石川敬士・謎の錯乱事件! ~全日本プロレスシリーズの歴史 1983 GCCⅢ テリーさよならシリーズ~

こんにちは、みやけです。今回は久しぶりにプロレスの話です。以前に企画ものとして継続で書いていた「全日本プロレス・シリーズの歴史」ですが、ややネタに詰まった感もあり中断していたのですが、形をちょっと変えて再開させていただきます。

しかも今回は特定の大会に的を絞っての企画、私が初めてプロレスの生観戦を行った福岡スポーツセンター大会(馬場鶴田対シン上田のインタータッグ戦開催)について色々と感じたことを書こうかと思うのです。1983年7月26日に行われたこの大会。確か水曜か木曜の平日に開催されたと記憶しているのですが、観衆は主催者発表で5500人。アリーナは7割くらい埋まっていましたが、2階席は半分くらい空席がありました。この数年後に取り壊されてしまうこの福岡スポーツセンターは結構2階席は椅子の数が多く設置されており、福岡に弱い全日本の興行はいつも苦戦していたイメージがあります。

この前の年あたりから本格的に”プロレスファン”に復帰していた私ですが、ようやく生の大会を観戦する機会が訪れました。しかしこの時期は私は高校2年生。野球部に所属しており普通なら休みを取ってプロレス観戦などとてもではないですがありえません。しかし私が通学していた高校は福岡スポーツセンターから自転車で10分くらいの距離のところにあり、しかも夏休み中。なおかつ夏の大会では早々に敗退し、2年生が最上級生になったばかりであり、朝から始まって夕方6時に練習が終われば帰ろうと思えば直ぐに帰れる立場だったので、練習終了後直ぐに駆けつければなんとか間に合う状況だったのです。

ただし、監督の機嫌が悪ければ練習終了が夜7時頃にずれ込む可能性もあり、「前売りを買うのは危険」と判断し当日券で入場する事にしました。どちらにしてもこの大会がソールドアウトになることはない!とこの時点では読み切っていましたからねw。結局練習はなんとか18時前には終わり、私は着替えもそこそこに学ラン姿、いや夏だから白シャツか、まあ自転車で会場まで駆けつけたわけです。

生まれて初めてのプロレス観戦!最初に目に入って来た試合は、、、、

15分1本勝負 〇 菅原伸儀(12分22秒 エビ固め)● 冬木弘道

私はこの時点では菅原も冬木もどんな経歴を持った選手か把握はしていたのですが、具体的にどんなファイトをする選手かは分かっていませんでした。当日券で2階席を購入し、椅子の場所を探していると「フギャ~~ッ!」という声が聞こえたかと思うと、冬木が菅原にロープを振ってのスピンキックを放っていました。技の入り方は完全に小林邦明のアレです。場内は沸くどころか明らかな失笑が発生し、「小林邦明の真似するな~」という野次がいたるところで聞こえました。

当時は天龍の延髄に続き石川敬士もサソリ固めを使い始めたころ、鶴田もその前から卍固めを使っていましたし、新日ファンからは「全日は新日の真似ばかりしよう!」と顰蹙を買っていた時期です。私も野次を飛ばさずともそれに大きく同意していました。そのフォームは如何にも”付け焼刃”という感じでしたし、そもそも格闘経験がない冬木が蹴りを使う必然性がない!

