野球少年の夢〜〜左打ちのケジメ(7)

こんにちは、CMBOです。今回は久しぶりに私の中学時代の野球部の話の続きです。続きというか物語がかなりクライマックスに近い時点で少し間が空いてしまいました。書きたい事が他に出てきたら直ぐに書き始めちゃう人なんで。。。

といってもこれはこれで書きたかった話ですので、そろそろ続きを開始せねばと思ってました。元々は私がだいぶ容態が良くなり、次の人生の目標について書いていたら思い出して書き始めた話なんで、そもそもが脱線しまくった話なんですが。。。。

少し話をふりかえってみます。中学校野球部内で落ちこぼれだった私ですが左打ちに転向したことにより見間違えるばかりの長打力がつき、新任監督(担任の先生)とのいい出会もあって、徐々に存在感を増す事に成功しかけていました。そして迎えた練習試合、私は他のスキルの高い控え選手を押しのけて終盤でのピンチヒッターに起用されたのです。相手投手はノーヒットノーラン継続中です。

そして話は試合中に戻ります。1球目は手が出ず見送ってストライク。そして2球目。相手のストレートに思い切ってバットを振りましたが、高めの速球につられいつものスイングとは全く異なる不恰好な振りでストライクを取られてしまいました。緊張で兎に角手を出さなければ、という気持ちが先走り全く自分のスイングが出来なかったのです。

そして3球目。定石なら1球ボールで外すところですが、相手投手はこちらを見下しているからか、今日は2-0からでもポンポンストライクを取りに来ていました。次も際どい所にストライクが来る可能性は十分あります。球数が増えていってカーブか何かの変化球でも投げられた日にはもう打つのは無理。そんなスキルは持ち合わせてないのです。

そして3球目!ややボールくさい真ん中低めのストレートです。実は私の最も好きなコースです!私はフルスイング!今度は自分のスイング!しっかりとボールを捉えた感触がありました。練習の時のようにライトはるか上空の弾丸ライナー、とはいきませんでしたが、鋭い速さのセンター返しとなり、ボールはピッチャーの横、腰のあたりをライナーで通過していきました。

その時のピッチャーの「ドワッ!」とでもいうような驚いた表情は今でも忘れられません。打たれたヒット性の打球は今日はこれが初めてだったからです。「よし!センター前ヒットだ!」と私は走り出しながら確信しましたし、味方ベンチも湧き上がりました。

しかし、運命の神様はそこまで甘くはありませんでした。私の打球は普通に行けばセンター前ヒットだったのですが、5章で書きましたように、ショートが私の素振りを見て警戒してセンター寄りの守備位置を変えていたので結局強い当たりにもかかわらずショートが追いついてしまい無念のショートゴロによるアウトとなってしまいました。

味方ベンチからは「走れ〜っ!」という歓声が湧き上がっていましたが、私の足ではどうにもなりませんでした。そして次打者もセカンドゴロに倒れゲームセット。我が中学はノーヒットノーランを食らって負けてしまったのです。

無念の敗戦。。。。しかし相手中学のグラウンドを後にする私の気持ちはなんだか充実していました。惜しくもヒットにはなりませんでしたが、私だけが相手に一泡ふかせかけたのです。私は興奮を隠せませんでした。ナインも「あれは惜しかったな」と労ってくれ、監督も「なんかやってくれそうな気がしたんだよなあ」と笑いながら声をかけてくれました。

家に帰って食事を取り、ホッとしたところでここ1年あまりコツコツ努力した思い出が蘇ってきました。もちろんまだ大きな結果を出したわけではないのですが、周囲に見せつけたのが自分としては大きな充実感がありました。そしてこんなに長期的に物事に取り組み成果を出すことはこんなにも楽しく自分の心の支えになるものなんだと思いました。

近年体育会系運動部の指導者からの威圧的なパワハラ、度を越した指導が問題視されており、部活動・アマチュアスポーツクラブの存在が一般社会から疑問視されることが多くなっています。私の意見は「一般社会」の側にあります。

とにかく日本のスポーツ界は「自分が現役時代辛い目にあったから、その下の代も同じような目にあって貰わないと納得いかない」という考えからくるパワハラの連鎖がまだまだ残っており、(以前よりは随分改善されましたが)私もそのようなニュースが報じられる度腹立たしく思っています。

しかし、中学高校時代に自分の体力の限界が見えるまで部活動に打ち込むというのはとても自分の心の支えになるものなのです!例え大きな結果が出なかったとしても一生を通じて自身の心の支えになるものなのです!中年になってでも「あの時の練習に耐えられたのだから、それと比較すれば今の試練なんて大したことない」と思える人は多いのではないでしょうか?

自分で作り上げた心の支えは強固なものであり、一生の宝となります。「これがあるから私は試練に立ち向かえる」という伝家の宝刀があれば強く生きることができます。この辺りその経験が無い親御さんたちにはなかなか理解してもらえない事が多いのですが、勉強が多少おざなりになったとしても部活動に熱心になることは、勉強では得る事のできないかけがえのない経験をしているととらえてもらえないでしょうか?

さてさて、この話を長く書いてきましたが次回で一旦一区切り、第一部終了としたいと思います。この後中学部活本番の中体連、そして高校編とありますので、壮大な話になってしまいます。

心の問題、移植に問題についてもまた色々書きたい事がありますので。

今日はこんなところです。それではまた。

#高校野球

#部活動

#中学野球

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