~親友はいた~  骨髄移植4周年突破記念ブログ 

こんにちは、みやけです。今回は久しぶりに私の病気のことについて書いてみたいと思います。

このブログも最近は趣味のジュリーやプロレスの話ばかりになってしまっていますが、本来闘病ブログなのです!私は約5年前に「骨髄異形成症候群」という血液のがんを患い、その1年後「骨髄移植」という大きな手術を受けました。その後まずまず経過は順調で本日を持って移植4年目を迎え、5年目に突入したという事なのです。

術後は免疫力が低い状態が続いたため、常に不自由な生活を強いられていましたが、そうこうしているうちにコロナ禍が訪れ国民の大半がマスクを着用して日常生活を暮らし、人込みを避け、帰宅すると念入りにマスクとうがいを徹底的に行う、という退院直後の私と同じような生活をする羽目になったのです。皮肉なものです。私自身はコロナ禍については、もとも人の多いところは好まず静かに暮らしたいタイプの人間だったので特に窮屈とは思わなかったのですが。。。

ちなみに先日(金曜)月1回の定期健診があったのですが、血液検査の数値の度合いによっては4年間服用しつづけた「免疫抑制剤」を飲まなくてよくなるかも?という大きな分岐点でもありました。結果数値は問題なく服用止めになるかと思ったのですが、私はちょっと厄介な口内炎的な疾患にも罹っており、最近それが悪化して別の病院で治療、ステロイドでうがいをする治療を行っている事を「正直に」担当医に話すと顔が曇り、免疫抑制剤服用継続となってしまいました、、、グスン。それってGVHDの1種にもとれるので慎重を期したようです。黙っとけばそのまま流れたかも分かりませんが。。。

まあ、それはいいとして「絶対にコロナにかかる訳にはいかない!」と怯えつつも、なんとかここまでたどり着けたのは、周囲に理解しくれる方々がたくさんいたからこそ!この病気は周りの人には中々その状態が理解しにくい疾患なので、自身の辛い状況を語ることが出来る相手は本当に限られるのですね。最大の理解者は私の妻、いくら感謝しても言葉が足りないと思いますし、妻自身も本当につらかったと思います。2人で力を合わせて乗り越えることが出来たのだと思います。

そして私には友達がいません。メールや電話で急に連絡が入って近況を語り合うような相手は誰もいないのです。私くらいの年代(現在55!)になるとそのような状態の人も多いかもしれませんが、もうかれこれ10年以上そんな状態です。私の事がいくらかでも頭の片隅にある人は私の周囲にはいないのです。職場の人はむしろ私の方から上辺だけの付き合いをしていますね。今の勤め先は嫌いなもんですから。。。

それを考えると、SNS(twitter)で絡んでいていただいてるフォロワーさんの方たちには友達、いやそれ以上の存在であるという 感謝の気持ちを持っています。私は闘病アカと趣味アカ(昭和プロレスや沢田研二)を使い分けていますが(最近はごっちゃになっていますが、、、)多くの方が私の気持ちを受け止めてくれますし、たまに、いや結構な頻度でツイートする強い言葉での社会への不満や失礼なリプにも寛容な対応をされていただいているので本当に有難く思っています。

その中の何人かには直接お会いさせていただいた方もいらっしゃいます。皆さん人間的にも魅力的でかつ優しい方でした。でも私のような古い人間にとっては、そのようなSNS上だけの付き合いでどこまで馴れ馴れしく話していいものだろうか?と躊躇することが多く、本来声をかけるべき時になにも言えなかったりして申し訳なく思います。こっちはほとんど「友達」とは思っていても相手からしっかり認知されているか気持ちが揺らいでしまうのですよね。

でも、いろいろと辛い状況を呟いた際、少しでも相手をしていただいているのは、私のような承認欲求と自己愛の強い人間に取っては本当に生きる力の大きな糧となり得る有難い言葉なのです!SNSで優しい仲間の方に出会えたのが4年間無事に人生をおくれることが出来た大きな理由の一つだと思っています。

さて、前置きが長くなりましたがw、ここからが本題になります。「私の親友」というのがテーマです。私自身には友人はいませんが親友はいる、と確信しています。私が現時点病気を乗り越えられているのはその男の存在も欠かせないのです。その人は「」という男で私と同い年の幼馴染です。

は中学から大学まで私と同じ学校で過ごし、特に中~高校時代はそれぞれ野球部に所属し過酷な練習を乗り切った仲です。彼はセンター、私はレフトを守っていました。性格は私と全く違います。はストイックでいつも冷静沈着、馬鹿陽気なタイプではないですが滲み出る人徳があってなんとなく人から頼られ向こうから寄ってくるタイプです。そしてモテる!それほどガツガツしてないのに!w雰囲気的には西島秀俊さんみたいなダンディな中年なのです。

