こんにちは、みやけです。今回は沢田研二さんの話です。ジュリーが発表した楽曲において、いわゆる「あの人の世界観としては異色な曲だな」と私が感じる作品について、7つを選んで発表したいと思います。(順位はつけておりません)

異色曲、、、、と言っても「クオリティが低い」とか「意味が分からない」とかそういった悪口を言いたいのではありません。ジュリーの曲は大半が男女の関係や人人との心のもつれを歌った曲が大半であり、そして近年は人生観、ジュリー自身が感じる様々な社会現象への想いについての曲が多いのはご承知かと思います。
しかし毎年1~2枚のアルバムを発表していく中で「この設定は非常に珍しいな」という作品がたまにあったりするわけです。意外とジュリーはそういう遊びの曲を作成する事は少なく、アルバム内は基本的にその時のコンセプトに統一されている!今回はそんな流れから外れているように見える曲達を7曲リストアップしてみました。
① この僕が消える時
1990年発売「単純な永遠」収録。作詞:佐藤大/作曲:吉田光
近頃考える住みづらい世の中だ。この僕の上には問題が山積みだ。どんなに愛してもこの僕が消える時。幸せ感じてもこの僕が消える時。
ト・キ・オ シティも済みづらい世の中だ。注目されなきゃパラシュートも開かない。どんなに夢見てもこの僕が消える時。輝こうとしてもこの僕が消える時。
テレビジョン・スターも住みづらい世の中だ。ニュースに押されてバラエティは打ち切りだ。どんなにきれいでもこの僕が消える時。チヤホヤされてもこの僕が消える時。すべて錯覚、すべて幻覚。。。。
君にもわかるはず、住みづらい世の中だ。この星の上には問題が山積みだ。支配者さえでも、この星が消える時。不幸なヤツでもこの星が消える時。
ジェームス・ディーンも住みづらい世の中だ。歯止めの効かない”356”エデンには帰れない。かっこいい生き方もこの星が消える時。無様な生き方もこの星が消える時。
ロックンロールスターも住みづらい世の中だ。平和を歌うよお目当ては分かってる。どれだけ伝えてもこんも星が消える時。どれだけ叫んでもこの星が消える時。すべて錯覚、すべて幻覚。。。。
近頃考える住みづらい世の中だ。この僕の上には問題が山積みだ。どんなに愛してもこの僕が消える時。幸せ感じてもこの僕が消える時。
昔からのファンならもちろんご存じのこの曲!リリースの時期としては最後のベストテン入りの「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」から7年が経過し、テレビ出演もかなり少なくなっていた時期。
当然”自虐ソング”と思ってしまう訳です。私自身リアルタイムでこの曲をきいた瞬間「もうジュリーは売れるのをあきらめて開き直ったのか?」と感じたのは事実。当然当時のツアーでも歌われたとは思うのですが、自身の作詞ではないこの曲についてどんな思いで歌っていたのか?

そして以降のツアーでも歌われたことは無いはずであり、今現在ではこの曲についてどう思っているのか聞きたい気持ちもあります。ただし、曲自体は凄く軽やかなテンポであり聞きやすい曲だなあ、と思うんですよ。最後の子供たちの合唱はシュールではありますが、これもまた凄く印象深いですね。
あえて言えば、軽やかで子供たちの発声を交えながらの曲に仕上げることで中身の生々しさを緩和した、という。。。
ファン同士の会話の中でも、この曲が話題に上がることは滅多にない気がします。黒歴史なんでしょうか、、、当時は「ニュースステーション」等バラエティ化したニュース番組が花盛りの頃。詞の中で”平和”についてサラッと嫌味を放っているのも興味深いですね。
② 影・ルーマニアンナイト
1985年発売「架空のオペラ」収録 作詞:李花幻/作曲:大野克夫
見られてる!石畳行く僕を。つけられてる!汗が背中を走る。街角のバーに入りジンを飲みほし視線ミラーに移る影を探って。
知ってる僕はあの影、正体。知らない僕は影自身の訳。恐怖の真ん中で君抱いた夢。こんな夜にはナイフかピストルが似合う。
ルーマニアンナイト、それでも僕は来た。ホテルの灯り揺らぎながら青ざめる胸。
ホテルのボーイに次の夜頼んだエアメール、7日はかかるだろう。黒い影ロビーを横切って、僕の手紙はもう割れてる、奴にはきっと。
知ってる僕はあの影、正体。知らない僕は影の肌の色。恐怖の宴には君痛めつけ、こんな夜にはあの影の虜になるさ。
はめられて!深い闇の奥に、誘われていく二つの影吐息を残し。
ルーマニアンナイト、明日の朝遅くに誰か見つける川に浮かぶひとつの死体。
(おそらく)冷戦中の当時は社会主義国家であったルーマニアを舞台にしたこの曲。主人公は自由主義陣営から忍び込んだスパイであり、それがバレかけている恐怖を歌った歌であると思います。
ジュリーならずとも、アルバム曲においてはかなり非日常のブっ飛んだ設定の歌は無いわけではないですが、この曲はほとんど”恋愛”が入り込んでおらず、緊迫したシーンのみで形成されているのは非常に珍しいと思います。なんせ、最後の言葉が「死体」ですからね。。。
しかし一見恋愛は一切遮断しているこの曲ですが、ワンフーズだけ「君抱いた夢」というセリフが出てきます。この女性は単純なプライベートでのパートナーなのか?それとも同じスパイ仲間であり危険な関係に陥った相手なのか?送ったエアメールの相手は私信なのか?それとも仕事なのか?想像力を掻き立てますよね!

