私の骨髄移植 ⑲ 移植後が真の苦しみ

こんにちは、みやけです。今回は私の骨髄移植体験記の19回目です。

骨髄移植当日、深夜の高熱に見舞われながらもなんとか乗り切った私でしたが、移植の本当の辛さはこれから襲って来るのでした。まだ、この時点では主に夕方に苛まれた頭痛、めまいがあったくらいで、後は異常な体調不良というのは無かったですからね。

下の数値は移植後1週間程度経ってからの値ですが、意外に赤血球、ヘモグロビンについてはそこそこ存在していたんだな、と思いますね。当然まだ生着前であり担当医からのその内容の説明も受けていたと思うのですが、あまり覚えていません。(笑)

白血球はほぼ無いに等しいですね。何らかの菌に冒されたら一発アウトの状態です。血小板も相当低いですからどこかベッドの角に手足をぶつけて出血したら致命傷になりかねません。この時期は運動も慎重でした。

頭髪の抜け具合も、移植から2、3日後くらいまではその兆候がありませんでした。しかし体調不良についてはこのあたりから顕著になってきました。頭痛もそうなのですが、喉の腫れですね。私は元々口内・喉が弱く額口腔外科に通う「扁平苔癬(へんぺいたいせん)」というレアな病気も持っています。

口内はGVHDが発生しやすい箇所ですが、結局、元々耐性が弱かった箇所に集中的に負担がかかったような気がします。具体的には喉(食道)が腫れ、固形物を飲み国のが億劫になって来たのです。胃は大丈夫だったので、食欲はあったのですが、食物を飲み込もうとしても飲み込めない!

最終的には厚み5㎜くらいの錠剤を飲むのさえ難儀していましたね。喉の上、食道直前までは口に入れたものを持ってこれるのですが、飲みこむ力が無いという、、、10秒くらい錠剤と見つめ合って意を決して飲みこんでも反射的に即跳ね返されてしまう、という。。。。

多分に精神的なものが大きかった気がします。そういう症例は聞いており、その体験者の話では「何故か焼き菓子、バームクーヘンとかフィナンシェは美味しく食べれた」という話があり、その手のお菓子は元々私が好きな事もあって何とか食べれてましたからね。

ただし、急激に喉の腫れが悪化したのは思いつく理由があります。前にも書きましたが移植後すぐものが飲み込みにくい感じがしてきたので、担当看護師のⅠさんに相談したところ、直ぐ調理室と連絡を取ってくれ、料理の肉や野菜を食べやすくなるようカットしてもらっていたのです。大変迅速な対応でした。

しかしその間、私の喉の腫れは予想以上に酷くなっており、そのカットした大きさでもなかなか喉を通しにくくなっていました。しかしこの食事を残すと色々と根回ししてくれたⅠさんに悪いな、と私は思い食事をかなり無理やり喉を通して完食したのです。

すると案の定喉の腫れは一層ひどくなりほとんど食物を通せなくなった、という事態になってしまいました。そしてそうなったことはⅠさんに申し訳なくて退院するまで黙っていましたね。以降まともに食事はとれない状態になってしまい、数日後には汁物をちょっと啜っただけで後は全て残す、という状況が2週間近く続きました。

そして、口内の唾の出方も変になってきており、ただベッドで起き上がった状態で数分間静止しているだけで唾が口の中でいっぱいになってきてしまいました。それほど水分を取っているわけではないのに体内のどこからこれだけの唾出てくるのだろう?と不思議に思いました。やむを得ず歯科医で使用する楕円形のトレイのようなものをベッドテーブルの上に常備し、頻繁にそれに唾を吐きだしていました。

当然、医師や看護師さんが来てもまともに会話ができないので(しゃべろうとすると唾が溜まる)、もっぱら会話は筆談でした。ただ病室には清掃の方や心理士の人、会計の人等色々な人が出入りするので何か話かけれた場合話返られた場合、その状況を説明するのが(それも筆談ですが)億劫でしたね。