私は自己愛が半端なく高いくせに人見知りで寡黙、それでいて常に称賛を欲している、という中々の面倒くさい人間です。人の相性というものは、相手の性格に自分のない部分を見つけた場合好印象を持つことが多い。自分にない部分というのは「長所」と思いがちであり、その部分を見せつけられると心地よく今まで味わったことがない世界だと感じ、相手に好意を持ちがちなのです。

その逆、「会った瞬間感で虫が好かないタイプ」と感じる人は、自分自身と同じタイプの人間であるパターンが多い。自分自身が感じている「短所」というものは多くの人が日常はひた隠しに隠しているものですが、似たタイプの人と相対するとその嫌な部分を否応なしに見せつけさせられている気分になるのです。本当は触れてほしくない自分の嫌な部分を見せつけられるのは不快でしかないですよね。ですので似たタイプの人とは相性が悪い場合が多いですし、逆に言えば相性が悪い人はタイプ的に自分に似ている、と思った方が良い。

話を戻します。と私はいわゆるツーカーの仲です。2人の会話のパターンですが、普段は寡黙な私なのに相手にはあれやこれやと喋りまくり、ニヤニヤしながら聞いているが実にまっとうな正論で私の話のおかしい点をただす、といういわばボケと突っ込み的な掛け合いが常でした。 といると最低限でしか気を遣わずに済みますし、とても心が平和な気分になれるのですね。ただひとつ、「なんだこれは?!」と若き私の心に刻まれた事件がひとつだけあるのですが。。。。

高校3年のある日、私はを含めた野球部の同僚計5人と帰宅途中、格安のラーメン店に入って空腹を満たそうとしました。全員坊主頭の学ラン着用かつでかいボストンバッグを持った高校生の来店、そいつらは全員一番安いラーメンを頼み、クーラーの水を何倍もお替りしながらでかい声でしゃべって30分近く滞在したのですから、さぞ店の人にとっては「あのガキ達、早く帰らね~かな~」という心境ではなかったと思います。

喋り飽きた5人は個々にレジの女の子に会計を済ませ、家路に向けてだらだらと同じ方向に歩き出したのですが、後ろから走り寄る足音が聞こえたので振り返ると、さっき会計をしてくれた女の子が走ってくるのです。「何事か?」と思ったのですが、その子はの前で立ちどまり、なんだか手紙とお菓子の袋のようなものを渡したのです。女の子は一見おとなしそうで私たちと同じ年ごろに見えましたが、そんなドラマのような一瞬に他の4人は固まってしまいましたw。現実にこんなことがあるのか?と。私は「その次か!」とい期待していたのですが、女の子は恥ずかしそうにそそくさと店に戻っていきました。

今から思い返してみても、の存在がそれ程際立っていたようには思えんのです。全員坊主頭で学ランの集団ですし。でもなんか女の子からしたら他の4人にない特別なオーラがあったんでしょうね~。まあそれは極端な話ですが、たまに私が久しぶりに同級生だった女の子と再会した際、の話になると、その存在は必ず覚えられていて、それどころかその本人もしくはその友人が好意を持っていた、という話を何度聞かされたことか、、、、ん~話の趣旨が違ってくるのでこれくらいにしておきますが、まあ、彼はモテたのです!

は大学卒業後、熊本の会社に就職。私は一時大分で働いていたこともありましたが、福岡で再就職しました。との関係ですが、これは中学時からそうなのですが、ウエットな関係ではなく、何かのタイミングで半年くらい全く連絡を取り合わないこともありました。でも再び会った際特に気まずさがある訳でもなく、大人になってからも学生時代の感覚で会話ができるのです。とは半年、長い時には2年に1回くらいのスパンで会って飲みにいったりドライブに行く関係でした。

そしてそうこうする中、は30過ぎに結婚し、私も40超えてようやく結婚したので、「双方妻を連れて2対2で食事会をしよう!」と話をしていたのですが、熊本での大地震が起こりのマンションも被害を受け、それどころではなくなったので食事会は延び延びになっていたのです。その後ようやくの状況が落ち着いたころ、私のがんが判明。様子見の段階の時点では彼にそのことを言うのはためらってしまいました。

めったに近況報告とかでは電話はしないのに「実は俺、ガンなんだ」という連絡を彼に入れるのは恥ずかしくもあり、怖かった部分もありました。昔とは違い会話の頻度も減っており、家族が出来た彼が私が思うような反応をしてくれるかどうか自信がなかったのです。ただでさえ落ち込んだ気持ちになっているのに、唯一”親友”と思っている彼が冷たいとまでいかなくても薄いリアクションだったら、当時弱った心の私を更に奈落の底に突き落とす結果に終わっていたかもしれません。