そして川に浮かんだ死体は主人公なのか?それとも追ってきた相手なのか?この最後の部分だけ主人公目線で書かれていないのが憎いですね。色々とミステリアさが溢れる曲ですし、リズム自体も緊迫感が満載で追われている感じがビンビン伝わってくる高度な歌だと思いますよ。ドラマの挿入歌に採用されてもおかしくない!
この「架空のオペラ」はその他も「私生活のない女」「指」「君が泣くのを見た」等非常にアダルティな名曲ぞろいのアルバムであり、私に言わせれば「世間に背を向けることを決めた」ジュリーの1発目の作品としては素晴らしい出来だと思います。
この曲も「勝手にしやがれ」や「サムライ」同様、曲がひとつの物語として完結しているカッコいい曲だと思うんですよね。異色曲ではありますが。
③ ママ、、、、
1977年発売「思いきり気障な人生」収録。作詞:阿久悠/作曲:大野克夫
ママ、、、、僕の膝に残る痕は、、、いつの時の傷なのでしょう。一度もママはそれについて話をしてくれない、なぜなのでしょう。
ママ、、、、もしかしたら僕は過去に重い罪を背負ったのでは。誰かに傷を負わせたのか不幸にしてしまった、そうでしょう。
なぜかしらそんな風に思われる夢見た苦しみに似ている。幼い時にこの僕はああ、何をしたの何を。肌寒い午後にはいつも思うシクシク痛む傷をウイスキー片手に持って遠い日の景色を思い出しているのです。
ママ、、、、何かきっと深いわけがこの傷にはあるのでしょう。一度もママはこの傷について話をしてくれずに死んでいった。
ママ、、、、ただの怪我と言ったけれどただの怪我が今になってどうして心の中まで痛めつけるのでしょう今になって。暗い絵のように。
幸せを思うときに苦しめるまだ償わない罪がある。幼い時に僕はああ、何をしたの何を。
この先も重たい荷物を背負い木枯らしの道を歩く。サングラスグレイに染まり目の前の景色を見つめながらいるのです。
懐かしいママを呼びできるなら尋ねたい。ああ何をしたの何を
ジュリーがリリースしたアルバム史上、この「思い切り~」はベスト盤を除けば最も売れたアルバムなのですが、その全盛時の最中にこんなトリッキーな曲をぶっこんでくるのは色々な意味で凄いな、と思います。
題名、そしてサビの最後で「ママ~ッ!」と絶叫する部分から考えて、母性への思いを馳せるマザコン的な歌だと思っていました。このアルバムは私が一番最初に買ったアルバムなのですが、この歌は当時小学生の私にとってはなんだか気恥ずかしくてジックリ聞く気になれなかった!
しかしよく詞の内容を吟味すると、主人公は「自身の膝に残る大きな傷が何が原因か知らされておらず、実は過去に何かとんでもない犯罪を犯し、人を傷つけた際に残った傷跡ではないか?」と邪推し、その理由を教えてくれなかった亡き母へ訴える、というものなのです。