しかし全日ファンならご存じかも知れませんが、冬木は割と辛抱強くこの技を使い続けましたね。フットルース時代の最後の方まで使っていたと思います。蹴った後踏ん張って握りこぶしを作る決めのポーズもよく覚えています。おそらくこの時点の冬木はレスラーとしての個性はまだほとんど固まっていなかったと思うのですが、なんらかのきっかけを掴もうともがき始めていた時期なのかも知れません。

20分1本勝負 〇小鹿・羽田(15分21秒 体固め)井上・●越中

私はこの大会での越中には期待していました。まだ実際の試合は見たことが無かったからです。当時既に三沢光晴との「全日版名勝負数え歌」は囁かれていた時期だったと思うのですが、(これもまた”新日本の真似”な訳ですが)残念ながら三沢はこのシリーズ病気で欠場。ベテランの中に放り込まれるマッチメイクとなりました。しかも小鹿・羽田という最も厄介そうな2人。。。。

越中は必死に動き回って存在感を示そうとしますが、老獪な2人のペースに直ぐ引きずり込まれます。彼らは”初っ切り”とも”楽しいプロレス”とも言い難い、おそらく色々な地方で同じパターンの攻防を繰り返しているのだろうな、、、と容易に思い浮かぶチンタラしたファイトを繰り広げました。ちなみに永源春遥の「つば攻撃」なんて日プロ時代からの前座選手の定番だったはずです。

中盤、羽田が越中をパイルドライバーを掛ける体勢に持ち込みますが、越中は踏ん張って持ち上げさせません。そうすると羽田は目の前で固定されている越中の赤いタイツを引っ張り上げ「Tバック状態」にしてしまいます(当時まだTバックなんて言葉は認知されていませんでしたが)。失笑する館内。コーナーの小鹿はうつむきつつも肩を震わせて喜びます。越中が抗うと羽田は「オラオラ~」と言いながらタイツを上下するのです。観客も流石にドッと笑いが起こります。

正直、かなり情けなかったですね。これが百田兄弟のような生涯を前座で暮らすのがほぼ確定の選手ならともかく、羽田はかつては天龍と”フレッシュハンサムコンビ”として最強タッグに出場した選手。それから6年後片や天龍はシングルのベルトを巻こうとしているのに羽田は若手をTバック状態にして遊んでいるとは、、、長州力が全日本に参戦する直前、全日マットを「ぬるま湯」とか言ったと記憶していますが、私にはそれを聞いてすぐこの試合が思い浮かべました。

とにかくこの試合の羽田と小鹿の試合運びには「手慣れた」感があり、何やら非常に嫌な気分がしたものです。後年、永源や大熊元司が”楽しいプロレス”で人気を博しますが、彼らは、結構リング上ではキビキビ動いていたと思います。アンコ型の彼らがちょこまか動き回ることのユーモラスさを狙った効果もあるとは思いますが、少なくともニヤニヤ笑いながらリング上をノタノタ歩く、という事は無かったと思います。全日前座の負の部分を見せつけられた試合でしたね。

30分1本勝負 〇 天龍源一郎 (13分43秒 体固め)● ジェリー・オーツ

しかしセミ前、私はその後「気になるB級レスラー」として生涯”推し”とし続けたある中堅レスラーと出会うのです。それは

”ジョージアの山猫” ジェリー・オーツ!

オーツはこのシリーズの開幕戦、ニックとのタッグでメインに登場しましたが私はそのテレビ中継を見逃していました。しかしオーツの戦績はひたすら負けっぱなし。ジョーやモローの方がまだましで私は「来日外人の中で一番弱い選手なんだな」と買いかぶり、この試合は天龍の圧勝で終わる!と信じて疑いませんでした。しかし試合が始まってみるとオーツのしぶといレスリングに明らかに天龍が攻めあぐねていました。攻勢が2手、3手くらいしか続かず一瞬のタイミングですぐに主導権を奪われ一進一退の攻防が繰り返されるのです。

さすがに細かい部分までは覚えていませんが、天龍がひたすら翻弄されているイメージがあり、最後は延髄切りで何とか勝ちましたが「オーツって実は凄い奴なんだな」とつくづく思い、その気持ちは今も変わらないのです。あえて言えば、以前に書いたようにこの時期の天龍はまだまだフィニッシュホールドへ持って行くパターンのバリエーションが乏しく、”相手の攻撃を受けまくったあげく、最後は一瞬の首固めで勝つ”というパターンが非常に多い選手でした。

