こんにちは。CMBOです。
今回は書くのにしばらく間が空いてしまった私のファミリーヒストリー
についての回です。
前回からの流れですが、私の父側の先祖については、曾祖父が広島県三原市
(どちらかと言えば東広島市方面)に戸籍がある事が判明しました。
その後移住した福岡県門司市の調査については行き詰まってしまったので、
辿れるだけ前を辿ろうと現地調査を行なったのです。
暑い4年前の晩夏でした。
事前の郵送による戸籍請求によって、曾祖父、高祖父、そしてその前の方の
名前まで判明しました。曾祖父は4人兄弟の長男だったのですが、
家を継がずどうも30才前後で単身福岡に移住したようです。
そして高祖父の代まではずっと広島の地にいたようですが、曾祖父
が福岡に移住後、大正4年に広島県の呉市で73才で亡くなられています。
三原近辺の実家を処分して呉に移り住んでいたのか?それとも病気等で
たまたま呉の病院に入院しておりそこで亡くなられたのか?詳細は
分かりません。ただ当時の呉は軍艦製造が盛んであり、当時としては
相当に大きな病院が建設されていたりしていたので後者のようにも
思えます。但し亡くなられたのはSさんという全く血縁関係のない方の
家で亡くなられています。なんらかのの事情でSさんの家で療養されて
いたのか?そんな気もします。
とりあえず、戸籍により高祖父、曾祖父が住んでいた当時の住所は判明
したのですが、今の住所で言えばどこになるのか?そこについては色々な
方面から現地調査をしなければ分かりませんでした。その為の広島旅行です。
まず三原市役所で曾祖父の住所について大まかなあたりをつけてもらい
ました。そして、その周辺に曾祖父もしくは高祖父名義の土地が残って
いるかもしれないのだが、それを調査する方法はないか?と相談してみました。
何の根拠も無いのですが、以前祖父宛に広島からかかってきた電話から
推測して、まだその土地は私の家の名義になったままではないかと思ったからです。
私は今の住所の住民票や戸籍謄本等自分の身分を証明する物を持参していました。
役所の人のアドバイスでは法務局に行けば、当時の住所、もしくは
私の先祖の氏名からその土地の名義が辿れるかもしれないとの事でした。
そして、そのエリアだと今のどこの法務局が担当になるのかと確認した
のですが、広島の尾道支局との事でした。港風景がとても綺麗な瀬戸内海
の小さな街で映画の撮影でもよく使用され、今は四国と本州を結ぶ
しまなみ海道の本州側窓口としても重宝されている所です。アイキャッチ画像は
その尾道のホテルの窓から撮った写真です。
「しかし尾道とは。。。。」その土地の名前を聞いた瞬間少し感慨深くも
ありました。仕事でその5年くらい前までよく行っていた所だったからです。
私の前職は文具の問屋に勤めており、営業を担当していたのですが、大きな
取引先の商談場所が広島県福山市、そしてそこに関連する倉庫が尾道に
あり、福岡から出向く時は一旦新幹線で尾道で降り、そこによって再度
新幹線に乗り直して福山に向かう、というパターンの動きをしていたのです。
たまには車で行くこともありました。5時間くらいかかりましたが。
それにしても土地の縁とは不思議なものです。私の場合、何故か特定の
土地に少しずつ関係を持つことになり、結局そこが私にとって重要な場所だと
いう事が判明するのです。
その場所は、鹿児島・大分・広島なのです。
まず、鹿児島ですが、ここは妻の実家。ただし知人の紹介で知り合ったわけではなく
結婚相談所の紹介でたまたま知り合ったのです。但し鹿児島とは昔から縁が深く
中学校の修学旅行が鹿児島、大学時代も友人との貧乏旅行で3回鹿児島を訪れており、
最初の就職先の最初の社員旅行も鹿児島。まあ、福岡から鹿児島への旅行はよくある
パターンなのですが、前述した文具の問屋でも1年程鹿児島を担当しており、
その間交通事故を起こして免許取り消しになってしまい、川内や国分、枕崎
と言った郡部を電車で回っていたという苦い思い出のある場所だったのです。
そして大分ですが、私の祖母(祖父の奥さん)、及び曽祖母(祖父の母)が
大分の生まれであり、この件で調査していくと相当に大きな血縁関係の集団から
うちの家に来たようです。
その事は後で知ったのですが、私の最初の勤め先で配属されたのが大分。
全国に支店がある会社なのでどこに配属されてもおかしくなかったのですが、
何故か大分に配属されそこで2年ばかり暮らしたのです。
そして、今回の広島。
この3件については私は引き寄せられるようにかかることになったとしか
思えないのです。
話は戻ります。
旅行の翌日の朝、私は尾道の法務局を訪れ、事情を話し調査が可能か
相談してみました。そうすると厚さ20cmくらいある分厚く使い込まれた
ファイルを5冊渡されて、「この中から目視で探し出して欲しい」と
言われました。それが土地のエリアごとのファイルだったのか、
年代ごとだったのか?名前単位のファイルだったのか忘れてしまったののですが
とにかく私達夫婦は手分けしてファイルを1ページづつチェックしました。
何にも出てこない可能性が高い根気のいる作業でしたが、3冊目で高祖父の
名前を発見しました!ちょっと感動的だったですね。
推理推理でたどり着いたのですから。。。。。
高祖父名義の土地は今の三原市の奥深い所に、山林の地目で52㎡、墓地の地目
で12㎡ありました。合計60㎡でしたら3LDKのマンションの1室くらいの広さ
ですから、山林と言うよりはそこにこじんまりとした家があり、そこで暮らして
いたのではないかという気がします。
そしてその一角に先祖代々のお墓があったのではないでしょうか?
昔は自身の家の敷地内にお墓があるのはよくある事でしたから。。。。。
そしてその墓はいまでもその場所にあるような気がしました。
そして私の高祖父もしくはその前の一族の末裔の方々が今でもそこにお住まい
なのではないか?そんな妄想も膨らみました。
私達は午前中に法務局を後にし、現地調査に向かいました。
いよいよです!
今日はこんなところです。
それでは、また。