こんばんは、小休止しましたが移植後の入院生活の続きです。
骨髄移植を行なった後、2・3日は特に大きな変化はありませんでした。
放射線治療以降若干の倦怠感というか、なんとも言えない頭痛と体のだるさはありましたが、その都度ロキソニンを飲むことで収まっていました。
ただし、口内炎の症状は4日目から始まってきていて、日記を見てもこの頃から食事は毎回半分も食べられなくなっています。
口内がヒリヒリし味も感じられなくなる上、お腹が常に満杯状態の感じでとても食欲が湧いてこないのです。
口内炎に関しては担当医から「95%以上の確率で出るはず」と言われていました。
対策として、看護師さんからの勧めで「グルタミンCo」という薬をネットで購入し、入院直後から毎日飲んでいました。
100%確実に効くかどうかはなんとも言えないが、事前に飲んでおくと口内炎・味覚障害の症状が軽く済んだ患者が多かったとのことです。
ただし、「飲みにくい」という人が多いのですが、頑張って飲んでください」との事でした。水で溶かす粉薬なのですが、味はカルピスのようなヨーグルトのような味で私には何も問題なかったので毎食後飲んでいました。
乳製品が苦手な人には飲みにくいかもしれません。
このグルタミンが効いたかどうかは良くわかりません。ただし、口の中がただれるケースも珍しくないようで、元々口内が弱い私はそうなる事を覚悟していました。結果口内炎・味覚障害は今だに悩まされてはいますがただれるまではいかず、症状が出るのも遅かったので自分としてはそれなりに効いたのではないかと思います。
4日目の夕食後、倦怠感が収まらなかった私は横になって少しウトウトすると妙に熱っぽく、体温を測ったら37.8度でした。
この時は既に夕食時にロキソニンを飲んでいたので、また飲むのは控え看護師さんから氷枕をもらってもう一回眠りにつきました。

しかし間も無く猛烈に胸が苦しくなり目が覚め、相当に朦朧としていたので熱を測ってみると39.2度!正月にインフルエンザに罹患して以来の数字です。
何かこう、実際の体調そのものよりもその数字を見たことによって自分の心が折れたような気がしました。更に喉に何かつっかかっている感じで咳が止まらず、声を出すのもままならぬ状態。
正直自分はもうこのまま助からないんじゃないかと思いました。
時間は23時くらいでしたから、当直の先生以外は帰宅していたはずですし。
すがる思いでナースコールを押すと、その日の夜間担当でそこそこコミニュケーションが取れていたCさんが来てくれました。
おそらくその時の私はすがるような目でCさんに対し、自分状況を説明したのですが、Cさんは実に冷静に自分のできる範囲の対応をしてくれました。
曰く「ロキソニンを飲んでもらいたいところですが、前に飲んだときから5時間は待ちたいので後1時間半後にしてくだい。その時は私が声をかけに来ます。
更に免疫抗生剤の24時間点滴を一旦中止し、別の点滴を打ちます。
熱についてはそれで治るとは思いますが、更に悪化するようでしたら、当直の先生に来てもらいます。」という内容だったと思います。
Cさんと当直の先生間でなんらかのやりとりがあったかは覚えていないのですが、とにかくそう話してもらったので、少々パニックになりかけていた私の気持ちは
だいぶ収まりました。
神経質な私としては漠然と「大丈夫、大丈夫」と言われても多分不安は解消しなかったと思いますが、Cさんのように「こうして、こうして、これがダメだったら、更にこうする予定です」という予定の詳細を明確に語ってくれると何故かホッとしたのです。
もちろん状況は悪い方に行くかもしれないことはわかっては入るのですが「それならそうするだけだ」と自分の状況を受け止められるようになりました。
私はこの病棟でたくさんの看護師さんからよくしてもらいましたが。印象に残っているのが、まずはいつも誠実に対応してくれた担当のAさん、
私のバカっ話にも毎回付き合って笑いあってくれた朗らかなBさん、なのですが、もう一人はこのCさんでした。Cさんは饒舌な方ではないのですが、
冷静沈着で安心して身を任せられる人でした。
後日Cさんにこの話をしたら、「あれってごくごく普通の対応ですよ」と言われちゃいましたが、あの日の処置は本当に感謝しています。
なんとか心の乱れも収まり、少し経ってロキソニンを飲むと少し楽になりました。その間妻にLINEで連絡を取ろうかどうか非常に迷いましたが、夜も遅いし心配をかけるだけだから、翌朝連絡することにしました。
一応自身の体調については逐一LINEしていたのです。
妻も緊張で不眠症になっており、苦しんでいるのを知っていましたから。
結局完全には眠ることはできず、朝までちょくちょく熱を測っていたのですが、5時頃ようやく36.8度の熱になり危機を脱しました。
今後慢性的な痛み・苦しみは入れ替わり立ち替わり続くのですが、劇的に悶え苦しんだのはこの夜です。
ただしかし、いつかどこかで来る強烈な辛さを乗り越えたという小さな満足感はありました。
これ以降、時たま38度くらいまで熱が上がることはありましたが39度超えはこの夜が最初で最後でした。
ただし、この日以降、担当医が走って駆けつけて来る状況はないものの慢性的・継続的な治療の副作用が襲って来ました。
今日はこんなところです。
それでは、また。
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