しかしこの歌の内容は色々と疑問点が浮かんでくるのは事実です。「なぜ”膝”の傷痕から、自分が過去大きな過ちを犯した、とまで極端な想像をしてしまうのか?」「何かをやらかしたのなら幼少期ならともかく、なぜ本人が全く覚えていないのか?」「父親はどこへ行ったのか?」「なぜ母は早い段階で亡くなったのか?」等々疑問というか細かい設定を知りたくなると思うのです。
とにかく、いったん思うのは「過剰に考えすぎであり、想像の飛躍が過ぎるのではないか?」という事なのです。そして色々と考えた上での私の結論としては、「実際は親への甘えの欲求が満たされなかった主人公が、怪我の痕を理由にその事を嘆いている」のではないか?と思いました。
「ママ!」と連呼するにあたってはこの「怪我の痕」との対比に無理があるような気がするのです。この頃のジュリーは年上の女性へのあこがれを歌う歌が多かったと思うのですが、この曲はその延長線上であり、思い切って「身内」「母親」というトリッキーな設定を行ったのではないか?そう思うのですね。
④ レッド・サマー
1979年発売。コカ・コーラキャンペーンソング。作詞:マノまこと/作曲:大野克夫
レッドサマー!熱い光のしぶき浴び夏を泳ぐ焼けた肌。サンシャインレッド!サンシャインレッド!赤く濡れ夏を燃やせアア コカ・コーラ。レッドサマー。
炎を上げる太陽に抱かれ浜辺に踊るおまえはしなやか。サンシャインレッド!サンシャインレッド!赤く濡れ夏を燃やせアア コカ・コーラ。レッドサマー。
赤く燃えるハイビスカス。飾った紙に夏の鼓動。サンシャインレッド!サンシャインレッド!赤く濡れ夏を燃やせアア コカ・コーラ。レッドサマー。
「異色曲」というカテゴリーに入れてしまうのはあまりに惜しい、非常にリズミカルでノリのいいこの曲!1979年に1年だけジュリーはコカ・コーラのCMに出演しキャンペーンソングを歌ったのですが、大変いい曲ですよね!
ただし、惜しむらくは、「コカ・コーラ」という商品名を連呼する曲ゆえ、テレビの歌番組で歌われることもなかったですし、当時のライブでも歌っていないのではないでしょうか?もちろん、その後のライブでも歌ったとは思えない!
ジュリーってですね、異論はあるかも知れませんが”陽”のキャラクターではないので、あまりメッセージ性が無くて、イメージだけでただひたすら企業の商品を押しまくるようなCMはあまり似合わないと思うのですよ。リポビタンDのCMのオファーなんて来るはずがない!
しかしこの「レッド・サマー」は当時のきらびやかなジュリーが良く表現されているし、コカ・コーラという商品の宣伝にも違和感はなかったと思います。ですので、こんな名曲が「廃番」みたいな扱いになっているのは残念ですね~。
⑤ 青春藪ん中
1987年発売「告白-CONFESSION-」収録。作詞・作曲 沢田研二
20年ぶり手紙が届いたから、返事も出さず車を飛ばして、太陽を追って車を飛ばせばもう、地平遥かにうねる山の波。
真面目お前半端な俺とが、なぜ仲がいいのか町中のうわさで、喧嘩悪さは俺が引き受けていた、お前はいつも要領決めてた。
友よ驚けよ、笑う顔を見せろ。よくモテたやつさ。いい顔になったろう。brother ! I wanna see you、青春は、brother ! I wanna talk to youタバコの匂い。
沈む夕日に変わって東に、直ぐ、月がほくそえみ俺は見守る。お前の元にたどり着けるのさ、もう。夜を突き抜け星もかすむころ。
友よ嘆くなよ、派手なカッコを見て。よく笑われたよ。いい面の皮だよ。brother ! Do you remember 過ちは、brother ! for getter bogie藪の中だよ。
20年ぶり手紙が届いたから、返事も出さず車を飛ばして、夜も突き抜け星もかすむころ、もう。お前のもとにたどり着けるのさ。
残念ながら、音源・画像を確保することはできませんでした。歌詞だけの紹介となります。
設定としては、学生時代の級友から久しぶりに近況を訪ねる手紙が届いたので、あまりに懐かしく返事も出さずにアポなしでその友人を車を運転して訪ねる最中のウキウキする様を歌った歌ですね。
私にもこういう存在の友人は1人だけいるので、すごく共感するのですが、ジュリーにしちゃあとても珍しい歌だな、と思うのです。ボーイズラブというか男同士の関係を歌った歌は「ナイフを取れよ」とかいくつかあると思うのですが、この曲のような日常生活でのちょっとしたサプライズを歌にした曲はジュリーの曲としては非常に珍しいな、と思うのです。
この曲が収録されている「告白」は前アルバムの「架空のオペラ」以上に人の心の内面を描いた歌が多く、重々しい雰囲気満載です。「無宿」なんかは大変な名曲だと思いますが、ちょっと怖いくらいの”気狂い”な状態が感じられます。

