輪島引退の真相を演繹的推理!客席片付けからのウエスタンラリアット!

こんにちは、みやけです。

今回も昭和プロレスの話です。38歳にして元横綱・元親方の地位をなげうってプロレスに転向、デビュー戦は強烈なインパクトを残したものの僅か2年そこそこであっさりマット界を去ることになった輪島大士さんですが、その退団の原因を私なりに推理していこうというものです。

ただしですね、今回の内容はかなりネタっぽい内容です、事実を書いていますが私の推測は相当強引なもの。しかも某SNS音声サイトで1回話したものです。しかし個人的には非常に印象深い経験だったものですので、今回文字に起こしてみようと思った次第です。あの試合の屈辱がキーポイントだったのではないか?!とw

まずは輪島の経歴を簡単に、、、1981年に角界現役引退、花籠部屋の親方に就任しましたが、金銭問題で身を引くことになり、5年のブランクを開けた後1986年に全日本プロレス入りを表明しました。同年11月生まれ故郷七尾市体育館で”インドの狂虎”タイガー・ジェット・シン相手にデビュー戦を行い、その際のテレビ視聴率は23%強を記録!一躍輪島は全日本プロレスのスター選手としてメインイベンター入りするのです。

しかし付け焼刃でのデビューであることと、30後半という高齢でのデビューであったため、徐々にボロが出始め、1988年に入ったあたりでは滅多にビッグマッチに出場する事はありませんでした。ただし、精彩を欠き始めたころから引退に至るまで、同じ角界出身の天龍源一郎との激しい絡みは関係者を絶句させました。今動画を見直しても「何もここまでしなくても、、、」と思いたくなるようなえげつない攻撃を天龍がしかけ、輪島がそれを正面から受けるシーンは非常に見どころがあったと思います。

しかし時を経るほど扱いが悪くなった輪島選手。1988年後半は第4,5試合くらいの位置に出場する事が多くなりました。引退表明する前々シリーズのジャイアントシリーズの横浜文化館大会鶴田と天龍が1年ぶりの一騎打ちを行った華やかな大会ですが、輪島の位置は第4試合で鶴見五郎とシングルマッチ。こんな前座扱いなのに輪島は例のガウンを羽織り、NTVスポーツテーマに乗って入場してきたのかな?と思ってしまいます。

1988年10月28日横浜文化体育館 第4試合 〇輪島大士(7分17秒 首固め)●鶴見五郎

現役後期はプロレス的にあり得ない動きをして醜態をさらすことが多かった輪島ですが、それでもピンフォール負けをすることは滅多にありませんでした。デビュー時の1986年は1回もなし。1987年は次の3回です。

1987年エキサイトシリーズ 3月12日日本武道館大会 NWA世界ヘビー級選手権 (チャンピオン)〇リック・フレアー(18分29秒 首固め)●輪島大士(挑戦者)

1987年チャンピオンカーニバル 4月24日横浜文化体育館 PWFヘビー級王座決定戦 〇スタン・ハンセン(12分38秒 首固め)●輪島大士 ※ハンセンが王座獲得

1987年世界最強タッグ決定リーグ戦 12月10日会津体育館 リーグ戦 馬場・●輪島(9分27秒 体固め)〇ブロディ・スヌーカ ※トップロープからのフライングニードロップ

フレアー戦、ハンセン戦は「玉砕」としての意味合いと捉えればピンフォール負けしたとしてもそれほどイメージダウンする事は無かったと思います。しかしハンセン戦においてまで首固め決着にしなくても、、、天龍が「あのハンセンが輪島と対等に試合を云々、、、」と言っていたのはこの試合をさしての事なんでしょうね。

最強タッグ戦でのブロディへの完敗ですが、この時点では輪島のメッキはかなり剝がれてきていました。この結果は「ブロディage」の意味合いもあったでしょうけど、このシリーズの外国人勢は大物選手が出揃っており、「日本陣としては3番手の馬場・輪島組が全くピンフォール負け無では無理がある」と判断したのかも知れません。しかしここで「馬場が負け役を背負う」という選択肢はなかったのでしょうね。

そしてこの後引退直前の1988年世界最強タッグに至るまでは輪島のフォール負けは無いのです。この前後で行われた下記のシングルマッチででは輪島はコテンパンにのされた挙句KOされたというイメージですが、ピンフォール負けではないのです。

1987年11月7日東京・後楽園ホール 60分1本勝負 〇天龍(16分18秒 リングアウト)●輪島

1988年1月2日東京・後楽園ホール 〇輪島大士(6分32秒 反則勝ち)●ブッチャー

特にブッチャー戦のラストシーンは全日本プロレスファン的には見るに堪えないシーンだったと思いますが、この試合全日復帰したばかりのブッチャーがあまりに張り切りすぎており、試合中は輪島のいい部分がほとんど伝わっておらず、ここで完敗はあんまりだ、、、とジョーさんは判断したのかもしれません。この試合はブロディ、ブッチャーの復帰も相まって「輪島用済み」のイメージを強く刷り込ませた1戦だったと思います。

