馬場・鶴田組、ハンセン・ブロディ組に惨敗、は濡れ衣だった! ~全日本プロレス シリーズの歴史 1983年 GCC パート1 ~ 

こんにちは、みやけです。今回は昭和プロレスの話、1980年代の全日本プロレスの思い出をシリーズごとに語っていく企画の2回目。1983年グランドチャンピオンカーニバルパート1です!

1983年 全日本プロレス グランドチャンピオンカーニバル Ⅰ 3月25日後楽園ホール~4月28日 京都府立体育館

参加外国人選手 テリー・ファンクスタン・ハンセン、 中盤戦~最終戦 ジプシー・ジョー  前半戦参加 テッド・デビアスケリー・フォン・エリックアレックス・スミルノフロン・バスチック・ドノバン   後半戦参加 ドリー・ファンク・ジュニアブルーザー・ブロディハーリー・レイスヘクター・ゲレロ、※更にコーチとしてルー・テーズが参加エキジビションマッチもこなす。

タイトルマッチ 省略!王座移動のみ掲載

4月12日愛媛県民館 インタータッグ選手権 ● 馬場&鶴田(15分21秒  片エビ固め)〇 ハンセン&バス  ※ハンセン組が王座奪回

4月17日 長崎国際体育館 インタータッグ選手権 ハンセン&●バス(13分41秒 体固め)〇馬場&鶴田  ※日本組が王座奪回

その他 PWF戦→1回、UN戦→2回、インタージュニア戦→3回、インタータッグ戦→4回(上記含) インター戦→4回、ミズーリ州ヘビー級戦→2回、アジアタッグ戦→2回 開催 

トピックス

シリーズ開催前から、いわゆる「新日本のIWGP潰し」として企画されたシリーズと評されていました。全段階では「NWAチャンピオンとAWAチャンピオンが同時参戦」とか「各地のローカルタイトルを保持したレスラーが複数参戦し個別のタイトル戦を行う」等当初のチャンカンの目的と思わせるような抗争が練られていましたが、IWGPの「世界ツアー」構想が立ち消えになるとGCCの企画も尻すぼみとなり、苦し紛れに「3シリーズに分けて連日タイトルマッチを開催する」というコンセプトに落ち着きました。開催前にはオットー・ワンツ、ピート・ロバーツの参戦も噂されましたが立ち消えとなりました。

しかしそれでもこの「Ⅰ」は企画を詰め込みすぎ!前半~中盤は引退を4か月後に控えるテリー・ファンクと、師匠に憎悪を燃やすスタン・ハンセンとの抗争で盛り上がりましたが、中盤戦から、ブロディ、ドリーも参戦し、「最強タッグリマッチ」なる企画を無理やり実施、ファンクス・超獣コンビ・子弟コンビの3組でのリーグ戦を開催したのです。更にその間を縫ってタイトルマッチをガンガン開催、前にも書きましたが2週間のみ参戦のブロディはリーグ戦の傍ら自身が保持するインター王座をすべてノーテレビの会場で4度の防衛戦!あのブロディがこんな扱いによく不満を述べなかったものです。

更にはケリー・フォン・エリックが初来日し、当時「NWAへの登竜門的王座」と誉れ高かった「ミズーリ州ヘビー級王座」の防衛戦を天龍、石川相手に行いました。個人的にはこのミズーリ王座の防衛戦が実行された事がこのシリーズで最も意義があったことだったと思っています。更に、インタータッグが移動→奪回の流れがありましたがいずれもノーテレビ、若手選手のリーグ戦「テーズ杯」が開催され越中詩郎が優勝、三沢光晴が準優勝し、両社にはAWAゾーンへの海外遠遠征が約束されましたが、それが実現したのは1年後。しかも行先はメキシコでした。

そしてインターjr王者の大仁田厚はドノバン、ジョーの挑戦を退け、3戦目のヘクター・ゲレロにも完勝しましたが、その試合後左ひざを負傷しリング外で立ち上がることが出来ず、そのまま救急車で病院に直行。左膝の粉砕骨折と診断され復帰まで1年を要しましたが、復調には程遠く半年後には引退する羽目となってしまいました。

当初、この怪我は「試合後の場外乱闘で負傷」と報じられましたが、映像を確認すれば退場直前リングサイドでガッツポーズしたあと、リング下に飛び降りた際バランスを崩してその後立てなくなったことが明白です。全く当時のマスコミのいい加減さがうかがえる出来事です。この事故は明らかに大仁田の不注意によるもの(その前から膝は痛めてはいましたが)ヘクターには何の罪もありません。

注目試合①

4月28日京都府立体育館 世界最強タッグリマッチ最終戦  〇ハンセン&ブロディ(13分9秒 体固め)馬場&●鶴田 ※超獣コンビが優勝

① 馬場・鶴田組がもっとも超獣コンビと対等に戦っていた!説 

馬場・鶴田組対ハンセン・ブロディ組の戦いといえば最もファンが思い浮かべるのが、前年最強タッグ札幌大会での試合でしょう。試合中盤、ハンセンが馬場にラリアット炸裂させ、返す刀でリングサイドに棒立ちだった鶴田にもラリアット叩き込み、直後に試合権利のあったブロディがマットに横たわる馬場にキングコングニードロップを叩き込み3カウントを奪って完勝した試合です。

