・ライラ ~千夜一夜物語~
1986年4月23日発売。作詞・作曲 沢田研二 オリコン最高位24位。登場週計7週。売上2.6万枚
ハウス食品が発売したフルーツミネラルドリンク「its」のCMソングでもありました。この時期は「ファイブミニ」とか「鉄骨飲料」等健康を意識した新飲料がやたらと発売されていたなといイメージがありましたが、これもまたそのひとつだったと思います。定着はしなかったと記憶していますが。。。。
しかし、アラビアの熱い砂漠をイメージするこの曲は当然喉の渇きも連想されるわけで、「水分補給もオシャレと健康を同時進行」的な意味では中々面白いチョイスだったと思います。そしてこの頃からのジュリーのファッションは中世ヨーロッパをイメージするような気高く孤高な雰囲気にスライドしていきます。世間は吉川晃司や森高千里さんがイメージされる肩パット入りのジャケットを纏うのが主流になっていたと思いますが、ジュリーはそれに背を向けていった印象でした。

前にも書きましたが、私にとってジュリーの魅力は「虚無と怒り」なのです。リアルタイムでは正直「もっと派手派手で、世間に伝わる分かりやすい曲を出してくれないかな~」と思っていましたが、今見ると非常に奥深い活動をしていたのだな、と感じます。掲載動画では最後に勢いでマイクスタンドを倒してしまってシリアスな表情から急に慌てるジュリーがかわいいですね。
● 女神
1986年10月22日発売。作詞 阿久悠、作曲 佐藤隆 オリコン最高位47位。登場週計4週。売上1.1万枚
「麗人」以来4年ぶりの阿久悠さん作詞の歌です。JALの1986年沖縄キャンペーンCMソングとなりました。サビの「あなたといる限り~」の部分でJALの飛行機が空を舞う、という内容です。曲の内容と沖縄旅行はあまり合致したものはないと思うのですが、それほど違和感はありませんでした。

歌詞には「魅せられた夜」をイメージさせる「ジュテーム」を連呼。そして女性の乳房を連想させる奇抜なジャケット。そしてソバージュヘア。今なら違和感はなくなってきたものの、色々とこれまでの常識が覆されつつあった当時でも刺激が強すぎた感があります。当時私は20歳を超えていましたが、さすがにこの女神のコスチュームは直視するのは少しむずがゆかった思い出があります(笑)
このように世間をあっと言わせるための「仕掛け」は作ったものの、あまりにも時代を先取り過ぎてか売り上げも伸びませんでした。「晴れのちBLUE BOY」同様、もっと後にリリースされていたらどうだったろうか?と思わせる1曲です。掲載動画での大仏セットも豪華極まりない!時代を感じさせますね。
● きわどい季節
1987年3月21日発売。作詞 阿久悠、作曲 加瀬邦彦 オリコン最高位67位。登場週計3週。売上0.9万枚
発表前から「ジュリーの今度の新曲は作詞阿久悠・作曲加瀬邦彦」という情報は流されており大いに期待したものです。以外にもこのコンビでのシングル曲は初めてであり、「時の過ぎゆくままに」のようなビッグヒット曲が生まれるのでは?と期待して発売を待っていました。しかし正直肩透かしを食らった感は否めませんでした。
曲自体はジュリーの美しい高温の音色がいかんなく発揮されていると思うのですが「このコンビならもう少しインパクトの強い曲を。。。」と思ったものです。B面の「やさしく愛して」のほうが大きなインパクトを持った曲だっただけになおさらでしたね。
● STEPPIN STONES
1987年7月22日発売。作詞・作曲 沢田研二 オリコン登場なし
ジュリーがシングルデビュー以来、オリコン100位内にチャートイン出来なかった初めての曲となりました。私もレコードは購入しましたが、リアルタイムではテレビでこの曲を聴くことはできないままに終わりました。題名だけ聞くと意味が分かりにくいのですが、後になって「飛び石を飛ぶように、人生はマイペースで進んで行こう!」というメッセージなのですね。でもやはり世間には伝わりにくかった曲だと思います。

