こんばんは。いよいよ移植当日の話です。
それまで抗がん治療を行なって来ましたが、白血球がゼロになったわけでは無かったようです。移植後直ぐの血液検査では白血球は0.06L確認できました。
やはりゼロにするのは中々難しいようです。
移植手術そのものは、輸血と全く同じ方法で行われます。
場所も自身の無菌室。私自身に致命的な事が起こる可能性はまず無いのですが、これが第二の誕生日ともなる日なので時間に合わせて、妻・実母そして妻をフォローするために実家の鹿児島からきてくれていた義母もきてくれる事になりました。
前述したように、採集骨髄は同日採集・輸送の為夕方17時頃になる見込みでした。
まず、骨髄採集は前週から順調に行われている事をこの日に聞きました。
ドナーさんには大変申し訳ないのですが、正直な話「ドタキャン」についての可能性を心の中で否定できなかったのです。
この頃は空いた時間にベッドで移植提供関係のブログや掲示板ばかり読んでいたので、悪い情報に惑わされていました。
ちなみにこのドナーさんから後日手紙を受け取り、文面を読むだけでもその優しい人柄が滲み出ており、このように思ってしまった事を
本当に悔いています。
この情報を聞いて、「あとは私が受けるだけだ」と腹を括りました。
しかし、昼頃からそれ以降の状況について、先生から伝えられなくなりました。
看護師経由で探ってみると、向こうからの情報が2転3転しているようです。
何かトラブルが発生しているようです。
結局16時過ぎ頃に「ドナーさんからの採集量が不足したので明日まで採集を行う事になった。なので移植は1日延びる。」とのことでした。
末梢血幹細胞移植は4〜5日かけて採集を行うのですが、採集できる量は実際にやって見ないと分からず、今回は結果的に最終日でも取れ高が想定量に
僅かに満たずもう1日採集を行う事になったとの事です。

翌日の朝一番の採集処置で十分想定量に達するとの事でした。
ドナーさんが採集延長に同意してくれた事は本当にありがたい話でした。
ドナーさんは入院して骨髄採集を行っており、その間土日は病院側の都合で採集はストップします。負担が更に増えるわけです。
私としては、がっかりとかそういう感情は全くなく、再度負担を強いてくれたドナーさんや、急遽現地に宿泊し、飛行機便も再手配する事になったこちらの
病院の関係者、その他いろいろな方が自分の為に動いてくれているんだと思うと逆に気が引き締まりました。
私は入院当初からあまり悲観的にならず、「こんな病気で死んでたまるか!」という気持ちをキープし続けてきましたが。この日が来るまでの間に妻はもちろん、
親戚関連や病院の方々が自分の治療の為に知恵と体を使っているのを少しずつ実感していたので、この一件で更に
「みんながこんなに動いてくれてるんだから、全体に完全回復してみせる!いや、その義務がある!」と思ったものです。
何か凄いカッコつけた言い方ですが、この時は物事をいい方にいい方に捉える事ができました。自己愛が強い私ですから、
今回はその性格が良い方向に向かったのかも知れません。
私は入院中、しょっちゅう骨髄の生着日、最初の外泊許可日、退院日について自分で目標としている日を担当医や看護師さん達に、
冗談ながらも再三「宣言」し、そのイメージで入院生活を送るようにしていました。
とりあえず、妻と母にその件を連絡し、その後は普通に夜を過ごしました。
翌日、採集は無事終了したとの連絡が午前中に入りひと安心。
輸送の方は15時頃羽田発のチケットが取れたので、移植は19時頃から始められそうだ、との事でした。
妻と母、義理の母は17時頃には病院入り、18時には輸送の方が病院に到着したようで、予定通り19時には移植が始められる事になりました。
私は夕食・シャワーも済ませており移植が終わればもう寝るだけです。
チーフと担当医が採集液をセットしてくれました。見た目は輸血の袋と全く変わりはありません。
チーフの先生が袋を少し揉みほぐしてから「じゃあ始めます」と言って
カテーテルから出ているジャックの部分と菅、骨髄液が入った袋を繋ぎ注入が開始されました。
約2時間で終了です。
その後は、別の人間になった私になるのです。
ただし、妻からは「性格は入院前とそんなに変わってないよ」としょっちゅう言われてますが(笑)
続きは次回に。
それでは。
#骨髄移植