こんにちは、みやけです。今回はまったりとした私の想い出話です。私個人の海外旅行についての話です。

私は旅行は大好きなものですから、機会があれば頻繁に旅に出ています。自身の大病及びコロナ過によりその頻度は減ってしまいましたが、それでも近隣を中心に出かけて色々と新鮮な光景を見るよう心掛けています。
ただし基本は国内旅行、国外にも興味はあるのですが、海外旅行は3回しか行った事がありません。それはグアム・シンガポール、そして台湾です。前の2つは社員旅行ですが、台湾は結婚5周年を記念に自費で行きました(笑)期日は2014年ですね。
グアムはいい場所なんでしょうけど、行った際は前の会社に入社半年後位だったのでひたすら先輩の行動について行き小間使い的な立ち位置であり、ほとんど自分が楽しんだ思いがありません。一応スキューバダイビング体験に参加して海が凄く奇麗だった記憶はありますが。。。
シンガポールでは、入社4年が経過しており、ずいぶんリラックスして楽しめました。あの国はいまでもそうだと思いますが、「公共の場所にごみを捨てる」ことと「歩行者の信号無視」は厳罰になるのでそれをしない様きつく言われました。確かにそうで、多民族国家でありながら凄く町全体が奇麗だった記憶があり、良い印象を持ちましたね。

そして大変印象深かったのがビンタン島(インドネシア内にある島)です。いや、正確に言うとビンタンから帰りの船からの光景ですね。シンガポールのすぐ隣にインドネシアがあるのですが、ビンタン島はインドネシアにある富裕層の避暑地。ツアーのオプションでビンタン島の海岸に日帰りで行くコースがあったので私はそれに申し込んだのです。
島では観光に来てる白人の子供たちと遊んだりしてそこそこ面白かったのですが、帰りの船からの光景が大変印象的でした。「もう一生こんな光景を見る事はないだろうな」と思いましたし、まず日本では見る事の出来ない壮大な光景でした。
帰りの船中では皆疲れ果て座席でうたた寝していたのですが、私はなんだか眼が冴えており、息苦しさも感じていたので甲板に出たのです。平日という事もあってか甲板には白人が数人しかおらず、船はかなりの高速で走っており、その風だけでも非常に心地よいものでした。
しかし私が驚嘆したのは船の後ろにみえる夕陽で真っ赤に染められた太平洋と空の鮮やかさでした。オレンジとも赤道色とも表現し難い、怖いほど透き通って鮮やかな光景が私の視界の全てを覆いつくしていました。映画の光景だってこんな鮮やかなものはありませんでした。

私の母方の実家は九州の某離島であり、小学生時代の夏休みは毎年2週間はそこで過ごしていましたので、船に乗る経験は人よりは多かったと思います。ただし、船から日本の海を眺めていても、ずっと空以外何も見えない、というのは一瞬あったとしてもそれが長時間続くというのは稀なのではないでしょうか?たいてい陸地・小島・すれ違う船が目に入って来るものです。
しかしこの約45分の航路では港に着くまで空以外何も視界に入って来るものは無く、あるのは深いオレンジに染められた海と空と雲のみ。上を見ても左右を見回してもそうなのです。それが逆ブラックホールのごとく段々と強い風と共に遠ざかっていくのは大変に感動的な光景でした。

私の拙い文章では中々伝わりにくいかもしれませんが、涙が出そうになるくらい素晴らしい光景でした。もし、どこかひとつ好きなところに行ける、という事になれば迷わずここに行きたいです。仕事を辞め、金銭的に余裕が出来ればまたこの素晴らしい光景を見てみたい、といつも思います。
そして、機会があればすぐにでも行きたい!常々そう思っている国が「台湾」なのです!台湾には結婚5周年記念で3泊4日の旅をしてきました。元々親日的で大変好感を持っていましたし、猫大好きな国民性。妻も猫が好きなので意見が合致し行くことに決めたのです。

妻は初めての海外でしたので、ツアーに参加する事も考えたのですが、ツアー内容とどうしても行きたい場所が中々合致せず、結局空港からホテルまでの往復のみ旅行会社さんに現地のガイドさんを手配してもらうだけにして、後は現地で交通機関等を使用して自力で移動する方法を選択しました。

