強いコトバ

こんにちは、みやけです。今回の内容は独り言というか、、、社会風刺というか、、、、まあ、とにかく今思っている事を書いています。

私はこのブログだけでなくxも活用していますが、色々と共通の趣味や感覚を持つ人とつながれる反面、いや~なポスト、いや~な発言を目にすることも多々あります。それが自身に向けられたものでなくとも、私が好意的に思っている人物・団体に対して容赦のない罵声を飛ばす輩がウジャウジャといる訳であります。

私の興味の範囲で行くと、プロ野球においてお粗末なプレイがあった選手・チーム、そして普通の人なら「ん?」と思うような言動を吐いたプレーヤーに対して、異常ともいえる言葉でその相手を攻撃している事が社会的にも頻繁に問題になっていますね。

それはお笑い・ミュージシャン等らの芸能関係に関する話題でも同様の事が生じています。そしてその際、攻撃している側の内容をたまに垣間見ると「なるほど」と思う部分もなくはないですが、とにかく表現が憎しみに満ち満ちていて、「いかに相手の存在を全否定するることができるか?選手権」を開催しているとしか思えないのです。

SNSというコミュニケーションツールについて、「相手と共感しあえる」のではなく「相手を最大限の言葉で否定していることを目につかせる」為に活用しているわけです。そしてそれは相手だけでなくそのファンに対しても。そんなものはコミュニケーションでも何でもなく精神への暴力です。

そしてそれは政治の世界においてもありますよね。まあ、政治の具体的な事を書き出すと色々とややこしいことになるので、深い話をするつもりはないのですが。ある特定の団体、といえば「ああ、あそこね」とピンとくる人も多いと思いますが、あの団体については、その主張している内容は置いておくとして、なんとまあ、言葉の強いことか!

そしてその攻め立てる内容・その根拠は、自分達が一方的に「事実」と決めつけたものであり、皮相的なものでしかない。。。いや、連中には事実なんてどうでもよくてただひたすら「強いコトバ」で相手を責め立てるのが目的なんでしょう。

そして最近、テレビのバラエティ番組等で「コンプラ、コンプラうるそうて、今までやってきた事が出来へん!」などと芸人が嘆いているのをちょくちょく見ますが、実際に社会で働いている多くの人達(芸人言うところの「一般の人」)はもう5年以上前から否が応でも 以前のように仕事で感情的な言葉を吐くことは極力抑えるよう肝に銘じて実行していると思います。

働き方改革とかなんとか政府が言い出した頃ですね。

あらゆる言動・行動がいわゆる「パワハラ」にならぬよう、再三の注意を払って仕事をしているのではないかと思います。それは内に対しても外に対しても。

私が関わってる仕事で例えて具体的に言えば、、、、取引先の担当者がこっちが発注した商品の手配をうっかり忘れていた、運送便が指定配達の荷物を放置していた、あるいは社内で自社社員が明らかに雑な扱いで売り物の商品を壊した、または業務をさぼっていた。。。。。

そういった「流石にこれは怒っていいだろ!」という状況においては、過去それなりに感情を出していたと思うのですよ。はっきり「怒っている」事を相手に理解してもらうために。特に対外的な場合こちら側の会社の規模があまり大きくないと「なめられたら今後も軽く扱られる」と思って結構強めに表現したりもしました。

でも今はどんなに相手に非があろうとも、感情的な言葉を相手に発するのはNGなんですな。そのやり方にはいい面も悪い面もあると思うのですが、「人の心を傷つけていけない」という観点からそうなっているのでしょう。とにかく世の中は既にそうなっているのです!

