全日本プロレス系レスラーの名言集 私の10選

こんにちは、みやけです。今回はプロレスの話なのですが、ちょっと趣向を変えまして私がチョイスした「名言集」さらには、くくりとして「全日本プロレス系レスラー」※一部関係者含む で私の独断と偏見で10セリフ程?選んでみたいと思います。

ご承知かと思いますが、この手のセリフは新日本プロレス系、というか猪木さんには山ほどあるかと思います。その逆、全日本系は馬場さんにいくつか思つくくらいで、その他はあったとしても地味なセリフが多い、、、。

でも、自身が年を取ってきて人生観やプロレスの見方が熱心に見ていた当時と変わってくると「今思えばこれって味わい深いセリフだったんだな~」と思う事が多い訳です。今回はそういうセリフを中心に選んでみました。(例外もありますが)

私はプロレスファンですが。「~のシュートテクニックは凄い」とか「~は喧嘩最強」なんて話にはまるで興味がない人間です。更には人を貶めるようなセリフには一切ときめきませんから「坂口なら片手で3分」とか「目を覚まして下しさい!」みたいなこきおろし系セリフは出てきません。

まあ、ボチボチ始めてみますか。10個選びましたが、ランクはつけておりませんので。。。、

スタン・ハンセン

悲しい映画は嫌いだ!なぜお金を払ってアンハッピーな気持ちにならなければいけないのだ!

このセリフ、ご承知の方も多いかと思いますが、何らかのインタビューで発したセリフではないのです。かのターザン山本氏が、週プロ編集長就任前、試合前のハンセンと雑談中映画の話になりハンセンがこのセリフを発し、ターザン氏が「面白い考えだ!」と思い、当時のコラムの中で紹介したものだったと思います。

プロレスとはまるで関係ないハンセンのコメントですが、正直あらゆるレスラーの発したコメントの中でこの発言が私の一番のお気に入りなのです!せっかく痛い思いをして稼いだお金なのにそれを払ってなぜアンハッピーな気持ちにならなきゃならんのか!

私はこの外国人が発する「ハッピー」という言葉がとても好きなのですよ!「他人に影響されない自分自身の本当の喜び」といった感じで。「ハッピー」は日本語に訳すと「幸せ」という事になるかもしれませんが、この「幸せ」という単語、なんか違和感を感じるのです。

なんだか、他人から強いられているというか、「そう思え!」と自分の考えと別に定義づけられているような気がするのです。宗教っぽくて、心から自身の喜びではないような。。。

逆に「ハッピー」という言葉は白人独特の開放的な自分本来が持つ願望という感じがします。ハンセンのレスリングスタイル、、、細かい技に頼らずウエスタン・ラリアット1発で試合を決めるその様は開放感にあふれています。他人に惑わされず自分の好きなように生きたい、というハンセンの人生観がよく表現されてる言葉だと思いますし、私もそうありたい、と常々思っているのですよね。

本当にいい言葉だと思います。

ブルーザー・ブロデイ

公園で母と子が遊んでいる風景を見ればその国の文化の度合いが分かる。

インテリジェンス・モンスター」と称され、数々の哲学的名言を残しているブロディ。そんな中で埋もれがちなこのセリフですが、色々な考えが詰まった実に奥い名言だと思います。

血まみれでチェーンをぶん回しながら、「人生はフランク・ゴーディッシュの時間の方が長い」とリタイア後の生活設計もしっかり考えていたブロディ。メジャー団体の束縛を嫌い、世界各国のインディ団体の救世主としてもてはやされるリング生活を選択していました。

当然富裕層、アッパーミドル、そして貧しい生活を送っている下町の人達、、、色々な文化を肌で感じ、その人たちの人生模様を想像していたのではないかと思います。正直私はこの言葉の意味を完璧には理解できていません。でも公園で遊ぶ母と子の光景からその国の民度について想像力を働かせるのは実にブロディらしい感覚だな、とつくづく思います。

そしてブロディもこの発言は具体的にどこをどう思ったのかは語っていません。私自身そこを調べたい気持ちはあるのですが、やはり謎のままにしていた方がミステリアスなブロディらしいと思ったりまします。見る側の想像力を働かせるのがブロディのプロレスだと思うのです。

ニック・ボックウインクル

私の母はこう言った、「名前や日付はコロコロ変わる。しかしストーリ-はいつも同じなのよ、と。愛・欲・憎しみ・怒り・不満・エゴ・セックス・行動、、、」母の言った事はプロ入りする前の若い私をさとす言葉だったようだ。

