こんにちは、みやけです。今回は私の骨髄移植体験記の13回目です。
骨髄移植ドナーさんの再確保のため25キロダイエットに取り組んだ私ですが、極度の便秘に苦しみ、とある日曜トイレで頑張りすぎ頭に血が上り半失神状態となり救急搬送されてしまいます。
行きつけのがん専門病院で浣腸等応急処置を受けて無事帰宅した私、翌々日はたまたま定期健診だったので恐る恐る担当のN先生の元に”出頭”しました。「糖質制限ダイエットは許可しますが、何かイレギュラーな事をする際は携帯からで構わないから必ず報告する」ようきつく言われていたのですよね。
しかし便秘の辛さに負け、急遽日曜に今まで受診歴のない内科を受診し、そこで言われた浣腸の使用方法も守らなかったのですから怒られるのは当然です。診察室に入るといつもは冷静沈着なN先生(女医)の顔は少々強ばっていました。
救急搬送の情報は当然先生にも共有されており、まずその話になりました。一通り説明すると先生は黙って聞いていました。そして私は恐る恐る提案してみました。
私「あの、、、、、、、いろいろ考えたのですが、酸化マグネシウムを昼もふくよ、、、」
先生(言葉をさえぎって)「いえ!もう薬の変更内容はこちらで考えていまス!まず朝はこの薬を追加しますのでこれを必ず服用して下さいッ!」
私 「は、はいっ!」
先生「酸化マグネシウムは量を××グラムに増やします!朝・夕だけでなく昼も服用してくださいッ!」
私 「ははは、はいっ!」
先生 「それでもお通じが悪い場合はこの下剤を服用してくださいッ!くれぐれも他の薬は服用しないでくださいッ!」
私 「わ、分かりましたぁ!(コワッ)」
普段は冷静沈着なN先生でしたが、徐々に恐怖の鬼嫁の表情に変化していくのが手に取るようにわかりました。しかしまあ、これは当然ですね。先生は管理不行き届き?で上司からこっぴどく怒られたのではないかと思います。
”お通じがひどくて救急搬送”なんて笑い話にしていますが、トイレで力みすぎて失神する人は結構いますからねえ、しかも私は血液の各種数値が激減しており、かなりの貧血気味。下手をすると命を削ったかもしれない行為だったかもしれません。そりゃあ、厳しくはなりますよ。
このやり取りを行ったのが、下の診断結果で行くと6月7日でした。(救急搬送は3日)そしてこの頃になるとダイエットに関しては実に順調に推移しており週1~2キロは確実に体重を落としている状況でした。現在の絶賛リバウンド中の私の状況を考えれば実に夢のような時期でしたね。
これだけ短期間に急激に痩せれば周囲の人は驚くはずですが、この時期は会社の配慮?で自社の物流倉庫で委託物流会社の人に交じって、ポツンと一人だけ隅の部屋で軽作業をしていたので世間話をする人もなく、そんなことを言われる事もありませんでした。たまに話すのは週1くらいで訪れる会社の同じ課の社員しかいなかったのですが、その人たちも私は病気の為急激に痩せたと思ったようです。まあ、それもあったとは思いますが。
もちろん、こんなダイエットに取り組んでいるのは骨髄移植のドナーさんについて体重の軽い人も候補に入れるため、だったわけですが私はあえてそのことは言わないでおきました。そしてこの時点では型の完全一致のドナーさんは”全滅”しており、完全一致ではなく「1つ型違い」のドナーさんの選考に入っていました。私は「ここまで来たらそれもやむなし」という心境でした。
そして次の定期健診は6月7日でした。救急搬送が6月3日ですね。前回・前々回と血液検査は無残な結果であり5月21日は診断後輸血を行っていました。この時期になると職場である物流倉庫の3階に大きな保冷バッグに入れた弁当箱と水筒を担いで階段をのぼって上がるのさえかなりの息切れがして休憩なしには登れなくなっていました。(エレベーターはあったが倉庫の為荷物専用)
頭痛も慢性化しており、集中力も散漫になっていました。自分自身明らかに生命が削られているのを実感しており、休みの日にどこか気分転換に出向く気力も損なわれていました。家の近くの公園で幼児や小学生くらいの子供たちが走り回るのを妻と2人で無言のまま何十分も見ている、そんな生活でした。
「とにかく早い段階で何らかの大きな処置を行わないと命に関わる」そう確信していました。それからしばらくたった6月20日の定期健診。診察室に入っていくと、N先生と上司のC先生が待っていました。私は「何か重要な話がある!そしてそれはバッドニュースではなく、良いニュースなはず!」私は例によって自分の都合のいい想像を膨らませました。そしてそれは現実のものとなったのです。
