こんにちは、みやけです。今回は沢田研二さんの事について書きたいと思います。
2024年6月25日に誕生日を迎える沢田研二さん、ジュリーは76歳になる訳であります!おめでとうございます!と僭越ながら心からお祝いの言葉を述べさせていただきます!
いつまでもいつまでも「歌手」という己のスタンスを大事にして歌い続けるジュリー。。。。もちろん私は若い頃からジュリーが大好きだった訳ですが、年を取ってからのジュリーの生き様もまた素晴らしいなと思うのです。
いつまでいつまでも、70代半ばでも「ジュリー」と呼ばれそれが世間にも未だ浸透しているのはなんと素敵な事か!先日遊びで生成AIに「ジュリーのライブに行った」と入力したら「沢田研二さんのライブですね。」としっかり返ってきましたし(笑)
この私のブログ、クラッシュしてデータが全部吹っ飛んだ以前の分も含めて改めて思い返すと、ジュリーが1等賞を取りまくっていた頃の事はあまり書いていなくて、どちらかと言えばテレビに出なくなりだした頃の悔しさやその後独自路線でメディアと距離を取ってからの姿勢についての事が多いのですよね。
この理由は私がジュリーのファンになったのが「勝手にしやがれ」からなのであり、ジュリーが芸能界のトップに駆け上がる様はリアルタイムで見ていないのでやむをえません。でも「超高値安定」の時代を子供ながらに体感できたのは本当に良かったなと思っています。
あの時代、ジュリーは正に「沢田研二」というジャンルでしかカテゴライズできない、大物中の大物だったと思います。今のマスコミが「元祖ビジュアル系」等という陳腐な括りでジュリーを紹介するとカチンと来ますね。なんと薄っぺらい表現なんだ!と。ジュリーの全盛時を体感しているはずなのに!
あの頃のジュリーは(もちろん今もですが)ホントに物凄い色気があった!「サムライ」「カサブランカ・ダンディ」「LOVE 抱きしめたい」「TOKIO」あたりで作るジュリーの喜怒哀楽の表情というのは、ファンに向けてでもなくさりとて一般視聴者に向けてでもなかった気がします。
全身全霊で「沢田研二」という作品のキャラクターを演じる事での、照れとかキザを通り越した妖艶で勝つ退廃的な笑顔、怒り、悲しみの顔。こればっかりはどんな名優を連れてきても肩を並べれる人はいないのではないかと思います。
その後、色々あってマスコミから叩かれだし、世間からも一時はさげすんだ目で見られるようになったジュリー、しかしジュリーは狂わなかった!いや、狂い掛けた感はあったものの、ギリギリで踏ん張り、「身の丈にあった道を行く」という選択をされました。
”狂ってしまったレジェンド”が過去何人いたでしょうか!もちろん薬や金銭問題、女性問題を引き起こす輩は論外ですが、サイドビジネスに邁進しファンをカモにしたり、テレビ局の言いなりになりお笑い芸人の軍門に下る、、、そんな安易な道も選択せずに”歌手”という拠り所を大事にし”ライブ”こそ自分が帰るところであると、誰もがわかる生き様を辛い抜いてきたのは素晴らしいと思います。
そいえば、一般的にはジュリーを”トラブルメーカー”と称する向きもあります。さいたまスーパーアリーナや90年代でのドタキャン事件や最前列に常時鎮座する常連のファンの方への説教?の件等、、、しかしよく考えてみてください!
ジュリーは自身のファン以外の人には何も迷惑をかけてはいないのですよ!
長年自身が責任を取れる範囲の中で生きているのです。
ジュリーのトラブル史?は全て自身の音楽活動に関してのもの。なんのCMに出ている訳でもなく、テレビ・ラジオのレギュラーがある訳でもなく、舞台も近年出ていないのでトラブルを起こしても間接的に迷惑を被る人は限られています。
もっと言えば、トラブルによって直接被害を被るのはほぼほぼライブに来るファンであり、ライブを主軸としているジュリーとその関係者はそこにそっぽを向かれたら終わりなのです。そして過去のトラブル?についてはファンは特に問題視しておらず、直接関係ない人たちが「ファンが悲しむ」とか勝手なことを騒いでいるパターンばかりなのですよね。
いわば、ジュリーとファンの間での「夫婦喧嘩」的な出来事ですから、ファンが納得していればトラブルにはならんのです。家庭内のイザコザに外部の人が口を出してはいけません。まあ、1970年代の「芋ジュリー」の件についてはそうでもないかも知れませんが。。。。
そして近年のジュリーなのです。1999年のツアー「いい風よ吹け」での千秋楽でのMCにて「僕は自分の仕事をどんどんどんどんコンパクトにして言っている」とおっしゃられていました。そしてこの動きは近年更に加速化しているようです。
ファンクラブ「澤会」の解散、実質バックバンドであった「鉄人バンド」も解散状態となり、個人事務所「co-co-lo」も閉鎖。普通なら「ジュリーはもう気力がなくなったのでは?引退しようとしているのでは?」と思うところでしょうが、現実はその逆。
コロナ過が明けてからはそれまでのうっ憤を晴らすかのようにツアーの規模は拡大。さいたまスーパーアリーナを超満員にした後も追加公演を次々に開催。セトリもかつてのヒット曲が数多くラインアップされるようになり、逆にライブについてはパワーアップしている感があります。
あくまで私の推測ではありますが、色々とコンパクト化を進めたのは弱気になったからではなく、自身が高齢者であることを自覚し、余計なことを考えず歌に専念できるようあえてそのような手法を取ったのではないかと思っています。
「比較するな」と言われるかも分かりませんが、私もかつて生死を掛けたがん治療に臨む際、身辺整理的な事を行った思い出があります。と言っても遺言書を書いたとかそういうことではありません。資産なんぞほぼほぼないですから!
