こんにちは、みやけです。今年最後の更新となる私のブログ、今回は昭和プロレスの話です。
その前にお礼です。今年も私の拙いブログを読んでいただきありがとうございました。リニューアル後1年以上が経過しましたが割と自分が考えている事をうまく文章にできたのではないか?と満足しております。非常に偏ったジャンルの中で極めてマニアックな内容を穿り出して書いているので中々多くの人の共感を得るのは難しいかもしれませんが来年もご愛顧いただければ嬉しく思います。
さて今回ですが、プロレスの話ながらも非常に細かい点を無理やり広げた内容?であり、見る人が見れば「そんなものXで呟けば2,3行で済む話ではないの?」と思われるかもしれません(笑)。しかしこの選手の全日本プロレスでの立ち位置がどうにも引っかかる部分があり、例によってマッチメイクを徹底的に調べてみようと思った次第です。
その選手というのは”小さな巨人”グラン浜田!
なんです。そして今回はグラン浜田選手の全日本時代のみにスポットを当て検証しようというものです。
そのまえにですね。話を進めていく前にお断りです。辰巳出版より不定期で発売されている「G SPIRITSの73号(2024年11月発売)にてグラン浜田の特集が掲載されています。後編では全日本時代の秘話も詳しく記載されています。その記事を読まれた方はこのブログを読んで「こいつ、Gスピからヒントを得た上話を膨らませて書きやがったな!」と思われる方がいるかもしれません。
ただしかし、もちろんそんなことはありません。私はこの本の愛読しています。しかし今回のブログは前々から構想があった内容であり(浜田ではインパクトが弱いのでは?と思い気が進まなかった)ブログを書く上でもあえて参考にせずに書きました。出来上がって改めて見比べると結構内容が似通っていて驚きました。信じるか信じないかは読まれる方が判断してください。よろしくお願いします。(よくよく調べるとGスピの記載にも間違いが数か所あるのですが。。。)
数奇なプロレス人生を送ったグラン浜田選手、日本マットにルチャリブレを浸透させた功労者であることは間違いありません。1984年には新日本プロレスから初期UWFを経て全日本プロレスに登場、マイティ井上と組み、夏のスーパーパワーシリーズにて企画された世界最強ジュニアタッグリーグ戦でゲレロ兄弟を破り優勝したのは、全日本にあまり興味を持っていなかった昭和プロレスファンでも記憶の片隅にあるのではないかと思います。
しかし、誇張でも何でもなく浜田選手の試合がテレビにオンエアされたのはこれ一度だけなのです!そしてマッチメイクにおいてもリーグ戦以外は全くビッグマッチを組まれていないし、テレビ収録がある大会においても、意図的にしか思えないようなテレビにオンエアされないような試合組み合わせの連続!それが退団まで続いたのです。
浜田が全日本に参加したのは全5シリーズなのですが、この間の扱いはあまりにもひどいんじゃないかと前々から思っていたのです、一応1984年グランドチャンピオンカーニバル蔵前大会(三沢タイガーが観客に挨拶をした大会)では浜田も入団挨拶をしているのですが、、、
ただし御大、ジャイアント馬場がおそらく目が出そうもない中堅選手や他者の紹介でなんとなく入団した選手について扱いがぞんざいになるのは良く知られた話。例えば百田義浩やミスター林、アポロ菅原あたりは全くチャンスを与えられないままいなくなりましたし、古くは松岡巌鉄、肥後宗徳あたりも同様な扱いで引退に追い込まれています。
しかし、浜田は入団の時点では期待されていたはずであり、ジュニアタッグリーグ戦優勝という実績も残しています。しかしその部分以外では、とにかく全日本の流れとは全くリンクしていないマッチメイクでお茶を濁され続けたのは「馬場に最も無視された男」と称しても過言ではないかと思います。少なくとも林や松岡、更には伊藤正男にしても外国人選手の引き立て役としての役割は担っていましたからね。
それではいよいよ!浜田のマッチメイクを細かく紐解きながら、彼が如何に無視され続けたか追っていきたいと思います。そもそも浜田選手の全日本プロレス入団の経緯ですが、これは旧UWFの立ち上げ、新間久氏追放の流れとかなりリンクしているはずなのです。
この話を掘り下げだすとあまりに闇が深くこのブログではとても手に負えないのですが。かなりかいつまんで言うと、馬場は新間の手引きで佐山タイガーを全日本に入団させ、84年夏にジュニアヘビー級主体のビッグイベント開催を目論み、その一環が新間氏に私淑していた浜田の入団だったと思います。
