こんにちは、みやけです。
今回はちょっと趣向を変えまして私の若い頃の友人の話を書きたいと思います。ただしこの話、本当は別の話をしたいのだがストレートに書くと問題があるので表現を変えて暗喩してみた、とかそういう深い意味がある話ではなく、単純に色々な意味で実に印象深い若い頃深い付き合いのあったあの男について書き残したい!と思ったからです。
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その男の名は”P”といい私と同じ高校の同級生でした。東京出身で180㎝を超す高身長の男であり、風貌は、、、、ミスリードするようで恐縮ですが関西で昔起こった学童の無差別殺人の犯人として悪名名高いT・Mのそっくりな狐目が印象的な顔立ちでした。
そしてPは陽気なとんねるず的ノリでネアカな部分がある反面、やはり「キレたら何をするか分からない」という凶暴さが垣間見られました。授業や部活動でも感情を抑えきれなくなり再三トラブルを起こしていました。私の交友関係とはクロスしそうにない男でしたが、何故か少しずつ仲良くなっていました。まあ、私の高校は男子は一学年100人しかおらず全員とほぼ顔見知りだったのが大きな理由かもしれません。Mのお笑いの感性には惹かれるものがりました。
そしてPはコミュニケーション能力に難がある私の性格を直ぐに見抜いたようで、その関係は”イジリ役”と”イジラレ役”そのものでした。ただしそれはそう深刻なものではなくPが私を「あんたの顔、●●みたいやね!」と突っ込むと私が「いや、そんなひどくないよ!✖✖の方が似てる!」と、そっちの例えの方が面白い返しをする、というコツをつかみ、周囲が笑うというパターンが出来上がりPは私を重宝していたようです。
ただしここで周囲の人が「△△(←私の事)の方が面白いこと言うな」と思ってしまうとPの逆鱗(ジェラシー)に触れていたと思うのですが、そのあたりは私の生き抜くテクニックとして「Pが私の面白さを引き出した」みたいな言い方をしていたので、そうはならなかったと思います。
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今考えれば非常に不健全な関係性だったと思います。ただし私は「人を笑わせる事」に興味はあったものの、実際にそれを多くの人の前で実行出来た事はほぼなかったので、そのような上下関係であっても心地良さを感じていたのは事実です。
ただし私はPとそれほどベッタリだったという訳ではなく、”P派の一人”という立ち位置でした。そして私もPも大学受験に失敗し予備校に通う事になりました。偶然にもPとは同じ予備校に入り、その予備校に行った高校の同級生は男女合わせて20人くらいだったので、自然と私はPとの距離が縮まりました。やはり同じ高校の同級生でPとはバンド仲間だったS、そして現役で合格したTもよく予備校に呼びつけられいつも4人でつるむ様になりました。
自分で言うものなんですが、私の成績は当初はそこそこ優秀でした。最初は文系の一番下である「私立文系」クラスでしたが、春~夏の間頑張って勉強した甲斐あって「早慶クラス」に昇格しました。私は基本地元の福岡の大学に行く予定でしたが、この結果を受け東京の大学をも視野に入れようかと目論見出しました。
その逆PそしてSの成績は伸びず私文クラスのままでした、それ故か夏休みの終わりごろにはPから頻繁に遊びのお誘いの声がかかるようになりました。Pは麻雀が得意なのですが、自宅で私とT、Sを交えて卓を囲むことが多くなったのです。私は早慶クラスに入った事で予備校生にも拘らず油断しまくっていました。そんなことをしている場合ではないのに。。。
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麻雀の頻度は上がり、最初は授業を終えて小一時間ほどかけてPの自宅までバスで移動していたのですが、徐々に朝いったん予備校に集合して(何故か大学生のTも)からは全く授業に出ずそのままPの自宅に直行する生活を送るようになりました。Pの家は共働きだったので気兼ねする必要はありませんでした。
お金がない予備校生のくせにバス代を払ってPの家まで出向き、夕方まで麻雀をして夜8時頃自宅に帰ってくるのですから当然成績は急降下しました。親はその時間まで予備校で勉強していると思っていたようですが。。。年末頃から改心してP邸行を断り、勉強に専念しましたが時すでに遅し、早慶なんぞ受験自体が論外で、当初最低ラインと見込んでいた地元私立の大学受験も1勝7敗と散々な成績に終わりました。まあ1学部だけ引っかかったのは九死に一生を得た感はありましたが。。。
私と同様Pに巻き込まれていたSも私と同じ大学に何とか引っかかりました。しかしPは年末から急速に成績を上げており、結局某関西の私立大学に入学したのです。私の入った大学より遥かに高ランクです。私自身はこれだけ怠惰な生活を送っていれば当然の結果なのですが、Pの集中力を思い知らされました。