とにかく常時口内が気になってしょうがなく、食事の時間が来ると憂鬱な毎日でしたが、、逆にそれ以外はの大きなGVHD(合併症)があまりなかったのは不幸中の幸いだったような気がします。入院している階はいわゆる「血液病棟」と言われる階であり、私と同じ血液疾患の患者さんが沢山入院されていました。

私は他の患者さんと親しくなって会話する、というようなことは一切なかったのですが、洗濯室やシャワールームに行く際すれ違う患者さんを何気なく見ると、皮膚が大きく腫れあがり水ぶくれのようになっている人、全身に赤い斑点が出来ている方、等色々な症状が出ている人を見ました。

急性GVHDの主な症状としては「肝臓」「消化器」「皮膚」に異常が現れ、慢性の場合それにプラスして「口腔」「肺」「毛髪」に異常が現れるようです。私の場合元々弱かった「口腔」に一気に来た気がします。これは結構長期間続きましたね。喉の腫れは退院時にはそこそこ収まりましたが、同時に味覚障害も出ており、これは治るのに数か月かかりました

GVHDについては移植直後に「急性」の色々な症状が現れ、その後数か月たってから「慢性」の諸症状が現れます。「慢性」の場合でも結構シャレにならない症状があるので、いつそれに見舞われるのか?それが恐怖でもありました。結局骨髄が生着して順調に血液細胞が生産されるようになっても、慢性症状、一部の細胞の暴走によって、自分自身が攻撃されるという、、、なんとも受け入れがたい状況となる訳です。

当時私が何を思っていたか?「とにかく時間が早く経過してくれ!」でしたね。特効薬は何も何もないわけですから、骨髄が生着するのを待ち、喉の腫れが収まるのを待つしかない。食事が取れないのを見かねた担当医が点滴に栄養分があるものを追加してくれました。

あまり慰めにもならないのですが、何も食事をとらなくても問題ない状態になりました。その際教えてもらったのですが、人間は全く運動とかしなくても、内臓器官の動き等で1500キロカロリーは消費する、(基礎代謝)との事なのです。ですので、基本的に1日の食事摂取量を1,500キロカロリー以下にすれば、体重は自然に減る、との事なのですが。。。

とにかく、生命の危機を感じることは一切なかったのですが、常に口腔内の異常を感じ、キツく辛い毎日でした。ただしこの期間の”体調不良”の状態において、何か生きがいを見つけられないか?随分模索したものですが、そのことは自身の後半戦の人生の目標について大きく役に立った気がします。

この病気になって以来、私は「中高年、高齢者になると、コンディションは常時どこか悪い状態になりがち。現実をを受け入れ、昔の元気な状態を恨めしく思わず、今の自分にとって何がハッピーだと思えるのか?それを模索していこう」と思うようになりました。

24時間点滴に繋がれ、取れない喉の腫れ、口内は唾で溢れ、夕方になると編頭痛が襲ってきて、夜は不眠、その状況下で楽しみを見つけるのは中々困難でしたが、当時大河ドラマで放送されていた「西郷どん」を毎週リアルタイムで視聴しており、そこで感じた薩摩の文化、思いについて鹿児島出身の妻と答え合わせをするのは楽しみでした。あと苦しみながらもメンタルケア心理士に向けての試験勉強も続けていました。

今日はこんなところですね。移植以降、血液細胞の数値はそこそこ順調でしたから、とにかく口腔内の腫れ、薬を飲みこむことの辛さが今でもしっかりと感触に残っています。「あの状態を回避できただけでもつくづく良かった!」と心から思います。

私の骨髄移植は比較的うまくいった方だとは思いますが、それでもこの苦しみは全く想定していませんでしたね。私は中学・高校の野球部時代の夏の練習の苦しさは今でも覚えており、「あれは本当に苦しかった。あれ以上の苦しみは無いから、どんなことも乗り越えられるはず」と思っていたのですが、今回のは完全にそれ以上でした。

そんな中、次回は時系列的にはちょっとずれるのですが、この移植において心の底から感動した話を書こうと思います。

それでは、また。

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