おはようございます。早速喉の痛みの続きです。
腫れは直ぐに悪化し、食物をカットしても飲み込めないようになってしまいました。
栄養が全く取れない状態になってしますので、点滴による栄養補給やゼリーをなんとか流し込み食事の代わりにしていました。
しかし、そうこうするうちに水を飲むのも苦しくなって来たのです。
食道の空間が5mmくらいしか開いていない感じで、液体を飲む場合でも「せーの」でタインングを取って飲まないと直ぐ戻ってしまうような状況でした。
ですが、実際に喉の奥まで見てもらった訳ではないので本当に5mmしか空間がない、ということはなかったと思います。
スイーツはちぎれば結構食べれてましたから。精神的なものが大きかった気がします。高熱後4日くらいたった時、薬を飲むのもしんどくなっていました。
錠剤を舌に乗せ、いくら口に流し込んでも薬が食道に入っていかないのです。
私は抗がん剤の他、糖尿・血圧・便秘の薬を含めておそらく毎食後10種類15錠平均服用してたと思います。その1錠がスムーズに飲めないのです。
薬をまず1錠取り出し、手のひらに置き、飲み込むイメージを作りタイミングを図って水を口に含み一気に飲み込む、、、1錠1錠をそんなふうに飲んでいました。それでもたまには喉から錠剤が戻って来たりしていました。
そんなやり方を全部の薬でやってるんだから、当然時間はかかります。
例えば私の夕食時間は18時半だったのですが、ゼリー程度しか食べれないので食事そのものは5分もかからず終わり、薬を飲むのに1時間以上かかっていました。
最も最悪だったのは、これは2回やらかしたのですが、なんとか喉を通過しようとしていた錠剤が急に逆流し、私はくしゃみをする感じで水ごと全部吐き出してしまいました。
当然ベッドの上は水浸しになっていたのですが、まず飛び出した薬を発見せねばなりません。大事な薬ですから。2回ともなんとか床の上から薬を発見し、水洗いして再チャレンジ。結局のどの痛みが緩和するまでなんとか飲み続けました。
この時の心境は、「いい年したおっさんが薬1錠飲めず、吐き出した薬を床を這いずり回って探しているなんてなんて情けない。」という気持ちは確かにありました。病気の治療とは直接関係ないことだったのでなおさらです。
しかし、それ以上に嫌だったのは「この状態が悪化して薬が飲めなくなったらどうするのか?」という事でした。
こんなくだらない事で死を迎えるのか?という恐怖がありました。
薬によっては水に溶けるタイプのものもあったので、点滴に混入するという方法もあったのですが、一部そうでないものがあったのでそれもできませんでした。流石に見かねた担当医が痛み止めの特別な処方をしてくれました。その甲斐あってか徐々に喉が開くようになり、薬を飲めずに苦しんだのは5日間くらいだったと思います。
この間、骨髄の生着は数値的にもまだまだ先でその数値を気にすべきところですが、当時は「食事と薬をどうやって乗り切るか?」ばかりを考えていた気がします。
個人的に最も苦しかったのはこの時期なのですが、色々情報を集めると、同じ口内炎でも口の中がただれたり、真っ白になったりするケースも少なくなく、私はまだ軽い方だったのではないかと思います。
喉の痛みは食べ物を無理矢理飲み込んだ結果ですから。。。。
その頃の生活状況としては、2日に1回は輸血。体調的には日中は口内炎・味覚障害に悩まされ頭痛もランダムに発生、夜になると咳がとまらなくなる
時間が急に訪れる。唾の滞留も続く、という状況でした。抗ガン治療の副作用でよく起こる下痢の症状は全くありませんでした。
そんな中でも体力低下を避けるため、毎食後のスクワットを20×2セット(これは今でも続けています。)またカウンセリング系の資格取得のための
試験勉強も続けていました。
今日はこんなところです。それでは、また。