結局、自分たちが行きたいところを優先したので、訪れたのは九份(「千と千尋の神隠しのモデル」と言われている場所)、瑞芳(ホウドン)(町中地域ネコだらけ)、五分埔(格安衣料品巡り)、康青龍(お茶屋や雑貨屋巡り)等を地下鉄とローカル線を乗り継いで回りました。親からは「よくそんな無謀な事をしたな」と驚かれました。
なので台湾に4日も滞在しながら「国立故宮博物院」にも「夜市」にも行かない、という変則的な日程でした。夜市は衛生面が心配だったのでスルーしました。ただし、台北市内の観光地についてはシンプルな路線の地下鉄が張り巡らされており、ガイドブックを忍ばせておけばそこそこ自力で行けましたよ。

地下鉄の駅名は漢字表記ですから記憶に残りやすいですし、上の路線図のように極めてシンプルな線ですから迷う事はないのです。駅の構内もきれいでした。有名店はだいたい駅近です。ローカル線は路線の切符を買うのに難儀しましたが、駅のガイドさんが親切に教えてくれましたし、何とかなりますよ。ローカル線は列車内の雰囲気ものんびりしてました。日本の田舎を走る単線と似ていましたね。
治安ですが、危険を感じることはなかったですね。皆が良く言いますが、私が行った時でも全体的に1980年代くらいの日本の雰囲気がありました。犬や猫のアレが道に落ちているのもまさにそうでした。(今は変わっているかもしれません)大きなワンちゃんがノーリードで結構ウロウロしていたのは緊張しましたが。

夜の街も静かなところを中心に歩き、騒がしそうなお店には近寄らなかったので、マフィアみたいな人には遭遇しなったですね。ただし九份に電車で行く途中、乗り換えがあって某駅で一旦降りたのですが、その待ち時間にちょっと駅の外に出て駅裏を少し歩いてみたら、中継駅の裏なのにいきなり木造の一軒家だらけの大変うっそうとした寂しい雰囲気になって、ボロボロの服を着た人がヨロヨロ歩いていました。怖くなりさっさと駅に引き返しましたね。表通りはタクシーやバスがガンガン走って賑やかだったんですが。。。
トイレについては、台北市以外では使用をためらうような施設が多いからなるべく我慢したほうがいい、と言われていましたが、それほどひどいとは思いませんでしたね。観光地はそこまで酷くないと思います。
そして随所で感じたのが、「日本人への深い親近感」と「のんびりした国民性」ですね。まず後者ですが、私たちは色々なお店をめぐりましたが、基本何か食べてます(笑)私も小売業の端くれにおりますが驚愕の光景でした(笑)でも別に「失礼千万!けしからん!」とは思いませんでしたよ。

基本的にどこに行っても街中は小籠包のような甘い匂いが漂っているんですね。で、衣料品店でもお茶の葉の専門店でも、レジ横にサンドイッチとか肉まんみたいな食物が置いてあって、「あれ、なんだかおいしそうだなあ」と思う訳です。レジの人は普通にモノ食べながらお金のやり取りをしてました(笑)
そして日本人をリスペクトして「優秀な兄貴」的な感じで見ているのは随所で感じられましたね。九份や五分埔といった観光地では「日本人大歓迎」的扱いはもちろんでしたが、個人のお店に行ってもその雰囲気は感じられました。なじみの駄菓子屋に行ったような安心感がありました。

そして2日目の夜、印象的な出来事がありました。中山にある肥前屋という店ではウナギが1000円くらいで食べることが出来る、というのでそこに行ったのですが、行った18時にはもう満員。15分くらい待った後、私たち2人は4人掛けの小さめのテーブルに案内されました。
しばらくすると、若いカップルっぽい男女2人が有無を言わさず私たちのテーブルに案内されました。台湾では相席は普通のことのようですね。カップルは男女とも素朴そうで、お互い屈託なくニコニコ笑っている20歳くらいの台湾人でした。
私自身は、「せっかく週末の夜を恋人と過ごそうと思ったろうに、中年夫婦と一緒になって嫌だろうな。悪いな」と思っていたのですが、2人は私たちに積極的に話しかけてきたのです。「気を遣って」というよりは、かなり私たち、日本人に興味がある感じでした。