ジョーさんの失神も乱入もなく、当時の全日には珍しく完全決着がついた試合。しかもラリアット2連発からキングコングニードロップという流れがあまりもドラマチックな為、このシーンは超獣コンビの強さを象徴する試合として頻繁に流されます。このシーンがあまりに目に焼き付けられている為、「馬場・鶴田組は超獣コンビに手も足も出なかった」というイメージがファンには凝り固まっているのではないかと思います。

実際、この京都大会でも完敗しておりますし、1年前、愛知県体育館でインタータッグの挑戦を受けた際も3本勝負で反則勝ちと両リンで命からがら防衛するという「完敗防衛」と揶揄された試合もあり、そう思われても仕方ないのかも知れません。

1982年グランドチャンピオンシリーズ インタータッグ選手権 馬場・鶴田(1-1)ハンセン・ブロディ  ①ブロディ(7分38秒 体固め)鶴田 ②日本組(4分5秒 反則勝ち) ③鶴田(3分8秒』両者リングアウト)ブロディ  ※日本組が13度目の王座防衛

しかし私は昔から「もっともハンセン・ブロディ組と互角に戦っていたのはどのチームか?」ということを良く考えたものですが、他の試合を色々見始めた結果、「最も馬場・鶴田コンビが対等な戦いをしていた」と結論に落ち着いたのです。上の動画をじっくり見てほしいのですが、(画像の精度の問題で半分しかUPしていませんが)、試合の全てを見返しても、まずハンセンのラリアットはかなり唐突に出されており、それまでは両陣営非常にスーディーで迫力のある戦いを代わる代わる行っています。

特に鶴田の動きが素晴らしい!肉体的にはピークの頃でしょうし、相手の技を真っ向から受けつつもそれほどダメージを感じさせず、素早い回復で同レベルの迫力の技をやり返しています。少なくとも試合の最中は追い込まれている雰囲気はありません。馬場は流石に寄る年波か、技を受けた際のダメージの深さを感じさせるものの、それでもまだまだ迫力のあった16文やダブルチョップを繰り出しています。実際、スーパーヘビー級の迫力が濃縮された好勝負だと思います。

しかし、フィニッシュはあまり唐突です。馬場と鶴田はハンセンにカウンターのダブルチョップを食らわしますが、その後鶴田にブロディが襲い掛かり、場外にたたき出されます。そしてチョップを喰らったばかりのハンセンが急に馬場をロープに振り、上記のコンボへと繋がるのです。正直な話、馬場・鶴田組はなんの前触れもなしにラリアット&ニードロップの演武のまえに完敗したのです。

そして問題の京都大会も同じなのです。やはり馬場の動きに緩慢さはあるものの鶴田がそこをカバー。この試合もまた対等な内容であると言っていいと思います。

まだ試合はそれほど佳境に入った雰囲気はなかったのですが、ブロディがシュミット流バックブリーカーの要領で鶴田を抱え、ハンセンがセカンドロープからニードロップを落とします。その後ハンセンのラリアットがさく裂し鶴田がピンフォールを奪われてしまうのです。改めてみるとこの両者の戦いの割にはあまりあっけないフィニッシュです。でもハンセン・ブロディが豪快な勝ち方を見せたことで場内は更に熱狂した感があるのですね。

ここで視点を変えて、他の対戦相手はどうなのか考えてみることにしました。まずファンクスですが、この人たちの対超獣コンビ戦は彼らの年齢的な状況もあって「やられまくること」をウリのひとつとている部分もあったので超獣コンビを「ああ~ダメか~」的に追い込むシーンはほぼなかったと思います。むしろハンセンが後年のインタビューで「主役に執着するこの時期のファンクスにはいい感情を持っていなかった」と語るように超獣コンビがそれを許さなかったと思います。

テリーの引退試合が「ファンクス対ハンセン&ブロディ」でなかった理由のひとつに「とてもではないが、ファンクスが超獣コンビを追い込むようなシーンを作れるのが見えてこない」ということをが想像できたからではないでしょうか?そして次は鶴龍コンビです。

1984年の最強タッグ、彼は「超獣コンビ越え」を期待されました。結果見事に初優勝を飾りますが、最終戦は反則勝ちによるものでした。試合内容ですか、確かに体力負けする事はなくよく戦いましたが、「あと一歩」まで追い詰めるシーンはなかったと思います。更に言えばこの対戦は頻繁に行われましたが、この時期は天龍がまだは発展途上でした。このテーマはいずれ書こうと思っていますが天龍が「勝ちにいくぞー」的な必勝パターンを演出できるようになったのは、正直な話パワーボムを会得したずっと後、1987年頃からだと思うのです。