ですので、その流れと言えばそうなのですが、オーツはその風貌的にも実にこの”隠れた実力者”然がありましたね。彼のファイトで特徴的なのはまずロックアップの際、普通ならやや背中を丸め猫背気味に腕を組みあいますが、オーツの場合背中をピーンと伸ばした状態で相手の上半身を引き込むようにロックアップするのですね。この入り方はカール・ゴッチのそれと酷似しています。

ですが私はオーツがゴッチ級の実力者、なんて事を力説したいわけではありません。ただこの入り方だと観客に対してはちょっと流れが固く見え、試合内容にうまく入りきれない部分があるのですが、オーツの場合ここでストロングスタイル的な印象を見せつけておいてからその後その後ラフに走ったり、スムーズなロープワークを見せてみたり、とあくまで”前振り”としてこの硬い感じのロックアップを取り入れていたのか?と思ったります。

ロックアップ以外にもオーツは背中をピーンと張った状態で戦う事が多かったのですが、何かこうそれは非常に見る側に緊張感を与えるのに役立っていた気がします。

そして、オーツの素晴らしい部分は「常にコンディションがいい!」これにつきます。昭和プロレスの場合、常連であっても来日のスパンが1年近く開いたりすることは珍しくはなく、結構な頻度で「久しぶりに来日したらガリガリに衰えていた」もしくは「見る影もなくブヨブヨに太っていた」というケースは珍しくなかったものです。ジン・キニスキーしかり、ジプシー・ジョーしかり、イワン・コロフドリー・ファンク・ジュニア。。。。。

しかしオーツは初来日の時から一切体形が変わっていないのでは?と思いたくなるくらい常にベストコンディションを保っていました。下の動画は1987年チャンピオンカーニバル開幕戦、鶴田のインター王座に挑戦するトミー・リッチと開幕戦でタッグを組んだ時の動画です。

お腹がポッコリ膨らみ、身体が全体的にたるみきっているリッチに対して、肌艶もよく、精悍な顔つきのオーツ。ブルーのスカジャンが実によく似あいます。試合はリッチがブレーンチョップのタイミングで手の平を開いて相手の頭を叩くという説得力0の攻撃を連打(トム・ブラウンのあれ)「インター挑戦にふさわしいのはオーツの方でないか?」とつくづく思ったものです。

経歴的にも初来日は1976年秋、実弟テッド・オーツと共に来日し、いきなり極道コンビからアジアタッグ王座を奪取します。そして最後の来日は1989年でジョニー・スミスと組みまたも川田冬木の持つアジアタッグ王座に挑戦しているわけですから、延べ13年にわたって定期的に来日し続けたわけで、馬場の信用も厚くレスラーとして非常に優秀だったと思うのです。タッグにしても、ブッチャーをはじめ、ハンセン、レイス、ニック、シンと何事もなくコンビを組み、輪島との地合いも無難に成立させるのですからね。

結局ジェリー・オーツを見たのはこの天龍戦が最後だったわけですが、これ以降逆に「オーツって実は凄いんだよ」と私の推しレスラーとして心に未だ生き続けることになったのです。そして、長くなりましたが本題ですねw

第6試合 ● 石川敬士(7分 エビ固め) 〇 ジェリー・モロー

。。。。多分熱戦譜マニアでも見過ごしてしまうような試合ですよね?何が珍しいんだ?と試合内容を記してみたいと思います。ただし、私の記憶を頼りに文字起しする訳ですから、細かい間違いがあることは大いにあり得ますが。。。。

とにかくゴング開始から石川が一方的に攻めまくる内容の試合でした。いわゆる”制裁試合”という訳でもなかったとは思いますが、モローが攻めるシーンはほとんどなく石川がチョップ・張り手、(プロレス流)ストンピングという原始的な技で一方的に攻め続けていました。本来このマッチメイクを楽しもうと思うなら、中型クラスのレスラーながら、技の引き出しが多く試合運び上手い2人な訳ですから一進一退のスリリングな展開ができたはずだと思うのです。