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しかし、よくよく考えればPは普通に自分のペースで生活していたのです。予備校と自宅の行帰りは定期があるので費用は掛かりませんし、昼は自宅で麻雀しつつリラックスしながら我々から色々と巻き上げ、解散した18時頃には普通に自宅で夕食を食べそれから深夜まで受験勉強していたようです。生活を乱されまくった私とSは完全に置いてけぼりを食った感じでした。
私達2人の試験結果は当然です、自業自得そのものです。ただし、この時薄々感じていたPの「人を平気で利用する」性格を確信しました。しかしこんな事はまだ序の口でした。Pは関西で大学生活を送っていましたが、彼女は福岡に残していたため季節の休みのたびに帰省していました。
その都度、T及びSと遊んではいたのですが、Pの生活がかなり荒れてきてるのを感じました。彼女が居ながらも大阪で福岡でも単身でナンパを繰り返しその日限りの恋愛をしていたようです。当時はバブル期に突入したあたりですが、若者全員がそんな生活を送っていたわけではありません。私もSもTもそんなこととは無縁でしたので、やや驚きの話でした。
その頃からPの他人を利用して悦に入る性格が酷くなっていたようです。「遊ぼう、あんたの家に●●時に行くから」と急に言い、私はやりたいことをキャンセルして待っていると何時間も現れない。次にあった時問い詰めると「ギャグ、ギャグ!面白かったろ?というかその時はA達と麻雀してたから、騙したことも忘れてた!」等と嘯くのです。
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更には私の中学校からの友人の名前を騙って、私の母に「●●君(私)がお金を返してくれない」と電話を入れたり、年賀状には私の高校時代のクラスメイトの女の子の名前で投函し(その子には好意を持ってはいたが付き合いは全くない)、「あなたの子供が出来たみたい」と一筆を添える(当然私の両親・祖父がそれを見る)、、、等いたずらというにはかなりシャレにならない行動のオンパレードでした。私も良く我慢していたものです。
結局私はPと距離を置くようにしました。同時にPに関して性にまつわる良くない噂が更に山ほど入ってくるようになりました。「3Pに味を占めている」「ナンパした高校生を連れまわしたあげく、乗せた場所とはかなり遠い所で降ろして放置した」。。。等。私はPが帰省しても誘いには乗らない様徹底しました。
そして双方就職の時期となりました。Pは関西の企業に就職したのですが、なぜか勤務地は福岡を希望し認められたのです。Pの両親は仕事の関係で同時期に東京に引っ越していたのですが、Pは福岡の生活を望んだようです。関西には結局馴染めなかったようでした。
そして私は東京本社の会社に就職し、研修は福岡で受けましたが正式な辞令は「大分営業所勤務」となり6月には大分に引っ越しました。就職してからは忙しく、Pともほぼ縁が切れていました。またSやTとも何となく疎遠になっていました。そして就職後1年近く経過した4月のとある金曜日の夜に突然Pから電話が入ったのです。
まず電話をかけてきたのはSからでした、Sとも疎遠になっていましたがたまには電話でしゃべっていました。Sは「久しぶりにこの人と話してみらん?」と言ったかと思うといきなりPが代わって話だしました窓口に出ました。基本的に私としゃべるときのPは高飛車なのですが、その時は妙に下手でした。「何か企んでいるな」と感ずくべきでしたが、私自身も社会の荒波に飲まれ疲れ切っており精神的に不安定でしたのでPを好意的に受け入れました。
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そもそも特にPとの間で致命的なトラブルがあったわけではないので、双方近況を話し、私もえらく懐かしい気持ちになりました。そうするとPは「もっと話したいこともあるし、明日Sと一緒に車でそっち(大分)に行くけど都合はいい?」と言い始めました。
大学時代の関係を考えれば危険な誘いなのですが、私は大分でも全く友人が出来ていなかったのでそれを受け入れました。「昼前に大分駅近辺で合流し、食事をして温泉にでも行こう」という事になりました。ただし私は翌日の土曜はそれなりに用事がありました。
用事というか、仕事が山済みで処理できていなかったので、土曜にこっそり出勤して片付けようと考えていたのです。まあそれは日曜に延期しよう、と思いました。そしてその日が給料日直前だったので手持ちの金がなく、電話を切ると泣く泣く数本のファミコンソフトをゲームショップに売却したのを覚えています。