しかし佐山が新間氏と切れUWFに入団したためその目論見は頓挫、それでも浜田の入団を無かったことにする訳にはいかないので苦肉の策で「世界最強ジュニアタッグリーグ戦」なる企画を立て一応は新間氏と浜田の顔を立てたのではないかと思います。ちなみにこの大会、当初浜田の永遠のライバルであった”メヒコの山犬”ペロ・アグアーヨが参加予定でしたが急遽来日中止となりベビー・フェイスが参加しています。
馬場と新間氏の関係はこれ以降切れたようですから、新間の影が色濃く感じられる浜田は入団直後からイマイチ歓迎し難い存在だったのかもしれません。浜田本人も全日本入団直前にゴングの竹内さんと話した際、タイガーへのジェラシーをむき出しにしたようだったので(「三沢にはタイガーは無理だよ!」と吐き捨てる)馴染もうという気も薄かったのかもしれません。
とは言ってもリーグ戦においてはマイティ井上と組み優勝候補だったのですから、どう考えても全日本入団第一戦はその雄姿をテレビ放送にオンエアされて当然だと思うのですが、、、結果はテレビには映りませんでした。
1984年8月23日スーパーパワーシリーズ開幕戦 後楽園ホール
第5試合 〇 グラン浜田(10分1秒 エビ固め)● B・フェース
ちなみにこの大会、テレビにオンエアされたのは、鶴田・ドリー対ハンセン・ブロデイ、馬場・天龍対ブラックウエル・モレッティ、石川対ジム・ガービン、井上・セブン対ゲレロ兄弟
なのです。メインは現役復帰がもはや確定事項となっていたマネジャーのテリー・ファンク乱入ありきの試合ですからジックリ放映する必要があります。しかしセミはそれ程重要性がある試合ではないので大幅カットで放映して浜田の試合を入れこんでも良かったのではないかと思いますが。。。
まあ、試合後の馬場とブラックウエルの絡みが結構面白いので完全カットという訳にはいかなかったのかもしれませんが、、、でも初登場の試合ですよ! それをスルーとは、、、どうも最初の時点から浜田を重宝する気はなかったようにも思えます。
そしてシリーズ天王山の田園コロシアムでもやはり浜田は第6試合でフェイスとシングルマッチ。ここの放送では馬場・ドリー対ハンセン・ブロディ、鶴田・天龍対ブラックウエル・ガービン、タイガー対フィエラでテレビ登場がありません。
次のテレビ収録は酒田大会、なぜかこの段階でもリーグ戦は開始されておらず、浜田は第5試合でセブンとシングル。オンエアは鶴田・天龍対ハンセン・ブロディ、ドリー対ガービン、更には田コロでの井上対大仁田戦。放映に入れこもうと思えばいくらでも入れ込めたと思うのですが、、、、
そしてその次は広島大会、ここでは鶴田・天龍対ブロディ・ブラックウエルのインタータッグ王座決定戦。セミには馬場対モレッティがマッチメイクされますがこの試合はテレビではオンエア無し。それはいいのですがオンエアされたのは大仁田・渕対ゲレロ兄弟、ドラゴン・セブン対フィッシュマン・フェースのリーグ戦でした。
浜田は第3試合で井上と組み、冬木・川田組(!)に胸を貸しますが、ここでドラゴン組の試合をオンエアする意味が全く分かりません。なぜ井上・浜田組のリーグ戦がマッチメイクされていないのか!この時点まで浜田の試合はオンエアされていないのに、、まあメキシカン2人の試合がオンエアされたのは意義があると言えばそうなのですが、、、
そしてこの大会、この”浜田問題”とは別の視点になるのですが、当時高校生になる私が大いに憤慨した内容の試合がありました。それが大仁田・渕対ゲレロ兄弟の試合です。ご承知かと思いますが大仁田とチャボは1982年ジャイアントシリーズにおいてのインタージュニア王座決定3番勝負の最終戦の後楽園大会。大仁田が勝利したものの、チャボが試合後祝福するふりをして勝利者トロフィーで大仁田を滅多打ちし凄惨な血まみれの姿をさらすことになった因縁の間柄なのです。
そして、その試合以降、大仁田とチャボは地方興行を含めてもこれが大仁田復帰後初遭遇だったのです!長期療養があったので約1年半ぶりの顔合わせです。ヘクターも長期離脱のきっかけとなった東京体育館での場外乱闘での相手ですからこれも因縁がある訳です。この事を事前に把握していた私は 「この試合、さらっと組まれているが血で血を洗う凄惨な試合になるに違いない。大仁田の怒りは1年半経とうが収まっていないはずだから、、、」と勝手に興奮していました。
しかし試合前の顔合わせではいたって普通の雰囲気であり殺気は微塵も感じられません。田コロではボロボロだった大仁田のコンディションも比較的良いようで空中殺法も難なく繰り出します。チャボ兄弟の連携も良く普通に流れがスムーズな好試合でした。
そして試合終盤にはルチャ定番の数珠繋ぎ式首四の字、、、、、実にいいシーンですが、かかっていた私はあ然としました。あの遺恨はどうなったのか?と。いい試合してどうする!
