骨髄移植後3周年突破記念ブログ 〜がんになって、結果的に良かったと思います、今は。〜

こんにちは、みやけです。

この日をもちまして、骨髄移植から無事3周年を経過し4年目を迎えることができました。移植後、若干の体調不良や肝機能数値の悪化はありましたが、本当に順調に治療が進み、移植1年後には職場復帰。慎重に暮らしつつなんとか平和に日常生活を送ることが出来ています。

これはひとえに、骨髄を提供して頂いたドナー様、私の担当医を含む医療関係者、そして献身的に私を支えてくれた妻のおかげです。本当に感謝しています。周囲の方々の誠意・努力を無駄にせぬよう私も「絶対に感染症にかかりたくない!」「コロナにかかるわけにはいかない!」と毎日をストイックに暮らしてきました。いいひと達に巡り会えたからだとつくづく嬉しく思っています。

そしてそれはSNSでの出会いもまた同じだったなといつも思っています。私は病に侵される1年くらい前からtwitterをはじめました。自身の病気の事趣味のプロレスや歌謡曲(特に沢田研二さん)やプロ野球の話題で繋がった方が多いのですが、皆さん本当に優しく心の広い方ばかりで、私がいつもどこかで誰かと繋がっていることを感じさせていただき心の支えの一つになっています。何人かの方は直接お会いする機会にも恵まれましたが、その際も「私がこんな優しい方と知り合いになることが出来たのだ」といつも嬉しく思っています。それはたとえSNS上だけのつながりであったとしてもです。

私は超自己愛人間で調子に乗ってしまう性格ですので、かなり失礼なことや批判の度合いが強すぎることも文にしてしまうことが多く、不快な思いをさせてしまったことも多々あると思うのですが、私が声をかけさせていただくと多くの方から丁寧に返信をいただいており、それは本当に幸せな事です。SNSを始めるまでは私が本当に心の底を打ちあけられるのは妻くらいで、「周りは自分のことをもっとわかって欲しい!」というストレスが充満しており、常にイライラしておりました。

思えば独身時代は、過食で体重は増える一方、パチンコに明け暮れ、身分不相応な金を使い、彼女も出来ずロクな生活をしていませんでしたが、その時私の周囲にいた人たちは、改めて考えても「ロクでもない人」が多く、今付き合いのある人はほとんど残っていません。そしてガンになり自分を見つめ直し、自分自身の悪い点と本当の姿をしっかりと認識すると自然に「いい人」が周囲に集まるようになってきた気がするのです。

みなさま本当にありがとうございます!

そのような表現をすると、なんだか教祖の周りに騙された信者が集まってくる感じで申し訳ないのですが(笑)、周囲に自分が心を許せる人が存在する事こそ心が安定する基盤となりうるものはないと思います。そのような心情ですから、「ガンになって以降、私自身には運が向いてきた」そう確信しています。まだまだ治療中の身であり、担当医からも「寛解!」とも「もう再発の心配はありません!」とも一切言われていないのですが(笑)、それでも人生の中で最高に充実した瞬間を毎日送っているように思えます。

このような表現をすると、すぐに今年6月に亡くなられた山口雄也さんの著書「『がんになって良かった』と言いたい」(徳間書店)が思い浮かぶのです。急性骨髄性白血病に罹患し、かなり過酷な治療に取り組んでいた山口さんですが、残念ながら23歳の若さで天に召される結果となりました。私も山口さんの事は陰ながら応援していました。テレビの特集番組も見ました。しかしそれほど細かく追っていた訳ではなく著書を購入した訳ではありません。ですので、今から書く点はすでに山口さんが説明されているかもしれません。それでもあえて言わせていただければ私が大変共感した点は以下の点なのです。

それは「と言いたい」の部分です。ここに自分なりに納得できる部分を見つけた気持ちと、それでも完全には納得できていないガン患者の心情を短い言葉でうまく表現されているなと強く感じたのです。ガンになって世の中を見る目が変わり、考え方も変わり、それまで見えなかった世界が見ることができるようになり、経験し得なかった経験もするようになります。それは自分自信を内面を成長させるにおいては確かに「良かったこと」だと思うのです。でも代わりに失うものはとても大きい!

