ジュリーの一等賞をあきらめた日

こんにちは、みやけです。今回は沢田研二さんに関する話です。

1989年9月20日に沢田研二さんの53枚目のシングル曲である「ポラロイドGIRL」が発売されました。発売からもう35年が経過する事になるわけです。早いものですね。私に取ってこの曲は、大好きな曲のひとつでもある訳ですが、同時に複雑な想い、辛い想い出もある大変に印象深い曲なのです。

作詞はサエキけんぞうさん、作曲はプリンセスプリンセスのボーカルの奥居香さんです。当時のはやりのロックテイストが強く反映された実にノリのいい曲!多分ジュリーのお気に入りの曲のひとつでライブでも披露される比率が高い曲ですね。

何度も書いていますが、私がジュリーのファンになったのは1977年「勝手にしやがれ」以来なので、いわゆる一等賞を何度も体験してきたわけではありません。オリコン一位は「ダーリング」が1週だけですし、ザ・ベストテンにおいても「サムライ」「ダーリング」「カサブランカ・ダンディ」だけなのです。(3曲入っているだけでも凄いと言えば凄いのですが)

逆にザ・ベストテンで2位どまりだった曲は「ヤマトより愛をこめて」「LOVE 抱きしめたい」「OH!ギャル」「TOKIO」「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」「おまえにチェッイン」及び「色つきの女でいてくれよ」と非常に多く、2位の栄光に浸るよりは「またダメだったか、、、」とい無念な思いで次の曲を待つことが多かった気がします。

しかしレコードの売り上げを見ていると、上下する事はあるものの、少しずつではありますが、徐々に下降気味であった事は否めないと思います。1982年の「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」がオリコン10位以内、ザ・ベストテン最後のランクインになるとは夢にも思いませんでした。

かつてほどではないとはいえ、「渚のラブレター」5曲連続20万枚以上のセールスを記録し、それぞれベストテン内にランキングしていましたからね。「背中まで45分」は15位前後のセールスに終わりましたが、前例で「ロンリーウルフ」「おまえがパラダイス」等ありましたので、「これは聞かせる曲だからしょうがない」と心を切り替えられる余裕はありました。

しかし「晴れのちBLUE BOY」ではそのあまりに時代の先を行き過ぎた内容かこれまた撃沈!オリコンは11位までランクを上げたものの、その後急速にランクが降下しオリコン100位以内には9週しかとどまらなかったのには唖然としました。ジュリーの曲は基本15週くらいはとどまっていたのですが。

「晴れのちBLUE BOY」は「これを40年近く前にシングルとしてリリースしたのか!」と驚きたくなるくらい実に前衛的な曲です。今聴くと非常にクオリティの高い曲なんですよね。しかし当時の歌謡曲はたのきんトリオから横浜銀蠅イモ欽トリオ、からわらべ等が入り乱れる私に取ってはカオス状態。このようなジャングルビートをジックリ聞いてくれる土壌はまだなかったように思えます。

これには事務所もかなり焦ったのか次曲「決めてやる今夜」では原点回帰というか「キザでカッコいいいジュリー」のイメージのコスチュームで勝負に出た感がありましたが、あまりに「狙いすぎ」に見えたのか、前2曲と大差ない結果に終わりました。

その後、私生活での問題等でイメージもかなり悪くなり、レコード売り上げも更にジリ貧。たまにテレビ番組に出ると大御所扱いはされていましたが、「過去の人気歌手」的な見方をされていたのは否めませんでした。私自身「どん底」のハデハデ衣装をテレビで大学の友人達と見ていた際、「これ衣装代もったいなか~」と叫ばれたのは屈辱の瞬間でした。

その叫んだ男は私がジュリーファンとは知らなかったはずですが、ジュリーに興味がない一般の人からすれば、「懲りもせずハデハデ衣装にこだわり続ける哀れなロートル歌手」という事だったのかも知れません、つい2年ほど前まではジュリーの悪口を言おうと思っても斜に構えた上での皮肉しかありえなかったと思うのですが、こんな思いをするとは。。。 

そして独立、、、、「co-co-lo」を結成したのですが、心の内面に向けたような曲が多くなります。アルバム「架空のオペラ」は非常にクオリティの高い内容だとは思いましたが、バブルで浮かれている世間に対して背中を向けているようにしか思えませんでした。

この頃になるとジュリーの新曲情報を得るにも苦労した覚えがあります。1987年夏にリリースしたシングル「STEPPIN’ STONES」に至ってはオリコン100位以内にもランクしないという事態になり、流石に事務所も焦ったのでしょう。秋に出した新曲「CHANCE」ではかなり力の入った宣伝活動がなされました。