「お前ら何で血みどろで戦わんのじゃああ~~~~~っ!」
と心の中で絶叫していました。若き日の私にとっては”プロレスの構造”を涙ながらに感じた大会でした(笑)
それはそうと、次のテレビマッチの大阪府立大会。鶴田対ブロディのインター戦、 天龍対ガービンのUN戦がオンエアされました。更には井上・浜田対フィッシュマン・フェースのリーグ戦もマッチメイクされましたが、両タイトル戦をじっくりフルタイム放送したためこれまた放映見送り。こうなることは初めからわかっていたのかも知れません。
結局翌週は水戸での優勝決定戦ですので、井上・浜田組はリーグ戦の戦いが全くオンエアされないまま決勝戦に臨んだわけです。といっても上記にあるようにリーグ戦が放映されたのは広島大会だけなのですが、、、プロレスマニアなら最も注目の対大仁田・渕はひっそりと川越市初雁市民グランドという地方の野外会場で行われたのです。正直私には水戸での井上浜田組優勝の事実を作るためだけにリーグ戦を企画したような気がしてなりません。新間氏への義理を果たすために。
そして次のジャイアントシリーズを迎える訳ですが、ラ・フィエラ及びジェリー・エストラーダというメキシカンが参加していたので浜田を活かせるマッチメイクはいくらでも組めたと思います。1ヶ月近い長丁場のシリーズ。7会場での収録があったのですが、全戦参加の浜田の試合はまたもやオンエアされませんでした。
ハンセン・ブロディ・シン・フレアーといった超大物の参加は無かったのですが、タイトルマッチが連発されたこのシリーズ。テレビ放映された試合の中には「馬場・天龍対上田・鶴見」とか「カブキ対リップ・タイラー」といったそれほどオンエアする必然性のないと思う試合も多かったのですが、浜田の雄姿は長崎大会のオープニングコールで数秒流れただけでした。
具体的にはバディ・ロバーツ、リップ・タイラー、エディ・サリバンといったロートルレスラーとも頻繁に当たっており浜田の技術が活かせたとは思えません。タイガーとのコンビは何回かはありましたが、馬場はもちろん、鶴田、天龍、カブキ、原といった上位陣とタッグを組むことは有りませんでした。
この時点で早くも「インパクトの大きい勝敗に関わらない無難なマッチメイク」ばかりとなります。時期的に全日本プロレスは長州力率いるジャパン軍の参戦を臨戦態勢で待つ状況であり、「浜田は次はいつテレビの画面に登場するのか?」という事を気にするファンはほとんどいなかったのではないかと思います。
そして、翌「世界最強タッグ決定リーグ戦」は不参加。次の参戦はジャパン軍がフル参戦する「オールスターウォーズ」となります。このシリーズは浜田と手の合うペロ・アグアーヨ、ブラソ・デ・オロ、ブラソ・デ・プラタも参戦となります。
ただでさえジャパン軍・国際血盟軍の参戦で飽和状態なのにこのシリーズの参加外国人は上記3人の他、シン、ジョー、キッド、スミス、ヘイスタックス、さらには後半戦に特別参加のジェリー・ローラー、ジミー・バリアントの計10人。なんでここまで参加外国人が多かったのでしょうか?