しかし特にロープワークを多用する訳でもない石川の一方的な内容に館内はやや白けたムードが漂っていました。そして7分直前、既にヘロヘロになっていたモローですが、ストンピングをかわされバランスを失った石川を丸め込み電撃的に3カウントを奪ったのです。実際、試合の間モローの攻撃はこのエビ固めのみ、そんな印象でした。

しかしその直後、石川の表情が豹変しました。石川は興奮してくると下の写真のように舌がおちょぼ口になる傾向があると思うのですが、この時が口を全開で開き狂ったようにモローをストンピングで蹴りまくったのです。もちろん小川対橋本戦のようなキツイ蹴りではなくプロレスの範疇内でのストンピングだったとは思うのですが、石川は更に「キェ~~~~~ッ!」とでもいうような奇声を上げながら、約1分間にわたってモローを蹴り、パンチを何発も入れ続けました。レフリーも慌ててそれを止めているようでもなかったです。結局若手からなだめられ石川は不機嫌なまま退場。モローはフラフラの状態のまま若手の方を借りて控室に戻っていきました。

若手からなだめられ

輪島デビュー前のインタビューでもご記憶かと思いますが、石川って意外と声のトーンが高いのですよ。でもこの前後の試合を思い返して見てもこれほどまでに感情を爆発させたことは無かったと思います。ただしかし館内は結構引いていました。会場はこれから出てくるテリー、馬場、鶴田、シンを心待ちにしている訳であり、こんな興味の薄い組み合わせで長々制裁シーンを見せられても意味が分からなかいですよね。

なぜ、石川はこんなに錯乱したのでしょうか?長年このテーマは私の研究課題だったわけですが、まず、実はこの組み合わせでモローが勝つというのは彼の金星であったと思うのですよ。モローはこのシリーズを含め計3シリーズ参加しましたが、シングルでは原・井上には完敗。石川には最初両リン、この試合の後は直ぐにピン負け、以降別シリーズでも2連敗しています。更に別の中堅勢からはこの石川戦以外タッグでも勝を拾ったことは無く、遠征前の越中詩郎に勝つのが精いっぱいという状況でした。

モローはこの大会、大阪でジプシー・ジョーと組み原・井上のアジアタッグ王座に挑戦しています。この大会の前のマッチメイクで前王者の石川に勝つ、というのは分からなくもないのですが、終わってから、しかもその後モローが全日サイドからプッシュされていた雰囲気はないわけですから、なぜ福岡で「モローに無理やり勝たせてしまったのか?」未だに謎な訳です。

アクシデントによる3カウント?いや、それはないと思います。試合は90%以上石川が攻める展開でしたから「モローに金星はつけるが石川の格も最大限尊重する」という御大の考え?が実に忠実に反映されていると思うのですよ。しかしあの状況下、その後のモローの扱いを考えても何故あそこで金星を与えたのか?未だに謎です。

そして「寡黙な日本男児」的なキャラに相反するような奇声を張り上げ、1分以上もモローに攻撃を仕掛け続けた石川。観客席から「もうよかろうもん!」「なんやそれ~!」という罵声も飛ぶ中、(ただし試合でダレていたため会場騒然!という訳でもなかったのですが)レフリーはオロオロする訳でもなく静観、いったいあれはなんの意味があったのか?と未だに思う訳であります。

全日本は中々前座試合でも番狂わせ、金星が起こりにくい団体です。でも逆にプロレス初観戦で、マニアのみが喜びそうな変な試合を見ることが出来たのは逆に良かったのかも?と未だに思っています。以降、そんな金星・番狂わせ試合は見たことがないからですね。

今日はこんなところです。

それでは、また。

#全日本プロレス

#ジャイアント馬場

#石川敬士

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