またこの曲のジャケット写真には無精ひげをのばしたカットが使用されましたが、これも「衛生的でない」という批判を受けていたような気がします。「酒場でDABADA」の時はそん批判は一切なかったのに。。。でも私はこの曲は好きですよ。テンポがよくて。なのでなんとか生でこれを聞きたいと思ってジュリーの出るテレビ番組をチェックしていたのです。
ジュリー自身で作詞作曲した歌なので思い入れも深いと思うのですが、デビュー25周年記念武道館ライブ「ジュリーマニア」で歌った際は歌詞が飛びまくって即興に近いような歌になってしまったのはご愛敬。。。自分で作った歌なのに。。。(笑)
● CHANCE
1987年11 月16日発売。作詞 松本一起・作曲 沢田研二 オリコン最高位32位 登場週計3週。売上1.2万枚
さすがにジュリーサイドも相当危機感を抱いたのか、この曲には「絶対ヒットしなければ」という強い意気込みを感じました。曲自体も世間のジュリーのイメージに合わせたいい曲だったと思いますし、色々なテレビ番組にこの曲を引っ提げて登場しました。今でもこの時期のジュリーの曲としては異例なくらいたくさん動画が残っています。噂レベルですがファンクラブにも購入ノルマが課せられたとかないとか。。。
しかし当時人気絶頂だったフジテレビの「俺たちひょうきん族」の「ひょうきんベストテン」に出演し、かつての自身のヒット曲の衣装を着た若かりし頃のコロッケや西川のりお、島崎敏郎さんらに囲まれいじられながら、まじめに「CHANCE」を歌うジュリーにはちょっと寂しい気分を覚えました。そこまで頑張ったにもかかわらず売上自体は期待したほどでもなかったようです。さすがにオリコン100位内には復活し、初登場で32位は直近2年くらいの中では上出来でしたがそれからランクアップすることはありませんでした。
私としてはこの曲、とても好きなんですよ。「投げやりで捨て鉢だけど、なぜか気になる生意気男。。。」こんな曲を歌いこなせるのはジュリーだけです。そしてキーが高い!カラオケのラインナップにもこの曲がないのは頷けます。こんな高いキーの曲を歌いこなせるのはジュリーだけです。私も長年通勤中の車の中でこの曲にチャレンジしてますがサビの部分はどうしても声がかすれる!(笑)
後年のコンサートでもあまり歌われることのなかったこの曲ですが、2017年のデビュー50周年記念ライブで久々に披露されたのはうれしかったですね!
● TRUE BLUE
1988年6月25日発売。作詞 加川良 作曲 チト河内 オリコン登場なし
意図的かどうかはわからないのですが、この時期のジュリーの曲は英語表記の曲が目立ちます。この頃になるとco-co-loの解散話がチラホラ伝わってきたと記憶しています。曲自体も非常に美しい音色の曲ではあるのですが、雰囲気が地味で「思い出作り」のようにも感じました。先行でこの曲も収録されたアルバム「TRUE BLUE」が発売されていましたが、収録曲がどれも恐ろしく地味で「この中のどれをシングルカットするのだろうか?」と正直不安に思っていたのですが、この曲のシングル化が決まった瞬間「やはりこれか。。。」とがっかりした覚えがあります。
co-co-loに関しては、段々ジュリーも不満を募らせていたような記事を読んだ記憶があります。「年配の方が多いので収録でも喫煙タイムが多く、せっかくノッてきたのに水を差されることが多い。。。」といったような。。。何も証拠となるネタはないのですがね。co-co-lo解散以降、ジュリーは今でも行動を共にする柴山和彦さんを呼び戻し、ドラムにあの村上ポンタ秀一さんを迎え入れ、雰囲気を一新した新バンドを結成します。
そしてこのCDのリリースと並行して、アルバムのミュージックビデオも発売されました。しかしその内容が、、、、、ここでUPすることも可能だったのですが、あまりに内容が過激だったので自粛しました。。。過激というか病的というか。。。なんであんな内容になったのだろうと今でも思います。誰の発案なのか。。
今回はこんなところです。内容的にジュリーの当時の活動を否定するような文になってしまっているかもしれません。不快に思う人もいるかもしれません。でもずっとジュリーを追い続けてきた一人としては、当時のモヤモヤした気持ちはどうしても訴えたかったというのもあるのです。当時は周囲にジュリーの話題を出しても興味を持って聞いてくれる人は酸くなってしまっていましたし。。。
でもそれでも50年近くジュリーを追い続けてきたのも事実です。それまでには色々と心境の変化も発生するはずですよ!この時期の曲もいい曲はたくさんあるのですが、後年の素晴らしい曲を生み出す為の通過するべき期間だったのかもしれません。そしてジュリーもまたこの時期は色々な事を考えていたと思うのです。ファンもいろいろなファンがあっていいじゃないですか!
それでは、また。
#沢田研二