おそらく、前年末ギリギリまで新日本・テレビ朝日との契約の問題でジャパン軍の日テレ登場が実現しないかもしれないという噂も流れており、結局ギリギリ間に合ったのですが、もしも彼らのオンエアにストップがかかったことを想定して保険の為の通常人数でのリストアップだったのでしょう。タイガーはテレビ放映ではキッドスミス及びメヒコ勢と絡ませるつもりだったのでしょうね。
そしてですね、話はかなり脱線するのですが、もしジャパン軍の日テレオンエアが実現しなかったとして、いったい最終戦の東京体育館はどのようなマッチメイクをするつもりだったのか?という妄想は昔から繰り返し考えたものです(笑)、メインの馬場対シンのPWF戦はそのままとして、セミ以下はまず以下のようなマッチメイクを考えました。
セミ 鶴田対ローラー(インター戦)→鶴田の完勝
その前 天龍・カブキ 対 長州・斉藤 →ノーテレビ、カブキ大流血でリングアウト負け
この時点カブキは凱旋帰国後まだピンフォール負けなしだったので、まだ無下にピン負けはさせられません。リングアウト負けがギリギリの線であり、それを次の来日での裏切りにつなげる、という。。。 しかし鶴田対ローラーは館内が静まり返る大凡戦であることは必至!なので以下の内容に変えてみました。
セミ 鶴田・天龍 対 キッド・スミス(インタータッグ戦)→英国コンビの連携に苦戦するも辛勝。試合後長州乱入。
その前 長州 対 ローラー ノーテレビ、3分強でラリアット炸裂し長州完勝。
長州対ローラーも館内が盛り上がらないことは必須ですが、そのストレスを抱えたままセミのインタタッグ戦試合後ベルト返還が終わった直後に再度長州が乱入(ベルト返還までオンエア)、大暴れして天龍に後日の一騎打ちをアピールすれば館内も盛り上がると思います。テレビカメラも躱せるし(笑)
まあ、妄想はそれぐらいにして浜田ですね。このシリーズで特にビッグマッチは組まれず、浜田はメキシカン3人相手のシングルorタッグ、もしくは小林邦明に保永、新倉、仲野のいずれかを絡めたタッグ戦に終始します。新日色の強い浜田は全日本側の一員として古参メンバーとくみその流れに入るのは無理があったような気がします。
全日初登場のメキシカンにしても浜田のライバルであるアグアーヨが何故か連日ピンフォール負け、全く動画が残っていないのでどのようなファイト内容だったのかは分かりませんが、、、そういえば血気盛んなプラタがどうにもかみ合わない三沢タイガーに対して怒りをあらわにした、という話もどこかで聞きましたが。。。とにかく浜田のみならずジャパン勢参戦の煽りを食ってルチャの存在がすべてないがしろにされた感があります。
その中で事件が起こります。シリーズ中盤の大津市皇子ヶ丘体育館にてキラー・カーンが浜田をトイレで襲撃するという事件が勃発します。もちろんこれは両者のプライベートの問題であり当時報道もされていません。
原因は両者がメキシコ遠征中、カーンに人気が出てた為ジェラシーを感じた浜田がプロモーターに告げ口をしてカーンの試合を組まれるのを妨害した、カーンはそれを根に持って、、、とかそういう話だったと思います。その件はここでは重要視しません。
ただし御大としては自身の団体とは全く関係のない話で、なおかつリング外でトラブルを起こすのは迷惑極まりない話だったと思います。その話がどっちが悪い、なんてことはどうでもよくどちらかを排除して問題を自然消滅させよう、考えても自然ではないかと思います。
そう考えたのであるなら、これから売ろうとしている同郷のカーンよりも、全日本のスタイルに合わないのが明確になってきていた浜田を排除しようという風に考えたのは有りうる話だと思います。「そろそろ浜田にもお引取り願おうか、、、」と。
そして浜田に初黒星が付くことになります。シリーズ後半の札幌中島センター大会。渕・浜田対キッド・スミス組というこれまでと比較すればやや異色のマッチメイクが成されます。結果浜田が全日入団初黒星を喫するわけですが、渕はこの時点でJR王座戴冠前でようやく存在感を出して来た頃。普通に考えれば渕が負け役を担うと思いますが浜田がスミスのオクラホマスタンピートに沈んでしまいます。
1985年2月11日札幌中島体育センター ●浜田・渕(9分2秒体固め)キッド・〇スミス
この試合の詳細は全くわからないのですが、マッチメイク自体が何か唐突というか意図的ですね。新日本時代の細いキッドとの絡みながらわからなくもないのですが、この時期のこの中に放りこまれては浜田の小ささばかりが目立つような気がします。渕も結構大きいですからね。全日本での浜田とキッドスミスとの絡みはこの1回のみです。
これは、カーンとの乱闘事件の落とし前?をつけるため制裁の意味があるマッチメイクかも知れません。かつて日本マットでは”制裁的マッチメイク”が定期的に行われてきました。それまでの流れからすると違和感のあるマッチメイクが成され、その中に放り込まれたレスラーがその後悪い扱いを受ける、という。。。