そして翌日、まさか、いや、案の定Pは現れませんでした。14時まで待ち合わせ場所で待っても全くPの車は姿を現しません。15時頃帰宅して留守電を聞いても何も入っていませんでした。その頃は携帯も普及していませんし、何度かP及びSの家の固定電話に連絡を入れましたが誰も出ませんでした。
そして翌日日曜の午前中、Pから電話が入ったのです!開口一番来なかったことを詫びるどころか「ギャグ!ギャグ!3年越しのギャク!」と言い放つのです、横でSの笑い声もするし、、、そして悪びれもなく「今日こそ遊びに行こう!」と言い出すのです。私もさすがに感情を露にすることはしませんでしたが話の途中で電話を切りました。
結局Pと会話をしたのはそれが最後です。最後に会ったのはいつかは覚えていませんが、自分自身「何があってもPとは二度と連絡を取らない」と決意しました。そして横で笑っていたSとも縁を切ろう、と思いました。流石にPからの電話はそれ以来一度もありませんでした。
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それから1年少し後、突然Tから電話が入りました。TはP、Sとも未だ遊んでいることの話は聞いていましたが、ドタキャン事件とは何も関係はないので別に縁を切ったわけではなかったのです。Tはいきなり「Pが警察に捕まって新聞に載ったの知っとう?」とまくしたてるのです。
もちろん私には初耳の話ですので、Tに事情を聞きました。曰く以下のような状況というのです。
「Pは日ごろからナンパをしてその場限りのSEXを楽しんでいた。しかもロリコン趣味なので高校生を中心に。ある時ある女子高生ををナンパし、その子の裸の画像を写真撮影。その後別れてからPから再度女子高生に「もう一度会いたい」と連絡を取ると拒否されたので「ではお前の裸の写真をばらまく」と恫喝したらしいのです。
しかし高校生はそのことを親に相談。親は警察にその恐喝を訴え、「淫行」で逮捕されてしまったとのことなのです。そしてその事件は名前付きで地元の新聞の社会面に掲載されてしまったのです。私も後日帰省した際新聞を確認したのですが、さすがに写真入りでないにせよ下の方に1段使って掲載されていました。
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唾棄すべき内容の事件ですが、それほど特異なものでもないのでこの内容で名前付きで新聞で報道されるのは珍しいのではないかと思いました。ただしその日は国内・国外大きなニュースは無く、運悪く地元紙に掲載されてしまったように思えました。
さすがに急にそんな話を聞かされてびっくりしました。ただしPの異様な性欲や人を簡単に利用し、奈落の底に突き落とすのも厭わない性格を知っている私としては「Pならやりかねないな」と感じたのです。ただしこの話には続きがありました。続きというかPは道義的にはもっとひどい事件を起こしていたのです。これはおそらく世間に出ていない未解決事件です。
事件の半年前、Pは別の女子高生相手に全く同じ事をしでかしていたのです。やはり「会わないのなら写真をばらまく」と恫喝したらしいのですが、被害者はそれを知り合いのヤ●ザに訴えたようなのです。当時Pはアパートで独り暮らしをしていたのですが、その組の人に家を襲撃され、車に押し込まれ●●所に連れていかれてしまった、らしいのです。
●禁されたPに対しヤ●ザは「今から親に連絡しろ」と迫ったらしいのですが、Pは何を考えたのかTの実家の電話番号とその父親の名前を伝えたのです。私たちの世代の人ならご承知かと思いますが、親しい友人の電話番号は宙で覚えていましたよね?しかしすぐバレる嘘だと分かりそうなものなのに、なぜ友人の親の名前を伝えるのか。。。。
更にTの親は某病院の院長さんでそこそこの資産家。友人一同は下の名前も十分承知していました。T曰く、「パチンコで10万近く負けてがっかりして帰ってきたらその電話がちょうどかかってきて、親が半狂乱になっており、首を絞められんばかりに怒られて踏んだり蹴ったり」、、、とのことですが。。。
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まあ、Tは話を盛る癖があり、電話のシーンは眉唾ですが(笑)PがTの親の名前を騙ったのは事実のようです。その後どうなったのか?それはTもよく説明しませんでしたが、結局Pの親に話は伝わり、Pの実家もそこそこ資産家ですので示談、お金で被害者と解決したらしいです。裁判沙汰にはなっていないようです。この時は。またPの親からTの親宛にもある種の謝罪が成されたようですが。。。
この話を聞いた際、大変嫌な気持ちになりました。被害者には申し訳ないですが、警察に捕まった話よりも数段ひどい話です。悪いのは100%P自身なのに、少しでも時間を稼ぎたいがため友人の親の名前を出すとは、、、いや本気でどうにかなると思っていたのかも知れません。Pも自分の親の悪口は何度も話していましたが、結局は恐れているようでした。
