沢田研二ディスコグラフィー④ (麗人から晴れのちBLUEBOY まで)

こんにちは、CMBOです。
今回は沢田研二さんのディスコグラフィーの4回目です。

◉ 麗人

1982年1月10日発売。作詞阿久悠、作曲沢田研二。オリコン最高順位10位。ザベストテン最高順位6位。売上計22万枚。オリコン登場週16週。

メイクはほぼ定番となっていたジュリーでしたが、本格的に“女装”して出したシングルは初めてだったのではないでしょうか?
髪も三つ編みのウイッグをつけるという中々凝ったコスチュームでしたが、歌詞の内容は男性側から見た恋愛感情を歌ったもので特別際どいものではありませんでした。

この時期、ジュリーの周囲はザ・タイガース同窓会に話題が集中しており、ファンもこの曲の応援はややなおざりだった感があります。
個人的感想を言えば「ロックにオリエンタルムードを融合させたなんとも不思議な曲」という印象です。

◉ “おまえにチェックイン”

1982年5月1日発売。作詞柳川英巳、作曲大沢誉志幸。オリコン最高順位8位。ザベストテン最高順位2位。売上計27万枚。オリコン登場週19週。

正式題名は“”でくくられるのですが、以降のリストでは統一されおらず、最近はうやむやになっているようです。出だしの「チュルルル、チュッチュ〜」
のパートは沢田研二、大沢誉志幸、佐野元春、伊藤銀次さんによるものです。
シングルカットされた曲はありませんでしたが、この時期佐野元春さんは多くの楽曲をジュリーに提供しており、コンサートでもよく歌っています。

シングルでのお披露目となった夜のヒットスタジオでは画像のようなグリーンを基調としたインディアン風コスチュームでしたが、その後デカい羽飾りをつけた白を基調としたインディアン風コスチュームにマイナーチェンジしました。丁度ドームでの還暦記念コンサートでの最初の衣装に似た感じのものです。

非常に夏らしいテンポのいい曲で、近年のコンサートで歌う際は、「ホールドミータイッ!」と歌いながらジャンプして両脚をLの字に折り曲げるというパフォーマンスをみせてくれます。

6番目の・ユ・ウ・ウ・ツ

1982年9月10日発売。作詞三浦徳子、作曲西平彰。オリコン
最高順位6位。ザベストテン最高順位3位。売上計26万枚。
オリコン登場週18週。

最初の女性コーラスは「I don’t need your love at all」と言っています。舞台での演出では「毎日僕眠れないやるせない!」の後バックバンド全員と一緒に「ハッ!ハッ!ハッ!」と右手を突き上げるパフォーマンスがとても印象深いのですが、収録レコードではほとんどその部分は協調されていません。

全体をオールバックで固め、一番前の10本くらいを前に垂らす、というヘアスタイル。80年代半ばから90年代に非常に流行り石井竜也さんや藤井郁弥さんが印象深いですが、その前にジュリーが試行済みだったわけですね。

そして残念なことに、ザベストテンではこれが最後のベストテン入した曲。オリコンでも現時点この曲が同様に最後のベストテン入曲となっています。別番組のザトップテン等では単発的にベストテン入した曲ではあるのですが、事実上これがジュリー最後の誰でも知っているヒット曲ではないでしょうか?

私的にはこの曲、決して嫌いではないのですが、ずっとジュリーの歌を聞いてきたファンからすればやや異色の曲なんですね。
この時点でジャニーズグループの台頭でやや人気に陰りが見えだしたのは事実だったとはおもいますが、以降ここまでヒット曲に恵まれなくなるとは思ってもいませんでした。

背中まで45分

1983年1月1日発売。作詞作曲井上陽水。オリコン最高順位20位。
ザベストテン最高順位15位。売上計9万枚。オリコン登場週12週。

前年末出版された「mis cast」の収録曲。このアルバムは当初今まで全く絡みがなかった井上陽水に対して2、3曲程度曲を作って欲しいという要請を出したのですが、陽水側が「ジュリーに提供するんだったら詞も書きたい」となり、最終的には全曲作詞作曲を任せる形となったようです。

陽水さん側からすると「いやあ、今日もモテてモテて、という男の願望を満たせる曲だったらいくらでも案が湧いてくる」との事だそうで。この背中まで45分についてはジュリーの要望でシングルカットされた曲。井上陽水ワールドに専念するためか、メイクもかなり抑え、黒のタキシードの衣装を貫きました。

しかし売上的には10万枚にも満たない惨敗。内容的に時間を計りながら女性とここが通じ合っていくのを表現する長い歌なので1番しか歌えない歌番組では、15分くらいの時点で急に歌が終わってしまうというもどかしい部分もありました。
「mis cast」は今までアルバムの雰囲気と大きく異なるとてもクオリティの高いアルバムだったと思うのですが、「背中まで45分」がコケてしまった為、井上陽水さんとの絡み自体がジュリーの実績の中で黒歴史っぽくなってしまっているのはとても残念です。

晴れのち blue boy

1983年5月10日発売。作詞銀色夏生、作曲大沢誉志幸。オリコン
最高順位11位。ザベストテン最高順位12位。売上計10万枚。
オリコン登場週9週。

ジャングルビートを前面に押し出した新曲です。
テレビ最初のお披露目は夜のヒットスタジオでした。
イエローをベースとしたド派手な迷彩服に、土色の地味なマント。
そして何故かピンクのスヌーピーのぬいぐるみを腰にぶら下げているというアナーキーなコスチューム!
これはとても期待できるはずだ!」と当時の私の心は踊りました。

しかし、視聴後の感想は「意味がよくわからない」というのが正直なイメージでした。詞も曲もあまりに前衛的すぎて一般の人にはどうにも理解しがたい歌だったのではないかと思います。
私もこの曲の良さが分かるようになったのは、それから20年くらい経ってからでした(苦笑)。ジュリーはこの曲を今でもコンサートでよく歌っており思い入れは深い曲なのではないかと思います。

しかし、この時点ではジュリーはまだまだスーパースターの存在でした。前曲のセールスが低調に終わり昨年1年間もビッグヒットと言えるような曲は出なかっただけに、商売的には世間一般が分かりやすい曲を出したかったのでないかと思いますが、ここで「実験曲」を放り込んでくるところがジュリーらしいのではないかと今では思っています。

そして次回に続きます。それではまた。

コメントを残す

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。