この曲はこれまでのco-co-loでのシングルの中では比較的世間一般に受け入れられやすい曲だったと思います。歌詞についてはややネガティブな印象ですが、衣装については黄色と黒を基調としたかなり派手なイメージ。札束をばらまくパフォーマンスや振付に関しても固定のパターンを作るという。。

「勝負に出た」感は大変感じられましたね。ファンクラブにも色々と要請があったと聞いています。そしてたしかにテレビにもかなり出ていた!未だに色々な番組で歌うCHANCEの動画は数多く残っていますしね。

ただしかし「おれたちひょうきん族」にまで出演し、のりおさんや島崎敏郎、若き日のコロッケにかつての衣装を弄られながら歌うのは切なかった!私が未だジュリーファンだと知っている友人達からは「情けない!」と言われてしまいましたし。。。。

肝心のランクは初登場32位と近年に比べれば上出来でしたが、それでもベストテン番組の20位以内に入るまでには至りませんでした。そして次の週からは下降をはじめ、上昇することはありませんでした。密かに期待していた「ジュリーの復活」はなりませんでしたが、ジュリーが大舞台の復活をあきらめているわけではない事が分かったのは個人的には満足でした。

その後、「co-co-lo」は解散。新曲「Stranger -Only Tonight-」では作詞阿久悠・作曲大野克夫の黄金コンビを復活させ再出発を図ります。ただし曲の内容がやや難解であったためか大きな話題を得るには至りませんでしたが、、オリコン最高ランクは38位まで復活し(前曲 TRUE BLUE では100位ランク外)再浮上のきっかけを作った感がありました。

この曲でも頻繁にテレビに出演、「志村けんのだいじょうだあ」では旧友との久しぶりの共演も見せてくれました。 co-co-loでの活動を続ければ続けるほどやさぐれていく感がしてならなかったのですが、この時期のジュリーは以前の大物感を取り戻してきた感がありました。

そして、「ポラロイドGIRL」の発売。ただしですね、この年の夏に「muda」という曲をリリースしているのですが、私はこの曲を全く覚えていないのです!知らないうちにシングル曲の購入記録も止まっていました。ロック色の強い全盛時を思わせるいい曲ですし、ランキングも51位。。。ジュリーファンとしてあるまじき失態なのですが。。。。

話は「ポラロイドGIRL」に戻ります。すでのリリース前からジュリーは村上”ポンタ”秀一という著名なドラマーをバンドに迎え入れ完全復活を狙っている!的な報道が頻繁になされていました。次のアルバムは今が旬のミュージシャンに多数依頼しており、シングルカットされる曲も久しぶりにど派手なコスチュームになりそう、、等否が応でも期待が膨らむニュースばかりが入ってきました。

久しぶりに発売日に予約して購入したシングル「ポラロイドGIRL」は期待を大きく上回る内容!当時のリズムトレンドを大きく反映した曲であり、ジュリーの「ヴア~~~~!」という叫び声も実に良く似合っていました。

そして「夜のヒットスタジオ」での生歌披露!黒のコート?を基調としたコスチュームは「もっと派手でよかったのに!」とは思いましたが、ジュリーは赤のマフラーを咥えて暴れまわり、上々の幕開けだったと思いました、、、見た直後は。。。

「さあ、オリコンの初回ランクはどこまで上がるか?とりあえず20位くらいで初登場ってところかな?」と浮かれていた私です。しかし、、、、、しかし!しかし!しかし!該当週のオリコン誌に目を通しても20位以内、いや30位以内にもジュリーの名前はありません!2度見どころか3度見4度見した記憶があります。

50位以内にもランクインしておらず、呆然とした思いでやや文字が小さくなっている50位以下のランクを見てみると、ありました!なんと64位!!レコード大賞をピンクレデイにとられた時、、、1978年のセレモニーで「最優秀歌唱賞!沢田研二!」と呼ばれた時の以上衝撃でした。「こんなに良い曲なのになぜ、、、」

「発売第一週だから集計の区切りの関係で、ランクが中途半端なのかも?来週は一気に15位くらいに食い込んでくるはず」と涙目で思い直す私、、、しかし翌週は更にランクを下げ70位台後半くらいだったと思います。そしてそれからも順位が上がることが無く、たった4週で100位からもランク外となってしまいました。

私は友人達にも「次の曲でジュリーが大復活を遂げる!」と吹聴しまくっていたので、彼らに合わす顔がありませんでした。当時はバンドブームでバンド活動を行っている友人も何人かいたので、この曲の感想を聞いてみたのですが、多くの方が「良い曲だ」と言ってくれたのですが。「パンチがない、ノリはいいが心をグッとつかむ部分がない」という意見を聞いたものです。