ニックの名言と言えば「相手がワルツできたらワルツを踊り、ジルバで来たらジルバで返す。これがプロレスの神髄」という言葉あまりに有名ですよね。私もこの言葉をあげるつもりだったのですが、この回を書くにあたってニックの言葉を再検証しているとこの言葉に出会い、「これの方がもっといいなあ」と感じ、掲載に至った次第です。

人は生きていくうえで人間関係において、都度都度苦難、トラブル、悩みにぶち当たります。でも体力や頭の良さというような自身の力量が問題の場合対処不能な状況 が出てきます。でも対人関係というのはたいていの場合、いつかどこかで巡り合った光景なのです。

人間の考える事なんて、細部が違う程度で基本に似たような事なんですよね。年を取ってきて分かったのですが、人間関係のトラブルにぶちあたった際、そこから逃げずに全身全霊で対処すればその時は無残な失敗に終わったとしても、それを学べば以降は対処法を会得しているので、応用していけば何とかなるのです。

「新たな敵」と捉えるから脅威に見えるだけで、どこかの大統領だろうが、大宗教家であろうが、その辺の引きこもりのニートであろうが、大借金抱えた違法賭博にはまったギャンブラーであろうが一人の人間としてみた場合、長所と短所を併せ持つもつ一人の人間であるのは変わりはない、、、最近よくそう思いますね。いくら超難問の数式を簡単に解く頭脳がある人間でも「この人は数学が得意という長所がある」で終わりなのです。

ニックのお母様がそのことを踏まえてこの発言をしたかどうかは不明ですが、一件大学の教授かと思わせるような知的な風貌を持つニックが、プロレスラーとしてもどんなタイプの違う相手でもきっちりとしたプロレスの試合を構築していたのは実に面白いと思います。 

ジャイアント馬場 ①

「ダメなレスラーはだいたい指先に神経が集中していない。腕がだらんとしているレスラーは話になりませんよ。その点新日本の藤波は猪木から学んだんだろうけど、常に指先を動かしている。」

我らが馬場さんのこの言葉、前回のブログで散々書きましたので、今回は控えめに書きますが(笑)、ショービジネスにおいて、「指先の動き」というのは実に重要!私はただの回顧主義者という訳ではなく、というかできるだけ若い人の味方であろう、と思っていますが、今の若者は自己プロデュースという点については「お決まりのパターンにはまりすぎだよなあ」と思います。

指先で自身を表現するのは、その人の個性が強く表れると思うのですが、、、、ま、今日はこのくらいにしときます。(笑)

ジャイアント馬場 ②

普通の人がマネできない事をやるのがプロレスなんだ。単純な話、テンタが鶴見を持ち上げて投げ飛ばせば、お客は「ウォー!」と言って喜ぶ。単純に面白いんだよ。プロレスにはそれが欲しいんだよ。(1988年週刊プロレス1月19日号インタビューより)

またまた御大の話な訳ですが、この発言がどのシーンを指すのかと言えば、1987年のジョン・テンタデビュー戦のワンシーンだと思います。テンタは馬場と組み、ラッシャー木村・鶴見五郎組と対戦するわけですが、試合中番テンタが俵返しの要領でもぐりこみ鶴見の上半身を持ち上げ、平行状態にし、そのまま約2メートルの高さから鶴見を放り投げたシーンだと思います。

ウォリアーズがよくやるリフトアップ&スラムも迫力がありますが、なんかきれいすぎるんですよね。件のシーンについては、130キロの鶴見を目線の高さまで下から持ち上げるテンタもすごいですが、2㎜近い高さから落とされお腹だけで受け身?を取ってしまう鶴見もまたすごい!

言い方に語弊があるかもしれませんが、両者の協力でプロレスの凄さを明示したシーンだと思います。私はこのシーンを生で見た際「これは凄い!」と思い、やはりこの日の中継を見たという何人かの友人に話して回ったのですが、一様に無反応でした(涙)

しかし、これからしばらくして馬場さんがこのシーンであろうことをインタビューで語ってもらったのは非常にうれしく思いました。残念ながらこの試合に出ていた4人はいずれも故人となってしまいましたが、皆「単純に面白い」試合を作ることができるプロ中のプロという感じですね。

ジャンボ鶴田

「人にはそれぞれ持ち分というものがある。その持ち分の仕事が終わったら、身を引いたほうがいい。それでまた新しい世界に行ったら、違う面白さがあるんだ」

病に倒れる前から、レスラーの引き際についての見極め方を再三訴えていたジャンボ。それは自身の所属する団体の若手たちにも同様のアドバイスをしていたことが後年明らかになっています。

