こんにちは、みやけです。本日は公開されたばかりの沢田研二主演「土を喰らう12ヵ月」を観に行って参りました!

イオンシネマで鑑賞したのですが、フロア内にポスターは一切見受けられずすべてのモニターをチェックしても宣伝動画は流れていない、、、更には放映ルームの周辺にもポスターがない、、、と少々不安な気持ちになりました。これは一種の戦略なのか?それともイオンの怠慢か?といろいろ感じたのですが。。。
肝心の感想ですが、いい意味で想定していた内容とは異なり大変深く考えさせられた内容でした。ネタバレする訳にはいきませんのであいまいな表現にならざるを得ないのですが、当初は「自然から得られるその土地特有の食べ物の料理法をまったりとジュリーが紹介していく」そんなイメージを持っていたのです、、、しかし確かに序盤はそうだったのですが、中盤から登場人物の人間模様が浮き彫りになってきました。「禅の世界だな」と感じずにはいられませんでした。

この映画は何を訴えたかったのか?私が思ったのは「人には人それぞれの人生があること」そして「その生き方の価値はそれぞれ個人の想いがあり他人がどうこう言うものではない事、それは食物を色々な方法で違った料理にの変化させられるのと同じように」ということです。簡単に言うと「人生と料理は似ている」という事ですかね。う~~ん、ネタバレギリギリのラインで表現するのは難しい!
あえて言えば、レコード大賞を取った時のジュリーのように浮世離れした派手派手な人でも、この映画の登場人物たちのように限られた世界の人たちにも、それぞれの人生がああり、それぞれで固有の悲しみ・寂しさ・幸せ、そして満足感があるということを改めて教えてくれた気がします。傍から見れば何でもなく見えても、当人にしてみればとても重要なことがある。。。この手の話は若い頃散々聞かされた話ですが当時はピンときませんでした。50を過ぎ、色々な苦難を乗り越えてきた今では理解できるようになった気がします。
「人生」「生き方」という事について考えることが多くなった私にとっては非常にタイムリーな映画でした。そしてシンプルに楽しめました。私はCGが入る映画はあまり好きじゃないし、定番パターンである「ラスト15分で衝撃のどんでん返し!」も上映時間からほぼ予測がついてしまってげんなりしてしまう人なのです。
この映画は、いい意味でゆ~~くり時が流れておりとても心が落ち着きます。Eテレや病院の待合室のテレビで流れているような観賞用の動画・・・ナレーションもなく景色や動物の生態を淡々と流すやつ、、、それがアップデートされた感じなのですね。そしてジュリーは非常に含蓄のあるセリフを何度も吐くのですが、展開がゆっくりな為非常にその言葉がが印象付けられるのですね。ジュリーはツトムを完璧に演じきったと思います。いや、途中からジュリーの人生にしか思えなかった!

でもまあ、ベースとなるのは「食べることが好きな人にはとっても楽しめる映画だ」ということですよ。私は元々食べることは好きなのですが、5年前に抗ガン治療を受けて以降一時は味覚が急激に劣化し、味を楽しめなくなった時期がありました。お酒は人生の中で酩酊した記憶がないくらい強かったのですが、病気を機会に止めたので食に対するこだわりは一層強くなっています。「インスタ映え」の豪華な盛り付けには全く興味がなく「おいしそうだな」と思っていた料理が「予想通り、もしくはそれを上回るおいしさ」だった時に何物にも代えがたい嬉しさ・幸福感を感じる人なのです。近年は甘いものには目がなくなっていますね。