でも病気については自分の力ではどうすることができない部分があります。そして大半の患者が過酷な治療に正面から向き合って取り組んできます。それは「適当に済ます」とか「手を抜く」とかは出来ません。血液疾患の治療は好むと好まざるにもかかわらず、否応無しに襲っています。皆やれることは十分すぎるほどやっているのです。その結果いい方に出るか悪い方に出るかは運頼みのような部分もあるのですが、少なくとも「もっと努力すれば良かった」というような”悔い”は残らないのではないかと思います。

ですので、結果についてはもう受け入れるしかない。”様子見”なんて出来ません。でも人間ですからやはり「自分だけがなぜ」という気持ちはどこかにあるのですよ。でもこの気持ちは患者の中でも大小があり一律ではありません。(ここはかなり重要です。がん患者同士でも格差的なものがあるのです)自分の状態を受け入れ、納得しようとしる気持ちが「と、思いたい」に表れている、そんなふうに思います。はたして山口さんの気持ちと通じる部分があるのか。。。。

私は移植前、ヘモグロビン数値がグングン下がり、10日に1回のローテで輸血をしていた際は「」が頭の中を過ぎる事もありました。でも、入院中色々と考え抜くうちに次のような気持ちに固まりました。

人はいつか死にます。私もこの病気が再発して亡くなるかもしれませんし、普通に寿命で亡くなるかも知れませんし、急に交通事故で、、、、それは誰にもわかりません。わからないものについて「死んだらどうしよう」と悩んでも、その落ち込んだ気持ちは解消のしようがない。例え体調が良かろうが悪かろうが、その時の状況を受け入れ、その状況下でできるだけハッピーな状況になれる事を探していこう!という思いに至ったのです。

自分にとって嫌なことをやっているときは「私は今自分が嫌なことをやっている」としっかり認識し、嫌いな人とコミュニケーションを取るときには「自分は今嫌いな人と話している」と認識していくと、ストレスがなくなり、怖い人がいなくなりました。人は「嫌なこと」や「嫌いな人」について、見栄や後ろめたさでその事を中々認めないものなのです。でも認めるとなんと気楽なことか!

今の私は、自分が好きな人とのみ交流を持ち、やりたいことだけをやり、そうでない人・行動については「嫌だけど、仕方がないから」と納得して関わっています。「仕方がないから」って一見ネガティブですが、前向きな思いの「仕方がない」は凄くポジティブである、と最近思うようになりましたよ。今後の事はどうなるか分かりません。でも今を、毎日を充実して生きる事ができるようになったので、がんになって結果的に良かったのかも?と思えるようになりました。転んでもタダでは起きなかった。そんな感じですかね。あのまま病んだ中年で50代を迎えていたとしてもロクなことはなかった気がします。

私の現在の治療ですが、体調はいいのに免疫抑制剤はバリバリ服用しており、免疫力は低いままです。”経過観察”とはいえ治療はまだまだ続くでしょう。コロナとの戦いも他の健全な人よりは長くなると思います。でも特に憂鬱でもないですね。慣れましたし、孤独でもないです。

毎日をエネルギッシュに生きています。「がん細胞もこんなややこしい奴には取り付かないんじゃないか」最近そう思うようになりました。

私は移植を行ったため、もう献血も骨髄ドナーにもなれません。でも今からの人生はなんらの形で少しでも誰かに恩返しできるよう、他者の心にできるだけ寄り添って行きたいと思っています。あ、メールカウンセリング も絶賛継続中です!

今日はこんなところです。

これからもよろしくお願いいいたします。

みやけやすお

#骨髄異形成症候群

#骨髄移植

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