まあ、「レスラーの浮世離れした破天荒な生きざま」を期待する聞く側については面白くない話なのかもしれません。しかしジャンボの話していることはレスラーがぜひとも心得るべき内容であり、間違いなく正しい話です。

レスラーの第二の人生としては、居酒屋を経営、もしくは勤めつつ、たまにレジェンド枠でリング復帰、というパターンが多いように思えます。特に日本の場合は。状況的に仕方がないのかもしれないのですが、それだらけという感じです。完全にそれを打ち切って全く別の世界に飛び込む方が間違いなくかっこいい!

ジャンボの場合、一時はその経歴を生かしてオリンピック大会の解説なども行っていました。ああいう事にならなかったら「プロレスとは全く別の歩んで、そこでも成功した」稀有なレスラーになっていたのではないかと思います。

「政治の世界でもトップに立った馳浩がいるじゃないか!」と指摘を受けるかもしれませんが、政治ってなんかマット界と大差ないような気がするんですよね、、、レスラーの市会議員なんてうじゃうじゃいるし。個人の感想ですが。

天龍源一郎

「もし、お客が入っていなかったとする。でも、そこで一生懸命の試合をやって、それを見て”面白かった”と思ってくれて、何年か後にその土地に行ったときに、そのときのファンが友達を一人連れてきてくれれば、お客は二倍になるわけよ。気の遠くなるような草の根活動だけどさ、それが大事だと思うよ。」

あまり書く機会がなかったのですが、私は天龍さんには本当に感謝しております。天龍革命にて盟友・阿修羅・原とともに、やもすれば何も戦うテーマが無くなった昭和末期の全日本プロレスについてあえて下にもぐり上部を叱咤激励しながら支えてくれたからです。

そりゃあ、全日本を離脱した際は「ジャイアント馬場は裏切れない、って言ってたじゃないか!」と非難していたのは事実です。直接その言葉を発したことは無かったですが。でもしばらくして「それも仕方なかったかな」と思えるようになりました。

とにかくあの時期、地方会場では毎回毎回おそらく何百人レベルの観客の中で、なんとか中身だけでも熱いものにしようと呆れるほどにえげつなく熱い戦いをしていた姿は私も体感しました。

一部では昨今「天龍革命が始まると全日本の観客動員が上向くようになった」と記している媒体、さらにはそうしゃべる当時在籍のレスラーがいますが、全体像を見れば全くの間違いです。確かに後楽園ホール・武道館を中心とした東京都内の観客動員は連続で超満員を記録し、熱気は非常に高かったですが、地方はその逆、天龍たちがいくら奮闘しても少しずつ観客数は減少していく一方でした。

全日本の観客動員は1987年くらいまでは基本2000人以上集めていましたが、88年新春ジャイアントシリーズくらいから1000人台が目立ち始め、以降は徐々に1500人前後の動員が普通に発生するようになっていました。

関東地区は盛況、東北・北海道はまあまあ、しかし関西・中部・中国・四国の観客動員は少しずつです右肩下がりであり、大阪府立はマッチメイクの拙さもあり毎回4~5000人程度の集客、、、九州地区も同様、比較的マシだった福岡市内での興行でさえも1989年の新春ジャイアントシリーズの国際センター大会以降、2年以上市内での興行が行われない、という惨状でした。

なぜそのような状況だったのか?言葉にするのは申し訳ないですが、天龍のキャラクターが「負」というか、ひねくれた感じの部分が多かったので、元々のファンには高く評価されても、世間一般的には中々アピールが難しかったのかな?と思うのです。「天龍はいつもブスッとして辛気臭い」とよく言われたものです。

特に阿修羅原退団以降は天龍の心がすさみつつあることが明白であり、なかなか一般の新規のファンを獲得するには難しかったように思うのです。しかし天龍離脱直後、三沢光晴・川田利明・小橋建太・菊地毅が”超世代軍”を結成。彼らがカラフルなタイツに身を包みリング上に立つ姿を見ると一気に垢ぬけ、希望溢れる雰囲気を感じたものです。観客動員も以降激増し社員へのボーナスが連発されたのはご存じかと思います。

