ジャイアント馬場、上田馬之助腕折り事件の深ヨミ

こんにちは、みやけです。
今回は久々に昭和プロレスの事について書いてみたいと思います。


ブログを立ち上げた時はプロレスの話も1/3くらいは書いていこうと思っていたのですが、自然と私の病気の話ばかりになってしまっていました。
原点回帰!今後はボツボツ増やしていこうと思っています。

今回のテーマは全日本プロレス!昭和58年エキサイトシリーズ最終戦、3月3日の後楽園大会で行われたジャイアント馬場対上田馬之助のシングルマッチにて馬場が馬之助の左腕を集中攻撃し、亜脱臼の上レフリーストップに追い込んだ試合の話です。いわゆる馬場唯一の【制裁マッチ】と言われている試合です。色々と異色の部分が多い興味深い試合なのです。

一般的に語られているこの試合の背景はおおよそ以下の内容です。
まず全日本プロレスのエース、馬場はこのシリーズは本来全シリーズ欠場予定でした。理由は前年末にハーリー・レイスに奪取されたPWFヘビー級王座をレイスの地元、アメリカ・カンサスにてリターンマッチに望む為です。

但し、実際はこの試合は日本でのシリーズ開始直後に行われており、馬場はシリーズ途中で帰国する事も可能だったのですが、(ベルトは無事奪回)
海外マーケット視察等を理由にはじめっから全休の予定でした。
しかしこの事に不服を唱えたのが“はぐれ金狼”上田馬之助!当時は日本側に歯向かう悪役スターとしてトップクラスの扱いを受け、馬場の首を付け狙っていました。

馬場の欠場に腹を立てた馬之助は全日本プロレスのフロントに対し、「馬場が出ないのなら俺もシリーズ出場をキャンセルするそれが嫌なら馬場との試合を組め!」と揺さぶりをかけました。
それを聞いた馬場は「自分がポスターにも載ってチケットも販売されいるのにドタキャンをちらつかせるなんて横暴にも程がある。ここで少し痛い目に合わせないとつけあがるばかりだ」と考え予定をキャンセルして急遽帰国。最終戦で要望通り馬之助とのシングルマッチを組み、通常の内容とは全く異なるシビアな試合内容で馬之助の腕を亜脱臼させた、というものです。

この試合結果はレフリーストップ勝ち。最後まで自分自身で「参った」と言わなかった馬之助の根性に対して、馬場は「流石に力道山道場で鍛えられた男。その根性はちょっと見直した」と語ったとされています。

この内容でも「制裁」と言えば制裁なのですが、全日本プロレスの体質を考えればあまりに異色であったので色々な裏事情が他にもあったのではないかと以前から語られていました。いわゆる「ガチ」「真剣勝負」だったのではないか?という推測です。この件、私の見解を述べてみたいと思います。

まずこの試合が異色だと言われる点


・ロープワークがほぼない。
 馬場の試合でロープワークがない事はほぼあり得ません。16文キックは3流以下の選手との対戦であるなら出ない場合もありますが、ロープに降っての水平チョップ。これは確実に出ます。この試合は1度だけロープワークがありましたが既に集中攻撃を行なっていた馬之助への左腕を再度取りグラウンドに持ち込んでいます。

・試合前半はひたすら地味な関節技の応酬。当時まだファンに認知されていなかったアキレス腱固めをお互い掛け合っている。

相当にエグい腕殺し
写真にもあるように1初目の腕殺しは、相手を腹ばい状態にさせ、両手で相手の腕を取って体重を乗せてジャンプして叩きつける、というかなりエグいものです。仮に馬場側が少し力を抜いていたとしても、そのダメージはかなりのものと思われます。

タイガージェットシンの乱入を全日セコンドが完璧にブロック。
この当時のプロレスの悪役の試合パターンとしては、最後に共闘する選手が乱入し、ベビーフェイス側が後一歩で勝つ!という直前で試合が台無しの反則勝ちなってしまう。。。。というのが日常でした。そして、それをブロックするはずのセコンドは何人もいるのですが、必ず乱入をアッサリ許してしまうのです。
しかし、この試合はパートナーのシンがサーベルという凶器を持って2回乱入してきたのですが、いずれもセコンド総がかりで完璧にブロックし乱入を許しませんでした。

この点だけまとめると、実はガチの試合だったのではないかと思いたくもなります。ただ、前述したアキレス腱固めの攻防にしても、後半の馬場の腕折りにしても、やるかやられるかの緊迫した攻防かというと、雰囲気的にはそうでもなく、どちらかと言えば、馬之助が淡淡と技を受け、ポイントポイントで意地の防御を見せている、そんな印象なのです。馬場側は怒りを露わにするわけでもなく終始余裕です。少なくとも「シュートマッチ」などというものではなく、密着した攻防が多いものの普通のプロレスの試合です。

また、その当時から裏で語られていたポイントとして「馬之助が一般誌で馬場夫人の元子さんの悪口を喋った」という噂があるのです。プロレスファンならご存知かと思いますが、元子夫人は全日本プロレスの肩書きこそないものの、裏のスポンサー件経営者として会社をコントロール。現場の選手の待遇や今後の展開にもあれこれと口を出し内部からは相当煙たく思われている存在でした。