そしてまた、これも理解しがたい話なのですが、PはもちろんT本人にも謝罪したのですがTはPを許し付き合いを継続したらしいのです。私には理解しがたいです 。そんな酷い事をされたのに。。。Tもかなり変な奴なのです。更にTはPの逮捕後流石に気の毒に思い拘留中のPに面会に行ったらしいのです。Pは号泣するばかりで会話にならなかったとのこと。ただしもう福岡を去って東京の親の元に行く、と言っていたとか。。。
結局Pは裁判を受けるには至らなかったようです。そしてその後のPの行方は誰も知りません。TもSも。高校時代の同級生に会うと大半の人間は噂を聞きつけP逮捕の話は知っているのですがPのその後の行方は誰も知りませんでした。
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私自身、心配してではなく興味本位でPの名前をネットで検索する、という事はしょっちゅうやっていますが未だ引っかかっていきません。実のところ、Pの性格を考えれば生死の心配というよりまた同じようなことをやっているのではないか?という懸念があるのです。
その数年後、私はPの右腕とも言っていいSとも絶縁することになりました。Sは某地方銀行に就職していたのですが、Sの銀行の関連会社の信販会社から私宛に「銀行系信販カード発行における本人確認」の電話が入ったのです。それも職場にです。私は身に覚えがなかったのその時は「そもそも申し込んでいない、何かの間違いではないか?」と電話を切りました。
ただし引っかかる点があり、その時から3,4年前になるのですが、確かに私はそのカードの申込書を作成していたのです。私は大学を留年していたので私は大学5年、Sは社会人1年の時でした。書類は作成してSに託したのですが、その後「まだ大学生では作れないカードなのが分かった、なので書類は出さなかった」とSから説明がありました。カードの作成は私が特に望んだものではなく、付き合いで作った書類なので気に留めず回収することもせず忘れていました。
その時の書類をSが今になって会社に出したのか?と思って確認しようとSにで電話し留守電にも折り返すよう何度かコメントを残したのですが、何の音沙汰もありません。それから数か月してSの父親からSの結婚式の招待状が来ました。
さすがにこれには私もカチンときて「不参加」に丸印を付け「信販カード申請の説明を受けないままでは式に出席などしたくはありません」とコメントを書き入れ投函しました。そうするとすぐSから電話が入りました。なんとこの申請書は前回の書類を流用したのではなく、Sがイチから自分で書類を作成し三文判を購入して捺印して会社に提出したとのことなのです。完全な文書偽造です。
結局私は事をこれ以上荒立てることはなく、Sとも絶縁することにしました。Sの勤め先に騒ぎ立てればクビになった可能性が高いですが、もうこんな奴に関わりたくない、と思ったからです。Sにははっきり口頭で「もう二度と会いたくない」と伝えました。あとから聞くとSはこの話に出てこない別の同級生にも同じことを行っていました。Sは文書偽造を連発していた銀行員だったわけです。
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SについてはPのような”異常性”を感じることは無かったのですが、小ズルい動きをするのはなんとなく感じていました。でもこれは完全な犯罪行為ですからね。。。私の騒ぎ方によってはまずい状況になったかもしれません。結局Sの結婚式には出席しませんでした。数年してTの結婚式にsが参列したようですが、元はバンドマンで若々しかったのに40過ぎに見えるくらい老け込んでいたとか。。。その時まだ30過ぎでしょうに。。。
そして、そのTとも私は色々あって縁を切ることになりました。Tも相当変な男で私とは喧嘩したり仲直りしたりを繰り返していたのですが、P事件から数年たって定期的に電話が入るようになりました。それも平日の19時頃、どう考えても飲みの席の最中という感じで私の携帯に電話を入れ近況を聞くのです。Tは大阪で仕事をしていました。
いろいろと探っていくと、大阪では結構私の高校の同級生が働いており、その連中でプチ同窓会的な集まりをしていたようです。そしてその内容をfacebookに上げていたらしいのですが、結局他の同級生の近況だけ知りたいため、片っ端から電話で2,3分だけ一方的に今の状況を聞く、という事を繰り返していたようなのです。酒のつまみ及びfacebookのネタが欲しいだけ、という。
