こんにちは、CMBOです。
今回は私が大ファンの沢田研二さんの話を久しぶりに書いてみたいと思います。ジュリーの内面についての考察です。何が原因で今のジュリーがあるか?今更ですが、私は40数年途切れる事のないジュリーファンです。
結論から申しますと、沢田さんは幼少期に甘えの欲求が満たされなかったのが原因で女性に対しある種の“恨み”のような感情を持っており、それが故常に怒りが充満している状態であり、人間関係によるトラブルを起こしやすいのでは?という考察です。
1979年発売の『OH!ギャル』という歌があります。売上は約30万枚で全盛時の沢田さんからすれば中ヒットというところでしょうか。
もひとつおまけ!有名な歌詞忘れ棒立ち事件ですが、最後にオモチャの銃をこめかみに当てる部分はカットされているのが残念ですw
それはそうと、この曲について、沢田研二さん自身が(自分の持ち歌の中で)「1番嫌いな歌」と明言しているのです。ファンには有名な話ですよね。理由は歌詞の内容が女性を賛美するのみの内容である事と、「ギャル」という言葉に新しさが無いイメージがあったからという事です。
確かに80曲を歌った2008年でのジュリー祭りでも、1番のみ50曲を歌った2018年のデビュー50周年記念コンサートでもこの曲は歌われておりません。記録に残る限りでは1992年のコンサートで歌ったのが最後だと思われます。
確かにジュリーは自身の歌の好き嫌いがハッキリしているようで、上記のコンサートでセトリに入らなかった歌はいっぱいあるのです。co-co-lo時代の曲や渡り鳥はぐれ鳥、どん底といったセールスが下がり始めた頃の曲は特にその傾向があります。やはりジュリーに取っては黒歴史なのでしょうか。。。。
しかし、「歌う気がしない」と言わればそれまでの話なのですが、「大嫌い」とまで表現するのはえらく極端だと思います。述べられている理由ですが後者はなんと無くこじつけのように思われます。前者の表現から感じる事はジュリーは女性に対して恨みを含んだ否定的感情を持っているのでは?と思うのです。
ジュリーの前の奥様は年上の包容力があり母性が強そうな女性でした。そして現在の奥様の田中裕子さんも年下ではありますが、断片的ではありますが、ジュリーの全てを受け入れようとするこれまた母性の強い女性に見えるのです。
もちろんジュリーに寄ってくる女性は若い頃から半端なくいたでしょうが、それにしては実際具体的に報道された女性はごく僅かだったと記憶しています。これだけ女性を魅了したにも関わらず、私生活での女性関係は相当に真面目だったように思うのです。
渡辺プロから独立後、ジュリー自身の作詞の歌が少しずつ増えていきます。近年はほとんどです。私自身が印象深い曲は「無宿」「女びいき」」「青春藪ん中」「don’t be afraid to love」「いい風よふけ」「続くシアワセ」「届かない花々」「明日は晴れる」といったところなのですが、これらの歌詞の中に潜在的に感じられるのが“不満”と”虚無“なのです。「今はただひたすら辛い状況だけど、いつかいい日が来るから我慢していこう」そのようなメッセージが聞こえるのです。私には。
しかし世間一般のイメージはその逆であり、「勝手にしやがれ」や「TOKIO」のようなハデハデで極端に言えば傍若無人なイメージ。独立してセルフプロデュースに傾倒して行ったのもその辺りに理由があるのでは?という気もするのです。それがジュリー自身の本質のキャラクターなのではないでしょうか?
話が逸れましたが、「女性への嫌悪」と「不満と虚無」と来るならば、どうしても承認欲求が満たされていない、思いたくなるのですね。そしてそうであるなら幼少期の甘えが満たされていない。更には自分を認めてもらう事が無かった。そうなると人間の心の内面は常に怒りで満たされ、とても怒りっぽくなるのです。
やたら気が短かったり、八つ当たりとしか思えない怒り方をする人は、幼少期の体験により怒りの許容量が常に満杯状態であり、それ以上の我慢をする事は受け入れ難いのです。承認欲求が満たされていないとその吐口は怒りという行為に現れがち。テレビ番組からオファーが来ても「新曲を歌う条件出ないと出ない」と言って断ってしまうのもその辺りの承認欲求ではないかと。
・・・・・もう完全に悪口としか捉えられないかも知れないですが、ジュリーってかなり短気じゃないですか?私にはその辺りが解決できていないんだろうな〜と感じてしまうのです。昨年色々と叩かれてしまったのもそれが遠因かと。。。
でも自身に無理をしいながらも長年第一線で大活躍してきたのだから、ある時点から自分のやりたいようにやる道を進み出したのはいい事だと思います。当人も2000年頃のコンサートで「今後は余生みたいなものだ」と言われてましたから。私も最近やりたいようにやる、という事が少しずつ解りかけてきました。簡単なようで難しいんですよ、これって。どうしてもそれまでの人生、周囲からの固定概念が邪魔をしてしまうのです。
私のように心を病みまくった人間には、ジュリーの後年、その人生観を歌った曲がグッと来るのです。自分自身、そして身の回りに起こることへの想い。こういう事を歌う歌手って中々居ないんですよ。
高いレベルでその声をキープしてきたジュリーももう70才。そろそろ歌手としてカウントダウンも意識せざるを得ない年齢に入ってきたのは否めないと思います。近年は反原発ソングに傾倒していますが、今後どのような姿を見せてくれるのか?
手付かずのお宝を沢山持ったジュリー。最後にはファンにそのお宝を分け合ってくれる事を期待しています。
今日はこんなところです。今後もちょっとずつ書いていきたいと思います。
#沢田研二