適応機制〜人は不快な状況を別のことに置き換えて処理するものです。

こんにちは、みやけです。

今回はカウンセリング関連の話をしたいと思います。

“適応機制”という気持ちの処理の行為について紹介したいと思います。

人は心に負の強い負担がかかった時、どうにかそれから回避しようとします。精神に長時間強いストレスを抱えると他の臓器の活動に影響を与えかねませんからね。

では、それから逃れられないような状況の時、どのような行動を取るのか?という事なのです。例えば今回のコロナの問題でイライラが溜まっている状況ですね。この気分を解消するための行動を適応機制と呼ぶのです。これは意識的に行う場合もあれば、無意識に行動している場合もあるのです。

では、その適応機制にはどんなものがあるのか?代表的なものから紹介していきます。

抑圧

実は最も代表的な適応機制なのです。要するに耐える事です。自覚していながらも、その気持ちを無意識の領域に押し込む機制です。しかし抑圧された欲求は解決されたものではない為、夢や失錯行為などが症状として現れます。

失錯行為というのは、「こうしなきゃ!」と思っていても無意識の内に行ってしまう行為です。嫌いな人の名前をど忘れしてしまったり、行きたくな所に行かねばならぬ直前に急にお腹が痛くなったり、、、失錯行為は本音の現れと言われています。

代償

目標や衝動が満たされない時に、他の人・動物・物・別の目標に置き換えて心の負担を軽くする事です。例えばストレス解消の為に温泉に入ってみたり、飼っているワンちゃんや猫ちゃんと遊んでみたりして気分を紛らわす事ですね。対処法としてはかなり健全な行動であるようです。

投射

受け入れ難い感情や欲求を自分が認める事は不安が生じる為、他の人や物に移し替える事。最も身近な行動で言えば八つ当たりがありますね。家庭内でのイザコザの悩みがある場合、その投射として職場の未熟な部下にあたり散らす、なんて事はよく見る光景だと思います。

それくらいならまだいいのですが、結構これは深刻な状況に陥る場合が多く、幼児虐待なんかもこの変形ではないかと思うのです。自分が幼児期に親から受けた暴力を自分の子供に繰り返してしまう。もしくは他で受けた、もしくはパートナーから受けた不快な感情を子供にぶつけてしまう。。。。これはその次の世代へと連鎖されやすいのですね。

転移

ある対象に向けられた感情や態度を、全く別の対象に向ける。例えば担当医への不満をつい看護士に向けてしまう、という表現が分かりやすいでしょうか。

同一視

個人的には中々興味深い行動です。自分にとって期待している態度や価値観を取り入れて、それを基準とし、それに従った行動を取るようになる事です。例えば自分が憧れるタレントやアスリートの服装や言動の真似をする事で、自分はカッコ悪いのではないか?という不安を取り除いたり、自分自身の劣等感やコンプレックスを抑圧しようとするものです。

当事者が見たら怒られるかもしれませんが、一部のマニアックな業界のコスプレ等はその意味が大きいのかな?という気もします。私もやりがちですけどねw

合理化

葛藤や罪悪感を伴う言動を正当化する為、何か別の理由をつけて情緒的な安定を図ろうとする試みです。イソップの「甘いレモンと酸っぱいブドウ」の話を思い浮かべて見られればわかりやすいと思います。急にメディアで有名になった芸能人等が前職や出身地、学歴等本業とは関係ない事で陰口を叩かれたりするのは良くありますが、そのあたりも合理化の一つではないでしょうか?

逃避

うまく適応できない状態から逃げる事。空想への逃避、病気への逃避、他の現実への逃避等が挙げられます。一件、ネガティブな言葉のように聞こえますが、個人的には有効な手段の一つだと思っています。逃げなきゃならない時は逃げるべきなのです!

攻撃機制

欲求不満などの原因に対して、攻撃を加えるなどの脅威を与える事で解決を図る事です。もちろん、絶対に回避すべき行動ですが、昭和の時代は普通に存在したように思えます。

その他、反動形成・否認・補償・知性化・白昼夢等多くの適応機制があります。

そして現在、日本だけでなく全世界の多くの人達がコロナ問題で鬱々とした逃げようのない気持ちに追い込まれているのではないかと思います。

骨髄職場を経験した私からすると、免疫力が極端に低下した移植の前後と同じ状況であり、「急にこんなことになって皆辛いだろうな」とつくづく思います。

そして今回の話の結論です。

勿論、コロナそのものにどう対処すればいいかという事を述べるつもりもありませんし、その資格もありません。ただ、心の持ち方のについて案をだしたいのです。

今回紹介した適応機制について、自身が意識的に何を行動する事が大事だと思うのです。この状況下において、イライラするあまり無意識に適応機制を選択して荒れ狂う人々が何と多いことか!いや、それで解決していればまだしも、更なる心理的負担を抱え込んでどうにもならなくなっているケースが多いように思うのです。

国家や政治家、果てや医療関係者や芸能人に至るまで、問題を起こした、いや注目を浴びた人への罵詈雑言。。。。そんな事をしても多くは心が晴れる事は無いのです。

ならば、自分で意識的に適応機制を選択した方がまだいい!そう思うのです。勿論やっていいことと悪い事があるのですが、そうであれば、不条理な状況でもなんとかやって行ける、そんな気がするのですね。

1年近く闘病生活を送った者としては尚のことそう思います。

参考になればと思います。

今日はこんな所です。

それでは、また。

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