それが休みの日ならいいのですが、平日の19時頃にかかってくるわけです。当然こちらはまだバリバリ勤務中です。しかし向こうは明らかに複数名で飲みながらであり後ろの方から私の回答で笑い声が聞こえる、という。そして自分が聞きたいことだけ聞くとさっさと電話を切るのです。
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そういうことが2~3か月に1回ペースで1年近く続き、嫌になった私はTの電話を着信拒否にしました。いい大人になって昔の友人の非礼を指摘するのもめんどくさいし、結局Tとはその着信拒否以来回会話をしておらず、メールや手紙でのTからのアクションもありませんでした。
結局私は20歳前後の頃一番仲良くしてい歳友人3人と縁を切ることになりました。だからと言って悔いているという事は全くなく、逆にせいせいしました。消息不明のPはともかく後の2人も相当おかしなやつであり、自分に負担をかけてまで付き合う必要は無い、とつくづく思いました。時間の無駄です。年を取れば取るほど「自分の精神的負担になる人物とは極力付き合うべきでない」と確信するようになりました。その人物のバックボーンがどんなにたいそうなものであったとしてもです。
結局私は社会人になってからは「友人」と呼べるような人は作れませんでした。SNSを始めてからは色々な人と繋がらしてもらえるようになりましたが、その方々がどのような立ち位置になるのかはイマイチ自分でも分かりません。「軽い」とか「思い」とかそういう事でなく別物のような気がします。
私にとって親友と言える人はたった1人です。Iという男です。中学から大学まで一緒であり、中高と野球部で一緒に汗を流した男です。Iはストイックな努力家、現実的な慎重派であり、女性にも大変モテますが自身は堅実な付き合いをする男です。温厚で敵が少なく誰とでも仲良くやれます。逆境でも黙々と現実に向き合います。元ソフトバンクホークスの和田投手のような雰囲気の男でした。
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対する私はコミュ力が極めて低いくせに自己顕示欲が強く、すぐ調子に乗って墓穴を掘ります。若いころは甘い考えで軽はずみに大博打を打つような部分もありましたし、女性ともうまく付き合えない。”友人”という関係を作れずすぐ”好き”か”嫌い”の二択を相手に求めてしまいます。Iとは何か何まで対照的な男です。
しかしIとは何故か気が合いました。他の人に言うなら恥ずかしいようなことでもIになら、何でも打ち明けることが出来ました。性格が真逆だったからでしょうね。
PやTとの付き合いが密になり、Iとあまり会わなくなる時期もあったりするのですが、特に双方気まずいわけでもなく、しばらくするとまた元に戻ることの繰り返しでした。Iは他県で家庭を持ちましたが私が40歳になるくらいまで2~3年に1回くらいですが、飲みに行っていました。いつ会っても中高時代と同じ関係性、テンションで話をすることができました。
しかし50を過ぎてから、私は血液のがんにかかってしまい、骨髄移植をする羽目になりました。もしかすると命も危ないかもしれない、と思いました。私はIにだけは連絡しました。その時Iとは4年位会っていなったのですが(Iの住まいが震災に逢い色々大変だったのが大きな原因)「多分Iはすぐに来てくれるはず」という思いがありました。
Iは私からの電話で内容を把握すると「じゃあ、すぐ会おう」と言ってくれました。その時Iは1か月程別の県に出張しており、ちょうどそれが終わり自宅に帰宅する直前だったらしいのですが、その帰りしなに新幹線を博多で途中下車し、私と会ってくれる、とのことでした。本当にうれしかった思いがあります。
そして30年前と同じテンションで酒を酌み交わし、完治を誓いました。友人なんてそんなにたくさんいらない、Iだけいれば俺は十分!とつくづく思いました。その後私の治療やコロナ過があったりしてIとはそれ以来会っていません。しかし季節の変わり目には連絡を入れ「そろそろ飲みに行こう」とお互い話しています。まるで浜ちゃんのwow war tonightみたいな世界ですね。
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今回の内容を書くきっかけはですね、未だにPやSへの恨みが消えない、とかそんなことはありません。むしろ早い段階で関係を切っておいて正解だったと思っています。ただ、なんかこう多くの人は「地元の友人」というのは中々関係を切れず苦労することも多いと思うので、強引にでも切っておいた方がいい、という事例を紹介したかった、、、そんなとこですかね。
Pはどこで何をしているのでしょうか?意外とどこかの業界で大物になっている可能性もなくはないですが。。。。反省はしたかもしれませんが、人の性格は変わらないですからね。
今回はこんなところです。どのような感想を持たれましたか?
それでは、また。