鬼滅の刃にハマる人、ハマらない人 それぞれの性格分析

こんにちは、みやけです。

先週火曜は仕事が休みだったので、『鬼滅の刃 無限列車編』の映画を鑑賞して参りました。いや〜、。。本当に感動しました!正直、いい意味で子供が見る作品ではないですね!私が強く感じたのは血まみれのグロい描写よりも、あまりにディープな心理的描写の連続に衝撃を受けましたで。このPG12指定であるのはその辺りもあるからかな?と思ったりもします。

勿論、このブログでネタバレを延々と書くわけにはいかないのですが、それぞれの登場人物達の想いに深く共感しできる大変素晴らしい映画だったと思います。ラストシーンは流石に私も目頭を熱くせずにはいられませんでした。

平日の16時から鑑賞したのですが、田舎の方の映画館だったので観客は30〜40人程で落ち着いて観れました。但しパンフレット等のグッズは完売状態。。。。唯一伊之助の1600円のマスコットのみが残されていただけでした。。。。伊之助。。。。。

さて今回のブログでは、なぜこれ程までに鬼滅の刃が人気を博しているか?心理学的な面から分析してみたいと思います。便乗と思われるかもしれませんが、私も以前からのファンの1人なんです。。。。今年の2月頃からですが。。。。

このブログでは1回だけ、この物語に関係があるのではないかと言われている地元の神社に行った時のことについて書きましたね。

あの時点ではファンになってアニメを見始めた直後くらいした。現在はアニメは全て見終わりました。単行本は。。。。まだ全く購入しておりません。。。。ただしかし、その奥行きの深さにのめり込む一方なのです。(現在は12巻まで購入した後敢えてストップしております)

多くの方が指摘するように、最初炭治郎の家族が惨殺され鬼殺隊に入る辺りまではちょっと残酷で救いのない辛いシーンが続きます。特に鱗崎さんの元での過酷な修行シーンで耐えられなくなってしまう人が多いように思えます。でもそれを乗り越えるとこの作品が読者に与えたいテーマが徐々に見えてきたのです。

それは何か?

あくまで私独自の見解なのですが、『日々我慢する毎日を過ごしている人々』『他人の為に生きる事を厭わない人々』『図々しくてズルイ他者に耐えて生きている人々』に対してエールと励ましのメッセージが潜んでいるように思えてしょうがないのです。

鬼にされた妹を人間に戻す方法を聞き出す為に鬼殺隊に入るという途方もない目的を抱える炭治郎ですが、意外と鬼との戦闘シーンで感情的になる事は無いのです。基本戦いがメインの漫画であり、敵へ怒りの感情を高揚させる事は必須であると思うのですが、あくまで「どうやったら勝てるか?」を考えるシーンばかりが目立つのです。

そして倒した鬼に対し、「成仏してください」とまで声をかける炭治郎。いわゆる“声がでかい人”なら「何を善人ぶっているんだ!」とイライラしてしまうと思うのですが、その逆、常に周囲のいろいろな人達に気を配りながら生きている方々には逆に共感できる部分があるのではないでしょうか?

そして戦う鬼達はさまざまな“ズルい”事を仕掛けてきます。それが心理戦であったり、戦略的なものであったり、、、、そして鬼殺隊から刀で斬られても首を完全に切断しない限り直ぐに再生して元どおりになってしまう。。。。こちらが死に物狂いで成し遂げた事をいともあっさりチャラにしてしまうのです。

正に鬼は世間にもウジャウジャいるあ“ズルいヤツ”“嫌なヤツ”“自分の事しか考えていないヤツ”なのです

更に鬼側の理屈を聞いていると、弱い人間だったから鬼になってしまい、楽な方法で(自分より弱い人間を食べる)いい思いをしようとしているとしか思えないのです。

以上のような理由から、愚直にかつ必要以上に感情を露わにせず、黙々と戦う炭治郎の姿は一定の人の心を打つのではないでしょうか?“一定の人”の定義ですが、ここでは①思いやりが無い人 ②あまり深く物事を考えていない人 ③思いやりがある人 ザックリですが、人と接しているとこの3つのパターンに分けられると私は思うのです。

そして鬼滅の刃は③の層の心に響いていると思うのです。具体的に例を挙げて分かりやすく説明させて頂きます。吉本興業のM -1王者の漫才師、銀シャリのお二人を例に挙げさせていただきます。