そしてあの団体です!何らかの問題について自分達の意見を述べた際、異なる意見を述べる相手は理由の如何を問わず徹底的に貶め、こき下ろし、完膚なきまでに痛めつけようとするあの態度、いや自分の方から叩き潰す相手を模索している感さえもあります。そして自分に対しては大甘。最近もそれを象徴するような事件がありましたが。。。

例えば、この人たちは今年大地震・大雨に襲われた石川県能登地区について「放置」「見捨てる」「何も復興が進んでいない」などの非常に強い言葉で表現します。まあ、この件に関して認識の度合いが弱く被災者への寄り添いが不足している政治家・自治体の関係者が全くいないわけではないと思いますが。

ただし、私も仕事の関係上多少は分かるのですが、能登地区というのは地形や道路の関係上なかなか人員を大量に動員すればいいというものではない。そんな中で幾多の作業員・運送業者・地方自治体関係者やボランティアの方々、、、みなコツコツと一生懸命最大限努力し頑張っているはずなのです。特別スポットライトを浴びることなく。

なので、災害復興の遅さについて雑に批判すると、その人たちもまたその範疇に含まれてしまうのです。同時に傷つけてしまう訳です。だから普通の人なら「見知らぬ世界について批判を行う場合は慎重に言葉を選ぶ」というのはイチ社会人の基本的な姿勢だと思うのですが、それをしない連中は社会で働いたことがないか、あっても理解することが出来なかったか?もしくはそれをわかってやっているんだろうな、と思う訳です。

そしてこれはあくまで私の偏見ですが、そういう人、団体の中心にいる人ってみな目がバキバキで顔の表情が屈託なく、活き活きした表情の人が多い。その表現は一見いい意味で捉えがちですが、私からすると共感能力が低いからあんな顔になるんだろうな、と思う訳です。

なので、世間的に「イケメン」「美人」と呼ばれている人はその範疇に入る人が多い!その逆私のような善人は(笑)なにか主張・批判することがあったとして、どうしてもその周囲にいる人たちの表情が浮かんでしまうので、表現も抑えがちになります。

実生活においてはそこを我慢するため、顔の表情は引きつりがちになり、怯えたような目で、イケメンから段々遠ざかって行く訳です。あ~「強いコトバ」を吐く人が羨ましか!(笑)

話を戻しますと、自己肯定感の低い人にとってはこういう人は一見頼もしく見えます。「あんなにも自分の意見をはっきりと述べる事ができるのは、羨ましい」、と。でもそういう人は大方共感能力が著しく低く、というかほぼ無く、「相手に寄り添う」事がどういうことか分からないのです。

逆にあまりにひとの事を思いすぎる人についてはそれは驚愕の事実かもしれないと思うのですが、そういう人は一定数いるのです。もしくは自己肯定感の低い人を騙す為にワザとやっているかですね。自分の中に隠された憎しみ、恨み、劣等感、思い出したくない過去がある場合、それから逃亡して自分に納得できる理由づけをする為の行為に思えます。適応機制における「転移」もしくは「合理化」の行為だと思います。

私自身多くの人に提案したいのはですね、あの団体が主張している生の言葉について、「聞く必要ない」なんてことは言いません。逆に文字に起こすなどしてじっ~~~~~くり吟味して欲しいです。その内容を。どの部分に論理性があり、どの部分が感情だけのセリフなのか。

でもまあ、そこから出る言葉も自分の意見とも思えませんけどね。あの団体の代表、、、あれだけ感情的な言葉を吐きながら、本番の大舞台では基本原稿読んでるじゃないですか!人を攻撃する事だけそれを止めてガッと目を見開く、、、つくづく攻撃する事が一番の目的なんだろうな、と思います。論理の部分は人任せで自分の言葉では喋れないんですよ。

色々と話が脱線しましたが、、、別にあのイベントが近いからこの話題を出していたわけではないのです、でもまたあの団体がメディアに出る事が多くなるでしょうし、その都度あの強い言葉を否が応でも耳に入って来るわけです。

ただしですね、私がこの文を書いて、当人、その周辺の人たちの誰かに共感してもらおうとは全く思っていません。私もそんな大それたことは考えていないし、そもそも無理なんです。底の空いたコップに水をドボドボいれるようなものですから。

でも、私のブログの読者の中に「あの団体」について常々苦々しく思っているが、色々と鬱陶しくて相対して反論したくない、と思っている人は少しでも共感していただけのではないか?そう思ったのです。

今日はこんなところです。それでは、また。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

上部へスクロール