そんな中ジュリー作詞のこんなPOPな歌が紛れ込んでいる、、、少しCO-CO-LOの路線に息苦しさを感じてきたとか、、、 まあ、そこまで行かなかったにせよ、この曲はジュリーの90年代半ばの路線の中、なんとなく肩の荷を下ろしてみた雰囲気が感じられるのですよね。
曲自体に特別際立ったものはないですが、心の内面を訴える歌を連発していたこの時期としてはかなり”異色な曲だな”と思う訳です。今でも私自身よく聞いている歌なんですよ。私は半端なタイプではなかったですが(笑)まあ、40歳を過ぎてくるとこの曲のような気持ちは分かるんじゃないでしょうか?
⑥ 海に還るべき、だろう
2000年発売「耒タルベキ素敵」収録。作詞・作曲 沢田研二
月に行くなんてとても行けない。すごいなと思うけれども、どうしても怖いんだ星になるのが、欲張り僕らは。
この地球でさえ手に余ってる。違うなと思ってるんだ、そうまでも行かなきゃならないのか、僕さえ宇宙さ。
神秘への旅は海がいいな、海に還るべきなんじゃない?どうだろう?
海を見ていると懐かしいのは遠すぎる記憶なんだよ。この星に生まれつき住み続けて分けあおう譲ろう。
山を見ていると落ち着けるのは進化した証なんだよ。いつだって見つめてた答えなんだ。一つの本能。
神秘への旅は海がいいな、海に還るべきなんじゃない?どうだろう?
月に行くなんて今でも不思議。君の残し今更行けない。宇宙から見なくても青いんだよ。地球は海だよ。
神秘への旅は海がいいな、海に還るべきなんじゃない?どうだろう?
ララララララ!ララララララ!ララララララ!ララララララ!ダダダダダダダ!ダダダダダダダ!
名曲ぞろいのアルバム「耒タルベキ素敵」ですが、詞が難解な歌も多いのは事実。更にしかも暗示というか「この内容はストレートに受けっとった方がいいのだろうか!」と悩んでしまう歌も多い!「凡庸がいいな」「この空を見てたら」「月からの秋波」とか、、、おお!全部ジュリーの作詞の歌ではないか!
動画でも分かるようにジュリーは非常にご機嫌でステップを踏みながらこの歌を歌っております。疑い深い偏屈ものなら「あまりに牧歌的なこの歌、その歌詞の中には裏に非常に重要なメッセージが含まれているに違いない」と思ってしまうものなのですが、何度もこの曲を聞き返していくうちに「これは意味をそのままストレートに受け取るべきガチの歌だな」と思うようになりました。

全てが神曲とも言っていい「耒タルベキ素敵」ですが、同時に中高年に入ったジュリーがその年齢に合わせた心の内面を訴えるきっかけとなった最初のアルバムであるかと思います。そしてこのアルバム以降(特にジュリー作詞の曲は)歌詞が難解になっていきました。
ただし、曲がオペラっぽいというかクラシックっぽいというか、かなりトリッキーなテンポですね。最後のラララララ!というところは誰だってスキップを踏みたくなりますし、その直後のダダダダダ!というフレーズもインパクトが強いですね。
⑦ THE BASE MAN
1987年発売「STEPPIN’ STONES」のB面。作詞・作曲 沢田研二
残念ながらこの曲、動画を確保できませんでしたし、歌詞も文字起こしできませんでした。。。。どう探してもこの歌の音源が見つからなかったのです!しかしSTEPPIN’ STONESのレコードは所持していたのでこの曲ははっきり覚えています。
内容的には病魔と闘いながら1987年に亡くなられた渡辺プロの創業者、渡辺晋さんを弔う歌でしたね。ジュリーを大変かわいがり、ジュリー自身もリスペクトの念が強かったようです。しかし曲自体はバラードではなく、今で言うとラップっぽいというかやや変則的な感じで、知らずに聞くと鎮魂歌という感じがしない歌でした。最初の段階では晋さんの名前は明示されていないですからね。

晋さんとの思い出を語りつつ、それが誰なのかは曲中は明かされない。サビの部分で「ワタナベシンっさん!アッアアアア」とシャウトして「ああ、そういう歌だったのか!」と感じる歌です。
曲の性質上、その後のライブでも歌われることはなかったでしょうし、かなりレアな歌ですね。ジュリーはその人が生前に友情のの証を歌った歌、、、加瀬邦彦さん、瞳みのるさん、桂ざこばさんへささげた歌があるかと思いますが、亡くなられた方への弔いをストレートにそのまま歌にしたのはこれが最初で最後かな?と思います。なんとなく弔いを暗示する歌はありますが。。。
しかしいくら検索してもこの歌を聞く方法は見つからず、まだジュリーがそこそこテレビに出ていた頃のB面曲でありながらここまで埋もれてしまっているのは中々異色だなあ、と思う訳です。
以上が私が選んだ7曲となります。あ、そうそう!もうひとつおまけですう~!
今日はこんなところです。それでは、また。