その際は連絡を見送ってしまった私ですが、その後あれよあれよという間に病気の症状は悪化。化学療法を経て骨髄移植を受けることが決定しました。正直なところ命を落とすことをも想定した私は身辺整理というか、やはりに連絡を取ることにしました。今までに対してここまで深刻な相談をしたことは無かったので、かなり緊張してとある平日の夜にの携帯に電話をしたのを覚えています。

はなんと出張で広島にいました。しかも2週間の泊りの出張との事。彼はそこそこ偉い立場なのです。私はかいつまんで事情を話し「入院前のゲン担ぎにⅠに久しぶりに会っておきたいから」みたいな事を話したのを覚えています。流石に「もう二度と会えないかもしれないから」みたいなセリフは吐きませんでしたが。。。はおおよその状況を汲み取ってくれ「翌週金曜には新幹線で熊本に帰る、その際福岡で途中下車するのでその際飲まないか?」という返事が返ってきました。

には妻もいますし、当時中学生の一人娘もいます。そこで2週間の泊りの出張が入ったなら、終わり次第すぐにでも帰宅したかったことでしょう。会うのは翌日土曜に私が熊本に出向いて落ち合ってもいいのです。でもは直ぐに来てくれた。まだ詳しくは説明していないのに私の尋常でない雰囲気を汲み取ってくれて。私は本当に救われた気がしました。まだ良く事態が呑み込めていなかったの取る行動次第で私のメンタルは大きく左右したと思うのです。「ああ、やはりは親友だった。困っているときに颯爽と現れてくれた!」とつくづく思いました。

飲み会当日、はいつものニヤッとした表情で、かつ優しい雰囲気を纏いながら博多駅の改札を降りてきました。なんだかこのシーンだけで私は自分が欲したかった友からのリアクションが得られた気がして一番感極まったのを覚えています。飲み会の内容ですが、は私の病状について大変親身になって聞いてくれました。ただしやはりというか、この血液疾患においての骨髄移植までの流れというのは、親身になって聞いてくれる人にもなかなか難しいようですね。全体像をとらえるのは。

このでさえ、理解にすごく時間がかかりましたから。それ以降私にそれほど興味のない人にこの病気の事を説明するのにはいい勉強になりました。そう簡単に説明できるものではないんですよ。リアリストのは私を励ましつつも大変冷静でした。私との関係性は湿っぽくなったり感情的になることはないのです。結論としては「自分でどうしようもできない部分もあるようだから、お医者さんの指導を完璧に守って自分でやれることを精いっぱいやるしかないな」という結論になりました。

シンプルかつ明快!でも私はとの約束を完璧に実行できたと思います。ほんとによくやれた!術後の経過が良かったのは周囲の人、医療関係者の力があってこそでしたが、が最後の最後に駆け付けてくれたことはなんだか私のバックに不動明王像がある感じで常に心の支えになりました。一時はそんなドラマチックな告白をするのは躊躇したものでしたが、今では言ってよかったと心から思っています。

その後私はずいぶん元気になりましたが、コロナ禍という思いもよらぬ災いが日本に降りかかり、私は術後未だにには会っていません。年賀状では毎年「事態が収まれば。。。」とコメントが入っているのですが、向こうにも家族がありますしそう急ぐものではないかと思っています。むしろこの40年間ずっと繋がってこれたのだから、特に焦って行動を起こす必要もないかな、と思っています。

さかのぼると、飲み会を終えるときは「出張帰りの俺を途中下車させたのだから、当然支払いは君ね」と言ってその場は私のおごりになりました。その話を他の人にすると「さんの方が私の状況を案じておごるのが流れでは?」という人もいました。でもいいんです。私との関係性はこうなのです。熊本の震災の際も私は何か力になることがないか動こうとしました。仕事の関係上支援物資の調達にはコネがあるのです。でも「今は家族で担当を分担して動いており、差し当たって急に必要なものはない。あれば遠慮なく連絡させてもらう」という事になり、結局私は何も行動を起こせませんでした。

でもリアリストののいう事はいちいち正しいのです。相手の感情で自身の心が揺らいでしまう傾向があった私はそんなをいつも頼もしく、かつまぶしく感じていました。

「体調を戻しまたと飲みに行く」というのは治療においての一つの目標でした。コロナ過で未だ道半ばですが移植5周年を迎えるまでにはなんとか実現したいなと思っています。私は一時交友関係の少なさ故無理やり友人を作ろうとありましたが、実に無駄な努力でした。友人は「作ろう」と思って作るものではない。そんなにして作った「友人」の存在はいつか自分自身を苦しめることになると思います。

親友が1人いれば十分!というか親友は何人もいるはずがない!

今日はこんなところです。これからもどうぞよろしくお願いします。

それではまた。

※写真は手前が私、奥の人物がです。

#骨髄異形成症候群

#骨髄移植

コメントを残す

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。