急に寺西と組み、藤原喜明・星野勘太郎と対戦しギュウギュウ言わされ米大使館に泣きながら駆け込んだヘラクレスローン・ホーク(ホークが激弱&奇行)、突然ハンセン・クロファット組と対戦したロックンロール・エキスプレス(ギブソンが腰痛でほとんど動けない)、北尾が斉藤・橋本と組みベイダー・ビガロ・ウイリアムス組と対戦して完全ピンフォール負け(北尾がわがまま放題で新日本内で孤立)
自身のパフォーマンスが活かせそうもなく、かつ今後のイメージダウンは必須であるこのマッチメイク。馬場にしたら「俺はもうあんたを見切っているんだよ」とそれとなく言い渡すための冷酷なマッチメイクだったと思うのです。
結局、初黒星を喫した以外インパクトを残せなかったオールスターウォーズ。その後2シリーズ欠場し私は「もう浜田は全日本に登場しないのか?」と思いましたが、その後のサンダーウォーズには全戦線参加!参加外国人はシン・キッド・スミス・ゴディ等、後半戦にウォリアーズが2度目の来日を果たしました。
私はこのシリーズに浜田が参戦していた記憶は全くないのですが、調べてみると案の定、正月と同じお決まりのマッチメイク。手の合う小林邦との絡み、もしくは剛・高杉等の国際勢と2~4試合目で当たるというぞんざいなマッチメイクばかり。
このシリーズマイティ井上の持つインタージュニア王座はキッド→小林邦と目まぐるしく移り変わるのですが、この中に浜田を入れるのも面白いと思うのですが、、、改めて見返すともう完全に離脱モードに入っていたのではないかと思います。
そして翌サマーアクションシリーズにも連続参戦。当初全戦参加の予定だったようですが、第5戦の諏訪湖スポーツセンタ-大会(テレビ収録)、浜田は試合中ろっ骨にひびが入ってしまい次の試合から欠場~そのままメキシコに帰ってしまいます。そして以下の試合が全日本最終試合になってしまいます。
第4試合 井上・浜田・〇渕(11分12秒 体固め)剛・●高杉・菅原
なんか、意外とそこそこ豪華で送別試合のように見えなくもないんですよね。
結局、浜田が全日本に参戦したのは計5シリーズ、23週間です。23週というのはちょっと切りが悪いので、最後のシリーズは2週間のところを浜田の意思で打ち切って帰ったとするなら、24週。1シリーズ4週換算だと6ヶ月、半年ですね。もともと24週縛りの1年契約だったのかも知れません。
全日本は契約を反故にして他団体に移籍、もしくは退団したレスラーについては厳しい対処が成され、マスコミ・ファンに向けてもそのことが大きくアナウンスされがちです。しかし浜田についてはどうも「裏切者リスト」には入っていないようですし、それ以上に存在が無かった事にされている感があります。
馬場の口から「グラン浜田」の名前が出てきたことを聞いたことがありません。他の選手も話題にすることはほとんどないかと思います。唯一先日逝去されたマイティ井上さんについては、浜田に気を遣いよく食事に繰り出していたと話されていましたね。さすがマイティさん!
浜田の全日本の試合が上記1試合しかないので検証することは中々難しいのですが、全日本の中でも小柄であり井上と並んでも一回り、いやそれ以上小さいので、いくら浜田が得意技を連発したとしてもリアリティに欠ける気がします。浜田は空中殺法と同時に柔道をベースとした投げ技も重要な持ち技のひとつでした。
であるなら、ジュニアの中でもヘビー級レベルのウエイトを誇るドスカラスやジプシー・ジョーがポンポン投げられるのは彼らの存在価値を考えてもよろしくなかったような気がします。また浜田自身も全日本参戦も自身の意思ではなく「他者から命じられて」のものだったようです。
浜田にしたら「使う気がないんだったのなら誘うなよ!」とさぞ言いたかったと思いますよ。ただし入れておいて、連戦連敗でひどい扱いをしたというのなら、このブログでは「イジメ」「冷遇」と表現したと思います。
ただし浜田の場合、札幌でのキッド・スミス戦を除けばひどい扱いは受けていない、しかしビックマッチもないし、ストーリーを築くような流れもない、ただ淡々とお客様的な無難な扱いを半年間受け続けた、それって「無視」と表現するのがふさわしい!と考えそういう題名にした次第です。
浜田選手は割と最近まで日本のインディマットの大会に参加しリングにも上がっていましたが、ここ最近は健康を害している、と娘で元レスラーの浜田文子さんが伝えています。
2018年には脳梗塞を発症、その後メキシコに移住。今年に入って喉と腹部を切開しなければならない状況に陥り栄養補給や酸素吸入を受けているとのこと。。。やはりあの小さな身体で全力ファイトを行ってきたのですから、高齢者になるとそのひずみが出てくるのは致し方ないところいです。
病と闘うのは本当につらい事ですが、なんとか良い方向に向かう事を祈っております。今日はこんなところです。それではまた。
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