沢田研二 私的名作コレクション 追悼〜村上“ポンタ”秀一様〜

こんにちは、みやけです。

今週はようやく「キネマの神様」の公開日が8月に決まり、ホッとしたのもつかぬま、悲しいニュースをまた聞く事になりました。

90年代に結成されたジュリーの専属バンド、JAZZ MASTERにて長らくドラムを務められた村上“ポンタ”秀一さんが70才という若さで亡くなられた、との事です。志村さんといい、シローさんといい、この手のニュースはどうして避けられないのでしょうね。ただし、自分の若き時代を楽しませてくれた方々の最後に対し、思いを馳せる事がファンにできる唯一の弔いではないでしょうか?

JAZZ MASTERの重鎮的存在であったポンタさんですが、私は彼の実績の一部しか存じません。正直ジュリーののバンド時代の事しか知らないのです。しかし、“沢田研二”という私の心の中のスーパースターの転換期において、非常に重要な役割を果たしたのです。対外的にも私の心の中でも。

今回は私のポンタさんの想い出について少し書いてみたいと思います。

1980年代半ばよりジュリーがリリースする新曲の売上が下降し始めました。私生活の諸問題も大きかったと思います。そして1985年、長年所属した渡辺プロ独立し、株式会社ココロを設立しました。

そしてバンドメンバーを一掃。co-co-loという玄人好みのバンドを再結成しました。そしてリリースするシングルも心の内面を見つめ直すような意味深な内容の歌が多くなりました。時代はちょうどバブル真っ只中で浮かれきった世の中に対して敢えて逆らうような方向に向かっているように思えました。

それはジュリーが本当は目指したい方向だったのかも知れません。しかしジュリー本人と新しい事務所の思惑が一致していたのか?私は疑問に思っています。というのは「シングル曲が同時期にリリースされたアルバムに収録されていない」というケースが多くなったからです。

co-co-lo時代にリリースされたシングルについて、アルバム収録曲を○、未収録を×としますと、○灰とダイヤモンド→×アリフライラウイライラ→×女神→×きわどい季節→○ステッピン・ストーンズ→×CHANCE→○TRUE BLUE となる訳です。

アルバムを出すサイクルが長くなったという理由も大きいのかも知れません。でもそれまでは2曲連続でシングル曲がアルバムに収録されていない、という事は無かったのです。異論はあるかと思いますが、やっぱりそのようなシングル曲というものは「本気度」で劣るような気がするのです。キツい言い方をすれば「売らんが為」のシングリを取り敢えず出してしまうという。。。

ジュリーはCMでカップリングされる事もあまり好きはないようですが、この時期は連発されました。ご本人はどう考えられているかは分かりませんが、私にとっては新しい事務所は迷走しているように見えました。「無宿」や「青春薮ん中」等名曲も多かったとは思いますが、私は段々「昔のジュリーに戻って欲しい」と思うようになりました。

TRUE BLUEのリリース時にはジュリーとしては初めてミュージックビデオも発売されました。しかしその内容はここでもちょっと紹介しかねるような内容であり、今でも見る気にはなりません。正直「病んでいるのでは?」と感じたものです。

しかしTRUE BLUEを最後にco-co-loは解散、かつての“仲間”である柴山和彦さん、吉田健さんを呼び戻し、大物ドラマーの村上ポンタ秀一を迎えてJAZZ MASTERという新バンド結成!というニュースは当結構大々的に報じられました。私は「ジュリーが帰ってくる!」と即座に思いました。

ポンタさんについては、正直その時初めて知ったのですが、なんかこう、アンニュイで、ヤラしそうで、白い歯が目立つその風貌ですが、その瞳は自信に満ち溢れており、ジュリーのドラム、懐刀としてとても頼もしい存在になりそうだ、と思ったものです。

案の定、JAZZ MASTER最初のアルバムとなった『彼は眠れない』は素晴らしい内容となりました。ポンタさん自身も「生涯最高のアルバム」と語られておられるように、収録曲全てが名曲!「ポラロイドGIRL」「Kimagure」「堕天使の羽音」「静かなまぼろし」「ルナ」「DAYS」全てがジュリー史において欠かせない曲!

個人的に沢田研二ベストアルバムを5つ挙げるとするならば、この「彼は眠れない」とその次に出した「単純な永遠」「BAD TURING」「ストリッパー」そして「来タルベキ素敵」!最高です!

そして「彼は眠れない」の中から「ポラロイドGIRL」がシングルカットされました。作詞はサエキけんぞうさん、作曲はプリンセスプリンセスの奥居香さんと当時の時流に乗ったノリのいい曲であり私は当然ジュリーがかつてのようにヒットチャートを世間するものだと信じきっていました。

しかし、残酷な事に売上は芳しくありませんでした。オリコン最高位は64位と、なんと前作の「Musa」を下回る結果となってしまったのです。なぜこの曲の売上が低調に終わってしまったのか私は未だに分かりません。事務所も宣伝に力を入れているであろう事は充分伝わってきました。

今でもこの曲の映像はたくさん残っていますから、ジュリー自身にも手応えはあったと思います。そしてコンサート終盤の定番曲として長年披露され続け、カサブランカダンディ同様霧吹きパフォーマンスもお約束となりました。ジュリーのお気に入りの曲のひとつに違いないと思います。

ガッカリはしましたが、「もう時代が違っているのだ」と頭を切り替えるしかなかったです。

でもポンタさんがJAZZ MASTERに参加する事により、新たなジュリー像が確立された事は非常に感謝しています。ジュリーはその後、売上はふるいませんでしたが、「そのキスが欲しい」「愛まで待てない」「Hello」等名曲を次々に発表しました。

人として懐が深そうなポンタさんが重鎮としてバックを固めていたからこそ、ジュリーがやりたいように音楽活動を行っても孤立した感じにはならなかった、そんな気がするのです。正直あのままco-co-loを続けていたらどうなったことか。。。

ポンタさんのスティックの打ち方はなんだか斧を振り下ろすような重量感溢れる動きがカッコいいですね。今回はドラムサウンドの見せ場がガッツリ発揮されている「ポラロイドGIRL」「DOWN」をupしています。

自分よりちょっとだけ年上の方々が普通に天に召される年齢になってきたことをこの1年は本当に実感しております。

村上“ポンタ”秀一さんのご冥福を心よりお祈りします。

それでは、また。

#沢田研二

#村上ポンタ秀一

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