右がネタを書いているツッコミの橋本直さん、左がボケの鰻和弘さん。彼等は鬼滅の刃のネタも持っていますが、鬼滅にどハマりしているのが橋本さんの方で、鰻さんの方は漫画の最初と最後だけは読んだが、特に響くものは無かった模様です。

ちなみに2人の性格は、鰻さんは周囲の誰もが認めるド天然マイペース人間橋本さんは未だ独身、たとえツッコミのワードチョイスの鋭さを見ても分かるように24時間漫才のネタを考えてそうな神経質そうな人間。。。。橋本さんの方が鬼滅にどハマりしたというのもよく分かる気がします。

あ、私は銀シャリは2人とも大好きですし、鰻さんをdisりたい為に態々名前を出したわけではありませんので、、、、ご了承下さい。

これはあくまで例えの一例ですが、この漫画は上であげた①と②のパターンの人には響かないと思っていたので、今やこの漫画が老若男女全ての人達を巻き込むようなブームになっている事は驚くしかありません。

それだけコロナ禍において、多くの人が我慢する側の立場になっているからでは無いかと思います。

あともう一つ言えば、映画のヒットは3世代を巻き込んでいるのも大きいかと思います。私の住むマンションは某大型ショッピングモール(映画館併設型)のすぐ近くであり、映画を見終わった方、映画の広告を見た方のリアクションもよく耳に入ってくるのですが、結構おじいちゃん・おばあちゃんの世代もハマっているようなのです。

といってもその世代って私とそう年齢が大きく離れているわけでも無いと思うのですが、コロナ禍で孫に会えず、グッズや漫画本をプレゼントに買ってあげたりしているうちに自分もハマってしまった、というパターンが多いような気もするのです。よく考えれば、『近未来』でなく『大正時代』という設定が高齢者に対してのハードルを下げているのかも知れません。登場人物や台詞も慣れ親しんだ和の言葉が多いですから、入っていきやすいように思います。

(加筆)

そして、、、、こんなことを書くと反発する方もいるかも知れませんが、、、、長男である私にはまさに長男像の鏡とも言える炭治郎の言葉ひとつひとつがグッと刺さるのです。そして煉獄さんの言葉もまた。長男と次男、兄と弟、姉と妹。私の妻も長女なのですがその感情は強く抱いたようです。長男って家族間においてのトラブルや揉め事に対し、常に逃げず正面から向き合わねばならない存在だと思うのですよ。逆に次男以降はいつでも身を引けるし、居なくなったと思ったら急に入ってきて正論をまくし立てる。。。

もちろん弟側からは「決めつけもいいとこだ!」という意見はあるでしょうし、兄弟のトップであるがゆえに特に何かしたわけでもないのに金銭的に恵まれることは多いと思います。それは否定しません。でも「お兄さんだから」「お姉さんだから」と難解な問題に向かわざるを得ない、、、、この感覚って長男長女の皆さんは賛同してもらえるんじゃないでしょうか!

炭治郎の幾多の行動は正に長男的思考からくるもの。そこまでする必要は無いのに自分の正義感が許さず突っ込んでいくのは。。。

最後にひとつ。ややネタバレになりますが、映画の最終局面で柱の煉獄さんが鬼に対して言い放った『私はお前が嫌いだ!』というセリフ!いいですね〜。人ってなかなか嫌いなものを嫌いと言えないものなんです。特に親、教師、上司等には「今まで育ててくれた」「今まで世話になった」恩義が頭を過ってしまい、本心は嫌いであってもそれを打ち消してしまうものなのです。

その結果どうなるかと言うと正論を振りかざした弱いものへの虐めと変化するのです。人は自分自身が何を考えどう思っているかをしっかり認識していないと、心が病み余計なトラブルを起こしがちなのです。

勿論、現実社会では態々相手の前に行って「お前が嫌いだ」と言う必要はないのですが、煉獄さんのように嫌いなものは嫌いだとしっかり自分で認識しておくことが健全な心であり、自立している証拠なのです。

今日はこんなところです。映画はまた行こうと思っています。

それでは、また。

#鬼滅の刃

#竈門炭治郎

#無限列車

#銀シャリ

#DemonSlayer

この章ものぞいて貰えれば嬉しいですね。理屈が多いですが。。。。

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