後になって、何故この曲のセールスが奮わなかったか考えてみたのですが、

・「ポラロイド」という言葉がもう古かった。ポラロイドカメラはまだ健在ではあったが、時代は使い捨てカメラに移ってきており、トレンドなワードではなかった。

・「ダーリン、ダーリン」というサビのフレーズはどうしても名曲「ダーリング」のオマージュに思えてしまう。

・黒のコートを基調にしたコスにメイクがやや無理がある感じ。

こんなところかなと思いました。私の勝手な意見ですが。。。。とにかく悶々とした失意の1ヶ月を過ごした覚えがあります。「あんなに良い曲なのに、、、」「あんなに宣伝していたのに、、、」としかし10月中旬に発売されたアルバム「彼は眠れない」を聴いてその考えが変わってきました。

とにかく高い水準の曲の連発で、バラエティに富んでいる!それまでのジュリーのアルバムというのは基本的に「アルバムのコンセプト」というものをしっかり定めて作成していた感があり、いいにせよ悪いにせよ全体的に同じイメージの曲が多い、と僕は思っていました。

TRUE BLUEあたりは正にそんな感じでしたし、「女たちよ」や「NON POLICY」「A WONDERFUL TIME」あたりも私にそう思えました、しかし「彼は眠れない」は全く違う!事前情報が無かったので「KI・MA・GU・RE」ではいきなり清志郎の歌が入って来たのはびっくりしましたし、幻想的でしっとり聴かせる「ルナ」。そうかと思えば、妖しい雰囲気満載の「堕天使の羽音」、「静かなまぼろし」「噂のモニター」等々、、、あまりに内容が素晴らしくシングルランクの停滞を忘れてしまうくらいでした。

ジュリーのアルバムの中で何が個人的に一難好きか?これを決めるのは一番難しいですが、この「彼は眠れない」は間違いなくベスト3には入るアルバムだと思いました。それは今でも変わりません。対抗を上げるとすれば「耒タルベキ素敵」か「BAD TUNING」か。。。

そして次のアルバム『単純な永遠』も秀逸な出来でした。正にオープニング曲にふさわしいド直球「a・b・c…..i love you」、ツアー会社のCMソングとしてバカ売れしてるかと思わせる「PLANET」、トリッキーすぎる「この僕が消える時」、ジュリーの曲史上カッコよさでは「勝手にしやがれ」と双璧をなす「ジェラシーが濡れてゆく」。。。完成を極めたとも言えるこの2枚のアルバムの内容を確認してから私の考えは変貌していきました。

それがタイトルにある「ジュリーの一等賞をあきらめた日」です。しかしやさぐれた後ろ向きな気持ちではなく、「ジュリーがジュリーらしい、自分でも納得できる曲を出してくれればそれでいいじゃないか?周囲を取り巻く環境も変わってきているし、ジュリーが楽しそうに歌っているのを見ればそれでいい」と。

後年「co-co-lo」のミュージックビデオを見る機会があったのですが、衝撃というか「これはちょっと、、、」と引いてしまうような演出でた。これを”良し”しているならかなり心が病んでいたのだな、と思わずにはいられませんでした。

90年代に突入して以降、ジュリーは「君のキレイのために」「愛まで待てない」「そのキスが欲しい」「マンジャーレ!カンターレ!アモーレ!」等後年何度もライブで次々に歌ってくれる曲を発表しています。ライブでの話を聞くと、別に売れる事をあきらめたわけではなかったようですが、それでも傍から見ても明らかに自分の好きなように生きているのはホッとするものがありました。

上の動画は2003年のツアーでの「ポラロイドGIRL」ですが、ジュリーは本当に楽しそうにノリノリで歌っています。この曲はライブでも頻繁に歌っていますし、「好きな歌なんだなあ」といつも思うのです。ジュリーが楽しそうにしているのをみるとこっちも幸せな気分になります。

結局のところ、「常に一等賞」のジュリーを体感できたのはせいぜい1~2年で、あとは徐々にその位置が遠ざかっていくのをヒシヒシと感じつつあり、悶々としていたことが多かった気かします。ただしかしランキングにとらわれずジュリーの歌を楽しめるようになったことで、今に至るまで私はジュリーのファンで居続けることが出来たのかな?と、そんな気がします。

今秋、ライブが再開され、相変わらずジュリーは絶好調であるようです。今のバンド、特に和さんが離れる事は悲しいニュースではありますが、逆にこれはジュリーがバリバリ現役のミュージシャンである証拠!自分が好きなようにやればいいんですよ!

来年2月には福岡公演を開催する事も発表されました。長年使用してきた福岡市民会館の最終公演との事。もちろん申し込みました!9月26日の抽選結果が楽しみです!

今日はこんなところです。それでは、また。

沢田研二さん76歳! おめでとう!なんだね!

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