このネタバレは許されるでしょうけど。。。
タケノコのおいしそうな事!ああいう風に食べたい!w

さて、この映画の主題曲としてジュリーの新曲もリリースされております。「いつか君は」1996年にリリースされたアルバム「愛まで待てない」に収録された曲なのですが、今回新たにシングルカットされる運びとなりました。ジュリーのシングルが1年に2回発売されるのはいつ以来なのだろうか。。。おそらく21世紀では初めてのはず。。。
このブログでは「愛まで待てない」のコンサートにて熱唱されるこの曲の動画を紹介させていただきます。そして詞も文字に起こしまして私なりの解析も行いました。それにしてもまた筧和歌子さんの曲がシングルで聞けるとは。。。そして近年再度スポットを浴びている大村憲司さん。なんとも泣かせる、そして豪華な組み合わせです。
「いつか君は」 作詞:筧和歌子/作曲・編曲:大村憲司
月明り こぼれてさざ波。君の寝顔に 寄せて返す。こわれものみたいだ世界は。
かすかな呼吸で動いていく。いつか君はいなくなってしまうね。
いいよこんなに愛せたから。すごしたそばから過去に変わる。
永遠なんて ないことを許せるつよさが欲しいけど。いつか君はきっとさよなら言うよ。
いいよこんなに愛せたから。いいよ祈るのは君のすべて。いいよ あとは波音だけ。
・・・・もちろんこの曲が発表されたのはジュリーが40代半ばの頃。「老い」「老後」については頭の隅にはあったかもしれませんが、それを歌にしようなんては思っていなかったと思います。
私はこの歌に関して存在は知っていましたが、強く認識はしていませんでした。正直な話、覚えていなかったのです。おそらく当時この曲について理解したのは「つきあいながらも今一つ女性側の自分への愛を感じることができない男が嘆く歌」そんな風に思ったのではないかと思います。いや、何回繰り返して読んでみてもそうとしか感じられないのです。

でも、いざこれが「土を喰らう12ヵ月」の主題歌として聞いてみると何の違和感もない!老いた男が相当に年下の彼女に対し感謝と寂しさを伝える歌。。。この映画の為に作られたとしか思えないと感じました!いったいこの歌がチョイスされたのはどのような経緯だったのか?大変興味がありますね!
800を超えるジュリーの持ち歌の中からこの映画のイメージに合いそうな歌をひとつひとつ吟味していったのか?それともこの歌自体がいつかジュリーが年老いた時に再度引っ張り出そうと最初から目論んでいた曲なのか?想像するだけでも楽しくなります。
そのあたりをいろいろ考えてみたのですが、私の演繹的推理が発動しました!(←久々に言った!w)まずこの歌の第一印象として「詞の尺が短い」ということなのです。歌う側の心にはおそらく歌詞にした以上の色々な思いが詰まっていると思うのです。というより強い感情はあえて口にせず、意図的にふわっとした言葉のみに収めた感もあるのですね。

おそらくですが、筧さんはこの歌がどのようなシチュエーションであるかを聞き手にゆだねようとした歌を書いたのではないでしょうか?男が別れを予感する時というのは色々な状況がありうると思うのですが、そのどのような状況にも”当てはめられる事が可能”な歌を作った。それを信頼する沢田研二が歌うことにより必ず理想形に完成させてくれる、そんな確信があったのではないか?そう思うのですね。
いやしかし、それにしてもジュリーの高く甘い歌声は実に澄み切っていて切なくそして心地よい。 こんなに切ない歌なのになんだか聞いている方が癒される気持ちになるのです。エンディングはひとそれぞれの感じ方があると思いますが、最終的にはツトムがツトムであることをに立ち返ったのであんな感じになったのでは?それと私の妻はエンディングで流れるこの歌が20年以上のジュリーの歌声だとは分からなかったようです。どんだけ凄いんだ!ジュリーは。。。
さてさて、私個人としては今回開催中のライブの福岡公演の一般販売の申し込みも何とか終了。これまでジュリーのチケットをゲットできなかった、という経験はないだけに自分自身の強運を信じるのみです。(自分の意志で行かなかった年も結構あるのですが。。。。)
今日はこんなところです。それでは、また。
#沢田研二
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#いつか君は