言葉は悪いですが、陰鬱な黒い雨雲が一気に取り払われた感じでした。解放感に満ち溢れ「そりゃ若者に人気出るわ」とつくづく思ったものです。気がつけば日プロ経由の小姑みたいなベテランもほぼいなくなっていましたからね。しかし天龍側から見れば、必死こいて種をまき、水注ぎ慈しんだ苗について、自分が訳あって廃業した瞬間大輪の華やかな花を開花させたようなものです。

さぞ、「ふざけやがってコノヤロー!」と思ったのではないかと思うのです。いや、そう思いたくなりますよ。でも全日本が後年、「信頼できる団体」となり得たのは天龍のこの地道な努力あってこそですね。新団体SWSでも苦労することになった天龍ですが、S崩壊以降新日本への参戦でその真価を大いに発揮し、「ミスタープロレス」と言われるようになったのはうれしい限りでした。

そして、本編とは関係ないですが、当時リングアナだった仲田龍氏ついて言っておきたいですね。後年その高圧的な言動が大いに批判された龍氏。私もそれに同意見なのですが、少なくともこの時期、フロントの一人として、彼もまたどうにか地方の観客動員が上向くよう必死に頭を捻り全身全霊で業務に勤しんでいた印象があります。

それまで全日本はファンサービスというのに無縁で、会場に入ればただグッズが並んでいるだけでしたが、仲田氏とそのスタッフたちは「遠路はるばるキャンペーン」とか「スタンプラリー」とが少しでもファンが何度も会場に足を運んでくれるよう企画を考え、ささやかだが感謝のプレゼントをファンに贈呈する等弛まぬ努力をしていたと思うのです。試合開始前彼の販促アナウンスを何度聞いたことか!

後年の印象でそれは無かった事になってしまった感はあるのですが、この時の仲田氏の努力は全日本のその後の隆盛に大きく貢献したと思いますね。それまで全日本はファンサービスなんて考えようともしない団体だったのですから!

三沢光晴

「全日本を辞めても契約で出なきゃいけない興行があって、入場の時に『裏切り者!』って聞こえるんですよ。つかまえて聞きたかった。『あなたにとって裏切りとは何ですか』って。ファンは大切だけど、その人の思い込みに何でオレが従わなければいけないんだ。オレの人生をその人が保証してくれるのか。オレは金で動いたわけではない、自分の意志で辞めたんだって言いたかった。」

三沢は2000年6月に全日本プロレスを離脱。それは契約切れを待っての退団でありこれまでのような新団体からの引き抜きに応じ、契約を破る形での一方的な逃亡ではありませんでした。しかし退団を表明した後のシリーズでもプロモーター筋との絡みの中、ポスターに自身の顔写真が掲載されているものがあったので、4興行ほど他の離脱者と一緒に再度全日本の興行に出場する流れとなったのです。多分過去も今もあまり例がない話だと思います。

そのとある大会に出場した際の入場時、観客から「裏切者」と野次を飛ばされたわけです。その野次の主がどのような立場の観客だったのか知る由もありません。しかしこのような「観客・ファン」の行き過ぎた言動は昔から存在し、今現在ではSNSで更に加速している感があります。

私見を決めつけで述べさせていただければ、このようなセリフを吐く人間は、実社会では絶対に同様のセリフを人の目を見て吐く勇気なんてないのです。多くの観衆の観衆の中に紛れて「どこの誰とも知らないやつ」であることを利用してあまりに強い言葉を吐いてしまう。。。

普通の感覚であれば、この客は言わば「卑怯者」な訳です。なるほど、三沢一派の大量離脱によって全日本プロレス本体は解散寸前まで追い込まれたわけですから、そちらの側のファンにとっては腸が煮えくり返る思いだったかも知れません。

しかし雑誌に「もう、三沢たちは応援する気にならない」等の投稿を行うならまだしも、すべての裏事情を把握していない第三者がこのように人を全否定するようなセリフを吐くのはあまりに幼稚です。

そして普通のレスラーであるなら「なんだ!もう一度言ってみろ!俺と勝負するか!」と実力行使に出たかもしれません。しかし三沢はこのセリフについて、多少感情的になったにせよ上にあるように極めて常識的な論理で自身の心情を打ち明けました。

このコメントを聞いて私は「三沢というのは、実に正義感の強い男だな。これまで後ろめたい事をしていない人生を送ってきたのだろうな」と思いました。「生きていくうえでの苦渋の決断」というのはたまにあるかと思います。その際苦しいですが、自分の中で客観的に自分を見つめ、今どういうことを行っているか把握すれば、コソコソした気持ちにはならないかと思います。