この頃になると全日本も、100%ではないもののビッグマッチでの「完全決着」の比率が高くなっていっておりました。この年の夏、唐突に谷津・輪島対天龍・原というマッチメイクがなされ、「これ普通に輪島が負けるやつだよな。。」と私は思ったものでしたが結果は下記の通り。

5月19日上田市民体育館 ●谷津・輪島(19分13秒 エビ固め)〇天龍・原

よくよく考えるとこのシリーズ中盤に行われる鶴田・谷津対天龍・原戦(鶴田組勝利)のネタ振りだったように思えますが、まだまだ谷津の立ち位置が微妙な時期に「もしかして谷津=輪島、または輪島>谷津?」と思われかねない結果はリスクがあったと思います。輪島のところが石川やテンタのような格が明確な選手だったらそうでもなかったと思うのですが。。。

この頃になると私は「輪島は負けちゃいけない存在なんだな」と確信するようになりました。この年の輪島は怪我での長期欠場もありましたし、思い出したように地方のメインエベントに登場したと思いきや翌日は第5試合、みたいな非常に扱いがぞんざいになってきていました。そして最終シリーズとなる1988年世界最強タッグ決定リーグ戦を迎えるわけです。まずはこの試合がポイントです。

1988年11月20日東京・後楽園ホール リーグ戦 馬場・〇木村(12分53秒 片エビ固め)●輪島・カブキ

阿修羅・原解雇により騒然とした空気で発進したこのこの年の最強タッグですが、話題は少なく最大の”ウリ”は電撃合体したジャイアント馬場とラッシャー木村の”義兄弟コンビ”でした。そのチームの合体技”16文ラリアット”の披露の場に輪島がチョイスされてしまった、という訳です。これはエグい!なぜ相手がカブキではなく輪島なのか?ついでに輪島に引導を渡す為か?と思いたくもなります。

しかもフォールしたのが馬場ではなく木村というのがこれまたエグい!この頃の木村は胸の筋肉が全盛時と比較すれば顕著に落ちており、下半身はそれ以上に激細!必殺技のブルドッキングヘッドロックを打つとあまりのヨタヨタさに失笑が起こっていた時期です。そんな木村に決勝フォールを許してしまうとは、、、盟友石川も流石に「横綱にこの扱いはひどい!」と感じたのではないでしょうか?

そして今回のメインとなる大会になる訳です。まずはメインを除いた全試合の結果を列記します・

1988年 11月24日世界最強タッグ決定リーグ戦 北九州市的場池体育館 観衆1900人

①15分1本勝負 菊地毅(10分29秒 首固め)北原辰巳

②20分1本勝負 〇渕・田上(11分37秒 体固め)大熊・●永源

③20分1本勝負 〇仲野・高木(11分34秒 原爆固め)冬木・●小川

④30分1本勝負 〇スヌーカ・タイガー(10分53秒 片エビ固め)石川・●小橋

⑤リーグ戦 スレーター・リッチ(13分23秒 両軍リングアウト)ブラックエル・ヒッカーソン

⑥30分1本勝負 〇鶴田・谷津(14分14秒 体固め)●テンタ・高野

⑦リーグ戦 30分1本勝負 〇馬場・木村(13分3秒 片エビ固め)スパイビー・●エース

⑧30分1本勝負 ブッチャー・〇シン(9分35 秒体固め)天龍・●川田

私はこの当時大学生でしたが、この大会を観戦に行きました。この会場は自宅から車で1時間近くかかる距離にあったのですが、毎年最強タッグには福岡国際センターの大会が必ず組み込まれていたのにこの年はなし。夏にも全く市内近郊で興行を打たなかったのでいてもたってもいられず遠方の興行に足を運んだのです。

しかし、この北九州市的場池体育館という会場、実は今でも健在なのですが、その当時初めて聞いた会場であり、以降もプロレスの大会が行われたことは無いのではないでしょうか?北九州エリアは当時、西日本総合展示場、小倉北体育、北九州市総合体育館といった会場が常打ち会場であり、なぜここで興行を打とうという事になったのかいまだに謎です。

https://www.spina.co.jp/business/facility/matoba/gym

後日改めて訪問したのですがw、この会場、八幡製鉄所がある黒崎駅から車で15分くらいの場所にありそんなに辺鄙な場所、という訳ではありません。しかし的場池という森に囲まれた市民の公園内の突き当りに存在する会場の為、通りがかりで目にする可能性は非常に低い場所にあり、近隣住民の認知度も非常に低いのではないかと思います。なぜこんな集客に苦戦しそうなのは明白な場所で興行を打とうとしたのか。。。

当日車で会場に着いた私は、半分くらい埋まっていた駐車場に車を止めました、、、これがもうあり得ない!スターレーンの駐車場は会場3時間くらい前でないと駐車場は埋まってしまうし、国際センターや福岡スポーツセンターはそもそも駐車場は設定されていない!球場分を合わせた500台程度収容の駐車場が半分も埋まっていない状況を見て私は会場内部のガラガラぶりを早くも想像していたのです。。。

