こんにちは、今回は私の骨髄移植体験記の10回目を書きたいと思います。
期日まで決まっていた骨髄移植が中止となり、ドナーさん探しは振り出しに戻りました。フルマッチのマッチのドナーさんは計17人居ましたが既に2人は”脱落”。年明け1月11日の定期健診では保留状態であった3人のドナー候補者さんも脱落した事を聞かされ候補者は12人という現実を突きつけっれました。
そして次の2月の定期健診では改めて候補に上がった登録者の方の中で既に3人が脱落している事を聞かされました。この時点になると私もかなり危機感を持ちSNS等でドナーさんについて色々検索を始めましたが、登録者からの拒否回答や様々な理由での取り消しは普通にある事だとだんだんわかってきました。
そして、当初ドナーさんの進行状況は通院の都度担当医から聞かされていたのですが、しびれを切らした私は骨髄バンクに直接電話して進行状況を聞くようになりました。段々とそれが日課になり、骨髄バンクの営業日以外は毎日電話するようになったのです。バンク側は「そうしても構わない」という事でしたので。
しかし骨髄バンクに電話しても、こちらからかなり突っ込んで詳細を聞かないと細かくは教えてくれないのです。自分のIDを連絡して状況を聞くと、「◎◎さん(私の名前)は現在✖名が進行中です。」という言い方であり、更にこちらが質問を重ねないとそれで終わりなのです。
進行中の方の状況について、詳しく聞くと「面談を行っている最中」とか「数日後健康診断」等は回答してくれます。しかし面喰ったのは、現在進行中の方が何らかの理由でリストから外れた場合、それはこちらから推測しないといけないのです。
たとえば、Aさんという方が現在健康診断まで行っており、その他B、Cさんという事が面談の段階であるとします。その場合最初の回答は「現在◎◎さんは3人が進行中です。」という回答が返ってくるのですが、何らかの理由で1人が脱落した場合、次の日には「現在◎◎さんは2人が進行中です。」という回答に変わるだけなのです。
もちろん、こちらは進行中の方の名前等は知る訳もありませんで、最初そのような対応をされた際には「面談まで進んでいる登録者さんが確かいたはずなのですが、それはどうなったのですか?」と実に情けない聞き方をしなければならないのです。
バンク側の電話対応をされている人も、流石にコールセンターの方ではなかったようですが、専門的なことは分からないようなので、他の分かる方に繋いでもらわないと詳しい説明はしてもらえませんでした。最も私が毎日電話していたからか、最後の方は誰が出ても「ああ、こいつか」的に詳しい説明がなされるようになりました。後日担当医のN先生に私の行動を話すと「そこまでされる人は聞いたことがないです。」と言われてしまいました。
しかし、全てが他人頼みになっている私の立場からすれば、なにかやれることがあれば自分の力で情報をかき集め、現状を把握したい、という気持ちが強くありました。とにかく待つしかない状況が続いていくと頭がおかしくなりそうでした。
他者からみると、いずれ分かる事を態々時間をかけて確認するのは意味が無いように見えたかもしれません。しかし勤め先に対しては「いずれ1年近い休職を取る予定であり、更に現在は無期限で負担の軽い仕事に就いている」身としては少しでも詳細な状況を報告する義務がある、と勝手に思っていました。
とにかく、この自分の追い詰められた状況は妻以外打ち明ける人がおらず、閉塞感が半端ない毎日を送っていました。そして1ヶ月おきの定期健診を重ねる都度、体調面でも憂慮する状況になってきました。ビダーザ注射の効きが薄れてきたようなのです。
診断表で見ると分かりにくいかもしれませんが、以前は注射を打つと3週間後くらいには基準値くらいまで数値が回復していたのですが、段々と回復してこなくなっていました。ビダーザ注射の効きは、人にもよるのですが半年~1年ちょっとが目安と聞いていたので「いよいよこの状態になったか?」と悩みはさらに増えました。
その時は担当医は明言しませんでしたが、後日この時期効かなくなっていたことは認めていたようです。追い詰められた私はドナーさん確保について「ある秘策」を考え付きました。しかし実に現実味のない目論見であり、実行に移すかどうか悩んでいました。
そんな中、私は通院先でのチラシを目にして、血液疾患の患者の会に参加する事にしました。それが上のチラシです。残念ながらこの回を主宰していた「リボンの会」は一昨年解散してしまっております。私はこの日付の会を含めて3回参加しましたが大変有意義な集いでした。