皆さんご存じのように、悲劇的な結末で人生を終えてしまった三沢光晴さん、いろいろと名台詞は吐かれていますが、このセリフが一番好きですね。苦しいながらも誠実に絞り出した感があって。。。全日本プロレスは「明るく、楽しく、激しいプロレス」を打ち出していましたが、三沢のプロレスはそれに加え「悲しさ、せつなさ」があるんですよね。それも色気としての。早世が実に惜しまれます。

ちなみに余談ですが、このセリフの前後、離脱に怒った全日常連外国人のスティーブ・ウイリアムスが三沢が最後に参戦する博多スターレーンで三沢を襲撃する、という噂が流れました。私はこの大会を観戦したのですよ。

三沢の試合中、ウイリアムスが花道から登場、リングサイドに腰を下ろして観戦していました。三沢の試合が終わった後、ウイリアムスがゆっくりとリングインしたときは流石に館内に緊張感が走りましたね。三沢とウイリアムスは暫く睨み合っていましたが、ほどなくウイリアムスが「グッドラック」と叫び両者握手であっさり緊張感が解けました。

誰かがマイクを用意していたので想定内の行動だったと思います。三沢の表情もそれほど緊張感にあふれておらず、例によってちょっとだけ唇を尖がらせて怪訝そうな表情を浮かべていましたよ。

松根光雄(元全日本プロレス社長)

「(日本プロレスの幹部は)もっと良識ある社会人の集団と思っていたが、子供みたいな感覚しかない。もうバカ負けした。」

このセリフはプロレス史に残る痛快なセリフである、と私は固く信じています。賢明なファンなら松根氏がどういう人で、どういう状況をこのセリフを言ったかご存じであると思います。

かいつまんで話すと、当時は日本プロレスにおける日本テレビ側の中継責任者(運動部長)であった松根光雄氏。当時は後から参入したテレビ朝日と2局体制で中継を行っていましたが、先駆者である日本テレビの方が有利な契約内容になっていました。「馬場の試合は独占」「坂口の試合も独占」「ドル箱イベントのワールドリーグ戦の試合も独占」というように。。。

しかしテレ朝中継側の看板レスラーだったアントニオ猪木が日本プロレスを退団したことでワールドプロレスリング中継は番組の売りが無くなった訳です。テレ朝にせっつかれ日本プロレス幹部は次々に日テレとの契約を反故にして最後はジャイアント馬場をテレ朝の中継にのせてしまいます。

再三の警告を無視された日テレは激怒し、長年続いたプロレス中継を速攻で打ち切ってしまうわけですが、その会見の際出たセリフがこれな訳です。近年芳ノ里社長や遠藤幸吉氏を擁護するような話も耳にしますが、客観的に見ても経営者としてあり得ないことをこりもせずやっていたと思いますよ。

日テレとしても、「同じレベルで言い争いをしたくない」との思いから出たセリフだと思いますが、実に強烈なワードですね、特に「バカ負け」という言葉は。短いセリフながらも「もう、お前らみたいな幼稚な連中とはビジネスで金輪際一切かかわりたくない!」という蔑みの感情が満ち満ちていて、逆に爽快にも聞こえるセリフです(笑)

上の項「強い言葉」を全否定した私ですが、このような「グーの音も出ない」ような会心の一撃のセリフは大好きなんですよ。矛盾してますかね?

ラッシャー木村

※1987年世界最強タッグ公式戦。福岡国際センターで鶴見五郎と組み、得意技ブルドッキングヘッドロックを炸裂させヤングブラッド兄弟に勝利した後。

「おい!福田(レフリー)!俺たちは今日2つの事で勝ったぞ!ひとつは勝負で。もうひとつは俺と鶴見の男前さでだ!あいつらにちゃんと通訳しとけよ!それと馬場にも言っとくんだぞ!」

最後は反則かもしれませんが、思わずニヤッとしてしまう名言でしめたいと思います。(笑)例によってラッシャー木村のマイクパフォーマンスですが、私が生観戦していた大会で発せられたものです。館内では結構ウケていましたし、どうやらこのセリフは過去も文字に起こされていないようなので掲載した次第です。

このマイクパフォーマンスのポイントはですね、マイクには寄り添いながらもそれなりに距離を取っていた感がある鶴見五郎が、「男前さでだ!」の後、控えめに両手を挙げてアピールに参加していた点ですね(笑)

今回はこんなところです。まだまだいっぱいありそうなんで、思い出したらまた書きたいと思います。それでは、また。

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