自身が契約している金銭が絡むもの。銀行口座・クレジットカードをはじめ、PCのプロバイダ、車の保険会社、生命保険等の暗証番号や連絡先を再確認し書き留め、最悪の事態になった際はそれを見ればすぐに家族が把握・対処できるよう書類を作りました。
何故そうしたかについては、「もう俺は死んでしまうのだ」とか言う弱気な気持ちではなく、「最悪の状態になった場合の不安要素について現時点やれることは全てかたずけておき、後は全力で治療のみに打ち込みたい」という気持ちからでした。
幸いにして、治療は大変順調に進み、その資料も使わずに済みました。(病院ベッド脇のテーブルにずっと保管していましたが)「ジュリーもそれと同じ気持ちだったろう」なんて思うのはおこがましいですが、自身が年を取り一歩一歩高齢者になっていくうちにそのような気持ちになっても不思議はないな、と思うのです。
そしてこれは決して受け身な行為ではなく、能動的な行為だと思うのです。
しかし人間年を取ってくると環境の変化を拒み、中々今までとは違う環境に自身を置くことを選択しようと思わないものですよね。高齢者と一緒に生活してみるとホント痛感します。
もう全体に必要が無いもの、家具・衣装・食器・インテリア・アルバム(←特にこれ!)。。。。家の中に山積になっているのに全然かたずけてくれないし、その事を口にすると激怒する。。。急に自身が寝たきりになったらその整理は誰がするのか。。。
「生き甲斐を奪うな」と言って車の免許は返納しないし、「今まで育ててあげたのに見捨てる気?」と、施設に入るのをかたくなに拒否し、自宅で暮らす事にこだわる。。。私と同じ50代くらいの方々は老いた実の親の「わかってくれなさ」と「罪悪感」の板挟みになりウンザリしている人は多いのではないかと思います。
そしてジュリーは私たちの世代の親の世代、それなのに自分から身の回りを整理しやれることに出来るだけ専念しようとしている。。。何度も繰り返しますがこれは相当凄いことなのです。だって普通に暮らしてきた一般の人でも中々できないのに、不世出のスーパースターと言われ浮世離れした芸能人の代表とも言える人それを率先してやっているのです!
自身で責任を取れる範囲のエリアまで行動範囲を狭め、自分の為に集まってくれる人たちのみの中で表現の場を作っている。。。。先日のコンサートではライブ会場の場所取りについて自分が直接会場に電話している内容の詳細まで語っていたとか。。。尊敬という言葉しか思い浮かびません。
芸能人の中には70過ぎて政治の世界に飛び込んで案の定醜態を晒している人が何人もいらっしゃいます。もう十分いい目を見たはずなのにそうまでして最後の最後まで社会を上から見ていたいのかな?と情けなく思います。他人を救いたいのでは無く自分が救われたいんだろう!と。
話をジュリーに戻しますと、年頭は体調面で色々と不安なニュースが流れたりもしましたが、直近のコンサートではかなり調子が良いようでMCでも面白い話が満載のようです。多分ジュリーはファンが変に心配しなくてもありとあらゆる準備は満タンなはずなのです。
沢田研二さんの名曲「ACB」。私がとっても好きなフレーズ
「2000年でもくたばってなかった。驚いているのはこの僕なんだよ!おめでとうなんだね!黙々と続けることした信じられないんだ。。。」
この曲を初めてミュージックフェアで聞いた際はとても心に刺さり、「いつまでもこの曲を歌ってほしいものだ」と思ったものです。結果「2000年」の部分をその年の年数に差し替え四半世紀が経過するに至りました。正に驚き、おめでとうと言うしかないですね。
元気な元気なジュリーですが、私自身はいつ急展開は状況が発生し、もう2度とジュリーが見れなくなることも覚悟もしています。でもやはりそんな私の小心者気質をジュリーは裏切ってくれるに違いありません。
今後もジュリーが無事であり、健康でありますよう心より祈っております。
それでは、また。