ただし、全日本プロレスと契約を結んでいる内部の選手には中々不平不満を言うことは出来ないと思うのですが、悪党という外国人招待選手とおなじ立場の馬之助は文句を言わずに居れなかったようです。私の記憶も曖昧なのですが、当時のPボーイ誌が馬之助にインタビューを行い、馬之助は「全日本プロレスは女に牛耳られている情けない会社」というような悪態をついたと記憶しています。あくまで私の記憶ですが。

今では一般誌が現在進行中のプロレスのアングルについて記事を書くなんてちょっと考え難い話なのですが、当時はまだまだ世間が普通にプロレスを見ていた時代。同時期馬之助についてはその徹底した悪党ぶりに対して妙に人気が集まり、プチ馬之助ブームが発生していました。
この年の頭には、コント赤信号が歌うレコード「男は馬之助」が出版され、それを歌う赤信号を襲う形で馬之助はオレたちひょうきん族に乱入出演。馬之助もちょっと調子に乗っていたのかもしれません。

当時の元子さんは長年の内縁関係を経て、既に馬場と婚姻済みである事を公表したばかりで、その名前がマスコミに出る事は専門誌でさえもありませんでした。それがいきなり一般誌に影の権力者として名前入りで書かれてしまったんですから、相当にカリカリきたのではないかと思います。ただでさえ、怖い方なのに。。。。。

このような状況だったのですから、この試合が制裁試合だった、と推測したくもなります。Pボーイ?のインタビュー掲載は馬場の遠征中に出版されたと記憶していますが、流れとしては

全日フロントがハワイで静養中の馬場夫妻にインタビュー内容を報告。

馬場夫妻激怒

夫妻は予定を繰り上げて帰国。更に馬之助の希望通りシングルマッチを組み、馬之助をガチ試合で制裁

と、言うことなのでしょうか?

いやいやいやいや‼️
それは穿ち過ぎです。あの試合、そこまでやるかやられるかの真剣勝負には見えません。馬之助は途中からほぼ無抵抗。馬場の腕折りも最初の一発はかなりエグかったですが、回を重ねるにつれ普通のアームブリーカーに変化してきています。

私の推測はこうです!
馬場夫妻帰国までは前述の通りですが、馬場は馬之助に対し「制裁風の試合で完敗する事」を通達したのではないでしょうか?馬之助は馬場のエグい攻撃を甘んじて受けたという訳です。

プロレスファンならご承知かと思いますが、馬之助は若手時代からセメントボーイとしてならしており、単純に関節技の腕なら、馬場・猪木より上だという声が多数ありました。しかし容貌の問題と試合ぶりがあまりに地味な為スター街道は歩けなかったのです。そして苦肉の策として、当時はあまりに斬新だった髪を金髪に染めるという事までして悪役転向を図ったのです。

しかし、戦う馬場や猪木とすれば「本気でやれば馬之助の方が強い」という幻想をファン、そして馬之助本人が持っている事は気に食わなかったでしょう。
馬場にしてみれば、その事を払拭するいいチャンスだったのではないでしょうか?「真剣勝負で戦っても馬場の方が馬之助より強い」というイメージをファンに植え付ける事は、馬之助の契約を解除するより有益である、そのような判断をした気がしてならないのです。

本来なら、プロモーターの悪口を公言するなんて言語道断。しかも今回は一般誌です。この試合を最後に全日との契約を切られても仕方なかったと思いますが、馬之助は3シリーズ後の7月に再登場。福岡スポーツセンターにて、全日のタッグの看板タイトルのインタータッグ王座に挑戦して見事奪取。全日再登場以降初のタイトル戴冠となりました。


前回無難に試合をこなしたご褒美、と考えるのは私だけでしょうか?

その後も馬之助は頻繁に全日のシリーズに参加しましたが、翌年1984年10月のジャイアントシリーズ参戦を最後に自ら全日マットを去りました。翌年頭から長州力率いるジャパンプロレスの参戦が確定した為、もう自分の出る幕はないと判断したのでしょう。結局馬之助が全日を干される事はありませんでした。

以上の内容、全て私の妄想です。既にジャイアント馬場、元子夫人、上田馬之助、レフリーのジョー樋口、全て亡くなられてしまいました。当時者のコメントを聞く事はもう出来ません。当時現場にいて、状況を把握してそうなご健在の方といえば天龍源一郎さん、佐藤昭雄さん、石川孝志さん、マイティ井上さん、グレート小鹿さん、鶴見五郎さん、和田恭平レフリーくらいかなあ。。。。

でも、このままわからない方がいいのかも知れません。妄想に妄想を重ねるのはプロレスファン最大の楽しみですから。。。(笑)

それから、この妄想、どっかで聞いたことがあるなあ、、、と思われる方がいるかも知れません。そうですね。私が良く匿名掲示板で書き込んでいましたから(笑)

今日はこんなところです。
早めに深ヨミの第2弾を書きます。次回は「キラー・トーア・カマタ、PWF王座奪取の真実」(笑)

それでは、また。

#全日本プロレス
#ジャイアント馬場
#上田馬之助

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