C先生曰く「××さん(私)が宣言通りの大変なダイエットを実現させたので、体重が比較的軽いドナーさんの追加選考を始める」とのことでした。実に久しぶりの気持ちが晴れ晴れするニュースでした。既にこの時点で体重71~2キロ。約18キロの減量を実現させていたので、そうなるだろうという期待はあったのですが、実際その言葉をもらうと本当にうれしかったですね。
その話を聞いた時、「ようやく苦しいダイエットが終わる」という喜びの方が大きかったですね。「ダイエットが実現すればドナーさんの選択肢が増えるかも」というダイレクトな目標ではなかったですから、むなしくなる時もありました。またこの事を他の人に説明するのもかなり億劫になっていました。
「有言実行の人ですね、××さんは。」同い年のC先生は感慨深そうに笑っていました。流石にN先生も笑っていました。そして更にうれしいニュース!実は新たな追加された女性のドナーさん調査については6月上旬ごろから着手し始めているとのことでした。これもまたうれしかった!しかし逆に私の体調悪化が深刻になってきたからそうしたのかも知れません。
聞くと、白血球の”型”完全一致で体重50キロより上でこれまで選択肢に入っていなかった(体重差20キロくらいが許容範囲の目安)バンク登録ドナーさんはいずれも女性で計4人とのことでした。そしてその中のとある一人の方を最有力候補として絞り込み、その方を含めて4人全員にドナーへの打診中とのことでした。
昨年クリスマスの移植ドタキャンから約半年、ようやく骨髄移植の実現が再度視野に入ってきました。しかしまだまだ油断はできません。これまで20人以上の骨髄バンク登録者さんがそれぞれの理由で流れてきたのです。今回はたった4人、、、、”全滅”する可能性は多分にあります。しかしこればっかりは自分の力ではどうすることもできません。この間の自身の強運を信じて待つしかありませんでした。
その後、相変わらず私は骨髄バンク宛にに選考経過について毎日直接電話していましたが、ほどなく3人からは「お断り」の連絡が入ったこと、ただしかし残りの1人である最有力候補の方は「同意」の確認が取れ、近々健康診断である、との回答をもらいました。
3人が一気にいなくなったことはそこそこ凹みましたが、”最有力候補”の方が同意してくれた、というのは何かこうギリギリ運をキープできているのではないか?と思いました。そしてN先生からは同時進行で選考を行っていた”1つ型違い”の登録者さん(この方は男性)からも同意が得られた、との連絡が入りました。
いずれにしても、6月の末には「この夏おそらく骨髄移植を受けることになるはず!」と確信していましたね。繰り返しますが、このあたりで私は「勝ちパターンにはまった!」と勝手に考えるようになっていました。妻をはじめ周囲はドナーさん候補がまた流れるのではないか?と悲観的になっていたのですが。。。
しかし「私は体調が急激に悪化し、無茶な移植に手を付けなばならない寸前のところでダイエットが間に合って新たなドナーさんを確定できる寸前までいっているのだから確実に運が向いてきている!」と希望に満ちていました。ここ半年絶望だけ感じてきていましたから期待せずにはいられませんでした。
未だに思いますね。この方からの移植が健康診断の結果等で流れていたらどうなったか?移植よりも何も私のメンタルが耐えれたのか?しかしその後もスムーズに「健康診断突破」「面談突破」「最終検査突破」の情報を得、とある6月中旬のある日、「ドナーさん確定」「移植日も内定」の情報を得たのです。本当に長い長い道のりでした。しかし「私の骨髄移植」が始まった初日でもありました。
今日はこんなところです。次回ですが、普通で行けば移植に向けての入院、となるのでしょうけど、実はこの間、日本骨髄バンクと”争って”いたのです。直接面談までこぎつけたこともありました。骨髄バンクがあったからこそ移植が実現したのは事実でしたが、その手順において「おかしい」と思う事が多々ありました。次回はそのことを書いてみたいと思います。
まあ、骨髄バンクと争っている移植待ち患者なんて私くらいだったかもしれません。それでは、また。