試合開始15分くらい前に会場に入ったのですが、絶句してしまいました、、、正直全日本の国際センターや福岡スポーツセンターでの”超満員”の光景は見たことが無かったのですが、この閑散ぶりは半端じゃなかった!興行半ばの時点でも最前列は隅の3~4席に空席があり、2~4列目は半分程度しか埋まっていない、、、5列目以降は人が座っている席の方が少ない、、、という体たらくでした。眺めのいい2階席にはパラパラと若者はいましたが、、、、

この日の観客はせいぜい4~500人といったところでしょう。北九州市もそれほど「田舎」という訳でもないのですが、「全日本の地方興行はこれほどまでに落ち込んでいたのか!」と認識されられる瞬間でした。館内も熱烈なファンはあまり見受けられず、非常に緩慢な雰囲気の中試合が進みました。第5試合は見ようによっては面白いカードなのですが、もみ合い~場外乱闘が繰り返された挙句両リン決着という実に退屈な試合でした。

しかし唯一観客の感情が揺れ動いたのが第4試合です。まだその年の2月にデビューしたばかりの小橋のファイトは私自身も楽しみしていたのですが、実際の試合でも新人とは思えぬようなアグレッシブかつ意表を突いた攻撃を繰り返し、明らかに感心している館内の反応がありました。数年後三沢光晴を特集した別冊ゴングでもこの試合の事を報じています。

⑨30分1本勝負 〇ハンセン・ゴデイ(10分2秒 片エビ固め)●輪島・カブキ

そして問題のメインです。セミも天龍の良さが全く出ていない退屈な試合であり、館内のテンションはまったくボルテージが上がらないまま最終試合を迎えました。しかしこの試合もリーグ戦ではないため、それほど注目の試合でもないのです。組み合わせもそれほど新鮮なものではないためセミの天龍の試合が凡戦に終わった後帰った客もいたかも知れません。

試合開始!輪島は積極的にハンセン、ゴディと絡みます。しかし「間の悪さ」は相変わらず解消されておらず、リズム感もないためどうにも客はのりきれません。微妙に消化不良の状態のまま5分が経過します。そのあたりで館内後方から制服姿の中年男性がぞろぞろ姿を現してきました。もちろん試合中です。そしてその人たちはフロアの客席、、、折りたたみいすを片付け始めたのです!そりゃあ、館内ガラガラで10列近くある椅子の半分は埋まっていないのですから早めに片づけたいという気持ちは分からなくもないのですが。。。

中年男性達は椅子をバタッバタッと大きな音をさせて折りたたみながら、専用のカートの中に椅子を放り込みます。もちろん客はそれに気が付いていますがその行為に野次を飛ばすような熱気のある客はいません。そしてリング上のレスラーもそれに気が付いていたと思うのですが、もちろん何かリアクションを起こすこともありませんでした。エンタテイメントにたけた今のレスラーなら逆に「人が一生懸命試合してんのに片付け始めるなよ~」とイジッたかもしれませんが。。。。

しかし、試合の最中椅子を片付けるなんてことは頻繁に行われているのでしょうか?あまりにレスラーに対して失礼だと思います。他の競技の試合最中、いやインディーのプロレスでもあるのでしょうか?情報があれば教えていただきたいです。

そんな中輪島の攻勢が始まりました。ハンセンをリングのコーナーサイドに追い込み水平チョップを連打します!ご記憶の方も多いかと思いますが、輪島はチョップを連打する際「オオ~イ!オオ~イ!」というような掛け声とともにチョップを打つのです。この時もその声を連打していたのですが、悲しいかなその際椅子を折りたたむ「バサッ!バサッ!」という音と妙にシンクロしているのです、、、」例えるなら「オオ~イ!」「バサッ!」「オオ~イ!」「バサッ!」という感じで、、、、

むしろそれを意識したかのような「オオ~イ!」「バサッ!」が1分近く繰り広げられたのですが、突如ハンセンが逆襲!パンチとキックで輪島の動きを止めるとかなり唐突なウエスタンラリアットであっさりと試合は終わりました。なんとも盛り上がりに欠けた興行はこれにてジ・エンド。職員の頑張りによって?椅子もその時点で1/3近くは片づけられていました。。。。

輪島の5回目のフォール負けはこのような誰も知らないような地方会場でひっそり記録されました。この時点の立場上負けは仕方ないのかも知れませんが、輪島の盟友石川は流石にこの偉大な先輩の雑な扱いに怒ったのではないでしょうか?後楽園での敗戦も相当頭にきたでしょうけど、今回の件は許しがたいと!試合中の椅子のかたずけは通常行われていないのなら、逆にそれを馬場が了承したという事になります。いわば嫌がらせ。

そのような陰湿な?嫌がらせに堪忍袋の緒が切れた石川が引退を決断し、責任を感じた輪島もそれに追従した!

ということが今回の私の妄想であります。この点については私の一方的な思い込みでしかありません。しかし石川についてはこの年も最強タッグのメンバーに選出されず、「もう若手に追い抜かれるだけ」という意識もあったのが後押ししたのかもしれません。

まあ、とにかくあの「椅子片付け」は不快だった!

今日はこんなところです。それでは、また。

#輪島大士

#全日本プロレス

#ジャイアント馬場

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