この時期の天龍のファイトスタイルのフィニッシュへの流れは、相手の攻撃をひたすら受け、耐えに耐え、もう一つさらに耐え、最後は相手の一種のスキを突きクイックで勝利というのが常でした。まだ必殺技を開発できていないというのが大きな理由だったしょうが、ロビンソンとのタッグで覚醒して以降、天龍のビッグマッチでの決まり手はほぼ返し技(大半が首固め)だったのです。いわば(私は知らないのですが)吉村道明的なファイトスタイルでした。

ただ彼の強靭な体力があってこそ超獣コンビのシビアな攻撃を受けきれたのだと思うのですが、傍から見るほうにとってはそれはやや分かりにくい、逆に攻めに転ずるときはなかなか説得力のある攻撃を連続で出せないので、どうしてもやや弱く見えてしまう、そのような状況であったため、鶴龍コンビは子弟コンビと比較してもやや防戦に回るようなイメージの試合が多く、なかなか強いイメージを作れなかったそんな気がするのです。

これが長州・谷津、長州・マサ斎藤のような体力的に勝る日本人相手なら、天龍のスタミナ・体力の凄さは顕著に感じられたのですけどね。

その他、馬場・ドリー組、レイズ・ニック組等が挙げられますが、いずれも超獣コンビと「対等な戦い」とは言い難かったと思います。この馬場・鶴田対ハンセン・ブロディ組の試合について視聴可能な試合は改めて全試合見ましたが、やはりもっとも「対等な戦い」をしていたと思うのです、ではなぜ、全日本の看板コンビが札幌では晒し物にされ?後々も繰り返しこの映像が使われたのか?

思うに①ハンセン・ブロディ組を力を入れて売り出したい(このコンビは新日本は真似できない) ② 去り行くテリーを貶めるような結果は作りたくない ③松根新社長の「全日本若返り政策」の3点の条件をクリアできるものとして、旧体制の象徴といえる馬場・鶴田コンビがやり玉にあげられ、「ファンクスと一緒に消滅させてしまえ!」と新体制が考えたのかもしれません。まあ、そこまでの権力はなかったかも知れませんが、この時期既に鶴龍コンビの本格結成は既定路線だったと思いますしね。

ですので、馬場が試合では負けたものの、内容では奮闘していたのは、この処置に対するささやかな抵抗、、、、だったりしないでしょいうかね?(笑)とにかく札幌でのフィニッシュがあまりにも繰り返し流されるが故「馬場・鶴田組はふがいない」というイメージ刷り込まれていった気がします。

注目試合②

4月28日 京都府立体育館 30分1本勝負 〇 ウルトラセブン(9分55秒 片エビ固め)● ヘクター・ゲレロ

箸を持てなくなったウルトラセブン!

馬場・鶴田やハンセン・ブロディとウルトラセブンこと高杉正彦を同列に語るのか!?」と全日本ファンから怒られるかも知れませんが、マニア的にはこういう試合もまた面白い!これは最終戦京都大会のセミ前で行われた、数少ない「セブンAGE」の試合なのです。普通ならヘクターの勝利でしょうし、この前に行われた阿修羅・原対ジプシー・ジョーの試合の方が後に行われるべき試合です。

なぜこの試合から急にセブンが優遇されたのか?翌シリーズはチャボ・ゲレロが来日予定であり、当然大仁田との抗争が予定されていたと思うのですが、大仁田の怪我で「とりあえずセブンが対抗要員」と決められたのだと思います。この時点では全日本内に他のジュニアの適当な人材はおらず、これはやむを得ない、そしてセブンにとっては千載一遇のチャンスのはずでした!

全日本は「代役で抜擢された」選手が見事にそのチャンスをつかみそのままスターが移動を突き進んだ歴史があります。天龍も、川田も、三沢もそうでした。セブンも乗ろうと思えばそれに乗れたはずなのです。しかし放送内でも紹介されているようにセブンはこの数日前に右手首を負傷し、コンディションは最悪!コーナーから振り向きざまのフライングボディアタックでも一瞬動きが止まり観客から野次を飛ばされしまうのです。

これもまあ、高杉らしいというか、チャンスをつかみとれない人ってたいていこんな感じなのですよね。。。肝心の時に調子が最悪という。。。。それでもこの試合は最終戦なのですから1シリーズしっかり治療して本番の次シリーズではグッドコンディションで出てくればいいのですが、怪我はたいしてよくなっておらず、チャボ戦の試合中解説の佐藤昭雄から「右手のしびれが引いておらず箸も持てない状態」と言われてしまします(笑)

この時点のセブン=高杉であることは公言されておらず、一応設定上は「宇宙怪人」という国籍不明のキャラだったのですが、普段箸で食事をしているなんて生活感あることをサラッとばらされちゃうとは。。。(笑)しかし1シリーズ期間があったのに手首の怪我が治っておらず、それが試合内容にもモロに表れてしまうというのはプロとしてどうかと思います。案の定チャボとの王座決定戦に進出するも試合内容は低調、試合後はマイティ井上のジュニア転向アピールに目線を奪われてしまい、ごくごく短期間であった「セブンAGE」は終わってしまうのですね。まあ、これが高杉選手らしいというか。。。

今日はこんなところです。それでは、また。

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