若い参加者の方の体験発表は大変心に沁みました。私のようなあらかた人生を終えている中高年に比べ、若い方の苦悶は、恋愛・仕事・結婚・出産等これから経験したい、もしくはするであろう事への対処の困難さが山ほどある訳です。発表ではその点について切々と訴えておられ、大変私自身の心に刺さりました。「これが自分なら長期間モチベーションが保てるだろうか?」と心から感じました。この頃から私は特に若い世代の血液疾患の方にエールを送るようになった気がします。
そして交流会での情報交換。同じテーブルには既に移植経験済みの方(女性)がいました。その方は私を上回る25人のフルマッチ候補の登録者さんがいたものの、全て全滅。結果、白血球の型が1つ違いのドナーさんも確保できず、やむなく2つの型違いの白血球で移植を強行した、という方でした。
もちろん、この会に出席している以上日常生活を普通に送っている事は間違いないのですが、傍から見ても明らかなくらい様々な合併症に悩まされている印象でした。
型違いで移植を起こった患者さんは数多くいらっしゃると思います。その方々には大変申し訳ないのですが、つくづく「何が何でもフルマッチでのドナーさんで移植を!」と強く感じました。
しかし、私の中で最も印象に残ったのは、浜の町病院 衛藤先生(当時)を交えての質問コーナーでした。衛藤先生とは私はここで初めてその姿を見ました。質疑応答では色々な症状の患者さんたちが、自身の病気について今後どうすればいいのか?という点を中心に質問を投げかけていたのですが、ある70代くらいの高齢の女性の訴えには館内の人の大半が言葉を失った感がありました。
その方は治療方法が確立されてない血液疾患にかかっており、今かかっている病院の担当医が色々と患者さん当人の症状をつぶさに診察しながら手を変え品を変え治療し投薬し、なんとか命を常いでいる状況らしいのです。そしてその担当医の先生もかなり高齢らしいのですが、近々退職し病院から去るらしいのです。
その患者さんは病院からは「これまでその先生だけが判断できる治療を行ってきたが、先生が居なくなった場合、その判断を引き継げる先生がおらず、これまでのような治療が出来なくなる」と言われたらしいのです。
その女性は「衛藤先生!私はこれから誰を頼ればいいのでしょうか?生きてはいけないのでしょうか?」と訴えたのです。その方は現在の体調自体かなり思わしくないようで、私にはこの事を訴えるために会に参加したように思えました。
周りの者からすればもう何と声をかけていいか分からない辛い話でした。衛藤先生も善意でこのような会に参加されているはずで、そんな中こんな訴えを受けて辛かったと思います。流石に一般論的な返答しか返せなかったような記憶があります。
とにかく、私の場合でいくと治療方針は確立されているわけで、後はドナーさんがどうなるかどうかが最大の問題。以降の患者の会参加時も痛感しましたが「治療法が確立されおらず、医療側も試行錯誤で患者に向き合っているケース」は多々あるようであり、それに比べれば自分なんぞ大変恵まれている方なんだ、と強く感じました。
色々と思いが入り混じった数時間でした。情報収集が出来て有意義だった部分はありますが、移植の現状のシビアな面を見て憂鬱になった感もありました。しかし、もう腹をくくって治療に向き合うしかない!と決意が出来たのです。
私は以前から温めていた”秘策”を実行する事にしました。いや、すでにボチボチ実行は始めていたのですが、、、それは
20キロを超えるダイエット!
フルマッチのドナーさんはを計17人と前に述べましたが、実はもう6~7人、女性の方ですがフルマッチの登録者の方がいたのです。しかし当時の私は88~90キロの体重を誇っており、ドナーさんと患者の体重差が20キロ以上あるとドナーさん側からの抽出骨髄量が不足する、という理由でリストから外されていたのです。
私が20キロ以上のダイエットを行い体重が70キロを切れば自然と女性の登録者の方が許容範囲に入ってきて、移植の可能性が上がる!という藁にも縋る試み、それもその時点では病院側の確約は取っていません。
それでもダイエットについては元々病院側から命じられていたので私はそれを勝手に始めようとしていたのです。これなら自身の努力で実現できる!と。
今日はこんなところです。それでは、また。
#骨髄移植
#骨髄バンク
#骨髄異形成症候群