2人からは「私たちが住んでいる日本の場所」とか「どこを観光するのか」等を聞かれました。そして男の子の方がバッグからノートのような冊子を取り出し中身を見せてくれました。中身は日本の色々なアニメのシールが貼られていました。私にはそれが何かほとんど分かりませんでしたが。。。
そして男の子の方がページをめくりながら「どれを知っているか?」みたいな質問をしてきました。もちろん私はほとんど答えられないのですが、2人はそのキャラの名前や特性みたいな話を中国語、少しだけ日本語を織り交ぜながら話してくれました。私たち2人もその発音を一緒に繰り返しました。
カップル2人は「アニメの知識をひけらかしたかった」というよりは、明らかに「アニメ」という日本と台湾の共通ツールで日本人との会話を楽しんでいる感じでした。非常に楽しいひと時でした。

しかし、その反面驚愕でもありましたね。その当時私の年齢は40代後半。職場ではそろそろ若い世代とのギャップが顕著になり、変にこちらから近寄っても鬱陶しがられだした頃です。20代の子から気軽に話かけられる事なんて非常に珍しくなっていました。しかしこんな異国の20そこそこのカップルから、こんなに親しそうに話しかけられるとは。。。
これもまた「日本」という国にブランドがあったからかなあ、と思いました。この旅の初日、某餃子店で夕食を取ったのですが、店内には男性4~5人の外国人観光客(日本・台湾との隣国で原色の服が好きな国の人)が酔って大騒ぎしており、結構店内が嫌な雰囲気になっていました。その者たちは店員にも上から目線で小馬鹿にした嫌な態度をとっていました。

その集団が帰ると、残った台湾の地元のお客さんたちが、おそらくその者たちの話になり、正に吐き捨てるようにやり場のない怒りをぶつけていたのを見たのと対照的でした。
その後若者2人とは料理を交換したりして楽しく食事し、本当にいい思い出を作ることが出来ました。言葉はほとんど通じなかったのですが、やはりリスペクトしてくれている雰囲気は表情だけでも分かりますよ。その店のウナギも美味しかったし(笑)いい気分でホテルに帰ることが出来ました。
とにかくお店だけでなく、交通機関、輸送業の方、等々全体に雰囲気が優しく、それほどなれなれしくないし、でもお互いを温かく見守っている感じでした。それから私個人の専門的見解として、物流専門の業者が見当たらなかったのが新鮮でした。

ほら、佐川急便とか福山通運とかあの手の運送業者です。空港からホテルまでの送迎者の中でその手の車は全く見ませんでし、大きな荷物は個人が所有しているような古いトラックで運んでいたような気がします。帰国して、勤務先が提携している大手物流業者に聞くと「そういえば、台湾にはその手の業者はないかも」と言っていました。今は変わっているかもしれませんが。。。
そして街全体の印象としては、日本と遜色ないくらいおしゃれなビル、通りもあるのですが、その逆「戦後すぐに建てられたのでは?」と思うようなもの凄い古いビルが沢山現役で稼働しているのも印象的でした。そういうのが近いエリアで隣接しているんですよね。これは中国も同様と聞きました。これもまた今ではどうなのか。。。

まあまあ、話は尽きないのですがこれくらいにしておきます。すごく好印象だったし、物価が安くてお金もあまり使わなかったので「お金を貯めてまた!」と思っていたのですが、その3年後に私ががんに罹ってしまい、それを乗り越えたと思ったらコロナ過で。。。。
それも収まったと思ったら円安、、、更には中国との緊張。なかなか行きづらい状況になってしまっています。でもいつかは行きたいですね。ビンタン島もですが、台湾は行きそびれたところが沢山ありますから。
もう少し平和になって、安心して海外旅行に行ける時代が来るといいな、と思います。でも今の政府の方向性には大賛成しておりますので、その部分は譲ってほしくはありません。最後に、唐突になるのですが、私が大好きなシャーロック・ホームズが最後の物語のなかで語った最後のセリフで閉めたいと思います。

ずっと東風が吹いていたが、こんな風がイギリスに吹いたことはない。冷たく厳しい風になるだろう、ワトソン。この突風の前に多くの善良なイギリス人が消えるかもしれない。しかし、それでもこれは神の風だ。そして嵐が去った時、より清らかで、素晴らしく、強い国が太陽を浴びているだろう。
今日はこんなところです。それで、また。
