day365 骨髄移植後1周年なのだ!

こんにちは、CMBOです。

本日は8月7日!骨髄異形成症候群という血液疾患の診断を受けた私は決死の思いで骨髄移植に臨んだのが昨年の8月7日、そうです、その日からちょうど1年が経ち無事1歳の誕生日を迎える事が出来ました!^_^

実は本来は移植日は8月6日だったのですが、骨髄を提供いただいたドナーさんからの採集量がやや少なかったので、1日追加で採集手術をおこなったので、私の移植日も1日延びたのです。(採集方法は末梢血幹細胞移植でしたので述べ5日程かけて採集を行なっていたのですが、更に1日追加してもらったのです。)

それでも移植は1日延期になった以外は滞りなく終了。先日ドナーさんからお便りも頂いたのですが、家族でお元気に暮らされているということで二重の喜びです。前も書きましたが完全一致のドナーさんとしてはこの方が最後の方だったのでここで骨髄を頂けなかったら私の人生はどうなっていたか分かりません。本当に唯一無二の恩人です。ありがとうございました。

現在の体調は順調と言っていいと思います。2ヶ月前から復職しておりますし、日常生活で極端に障害になっている事はありません。気になる点を挙げて見ますと。。。。

① 肝機能数値が高い

免疫抑制剤は未だに服用しているのですが、移植後2ヶ月くらいしてから上昇しだし、γGTP・ast・alt の数値が通常の3倍くらいあります。先生曰く新骨髄が暴れて肝臓に負担が集中しているのでは?という事でなかなか免疫抑制剤の服用を止める事が出来ません。自覚症状はないのでもどかしいところですね。

② 血小板の数値が今ひとつ

赤血球、白血球、ヘモグロビンの値は1年がかりでようやく基準値内に収まってきました。ただし血小板(基準値158〜348)前後であり中々元気がありません。仕事柄作業でカッターナイフとかも使用しますので、止血の意味でももう少し上げたいところです。

③ 味覚障害がまだまだ残っている。 ④ 肌の乾燥が少し残っている。 ⑤ 体力低下 ⑥ 便秘継続

③から⑥はそれ程深刻ではないですね。味覚障害は術後ずっと悩まされてきました。割とつい最近まで甘いものしか味が感じられず体重は減る一方でした。後唾液の出る量も明らかに減っており、嚥下能力も低下。食事が辛い時もありました。しかし復職して体を動かし出すと自然とお腹も減り食欲も回復して、少し味覚障害も緩和されてきだした感じがあります。

やはりベッドの上で安静ばかりでは身体には良くないですね。キツい夏ですが体を動かして汗を出すと生きている実感がするものです。

更には育毛の状況です。

上が本日撮影した画像。下が入院中の頭の画像です。年末まで中々新しい毛は生えてこなかったなですが、年明けからボツボツ生えだしなんとかある程度生えそろってきました。もう生えてこないのも覚悟していたので有り難い事です。脱毛前はかなり白髪が混ざっていたので、例え毛が生えてきてもかなり白髪が多いのでは?ろ思っていたのですが、意外とそうでもありませんでした。

さて、アイキャッチ画像は3年前の夏、元プロレスラーの小橋建太さんと某家電量販店のイベントで撮らせて頂いたツーショットです!私は今より30キロ以上太ってましたからパンパンの身体ですね(笑)。

私は大のプロレスファンですし、小橋選手は元々ファンだったんです。同い年で誕生日も5日しか違わない。生まれも同じ関西。小橋選手は京都生まれ、実は私は生まれは大阪なんです。生まれて半年で福岡に引っ越しましたので今更関西人ヅラするつもりはないですが。。。(笑)そして素直で素朴で黙々と努力を欠かさない真面目な性格という共通項もありますので(←笑う所です)、なんか親近感を持って応援してました。

その強靭な肉体で“鉄人”呼ばれた小橋選手ですが、2006年に腎臓ガンにかかっていることが判明。アスリートで腎臓ガンからカムバックした例はほとんどなかったようですが、不屈の闘志で治療に取り組み2007年に見事復帰を果たしました。しかし流石に体への負担が大きく2013年に現役引退。そして今でも元気に講演活動やプロレスイベントプロデュースで日本各地を飛び回っています。

私自身、それまで周囲に抗ガン治療を行なっている人がいなかったので、小橋選手がそのような状態に陥っても正直イマイチピンとこなかった部分があったのですが、上の小橋選手の闘病記が出版されて程なく自身がガン患者となるとは思いもしなかったです。

奇遇というか偶然だとは思いますが、ガンサバイバーとしても大きな目標の方ですので、なにかあれば彼の生き方を思い出しながら生活したものです。

そして今後の決意。

ただしかし、移植してまだ1年が経過しただけです。まだまだ再発への注意を払って生きていかねばなりません。ただ「死ぬかもしれない」状況に陥った事で私自身「これからはやりたい事をやろう!」と思い色々と活動範囲が増え、特にsns上関連での交友関係がずいぶん広がりました。

元々友人が少なかった私なのですが、Twitterでの優しいフォロワーさんの方々から随分励まされ私の承認欲求を十分に満たしていただきました。また、某昭和プロレスサイトにて業界の超大御所のプロレスラーマニアの方々とも知り合いになることが出来、自分の世界が広がりました。病気前は家か仕事に関する事しか頭の中に無かったのですが、随分と楽しみが増えた人生になりました。

お世話になった人も数知れません。丁寧に治療していただいた歴代の3人の担当医。入院中親身になって優しく対応してくれた看護士の皆さん、入院前激励してくれた中学からの親友I。そして親戚の皆様方。そしてなによりも妻。私にはこんなにも味方がいたのです。嬉しい!

ただしかし、まだまだ私は”寛解維持”以外の何者でもない状態。これからも油断は禁物です。まだまだ行動にも制限がありますし、本来なら辛い状況かも知れませんが、今思って見てもこの1年は充実した1年でした。

納得して物事に取り組み、やりたい事をやり、そして結果が出たからです。障害でこんなに気持ちが穏やかな状態はないのです。なんだか不思議です。

それからこのブログも毎回読んでいただいている方がいらっしゃるようで、嬉しい限りです。デザインも適当で、ただ私の承認欲求の消化の場と化していますが、お付き合いいただきとっても感謝しております。一応なるだけ楽しい内容にしているつもりですが。。。。。

とにかく感謝の気持ちを忘れず、また今日も明日も日常を生きていくだけです。楽しみだけを考えて。

今日はこんなところです。それでは、また。

#骨髄移植

#小橋建太

#昭和プロレス

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