こんにちは、みやけです。
今回は久々に昭和プロレスの話を書いてみたいと思います。と言ってもしつこく?書いてきた妄想話では無く数値に基づいた検証企画です。
私は結構数字マニア的な部分もあって、プロ野球でいくと各選手の年度別成績等は克明に覚えているタイプなのです。と言っても日付についてはほとんど曖昧な記憶しかなく、名勝負の日付等はマニアの方でしたらかなりのデータをインプットされている方が多いと思いますが、私はからっきし覚えていません。
ただし集計的な数値「どこそこで何回〜が行われた」みたいなものを、何か条件をつけて検証するのが好きな変態的?マニアであるのです。
今回取り組んでみたのが、「蔵前国技館でメインを張った経験のあるレスラーを集計してランク付けする」というものです。昭和プロレスのシリーズ最終決戦の大舞台として最も強いイメージなのは蔵前国技館で異論はないと思います。東京体育館や日大講堂も利用はされていましたが、軍配は蔵前に上ると思うのです。
そして蔵前国技館は昭和プロレスの終焉を見届けるように1984年に改装の為取り壊され、現在の両国国技館に生まれ変わりました。ですので括る条件としては非常にうってつけなのです。
能書きはこれくらいにして、まず新日本プロレスにおいて、創立以来蔵前国技館での興行でのメインの試合をリストアップしてみました。セミを含めて「ダブルメインイベント」と銘打たれた試合もあるかも知れませんが、あくまで「最終試合」を対象とします。
下の表がその一覧です。

この結果を元に独自の評価方法でポイントを付与し、合計数で順位を決めてみました。評価方法ですが、勝ち負けに関わらず、シングルマッチを4点、タッグマッチを2点としました。悩むのが猪木対国際軍団の3対1マッチですが、猪木はシングル扱いで4点とし、国際軍団はそれぞれ1点としました。
さあ!集計結果です! まあ、1位は言わずもがなですが、、、2位以降の状況が注目ですね。
1位 アントニオ猪木 182ポイント(メイン42回、タッグ7回)

当然と言えば当然なのですが、それにしても2位に7倍もの差をつけているのは流石としか言いようがありません。メインを譲ったのも病院・負傷欠場の3回だけですからね。
特に1978年あたりまでは各試合そのイメージが直ぐに浮かんでくる試合が多く、正に団体の長としての面目躍如そのものですね、
あえて言えば、体調が悪化した1982年あたりからは記憶に残っていない試合も多くて、対戦相手もスケールダウンした感があります。しかし最後の3試合は色々な意味でも猪木を象徴するような印象深い試合であり、蔵前のメイン=アントニオ猪木であるといっても良いと思います。
2位 タイガー・ジェット・シン 26ポイント(シングル6回、タッグ1回)

昭和の新日本プロレスを支えたシンが堂々の2位!1974年から80年までという長期に渡って記録を更新したのは素晴らしいと思います。しかも蔵前以外にも大阪府立をはじめ日本各地で再三一騎討ちを行った上でのこの実績ですからシンの執念深さが垣間見えます。
普通ならこれだけ長期間ヒールサイドに立つとキャラ変等を考えるでしょうが、シンはそれには手をつけませんでしたね。如何に猪木との戦い内容に全神経を使っていたかの現れだと思います。
3位 スタン・ハンセン 24ポイント(シングル5回、タッグ2回)

残念ながら2ポイント差でシンに及ばなかったハンセン。しかしMSGシリーズで3年連続猪木との決勝戦を任されたというのは偉大な事だと思います。田コロでのアンドレセンも入れてあげたいのですが。。。。。
シン同様全てが猪木との絡みでランクインしたハンセンですが、試合を重ねるにつけ、猪木がハンセンをコントロールできなくなってきているのが顕著に感じられたものです。それ故に猪木はハンセンのリリースに同意していた?という見方もあるかと思うのですが。。。。。
4位 ハルク・ホーガン 16ポイント(シングル3回、タッグ2回)

やはり2年連続IWGPのメインを任されたのが大きく効いて4位入賞。1980年のNWF王座挑戦時はまだグリーンボーイの域を出なかったと思うのですが、これは新日本の先見の明があったという事でしょう。
個人的には、シンやハンセンのように自身の血の滲むような努力でスターの地位を勝ち取ったのとは対極の男であり、スターになるべくしてなった男だとの印象が強いです。
5位 ラッシャー木村 14ポイント(シングル3回、変則タッグ2回)

正直なところラッシャーさんは3位あたりに食い込むのでは?という予想をしていました。特に1983年あたりは毎シリーズ最終戦は国際軍団の絡みであるという印象だったものですから。。。。。
ただし、大阪府立や田コロでの試合も結構多いのですよね。それにしても実質2年間でこれだけの実績を挙げたのは流石です。新日本の煽りも徹底していましたし、ラッシャーさんの生真面目さが逆にヒール性をファンに焚きつけたような気もします。
「祝うならもっといい写真を使ってあげたら?」という意見もあるかも知れませんが、私、1番好きなのはこの大阪府立で血だるまにされた試合なんですよ。。。
こんな試合を組んじゃう猪木さんも猪木さんですが、これをきっちり試合として成立させて、時間が経つと自分の名勝負にの一つとしてセットされてしまうのがラッシャーさんの懐の太さだと思います。全試合印象深いですよね。
6位 長州力 12ポイント(シングル3回)

取り壊し前最終1年で3回メインを張り荒稼ぎして単独6位に入った長州力。しかしその間セミで藤波との名勝負数え歌を何度も行っていますから内容的にも価値のあるものだと思います。
どちらかと言えば、長州は“両国国技館”のイメージが強いレスラーだと思います。しかし個人的には83〜84年頃の最もピリピリした頃の長州が1番魅力的だと思います。84年4月の5対5での一騎打ちにて、セミが両リンで万全を期しながらも卍であっさり敗れてしまうその姿が印象的でした。
負けたときの方が色気があるんですよ、長州って。
以下、7位 坂口征二・藤波辰巳〜10ポイント、9位 ストロング小林・大木金太郎・ジョニーパワーズ・アンドレザジャイアント・マスクドスーパースター・ボブバックランド〜8ポイントとなっております。
異色なのはスコット・マギーですね。ソトやウイルキンスは創成期ですので、やむを得ないのですが、マギーは代替えでもなんでもなく、正規の対戦相手ですからねえ。。。。猪木が内臓疾患での欠場からの復帰戦だからという理由だったと思いますが、それでもお客さんが来てしまう力が当時の新日本にはあったと言うことでしょうか。。。。
こんなところですね。全日本版もやってみようかと思ったのですが、全日本って最強タッグ以外には蔵前はほとんど使用できていないんですよ。とくにテレビのゴールデンタイムを外された1979年からハンセン移籍までの1982年までは通常シリーズでは創立10周年記念興行以外では開催していないんです。
悲惨な結果になりそうですので、やめときましょう。。。。その代わりと言ってはなんですが、ハーリー・レイスとリック・フレアーのNWA世界王座防衛戦について面白い特徴を見つけましたので、次回に書いてみたいと思います。
それでは、また。
#新日本プロレス
#アントニオ猪木
#蔵前国技館